エレミヤ書 52章
彼(エホヤキン)は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。(52・33)
エレミヤが語った預言は51章までであり、52章は編者の加筆と言われています。内容は列王紀下24~25章とほぼ同じです。エレミヤの預言どおりに成就したことを確認するために記されたのでしょう。
さて、冒頭の聖句にあるように、バビロンへ奴隷として連れて行かれたエホヤキン王のことですが、彼は37年間投獄され、バビロンの王エビルメロダクの代になって釈放されました。
それどころか、エビルメロダクはエホヤキンを慰め、彼に高位を与え、王と食卓を共にする者としたのです。破格の待遇です。驚異の名誉回復です。こんな待遇がどこにあるでしょうか。
敵国の王を解放するなど常識では考えられません。王を生かしておけば、王のもとに民衆が集結し反乱を企てるやも知れないのですから、殺害するか獄死に至らせるかどちらかです。
いったい何があったのでしょう。神の御業としか言いようがありません。
18才でユダヤの王となったエホヤキンは、その3ヶ月後には捕囚となってバビロンへ連れて行かれました。エレミヤが預言したように、バビロンに降伏して、奴隷となっていのちを得る道を選んだのです。
37年にもおよぶ獄中生活は、いかなるものであったのだろうか。初めのうちは恨みつらみもあったでしょうが、やがて神の霊的なお取り扱いを受けて、涙と悔い改めを重ねたのではないかと思われます。
奴隷としてバビロンに仕える者に、いのちを分捕り物として与えると言われた神の御言の通り(エレミヤ21・9)、神は、エホヤキンにいのちをお与えになりました。それは単に肉体のいのちだけでなく、信仰のいのちをお与えになったのです。
エホヤキンは18才で投獄されたため、子がなかったと思います。ダビデ王家の家系を絶やすことなく、ダビデ王家の子孫からキリストは誕生するという神の約束は頓挫(とんざ)したかに見えました。
しかし、神は契約を守られる方です。天地が滅びることがあっても、神の御言は朽ちることがありません。神の約束に従って、エホヤキンの孫のゼルバベルは、やがてバビロンからの帰還民の総督として、民を率いて戻ってきます(エズラ2・1~2)。
かたや、バビロンの奴隷となることを最後まで拒んだゼデキヤ王は、逃亡のすえにバビロン軍に捕らえられてしまいました。
その結果、「ゼデキヤの両眼をえぐり出し、彼を青銅の足かせにつないだ。バビロンの王は、彼をバビロンへ連れて行き、彼を死ぬ日まで獄屋に入れておいた」のです(52・11)。
神の御言に従った者エホヤキンと、御言を拒絶したゼデキヤとの対比が印象的です。
バビロンに降伏したエホヤキンは、たった3ヶ月の統治で奴隷となったわけで、ダビデ王家の中で「最も格好悪い王」と見えたのではないでしょうか。それよりは華々しく戦った方が武勇伝にもなるのに……。
でも、神の力強い御手の下にへりくだることこそ、いのちの道であることを、エホヤキンは身をもって見せてくれました。