サムエル記下9・7 ダビデは彼に言った、「恐れることはない。私は必ずあなたの父ヨナタンのためにあなたに恵みを施しましょう。あなたの祖父サウルの地をみなあなたに返します。あなたは常に私の食卓で食事をしなさい」。
王朝が代わると、以前の王朝に関わる人物は粛正(しゅくせい)されてしまうのが世の常です。以前の王家の生き残りがいると、その者を担ぎ出して政権転覆を画策する者も多かったからです。
イスラエルにおいても、サウル王朝からダビデ王朝へと代わったわけですが、そのような危険性がないわけではありませんでした。
実際に、将軍アブネルがサウル王の息子イシボセテを王に担ぎ出して、ダビデ王朝に対立した時代があったことは、すでに見てきたとおりです。
ようやく一段落(いちだんらく)したところで、ダビデ王は、サウル王家の生き残りを探すように命令を出しました。「時にダビデは言った、『サウルの家の人で、なお残っている者があるか。私はヨナタンのために、その人に恵みを施そう』」(9・1)。
ダビデの場合、前王朝の生き残りをひとり残らず粛正しようというのではなく、「恵みを施そう」としたのです。その理由は、サウル王の息子ヨナタンとの契約があったからです。
ご存知のように、ダビデとヨナタンは信仰を同じくする友情で結ばれていました。しかも、ふたりは「契約を結んでいた」のです。その時の様子を聖書はこう記しています。
「ヨナタンとダビデとは契約を結んだ。ヨナタンが自分の命のようにダビデを愛したからである。」(サムエル上18・3)
友人同士で契約を結ぶなど、日本では馴染みのないことです。日本は契約について、とてもアバウトな社会です。契約よりも、互いの腹芸で物事が決まって行くといった社会です。
ところが聖書の世界は契約社会です。神がアブラハムと契約を結び、イスラエルと契約を結び、そして、イエス・キリストが新しい契約を結ばれたわけです。
聖書の正式な名称も「旧約聖書」「新約聖書」です。旧い契約の書と、新しい契約の書で成り立っているのが聖書です。
話しをもどしましょう。ダビデとヨナタンのふたりは、互いがどんな状況にあっても助け合おうという契約を結んだのです。その後、ヨナタンの父サウルが、ダビデ殺害の命令を出したため、ダビデは逃亡生活に入りました。それ以来、ふたりは合うことができず、ヨナタンは先のペリシテとの戦争で父サウルと共にギルボア山で戦死しました。
しかし、ダビデはヨナタンとの契約を忘れませんでした。いかなることがあっても助け合うという約束です。ヨナタンの家族は自分の家族同様にあつかうという契約です。
こうして調査をしたところ、ヨナタンの息子メピボセテ(メフィボシェテ)が生き残っていました。彼は戦争の惨劇の中で足を怪我して歩けませんでした。
ダビデに見つかったら殺されると思い、メピボセテはひっそりと身を隠すようにして暮らしていたのです。ついにその所在が判明し、王の前に引き出されてきました。怖かったと思います。そんなメピボセテに対するダビデ王の言葉が今日の聖句です。
「恐れることはない。私は必ずあなたの父ヨナタンのために、あなたに恵みを施しましょう。あなたの祖父サウルの地をみなあなたに返します。あなたは常に私の食卓で食事をしなさい。」(9・7)
この対応に、メピボセテは驚きました。王の息子同様の扱いを受けることになったのです。天の神が、私たち罪人に施される恵みもこれと同じです。アメージング・グレイス(驚くばかりの恵み)です。
本来なら、神の御前に引き出された私たち罪人は、死の宣告を受ける他はありません。
ところが、神は言われるのです。「イエス・キリストとの契約のゆえに、わたしはあなたに恵みを施そう。あなたは永遠にわたしの食卓で食事をしなさい。これからは、あなたはわたしの息子なのだ」。
メピボセテに何か取り柄があったからではありません。生かしておいて有利なことがあるからでもありません。ただ契約ゆえの恵みです。
私たち罪人も同じです。何も神の前に誇れるものがありません。助けていただく理由がありません。ただ、イエス・キリストとの契約ゆえです。イエス・キリストを信じる者は罪ゆるされ、神の子どもとなります。
神が提示なさったこの契約を受け入れてください。すでに受け入れた方は、神のくださった契約の恵みをさらに深く味わってください。