エレミヤ書 25章
主は言われる、七十年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤ人の地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。(25・12)
神は、イスラエルの民をバビロンへと引き渡されますが、それは「神を愛する民」として彼らを再生するためでした。
神の目的は明確です。「謙遜と従順の民を得る」ことです。言い換えれば、「まことの礼拝者を得る」ことです。そのような民が暮らす世界こそ、天にふさわしい世界であり秩序だからです。
そういうわけですから、神はバビロンによってイスラエルに「死」をもたらされましたが、それは、そこから新しい「いのち」を得るためです。
「この地は ――イスラエルのこと―― みな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える」(25・11)ことになるのですが、やがて70年を経て回復するのだと主は語られました。
感謝すべきかな。我らの主はあわれみ深い神です。そして、回復なさる神です。
神の予告通り、バビロンはペルシャによって滅ぼされ、ペルシャの王クロスによって、イスラエル民族は―― 正確にはイスラエル部族の内の南ユダ王国の人々なので、これ以後、ユダヤ民族とも呼ばれるようになった―― 約束の地に戻ってきたのです。
実際には、バビロン捕囚があってからクロス王による解放まで、ぴったり70年ではありません。ただ、七とか十という数字は完全を表すので「神の定めた期間」を表す「七十」なのかもしれません。
また、第二次捕囚の直前にバビロン軍によって完全包囲された日が記録されていますが、BC589年テベルの月の10日です。その日から、ユダヤ人が帰還して神殿建設の礎を据えた日、即ちBC520年チスリの月の24日までが、丁度70年であるとする解釈もあります。 ※バビロン軍がエルサレムを包囲した日……列王下25・1。礎を据えた日……ハガイ書2・15~19。
いずれにせよ、神は御言の通りをなさいました。これが偶然ではなく、神から出た事であることが明らかになるためです。
この25章の後半は、バビロンの滅びの預言と諸国の滅びの預言です。神の憤りのぶどう酒の杯と表現されていますが、この杯をすべての国々は飲むことになるのです。
神の御怒りの道具としてバビロンは用いられたにすぎません。神の民イスラエルに勝利したとしても、本来なら謙遜であるべき勝利です。なのに、バビロンは自分を神のようにして、おごり高ぶったがゆえのさばきです。そのさばきはペルシャの勃興によって実現しました。
しかし、他の諸国については、実現した部分もあれば、そうでない部分もあります。これは、終末(ヨハネの黙示録に預言されている大患難の時代のこと)に実現することであろうと思われます。

