詩篇61:12 わが心のくずおれるとき、私は地のはてからあなたに呼ばわります。私を導いて、私の及びがたいほどの高い岩にのぼらせてください。
人生の中で「心がくずおれるとき」があります。新改訳では「心が衰え果てるとき」と訳していますが、立ち上がろうにも立ち上がる元気がまったく無くなってしまった時のことです。神からも、遠~く離れてしまったような感覚です。
でも、そんな時でも、私たちには呼び求めることの出来るお方がいらっしゃることを忘れないでください。
この詩篇を歌ったダビデもそんな経験の中で、「私は地の果てからあなたに呼ばわります」と告白しました。「地の果て」とは、まさに、神から遠く離れてしまったような場所を表しています。
しかし、どんなに離れているような所でも、私たちは神に呼び求めることが出来ます。だれも神の愛から、私たちを引き離すことが出来ないからです。
この詩篇は、後代になってユダヤの民がバビロンに捕囚された地で歌われるようになりました。まさに、その時代にあって、バビロンはエルサレムからすれば「地の果て」です。
エルサレム……その名は「神の平安」……から遠く離れた地と境遇に追いやられた民の心は「くずおれた」状態だったことでしょう。しかし、彼らも地の果てから、神に呼ばわりました。「私の及びがたいほどの高い岩にのぼらせてください」と(61:12)。
その後、ユダヤの民はペルシャ王クロスによって解放され、エルサレムに戻ることができました。まさに、「私の及びがたいほどの高い岩」にいたる劇的な展開を迎えました。想像にも及ばないような導きを、神はなさいます。
いま、あなたがいる場所は「地の果て」でしょうか?。しかし、そこからでも神に呼ばわることが出来ます。そして、思いもよらない「高い岩」へとのぼらせてくださいます。そんな神である主イエスを信頼して、今日もイエスの御名を讃美しよう。(Ω)


そのときから、主にくずおれることが易しくなりました。
つい、さまよい出てしまうような者でが、このことがあるので絶望することはないのだと思います。
思いも寄らないような「高い岩」に導かれても、主に在って恐れることはありませんね。
御名を賛美いたします。