朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

歴代志下 36章

2018年06月28日 | 歴代志

歴代志下36:21 これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は70年が満ちるまで安息を得た。(新改訳)


ヨシヤ王の改革も長くは続きませんでした。エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤ……そして、バビロンによるエルサレム神殿の破壊と捕囚という結果を招くことになりました。

あんなにヨシヤ王も頑張ったのに。先のヒゼキヤ王だって熱心だったではありませんか。しかし、歴代の敬虔な王たちをもってしても、罪の力を打ち砕くことは出来ませんでした。

「か弱き我は 律法(おきて)にたえず
燃ゆる心も たぎつ涙も
罪をあがなう 力はあらず

十字架のほかに 頼むかげなき
わびしき我を 憐れみ給え
御救いなくば 生くるすべなし」

新聖歌229番(讃美歌260)の歌詞です。私たち人間のいかなる努力も真面目さも、罪から救い出す力はありません。ただ、イエス・キリストの十字架の御救のもとに逃げ込むほかに道がありません。いのちの御霊の法則(律法)による他に道はありません。

さて、バビロン捕囚にいたる詳しい経緯は列王紀を参照することにし、歴代志では、冒頭の聖句にある御言に注目してみましょう。

バビロンによって南ユダは滅ぼされ、ユダヤ民族は根こそぎ引き抜かれるようにしてバビロンに連れて行かれました。このことを聖書は、「この国に安息を取り戻すためであった」と語っています。

神がご覧になるに、カナンの地は罪によって疲れ果て、荒廃していたのです。そこで、罪を犯し続ける民を取り除くことによって、この地に安息が取り戻されたというのです。

このことは人々の内なる霊魂の状態を表しているように思われます。それは、罪によって荒れ果て、安息を失った状態のことです。

私たちの霊魂は、罪に対するさばきときよめを経て、本当の安息を得ます。神が、偶像礼拝の罪に浸りきったユダヤ人を根こそぎ切り取られたように、神は、私たちの「古き人」をキリスト共に十字架につけて葬ってしまわれたのです

こうして、私たちの霊魂には安息が回復します。新しくされた神の子どもとしての私が戻ってきます。

ユダヤ民族も、罪人であった古いユダヤ人は葬られ、70年を経てバビロンで新しくされた民として、この約束の地に戻ってきました。神の方法は、罪人を修復して延命処置をなさるのではなく、大胆に罪人を葬って、新しい人に復活させられるのです

このような神の取り扱いは、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ、厳しく悲しいものと思われますが、後になって、神の取り扱いを経た者に平安な義の実を結ばせることになるのです。(Ω)

歴代志下 35章

2018年06月27日 | 歴代志
歴代志下35:6 あなた方は過越の小羊をほふり、身を清め、あなた方の兄弟のために備えをし、モーセが伝えた主の言葉にしたがって行いなさい。

律法の書の再発見は、ヨシヤ王の宗教改革の基礎となりました。真の宗教改革はいつも聖書が基準です。神の御言が「せよ」と命じているので、神殿をきよめ、礼拝をささげるのです。

神への従順……それは、御言への従順です。

ヨシヤ王はイスラエルの原点でもある「過越祭」を、御言に従って執り行いました。冒頭の聖句が示すとおりです。

先に、ヒゼキヤ王によって今まで忘れ去れていた過越祭が回復されたはずでしたが、それは徹底されていませんでした。単なる言い伝えだから……とか、伝統だから……といった理由では長続きはしません。続いたとしても、本来の意味や意義は忘れられ、変質してしまいます。

日本にも長く続いている祭があります。そして、その祭特有の儀式や形式があります。しかし、なぜそうするのか。それが明確になっている祭は少ないのです。その祭の起源は何があったのか、誰も知らずに、ただ賑やかに楽しむための祭となっています。

その点、ユダヤの祭……特に「過越祭」は起源が明確です。聖書にその詳細が記録されています。ヨシヤ王も例外にもれず、「モーセが伝えた主の言葉にしたがって」これを行ったのです。

新約の教会でも同じです。なぜ、教会でパンと杯を受けるのだろう。習慣や惰性で行われるなら、そこに込められた恵みやいのちは失われ、形式だけがむなしく残ることになります。

聖書には、イエス・キリストが肉体をとって世に来られたのはその肉体を引き裂いていのちをささげ、ご自分をいのちのパンとして私たちにお与えになるためであると記されています。

イエス・キリストの肉は真のパンであり、その血はまことの飲物であること。そのパンと血に与る者には永遠のいのちが与えられ、終わりの日に復活することが約束されています

神の御言を知って聖餐式をうけるべきです。神の御言を知らないで、ただ形だけの礼拝に何のいのちもありません。

しかしならが、ヨシヤ王によって南ユダの人々は聖書に立ち帰ることが出来たのでしょうか。歴代志はその結末を記して終えています。(Ω)

歴代志下 34章

2018年06月26日 | 歴代志
歴代志下34:2 彼(ヨシヤ王)は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。

マナセ王の治世が55年続き、その子のアモン王は2年間の治世で世を去りました。そのため、その子ヨシヤは8歳で王に就任し、31年の間南ユダ王国を治めました。しかし、神はこの若き指導者を祝福し用いられました。

彼は16歳の時に信仰に目覚め、20歳になり満を持して宗教改革に着手しました。そして26歳の時に、何と神殿の中で「主の律法の書」が発見されたのです(34:14)

私的推測ですが、偶像礼拝推進派が席巻する時代に多くの信仰に関する書物は処分されたり、封印されたのではないかと思われます。その難を逃れて信仰者たちは、律法の書を神殿に隠したのでしょう。

かつて王母のアタリヤがダビデ王家を滅ぼそうとしたとき、ひとりの信心深い婦人によって王子ヨアシが神殿の内部でかくまわれたように、神の御言を滅ぼそうとした偶像礼拝者たちの手から逃れて、律法の書は神殿の中でかくまわれたのです。

しかし、祭司たちは律法の書も知らずに、どうやって神殿祭儀を執り行っていたのでしょうか。想像するに、伝統や言い伝えによって礼拝の体裁は保っていたのでしょう。しかし、それは聖書から大きくかけ離れていました

それでも人々は習慣的に祭儀を行っていることで、自分は熱心に神に仕えているのだ、神に喜ばれる礼拝をしているのだと自負していたことでしょう。それはいつしか形骸化し、内容の伴わないものになっていました。

このような事はいつの時代にも起きています。

神の御子イエス様が来られた時代もそうでした。人々の信仰は形式だけのものになっていました。イエス様はそのことを、「あなた方は受けついだ言い伝えによって、神の御言を無にしている」と指摘なさいました(マルコ7:13)。  ※新改訳では「神の御言を〝空文〟にしている」。

形骸化」とはいのちを失った状態のことです。本来いのちのある御言が無になっている、空文となっていることです。

あのマルチンルターが宗教改革をなした時代もそうでした。彼はキリスト教の伝統にのっとってひたすら修行に励んでいましたが、いのちがありませんでした。その果てにたどりついたのは、〝聖書の再発見〟でした。

ヨシヤ王の時代に律法の書を発見したように、ルターも聖書を再発見したのです。

ルターの時代、人々は聖書を読むことができませんでした。勿論、聖書は貴重な書物でしたから、人々が手にできなかったこともあるのですが、信徒に自分勝手な聖書解釈をさせないために、信徒が聖書を読むことを教会が禁じていたからでもあります。

私たちの信仰の基準は「聖書」です

私たちの信仰は、習慣的になったり、伝統だからといってただ形だけになってしまい、いのちを失っていないだろうか。旧約の人々が律法の書を発見したように、私たちも聖書を〝再発見〟する必要があります。

聖書に帰ろう」。これが、いのちのある信仰を歩むために、くり返さなければならないことです。(Ω)

歴代志下 33章

2018年06月25日 | 歴代志

歴代志下33:13 これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った。


イエス様は放蕩息子の例え話をなさいましたが、ヒゼキヤ王の息子マナセはまさに旧約時代の放蕩息子です。父ヒゼキヤによって改革され、本来の栄光ある神殿と王国を取り戻したのですが、息子のマナセはそれを台無しにしてしまいました。

なぜこうも信仰の継承がうまく行かないのでしょうか。それは、昔も今も悩ませる問題です。

あまりにも立派であった父ヒゼキヤに対するコンプレックスの結果、真逆にふれたのでしょうか。あるいは、「信仰第一といっても、現実はそうはいかない。周辺諸国と妥協しながらやるべきだ」と考える現実派路線を選んだのでしょうか。

というのは、南ユダを脅かすアッスリヤ帝国は、あまりにも超大国です。「蟷螂(とうろう)(おの)をもて龍に向かうごとし」。常識的には、そのままで太刀打ちできる相手ではありません。

そこで、アッシリヤの崇拝する偶像の神々を受け入れることで、融和策をとるべきだという政治判断もあり得ることです。現実派の人々ならそう考えても不思議ではありません。とすれば、急激に偶像礼拝が復興したのもうなずけます。

マナセ王もそのような迷いの中で、アッシリヤとの妥協路線を選択したのかも知れません。しかし、神を畏れず人を恐れる生き方は長くは続きません。マナセは自分が恐れたアッシリヤの手によって、捕囚となってバビロンに連行されてしまいました(33:10-11)

マナセはこの出来事を通して悔い改めました。本心に立ち帰ったのです。まことの神である主こそ畏れるべきお方であることを確信したのです。聖書はこう記しています。

彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。(33:12-13)

こうして、彼は主こそまことの神であることを知ったのです。彼は神から愛された王です。神は、彼を愛しておられるからこそ、このような試練をお与えになります。悔い改める機会を与えようとなさいます。

神は、愛する者たちを懲らしめられるのですわが子として成長してほしいからこそ、神は愛する者を訓練なさるのです。懲らしめや訓練があるとき、神の愛を感じ取ることの出来る者であろう。(Ω)

歴代志下 32章

2018年06月23日 | 歴代志
歴代志下32:31 神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた。

ヒゼキヤ王の晩年には三つの大きな試練がありました。

第一の試練は、時の超大国アッシリヤ軍によるエルサレム包囲です。この時すでに、北イスラエルはアッシリヤの軍の前に滅ぼされその歴史に幕を下ろしていました。次は南ユダの番です。この経緯の詳細は列王紀下18~19章に記録されています。 ※列王紀におけるヒゼキヤは「アッシリヤとの戦い」に紙面を割いているが、歴代志は宗教改革に紙面を割いている。視点が異なる。

常識的に考えれば絶対に勝ち目のない相手です。しかし、ヒゼキヤ王の神への信頼は揺らぎませんでした。彼は南ユダの人々に、「我々と共におられる神を信頼しよう」と力強く呼びかけました。

「彼(アッシリヤの王)と共におる者は肉の腕である。しかし我々と共におる者は我々の神、主であって、我々を助け、我々に代って戦われる」。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に安心した。(32:8)

神への信頼に堅く立って揺らがない指導者の言葉は、人々に安心を与えました。リーダーのあるべき姿を教えられます。教会の牧師もそうですが、家庭のリーダーであるお父さん、お母さんの姿でもあります。

さて、この第一の試練は信仰に堅く立って乗り越えることが出来ました。神の御使によってアッスリヤ軍に混乱が生じ、彼らは撤退してしまいました(32:20-22)

第二の試練は、生死をさまよう大病です。彼は、祈り求める中で神のいやしを受けました(32:24-26)。こうして、ヒゼキヤ王の治世は安定し繁栄しました(32:27-30)。そんな晩年に……です。

第三の試練は、バビロンからの使者が来訪したときの誘惑でした(32:31)

列王紀の記録によるなら、アッシリヤの脅威から身を守るために新興国バビロンの助けを求め、南ユダの宝物蔵を公開したのです。しかし、このことが後のバビロン捕囚へとつながって行くことになります。

歴代志はバビロンとのやり取りの詳細を記録せず、冒頭の聖句のように、「神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた」と記録するのみです。

この「捨て置かれた」とは、放っておかれたという意味でしょう。神は、あれこれ介入なさらないで放っておかれる。「さあ、お前は晩年に至って、最後までわたしを愛するのか」と探っておられるかのようです。

ヒゼキヤ王はアッシリヤや大病という敵には勝利できましたが、最後の自分の中にあるおごりには勝利できなかったようです。

最後まで、主を信頼し、信仰を貫くことの難しさを覚えます。だからこそ、新約の時代に、主は聖霊なる神をお送りくださいました。恵みの御霊、真の助け主である聖霊様に助け手いただく他にありません。(Ω)

歴代志下 31章

2018年06月22日 | 歴代志

歴代志下31:21 彼がその神を求めるために神の宮の務につき、律法につき、戒めについて始めたわざは、ことごとく心をつくして行い、これをなし遂げた。


ヒゼキヤ王による改革は、第一に神殿のきよめ(29章)、第二に過越祭の回復(30章)、第三に献げ物の満たし(31章)へと進められました。

人々の献げ物がなかったために、神殿は荒れていました。物質的な荒廃にとどまらず、その信仰もやせ細っていました。そして、神殿で奉仕する祭司やレビ人たちも奉仕に専念できず、その持ち場から離れざるを得ませんでした。

そこで、ヒゼキヤ王は律法の従って十分の一の献げ物を命令し、人々は喜んでもろもろの産物を携えて神殿に詣でました

「その命令が伝わるやいなや、イスラエルの人々は穀物、酒、油、蜜ならびに畑のもろもろの産物の初物を多くささげ、またすべての物の十分の一をおびただしく携えて来た。」(31:5)

本当の豊かさとは何でしょうか

一般的には「得ること」が豊かさだと考えられていますが、聖書は逆に、「施すこと」「与えること」……それが真の豊かさだと語ります。自分を救おうとする者はそのいのちを失い、キリストのために捨てる者は永遠のいのちを得るのだと語られたキリストの御言は、得ることではなく、与えることによる豊かさを示しています。

ヒゼキヤの改革によって、南ユダの人々は多くの献げ物をしました。その結果、「民が主の宮に供え物を携えて来ることを始めてからこのかた、我々は飽きるほど食べたが、たくさん残りました。主がその民を恵まれたからです。それで我々は、このように多くの残った物をもっているのです」(31:10)

ある少年は5つのパンと2匹の魚をイエス様にささげました。しかし、それは豊かに増えて、人々の空腹を満たし、食事の残りを集めるとると、12のかごがいっぱいになったのです。

ささげることは失うことのようですが、実は、それは豊かさの秘訣です。その豊かさは物質的な富を越えて、霊的な富にまで至ります。はたして、自分のために富んでも、神の御前に富んでいるだろか。(Ω)

歴代志下 30章

2018年06月21日 | 歴代志

歴代志下30:26 このようにエルサレムに大いなる喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時からこのかた、このような事はエルサレムになかった。


ヒゼキヤ王は神殿のきよめをなし終え、次に着手したのは過越しの祭を回復することでした。

この祭はイスラエル民族の原点ともいうべき重要な祭です。かつてエジプトで奴隷であった彼らは、小羊をほふりその肉を食べその血を玄関に塗ることによって、神のさばきが「過ぎ越していった」ことに由来します。

この過越し事件を機に、イスラエルはエジプトの奴隷から解放され、神の民として出エジプトし、この約束の地カナンを受け継ぐことになったわけです。いわば、小羊のいのちを犠牲にしてエジプトから救い出されたのです。

しかし、偶像礼拝に溺れた民は、この重要な過越祭を長年軽んじ続けたのです。自分たちの原点である過越祭を忘れるのですから、信仰がゆがみ、逸脱するのは至極当然です。

今日の新約クリスチャンの原点も、イエス・キリストの十字架の血による救いです。神は、まことの小羊の血であるイエス・キリストの血によって、私たちを罪の奴隷から救い出してくださいました。

そのことを忘れないために、教会では聖餐式を執り行います。聖餐式のパンはイエス・キリストの肉体が十字架で引き裂かれたこと、杯はその血によって罪の代価が完全に支払われたことを記念しています。

この原点を忘れてはなりません。ここから始まります。

イスラエルの民も同様でした。過越祭が原点です。自分たちは奴隷からあがない出されて、神を礼拝する民として定められたことを忘れてはならなかったのです。

そこで、ヒゼキヤ王は過越祭をおこなうべく、すべての民に連絡しました。南ユダだけでなく、北イスラエルの人々にもこの知らせは届きました。北は、独自の神殿と祭儀制度をもって逸脱していましたが、もとをたどれば、彼らの原点もこの過越祭です。

北イスラエルの人々はその知らせを聞いて、ある人々はこの取り組みをあざ笑いましたが、本心に立ち帰って南ユダの過越祭に参加した人々もありました(30:10-11)

国の違いを超え、教派を越えて、このように原点に立ち帰ることは何と喜びに満ちたことでしょう。

ヒゼキヤ王の時代にそのような信仰による一致運動がなされたのです。その時の礼拝は、「エルサレムに大いなる喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時からこのかた、このような事はエルサレムになかった」のです(30:26)

新約の時代の教会はどうでしょう。

やがて、そのようにして、イエス・キリストの血によって罪から救い出された者たちが、ひとつ思いになって、パンと杯にあずかり、ひとつ心になってイエス様を礼拝する時が来るに違いないと信じています。(Ω)

歴代志下 29章

2018年06月20日 | 歴代志

歴代志下29:11 わが子らよ、今は怠ってはならない。


大きく逸脱したアハズ王ではありましたが、その子ヒゼキヤ王は一転、大胆な宗教改革に着手しました。父親の悪事を引き継ぐ子も多い中で、ヒゼキヤは真逆に舵を切ることができたのは神の恵みであり不思議なことです。

私の想像ですが、ヒゼキヤの母にその理由があると思っています。母の名はアビヤでゼカリヤの娘です(29:1)

このゼカリヤは先の王アハズに仕えた律法教師です( 26:5 )。ゼカリヤの死後、アハズ王は堕落したものの、王に対して影響力を及ぼした教師です。その娘アビヤが、アハズ王の妻として嫁ぎ、その子ヒゼキヤを生み育てわけです。

アビヤは父ゼカリヤから受け継いだ信仰を、その子ヒゼキヤに継承していったのだろうと思われます。幼い時からの聖書教育の大切さを教えられる記録です。

さて、ヒゼキヤは王に就任するやエルサレム神殿をきよめることから始めました。こう述べています。「主の宮を清め、聖所から汚れを除き去りなさい」と(29:5)

周辺の事から着手したのではありません。ユダの国の中心であり根幹である神殿のきよめから改革が始まりました。神殿に置かれた偽りの神々の偶像を取り除き、神殿の種々の器具をきよめました。

私たちの場合も同じです。周辺的な罪の実を取り除いても、問題の解決にはなりません。それは樹木でいうなら〝枝葉の罪〟です。盗み・悪口・姦淫・偽り・殺人等々。みなそれは枝葉の罪です。問題は根っ子の部分です。

根っ子が罪で汚染されているので、枝葉も罪の実を結びます。ですから、そんな枝葉の罪の実を取り除いても、次から次へと実を結びます。なぜなら、それは〝罪のなる木〟だからです。

根っ子が問題です。南ユダの場合も神殿からきよめなければならなかったように、私たちの根っ子……それは、私たちの霊魂のことです。神の神殿であるべき霊魂に、偽りの神が鎮座していることが問題です。偶像が王座を占拠し、まことの神が追いやられていては、何の良き実を結ぶことができるでしょうか。

ヒゼキヤはこの神殿のきよめを命じるにあたって、「わが子らよ、今は怠ってはならない。主はあなた方を選んで、主の前に立って仕えさせ、ご自分に仕える者となし、また香をたく者とされたからである」と語りました(29:11)

新改訳では、「子たちよ。今は、手をこまねいていてはなりません」と翻訳してます。そうです。この根っ子の問題を先送りしていてはなりません。周辺の事で、お茶を濁していてはなりません。

問題は神殿です。根っ子です。霊魂です。

主イエス・キリストは、十字架の血で私たちの霊魂をきよめてくださいます聖霊を私たちの霊魂に住まわせ、本来あるべき霊魂の姿を回復なさいます。これこそ、新約の時代のあるべき神殿です。

この状態を取り戻すべく、私たちは手をこまねいていてはなりません。何よりも優先すべき課題です。(Ω)

歴代志下 28章

2018年06月19日 | 歴代志

歴代志下28:10 しかしあなた方自身もまた、あなた方の神、主に罪を犯しているではないか。


アハズ王の時代になって南ユダは大混乱の時代を迎えました。

スリヤ(アラム)軍が侵攻し応戦するも敗戦し多くの精鋭部隊を失いました(28:5-6)。また、北イスラエル軍の侵攻によって敗戦し、人々は奴隷として連れて行かれました(28:8)。さらには、エドム人からの攻撃、ペリシテ人からの攻撃。

神は、相次ぐ周辺諸国からの進撃を用いて、南ユダをこらしめて、彼らに悔い改めを迫っておられるのです

しかし、アハズ王の対応は的(まと)を外していました。彼は、神にささげたはずの神殿の宝物を、アッスリヤの援軍要請の支払いにあてる始末です。

そんな彼の対応に対して、「それはアハズの助けにはならなかった」と聖書は記しています(28:21)。新改訳では、「何の助けにもならなかった」と。

そうです。的を外していては、そのなすこと何の助けにもならないのです。

歴代誌は、アハズ王の的はずれを手厳しく指摘しています。「彼らがその先祖の神、主を捨てたためである(28:6)。さらに、「彼がユダの内にみだらなことを行い、主に向かって大いに罪を犯したからである(28:19)と。

まことの神である主を捨てて、偽りの神である偶像を礼拝する……このことこそ〝的はずれ〟です。実に、聖書でいう「罪」は、ギリシャ語で「ハマルティア」。それは〝的をはずす〟という意味です。

さて、神は、南ユダを懲(こ)らしめようと周辺諸国を用いられたわけですが、北イスラエルの襲撃は度を超していました。戦争で勝利した挙げ句に、南ユダの人々を奴隷として連行してきたのです。

そのことで、神は預言者オデデを遣わして北イスラエルに対して語られたのです。冒頭の聖句はその御言です。神のおっしゃりたいことはこうです。

「確かに南ユダを懲らしめるために、お前たち(北イスラエル)が勝利するように導いたのはこのわたしだ。でも、いい気になるなよ!。だからといって、お前たちが正しいからではない。自分も同じ罪を犯していることに気づき、悔い改めるべきではないか」。

私たちは時々、他者の過ちを指摘することがあります。主が気付かせてくださったのは、その人を救い出すためであるのかも知れません。しかし、いつも肝に銘じておくべきことは、はたして自分も同じ罪人ではないかということです。

聖書はこう語っています。「あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか(伝道7:16)。興味深い御言です。

他者の過ちを指摘しなければならない事があります。その立場に置かれることがあります。でも、まことに正しいお方は神おひとりまことの知恵をもって正しく裁かれるのは神おひとりです。それを忘れると、自分を滅ぼすことになるのです。(Ω)

歴代志下 27章

2018年06月18日 | 歴代志

歴代志下27:2 民はなお悪を行った。


ウジヤ王は政治的にも軍事面でもすぐれた王でした。彼の治世によって、南ユダ王国は持ち直したかに見えました。しかし、先の26章で見たように、彼もまた、強くなるに及んで高慢になり、自らに滅びを招いてしまいました。

そのウジヤ王の息子ヨタムの治世になりました。27章はヨタムについての記録です。彼は、「その父ウジヤがしたように主の良しと見られることをした。しかし主の宮には入らなかった」とあります(27:2)

父ウジヤの高ぶりとは、祭司の働きである宮(神殿)で香をたく奉仕を、自分の手でなそうとしたことにあります。謙遜とは、おのれの分をわきまえないことです。たとえ王であっても、分を越えてはならないことをわきまえることです。

その結果、ウジヤ王はらい病(ツァラト)をわずらい滅びました。そんな父の晩年を知って、ヨタムは「宮に入らなかった」と記しているわけです。

しかし、残念なことに、民の腐敗は加速を増すばかりで、それを引き留めることが出来ませんでした。「民はなお悪を行った」と記されているとおりです。 ※新改訳では「民はなお滅びに向かっていた」。新共同訳は「民は依然として堕落していた」と翻訳。

最早、小手先の手直しでは収拾がつかないところまで来ていました。ヨタム王もできる限り、良い行いをしようと心掛けたのでしょう。しかし、人の善行など、罪の力を前にして如何に無力であることか

イスラエルの歴史は、罪の力に翻弄される人々の歴史です。キリストを待ち望む道へと導き入れる歴史です。人の内面から造りかえることの出来る聖霊なる神の内住を待ち望む福音への苦難の道です。(Ω)

歴代志下 26章

2018年06月16日 | 歴代志
歴代志下26:16 ところが彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至った。

アマジヤ王の死後、その息子ウジヤが16歳で王となりました。若くして王となたウジヤは、はじめ謙遜な信仰者でした。こう記されています。

彼は神を恐れることを自分に教えたゼカリヤの世にある日の間、神を求めることに努めた。彼が主を求めた間、神は彼を栄えさせられた。(26:5)

彼は、若い日に良き教師に出会うことが出来たようです。「神を畏れることは知識の始めである」とあるように、ゼカリヤは王に知識の基礎をしっかりと教えたのです。そして、王も主を畏れ、主を求めたので王国は繁栄しました。

問題はその後です。成功したあとです。山の頂上に登れば必ず下り坂もあるのです。それを如何に降りつつも、さらに天を目指して主を求め行くのかが問題です。

人生を山に例えるなら、晩年は死に向かって降って行くわけです。体力が減り、寿命が減り、健康が減って行きます。山の頂上だった時のことをいつまでも自慢話していても仕方がありません。

人は裸で生まれ、裸で帰って行くのですから、最期は謙遜になって行くのが宿題です。

ところが、ウジヤ王は真逆の生き方でした。冒頭の聖句が示すように、彼は強くなるに及んで、その心に高ぶり、ついに自分を滅ぼすに至ったのです。「実るほど、頭(こうべ)の垂れる稲穂かな」。肝に銘じたいものです。

歴代志は、晩年になって変質していった王の姿を描いています。ウジヤがそのひとりです。その父であるアマジヤ(アマツヤ)王もそうでした。晩年になって、神の預言を無視して北王国と戦争を契機に衰退しました。

さらに、その先代の王ヨアシ(ヨアシュ)も、祭司エホヤダの助言を受けている時は良かったが、彼の死後、晩年は偶像礼拝に傾斜して行きました。

共通していることは、晩年になって謙遜を失ったこと自分を教えてくれる〝教師〟を持たなかったことです。

何歳になっても、師と仰ぐ存在を持とう。時に、その師は自分より年下かもしれません。牧師であっても、自分を教えてくれる存在が必要です。晩年まで変質することなく、信仰を全うするためにそうしよう。(Ω)

歴代志下 25章

2018年06月15日 | 歴代志

歴代志下25:9 主はそれよりも多いものをあなたにお与えになることができます。


アマジヤ(アマツヤ)王の時代です。彼には、主を信じる信仰はあるのですが、どことなしに煮え切らない……そんなタイプの王です。それを評して、こう記録されています。

アマジヤは主の良しと見られることを行ったが、全き心をもってではなかった(25:2)。新共同訳では、「彼は主の目にかなう正しいことを行ったが、からそうしたのではなかった」。

ある時、アマジヤ王はエドムとの戦いのために準備をしました。南ユダから自国の兵30万人。その他に、銀100タラントで雇った北イスラエルの傭兵10万人の大部隊です。

しかし、預言者(名前は不明)が、北イスラエルの兵士を連れて行くのは良くない。彼らには主が共におられないからと、神の御心を告げます。偶像礼拝に蝕まれた北の兵士たちと行動を共にするのは、釣り合わないくびきを共にするようなものです。

この警告にアマジヤ王は渋々従いつつ、「それでは私がイスラエルの軍隊に与えた100タラントをどうしましょうか」と預言者に泣きつく始末です。何をケチくさいことを言っているのか。銀100タラントの月謝を払って禍根を断つことができたと思えば安いものです。

この金切れの悪さが、アマジヤの信仰が煮え切らないひとつの要因なのかも知れません。神と富と両方を主人とすることは出来ない。一方を尊び、一方を軽んじることになるからだと、イエス様が言われたとおりです。

神は、そのような一時的には損と思えることを、幾倍にも挽回してくださるお方だと、預言者はアマジヤ王に告げています。もっと、主を信頼して大胆に決断しなさいと語っているわけです。

一応、神の御言に従いはしたのですが、不徹底な信仰はやがて破綻を来します。彼は、エドムとの戦いで勝利はするものの、戦利品の中から、エドム人たちが拝んでいた偶像を持ち帰り、それを拝むようになったのです(25:14)

このようにしてアマジヤ王の晩年は信仰から離れ、王国に腐敗を招きました。そして、そのことを不満に思う人々の手にかかって殺されました。悲しい最期です。

聖書はこう告げています。

金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。(Ⅰテモテ6:10)

どっちつかずの信仰。神も信じるが富も捨てがたい。そんな生き方は、やがて〝偽りの主人〟である富に裏切られて、自らを滅ぼすのです。(Ω)

歴代志下 24章

2018年06月14日 | 歴代志

歴代志下24:2 ヨアシは祭司エホヤダの世にある日の間は常に主の良しと見られることを行った。


ヨアシ(ヨアシュ)は7歳で王となっため、祭司エホヤダが後見人としてヨアシ王を支えると共に、宗教改革を進めました。

女王アタリヤ治世のもとで様々な偶像礼拝が国策としてなされため、エルサレム神殿は荒廃していました。そこで、「神殿修復献金」の箱を設置し(24:8) 、神殿の修復に尽力しました。

しかし、祭司エホヤダの死後ヨアシ王は堕落します。偶像礼拝推進派の言いなりに施策を実施するようになったからです。

「エホヤダの死んだ後、ユダのつかさたちが来て、うやうやしく王に敬意を表した。王は彼らに聞き従った。彼らはその先祖の神、主の宮を捨てて、アシラ像および偶像に仕えた」のです(24:17-18)

その変質ぶりを警告した預言者たちに耳を傾けないばかりか(24:19)、祭司エホヤダの子ゼカリヤを、ヨアシ王は殺害したのです(24:22)自分をアタリヤの手から救いだし、育ててくれたエホヤダの息子に手をかけるとは……いったい、どうなっているのでしょう。

聞き分けのよい子だから立派に成長しているわけではありません。親に気に入られたいがために、「よい子」を演じている場合だってあります。逆に、聞き分けが悪くても、自分の意見や主張をもって、試行錯誤をくり返す中で、しっかりと「骨」になる思考を積み重ねる場合もあります。

ヨアシ王はどうだったのでしょうか。前者の傾向にあったのではないでしょうか。言われたことに従っていれば誉められる繰り返しの中で、逆に、よからぬ側近に言われたことにも追従してしまう人であったのかも知れません。「骨」となる考えがないと、周囲の意見に動かされていまいます。

ヨアシ王がどんな人だったのか、何を考えていたのか。詳細は分かりません。しかし、彼によって殺されたゼカリヤをして語られた言葉は問いかけます。

どうぞ主がこれをみそなわして、罰せられるように(24:22)。「これ」とは、ヨアシによるゼカリヤ殺害のことです。主はこの悪事をご覧になっています。そして、それを主はさばかれるのです。

新改訳の翻訳はこうです。「主がご覧になり、言い開きを求められるように」。そうです。人々の目に隠されたとしても主がご覧になっています。そして、そのことについて、私たちは主に問われ、説明をしなければなりません。

さて、アタリヤの悪政からようやく復興できた南ユダ王国でありましたが、ヨアシは大変な混乱をまねきました。そのことに不満をいだいた急進派の人々によってヨアシ王は殺され、その子アマジヤ(アマツヤ)を王としたのです。残念な結末です。(Ω)

歴代志下 23章

2018年06月13日 | 歴代志

歴代志下23:1 第七年になって、エホヤダは勇気をだして……


女王アタリヤの手から救い出されたヨアシ(ヨアシュ)は、祭司エホヤダのもとで密かに育てられました。そして遂に、第7年目にエホヤダは立ち上がりました。7歳になるヨアシを王として擁立し、アタリヤを権力の座から引きずり下ろしたのです。

粛正が行われるところには疑心暗鬼が生じます。いったいだれが味方か。スパイはいないか。祭司エホヤダが立ち上がるには、よほどの勇気がいったことでしょう。

信仰を貫くためには、時としてエホヤダのように勇気を出し、奮い立たなければならない事があります。女王アタリヤの顔色をうかがいながら、面従腹背の人々の中にも、必ず真理のために〝奮い立つ〟人々がいます。  ※新改訳では、「奮い立って」と翻訳。

預言者エリヤが孤軍奮闘していたときも、主はエリヤを奮い立たせてこう言われました。「わたしはイスラエルの内に7千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である(第一列王19:18)

祭司エホヤダもひとりではありませんでした。もちろん主が共におられましたが、エホヤダと行動を共にするレビ人たちがいました。

実は、祭司エホヤダがヨアシ(ヨアシュ)をかくまった時、彼の年齢は80を越えていました。そして7年後。90歳を越えた老人は奮い立ったのです。 ※エホヤダは130歳まで生き(24:15)、晩年をヨアシ王の後見人として仕えた(24:2)

聖霊がくだる時、老人は夢を見るのです。神によるビジョンに奮い立つのです。このエホヤダの勇気ある行動は、如何に多くの人々を奮い立たせたことでしょう。

あなたが勇気を出し、奮い立つ時、必ず同じように奮い立つ人々が起こされます。祈って勇気を得よう。(Ω)

歴代志下 22章

2018年06月12日 | 歴代志

歴代志下22:3 アハジヤもまたアハブの家の道に歩んだ。その母が彼の相談相手となって悪を行わせたからである。


ヨラム王によって暗い影を落としはじめたユダ王国は、さらに闇の力が重くのしかかります。ヨラム王が病死するや、その子アハジヤが王に就きました。彼の母は、ヨラム王を惑わしたアタリヤです。

北イスラエルの罪の流れは、イゼベルから娘のアタリヤへと受け継がれ、今や南ユダに至りました。彼女は王母の地位を利用して南ユダ王国を偶像礼拝へと舵を切らせたのです。

そして、息子アハジヤ王が戦争によって急死するや、彼女はユダ王家の王子たちをことごとく殺害し、ついに女王としてユダ王国をその手中におさめることに成功しました。

このように罪の力は長い時間をかけて、絡みつくようにして私たちを支配してきます。そもそも始まりは、先々代の王ヨシャパテが北の王アハブと縁を結んだことにあります(18:1)。「縁を結ぶ」とは、契約を結ぶことです。まるでサタンと契約を結んで、そのその支配の足掛かりを用意したようなものです。

こうして、罪の支配はユダ王国を完全に覆って、サタンが神に打ち勝ったかのような状況でした。

しかし、罪の力がいかに強くとも、神の働きは力強く、その御心を成し遂げて行きます

アタリヤが王子たちの殺害を実行したさいに、祭司エホヤダとその妻エホシバは、当時まだ乳飲み子であったアハジヤの子ヨアシをかくまいました。ひそかに神殿の中で育てたのです

それは、まるで、神の御国の王子として世に誕生なさったイエスを憎んでベツレヘム近隣の幼な子を殺したヘロデ王の手から、幼な子イエスを救い出されたかのような出来事です。

神は、ユダ王国の一大事にも、王の子を救い出し守られました。

悪魔の攻撃がいかにすさまじくとも、神のもとにこそ隠れ場があります。ヨアシが神殿でかくまわれたように、私たちは神の御もと……十字架のかげに隠されて、罪を責め立てる悪魔の攻撃から守られます。(Ω)