いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか分かるであろう。(4・6)
先の3章18節からは、「妻と夫」「子と父」、そして「奴隷と主人」の関係が記されています。4章1節の、主人の奴隷にたいする姿勢についての教えは、3章に含まれるべき記録です。
この3つの人間関係は、エペソ6章でも取り上げたように、神と人との関係を表しているのを思い出してください。神との関係は抽象的なことではなく、実際の人間関係の中に活かされます。
見方を変えると、三位一体の神と私の関係を表しています。
御子なる神には、妻が夫に従うように愛をもって従います。御父なる神には、子が父に従うように尊敬をもって従います。そして、御霊なる神には、奴隷が主人に従うように忠実をもって従います。
さて、4章2節からは、生活上の勧めが記されています。① 目をさまして祈ること、② 福音を語ること、③ 時間を神のためにあがなうこと、④ 塩で味付けた言葉を使うこと……この4点です。
③については、口語訳では「時を活かして」、新改訳では「機会を活かして」と訳されていますが、「時をあがなう」が原意です。「朝マナ」のエペソ5章を参照してください。
ここでは④の「塩で味付けられた言葉」を見て行きましょう。
私たちの人生上の悩みは、病気とか、お金のこともありますが、多くの場合は人間関係ではないでしょうか。 ※某心理学者は、全ての悩みは「人間関係」だとも言い切っている。
その人間関係で重要な鍵は「言葉」です。
神と人間の関係も言葉を通して成り立つように、人間同士の関係も言葉が重要な役割をはたします。
聖書は、「舌(言葉)」を制御できる人は完成した人であり、その舌(言葉)は船をあやつる舵(かじ)のような役割を果たすのだ」と記しています。言葉という舵の切り方ひとつで、人生の方向が決まります。
言葉は簡単に口から出てきます。自分の心にあることがスルスルと出てくるので厄介です。だから、今日の聖句は、塩で味付けられた言葉を使うように勧めているのです。
塩は調味料の基本です。塩味がないと、どんな味も決まりません。甘みを引き出すために、まったく逆の塩味が大切であるのは興味深いことです。私の口から出る言葉が、人間関係によい味付けをする言葉になりますように祈りましょう。
また、塩は防腐の役目があります。塩漬けの食品は腐らず長持ちします。会話の中には、うわさ話し、人を中傷する話し、卑猥な話しが飛び交う場面もあります。いずれも人間関係を腐らせ破壊する言葉です。
私の口から出る言葉が塩で味付けられて、人間関係の腐るのを防ぐ言葉になりますように、また、人間関係をこわす言葉ではなく、結びつける言葉になりますように祈りましょう。
塩は良いものです。大切なものです。でも、適量でなければなりません。良いものだからといって、大量の塩をいっきに食べたら体をこわします。スプーン一杯の塩でも食べるのは無理です。
つまり、言っていることは正論なのですが、塩味がききすぎて食べられないような言葉もあります。適量が大切です。
塩は良い味を引き出しますが、塩そのものは自己主張しません。塩が固まりのままでは、味付けになりません。塩は「溶ける」ことによって効果を出します。塩は前面にでるのではなく「隠し味」です。
私の口から出る言葉が、自己主張する言葉ではなく、ほどよく溶け出て、全体を引き立てる言葉になるように祈ります。
そして、最も大事なのは、言葉がでてくる私の内側です。聖霊が宿るなら、その人の腹からいのちの水が川となってわき上がると聖書は約束しています(ヨハネ7・38)。
泉が腐っていたら、腐った水が出てきます。泉が清ければ、うるわしい水が出てきます。言葉もそうです。私の内側を、聖霊がご支配なさって、人を活かす言葉の水が流れ出るようにと祈ります。聖霊の賜物の多くが〝言葉の賜物〟であるのは興味深いことです(Ⅰコリ12・4~11)。
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