民数記 32章
それでもし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください。(32・5)
イスラエルの部族の内のルベン族とガド族は、現在寄留しているヤゼルとギレアデの地を自分たちの嗣業の地として確定してほしいと申し出ました。
この時点でイスラエルは、南北に流れるヨルダン川の東側に陣を敷いていました。神が与えると言われたカナンの地はヨルダン川の西側です。約束の地を得るには、ヨルダン川を渡らなければなりません。
しかし、ルベン族とガド族―後日、マナセ族の半分の人々もこの2部族の提案に追随した―は、ヨルダン川の東側の土地を要求したという訳です。その理由は、この地域が豊かで家畜を飼うのにとても適していたからです(32・1)。
彼らが共に行かないとなると、イスラエル全体の志気が下がることは必至です。そうなれば、40年前にカナンの地に入ろうとした際に、カナン人を恐れて引き返したあの失敗の二の舞を演じることになりかねない状況です。
当然、モーセは反対しました。しかし、彼らは、妻子や家畜をこの地に残し、兵士たちをカナンの地に派兵することを提案し、この提案が受け入れられることになりました。
こうして3部族の兵士たちは、イスラエルと労苦を共にしてカナンの地で戦うことになり、約束通り最後まで参戦します。やがて戦争終結後は、申し出通りヨルダン川の東側に定住します。この内容はヨシュア記に記録されています。
しかし、その後、ヨルダン川東側のイスラエルは異教の国々の影響を受け、イスラエルとしてのアイデンティティーを失い滅びて行きました。長い目で見れば残念な結果です。
牧畜には適していましたが、信仰には適していませんでした。あのアブラハムの甥ロトは、裕福な低地であるソドムとゴモラの地域を選び、アブラハムはその逆の痩せた高台を選んだ歴史に学ぶべきです。
彼らは神を信じましたが、ヨルダン川を渡らなかった人々です。
イスラエルの民は「ヘブル人」と呼ばれます。それは「川を渡ってきた者」という意味の名です。その名のごとく、アブラハムはチグリス・ユーフラテス川を渡って来ました。また、アブラハムの子孫であるイスラエル民族はエジプトから出て紅海を渡りました。まさに、〝川を渡ってきた者〟、すなわちヘブル人です。
さらに、荒野で生まれた新しい民は、ヨルダン川を渡ってカナンの地に来ました。皆、川を渡って来た者たちです。川の此岸(此方側)である古い生き方を葬って、川の向こう側(彼岸)である新しい生活へと渡って来た者たちです。
それがヘブル人です。新約の私たちも霊的にはヘブル人です。古い自分をバプテスマの水で葬って、その水という名の〝川〟を渡ってキリストにある新しい生き方にやって来た者です。
この川を渡らないで、古い生き方を温存しているなら、やがて、クリスチャンとしてのアイデンティティーを失うことになります。ヨルダン川東岸に残った3部族と同じです。
キリスト教に好感を抱き、教会の働きにも参加するのですが、バプテスマとなると遠慮する人々がいます。此岸の生き方に執着するからです。そのような人々が、ヨルダン川の東側の民と同じ轍を踏むことにならないようにと願います。
それでもし、あなたの恵みを得られますなら、どうぞこの地をしもべらの領地にして、われわれにヨルダンを渡らせないでください。(32・5)
イスラエルの部族の内のルベン族とガド族は、現在寄留しているヤゼルとギレアデの地を自分たちの嗣業の地として確定してほしいと申し出ました。
この時点でイスラエルは、南北に流れるヨルダン川の東側に陣を敷いていました。神が与えると言われたカナンの地はヨルダン川の西側です。約束の地を得るには、ヨルダン川を渡らなければなりません。
しかし、ルベン族とガド族―後日、マナセ族の半分の人々もこの2部族の提案に追随した―は、ヨルダン川の東側の土地を要求したという訳です。その理由は、この地域が豊かで家畜を飼うのにとても適していたからです(32・1)。
彼らが共に行かないとなると、イスラエル全体の志気が下がることは必至です。そうなれば、40年前にカナンの地に入ろうとした際に、カナン人を恐れて引き返したあの失敗の二の舞を演じることになりかねない状況です。
当然、モーセは反対しました。しかし、彼らは、妻子や家畜をこの地に残し、兵士たちをカナンの地に派兵することを提案し、この提案が受け入れられることになりました。
こうして3部族の兵士たちは、イスラエルと労苦を共にしてカナンの地で戦うことになり、約束通り最後まで参戦します。やがて戦争終結後は、申し出通りヨルダン川の東側に定住します。この内容はヨシュア記に記録されています。
しかし、その後、ヨルダン川東側のイスラエルは異教の国々の影響を受け、イスラエルとしてのアイデンティティーを失い滅びて行きました。長い目で見れば残念な結果です。
牧畜には適していましたが、信仰には適していませんでした。あのアブラハムの甥ロトは、裕福な低地であるソドムとゴモラの地域を選び、アブラハムはその逆の痩せた高台を選んだ歴史に学ぶべきです。
彼らは神を信じましたが、ヨルダン川を渡らなかった人々です。
イスラエルの民は「ヘブル人」と呼ばれます。それは「川を渡ってきた者」という意味の名です。その名のごとく、アブラハムはチグリス・ユーフラテス川を渡って来ました。また、アブラハムの子孫であるイスラエル民族はエジプトから出て紅海を渡りました。まさに、〝川を渡ってきた者〟、すなわちヘブル人です。
さらに、荒野で生まれた新しい民は、ヨルダン川を渡ってカナンの地に来ました。皆、川を渡って来た者たちです。川の此岸(此方側)である古い生き方を葬って、川の向こう側(彼岸)である新しい生活へと渡って来た者たちです。
それがヘブル人です。新約の私たちも霊的にはヘブル人です。古い自分をバプテスマの水で葬って、その水という名の〝川〟を渡ってキリストにある新しい生き方にやって来た者です。
この川を渡らないで、古い生き方を温存しているなら、やがて、クリスチャンとしてのアイデンティティーを失うことになります。ヨルダン川東岸に残った3部族と同じです。
キリスト教に好感を抱き、教会の働きにも参加するのですが、バプテスマとなると遠慮する人々がいます。此岸の生き方に執着するからです。そのような人々が、ヨルダン川の東側の民と同じ轍を踏むことにならないようにと願います。
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