テモテへの第二の手紙 4章
神の御前と、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスの御前で、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。(4・1)
テモテへの手紙は「命じる手紙」です。随所に「命じる」とか「命じなさい」と記されています。そして、第二の手紙の最後も「命じる」で終わっています。
しかも、おごそかに命じています。正式な重みのある命令です。
神の御前と、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスの御前で、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。(4・1)
テモテへの手紙は「命じる手紙」です。随所に「命じる」とか「命じなさい」と記されています。そして、第二の手紙の最後も「命じる」で終わっています。
しかも、おごそかに命じています。正式な重みのある命令です。
その命令は、①神の御前と、②さばき主であるキリスト・イエスの御前で成されています。そして、その命令の視線の向こうには、キリストの出現(再臨)と御国がしっかりと描かれています。
私たちは今だけを見ているのではありません。未来を見据えています。それはキリストの出現という未来を見据えています。キリストが再臨されて実現する御国という未来です。このように未来を視点にして今を見ます。これが私たちの物事の見方です。
しかし逆に、今を視点にして未来を見ようとすると、物事を見誤ります。それは、現実を通して神を見ようとするのと同じです。現実があまりに大きく見えるので、神は小さく見えます。神は何もできない弱々しいお方のように見えます。大きな現実に神は覆われているように見えます。
そうではなく、神の視点から現実を見なければなりません。それと同じように、キリストの来臨という未来から今を見ます。
2千年前に来られた時の主イエスは「救い主」として来られました。そして、再臨の時のイエスは「さばき主」として来られます。すべてに結論を出されるのは主イエスです。このお方を愛し、このお方を信頼して今を生きるのです。
パウロはその〝未来〟をしっかりと見据えて、「今や義の冠が私を待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けてくださるであろう」と告白しています(4・8)。しかし、パウロの〝今〟は投獄の身です。処刑の日も近いのを感じ取っています(4・6)。
でも、パウロの視点は「再臨の主イエスが義の冠を授けてくださる」ことに当てられています。そこから逆算しています。すると、今は福音を伝えることだ。御言を教えるべき今が導き出されます。
だから、パウロはおごそかに命じています。その命令とは、「御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい」です(4・2)。
先の第3章では、神からゆだねられた御言(福音)を「守りなさい」と命じられていましたが、手紙の最後には、それを「宣べ伝えなさい」と命じられています。
「攻撃は最大の防御だ」という言葉を思い出します。福音が紛失しないように守ることも大切です。福音がゆがまないようにすることも大切です。また、福音が汚されないようにすることも大切です。
しかし、守ろうとするあまり金庫にしまい込んではなりません。
最も大切なことは、その福音(神の御言)を宣べ伝えることです。これは、おごそかな命令です。重要なな命令です。ですから、各自の人生の中心となる課題です。「御言を伝える」ことを軸にして人生設計を立てることです。
方法は各自様々です。文字通り〝語ること〟で伝えることができます。生き様や生活で語ることもあります。文書を書き残すこともあります。インターネットで伝えることもあるでしょう。それぞれの立場で「自分の務めを全うする」ことです(4・5)。
祈りましょう。宣べ伝える勇気を受けることができますように。また、宣べ伝えるチャンスを得ることができるように。そして、宣べ伝える言葉と生活を持つことができるように。
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