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朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
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オバデヤ書 1章

2019年12月06日 | オバデヤ書

オバデヤ1:15 主の日が万国の民に臨むのは近い。あなたがしたようにあなたもされる。あなたの報いはあなたのこうべに帰する。

オバデヤは南ユダの預言者ですが、いつの時代の人なのかは定かではありません。彼が預言したのは、エドム人に対するものでした。

エドム人の先祖はエサウ。エサウはヤコブ(後のイスラエル)の双子の兄にあたります。もとをたどれば兄弟です。同じ父イサクの子孫です。

しかし、兄エサウは、弟の調理したレンズ豆の煮物を食べたかったがために、長子の特権を弟のヤコブにくれてやったという経緯があります。それを根拠に、ヤコブは家督を兄から奪い取り、兄エサウは別家となりました。

エサウが欲したレンズ豆の煮物が赤かったことから、「赤」を意味する語句がなまって「エドム」と呼ばれるようになりました。また、エドム人の地域は、鉄分の多い赤茶けた土地であったこともあり、そう呼ばれました。

そのような経緯をたどったエドム人は、弟ヤコブとその子孫であるイスラエル民族を快く思っていませんでした。イスラエルが出エジプトして約束の地に向かう途中、エドムの地を通過することを妨害しました。また、敵軍のイスラエル攻撃に際しても、エドムはそれを手助けしました。このことについて、次のように語られています。

あなたはその兄弟ヤコブに暴虐を行ったので、恥はあなたをおおい、あなたは永遠に断たれる。あなたが離れて立っていた日、すなわち異邦人がその財宝を持ち去り、外国人がその門におし入り、エルサレムをくじ引きにした日、あなたも彼らのひとりのようであった。(1:10-11)  ※「あなたが離れて立っていた」(11)は、新改訳では「知らぬ顔で立っていた」と翻訳。

エドムはイスラエルが侵略されることを傍らで見て喜びました。あざ笑いました。隣人の困難を見て見ぬふりをする。そんな卑劣な態度が描かれています(1:12-14)。 ※新改訳では、そんなエドムを叱って「あなたの兄弟の日、その災難の日を、あなたはただ、ながめているな。ユダの子らの滅びの日に、彼らのことで喜ぶな。その苦難の日に大口を開くな」と翻訳。

あの良きサマリヤ人とは正反対の生き方をしているのがエドムでした。なぜ、そのようになってしまったのか。それは高慢であるが故だと指摘されています。

「岩のはざまにおり、高い所に住む者よ、あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた。あなたは心のうちに言う、『だれがわたしを地に引き下らせる事ができるか』。」(1:3)

新改訳では「あなたの心の高慢は自分自身を欺いた」と指摘しています。高慢は自分自身をだましていることになるのです。自分は神の前に身を低くする存在であることを知ろうとしないのです。この高慢故に人は滅びます。

神は、必ず引きずりおろされます。「たといあなたは、鷲のように高くあがり、星の間に巣を設けても、わたしはそこからあなたを引きおろすと主は言われる」のです(1:4)。神の力強い御手で引きずり下ろされて、厳しいさばきを受けるのか。それとも、自ら身を低くして生きることを選ぶか。それは私たちにゆだねられています。

さて、冒頭の聖句が示すように、「あなたがしたようにあなたもされる。あなたの報いはあなたのこうべに帰する」のです。悪いことも良いことも、やがて自分に戻ってくるようにして、神が報われます。

人間は、そのことに報いる能力も時間もありませんが、神はご覧になっています。そして、神が報いてくださいます。

人は、人からの報いを計算して、人の目を意識します。しかし、神は、隠れたところで、隠れたことをご覧になっています。善に対しても、悪に対しても、神が正しく報うお方であることを忘れてはなりません。(Ω)