私の兄弟たちよ。それと同じように、あなた方も、キリストの体によって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなた方が他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。(7・4)
先の第6章では、人がアダムとの関係から切り離されてキリストにつながる方法は〝死〟であることを見ました。死を経て〝いのち〟につながる……これは、キリスト信仰の重要な法則です。
〝いのち〟に至るためには〝死〟を通過するのです。
キリストにつながっている私は、キリストの義にあずかっています。私はキリストとひとつなので、キリストのいのちにあずかっています。つまり、救いとは「キリストとひとつ」になることです。
かつての私は、霊においてはアダムとひとつでした。だから、アダムの中で罪人でした。しかし今や、〝アダムとの関係〟から切り離されてキリストとひとつになっているので、キリストにあって義とされています。
さて次のテーマ……それは〝律法との関係〟です。
律法につながっているかぎり、律法は私を罪人であると指摘し、責めるのです。まるで、律法とは、妻の欠点をあれこれと指摘する夫のようです。
律法につながっている私は、「律法」という夫と結婚している妻のような立場です。夫の姓は「律法(りっぽう)」、名は「正(ただし)」です。夫はいつも正しいのです。しかも完璧主義者であって、罪のない妻を要求するのです。
夫(律法)は間違っていません。「律法は聖なるものであって、正しくかつ善なるものだからです」(7・12)。悪いのは妻である私です。だから夫の指摘に対して何も反論できません。
この律法という夫と結ばれている以上、私はずっと責められ続けます。罪責感で悩み苦しみます。だからパウロも告白しています。自分はしたくない罪をおかしてしまう、何という惨めな人間なのだろうと(7・19~24)。
ところが、律法正(りっぽうただし)氏とは対照的な男がいます。それは、イエス・キリストです。彼は、私を責めるお方ではありません。罪をおかす私の弱さを知って、私と一緒にきよい道へと導いてくださるお方です。
イエス・キリストは欠点を見つけても責めないで、「それは私が補ってあげよう」と言われます。「お前ひとりで完全になろうとしなくて良いんだよ。私と一緒になることで完全なのだから……」と言ってくださいます。
夫の律法正氏が死んでしまえば、このキリストと一緒になることができるのですが、律法は死んでくれません。「律法は聖なるもの」(7・12)であり、「霊的なもの」(14)であるからです。かといって、夫である律法が生きているのに別の男性との結婚は姦淫ですから、それもできません(2~3)。
夫である律法から解放される唯一の方法があります。それは〝死〟です。
そうです。妻である私が死ぬのです。第6章で述べたように、私はバプテスマによってキリストと共に死んだのです。そして、キリストと共によみがえってキリストと一緒になったのです。
こうしてキリストと一緒になったのは、神のために実を結ぶようになるためです。もう一度、今日の聖句を確認しましょう。
「あなた方も、キリストの体によって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなた方が他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。」(7・4)
人は緊張すると余計に失敗します。罪をおかさないようにしよう……と頑張るのですが、失敗したら、また夫(律法)に叱られると思うと、余計に緊張して失敗します。悪循環です。
律法と一緒だと、ここが悪い、あそこが間違っている等と何かと責められるので、オロオロするばかりで実を結ぶことができません。このように律法の下にいる人には、「緊張」と「恐れ」があります。でも、私と一緒になってくださったキリストは、私の緊張と恐れを取り除いてくださいます。
もし、あなたに、立派なクリスチャン生活をしなければと思うあまり緊張や恐れがあるなら、昔の夫である律法正氏と〝より〟を戻しているのです。ぜひとも点検すべきです。
あなたは、律法から完全に切り離されて、イエス・キリストに結ばれたキリストの花嫁のはずです。さあ、緊張しないでください。キリストの愛の中でリラックスしてください。
緊張や恐れから生じるエネルギーで動き出すのではなく、キリストの愛から来るエネルギーで動き出すべきです。キリストは、私たちが神のために実を結ぶことができるように共に歩んでくださるお方なのですから。
~~~~~~~~~~~~

