ペテロの第二の手紙 3章
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(3・9)
聖書は、今の世界が永遠に続くのではないと告げています。始まりがあったものは必ず終わりがあります。今の世界は……極端に聞こえるかも知れませんが誤解を恐れずに申し上げます。サタンとその悪を滅ぼしてしまうまで保たれているに過ぎません。
聖書は、「その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼きつくされる」と告げています(3・10)。
この世界は神の御言によって創造され、神の御言によって保たれているに過ぎません(3・5~7)。「光あれ」と神が言われると光が存在するようになったように、終わりの時も「消え失せよ」と言われれば、万物は焼けて崩れ去るのです。
神の最終目的は「義の住む新しい天と新しい地」の完成です(3・12)。この実現を私たちも待ち望んでいルのですが、その用意ができたなら、今の世は焼き崩れ去るのだというのです。しかし、これを認めない人々がいます。彼らは「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか」と主張し(3・4)、放縦な生活を正当化します。
イエス様が「再び来る」と予告されて、もう2千年も経つので、人の目には、神の約束は反故になったように見えます。神のご計画は変更されたのでしょうか。
それに対して聖書は応えています。「この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」(3・8)
幼い息子を車に乗せて実家に戻ったときのことです。30分にも経たないうちに「まだつかないのか」とたずねてきます。いま高速道路に入ったばかりです。大人はあと8時間くらいかなと答えますが、幼児にはそれがとても長く感じられるわけです。
また、昆虫の蜻蛉ですが、朝に生を受け夕に死んでしまうカゲロウにとって一日が彼の一生です。※正確には幼虫の時代を入れると1日ではないが、成虫としては1日である。「はかない命」の象徴として蜻蛉はいわれる。
そこで、人間の男女が婚約して1年後に結婚するのを知ったカゲロウは、自分の生涯の365回分も待っている人間の感覚は理解できません。でも、婚約中の男女には1年はアッという間です。
このように、霊的な感覚と人間的な感覚は次元が違います。神の時間概念と人間のそれとは違います。ですから、「わたしはすぐに来る」と言われた主の約束を侮ってはなりません。
今日の御言にあるように、神は、約束の実行を遅らせておられるのではありません。ただ、ひとりとして滅びず救いを得るようにと待っておられるのです。
この世界を終わらせるにあたり、福音がすべての人々に伝わるように待っておられます。それから終わりが来ます。この場合、「忍耐しておられる」のは、福音を伝えるクリスチャンたちに対してです。
私たちは神の約束の完成を待ち望みつつ、かつ、福音を伝えることによって「早める」ことになります。そのことを次の聖句は言っているのです。「そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。」(3・12 新改訳)
口語訳では、「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない」と訳されていて、右記のようなニュアンスが伝わってきません。新改訳、文語訳、新共同訳を参照してください。
神もまた、待っておられるし、同時に急いでいらっしゃいます。
あなたがイエスを信じて救いを得るのを待っておられます。そこまで待ってくださった神は、今度は、あなたがイエスを急いで伝えるようにと召しておられます。クリスチャンの生き方とは、世の終わりにフォーカスを合わせながら〝待ち望みつつ急ぎつつ〟です。
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(3・9)
聖書は、今の世界が永遠に続くのではないと告げています。始まりがあったものは必ず終わりがあります。今の世界は……極端に聞こえるかも知れませんが誤解を恐れずに申し上げます。サタンとその悪を滅ぼしてしまうまで保たれているに過ぎません。
聖書は、「その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼きつくされる」と告げています(3・10)。
この世界は神の御言によって創造され、神の御言によって保たれているに過ぎません(3・5~7)。「光あれ」と神が言われると光が存在するようになったように、終わりの時も「消え失せよ」と言われれば、万物は焼けて崩れ去るのです。
神の最終目的は「義の住む新しい天と新しい地」の完成です(3・12)。この実現を私たちも待ち望んでいルのですが、その用意ができたなら、今の世は焼き崩れ去るのだというのです。しかし、これを認めない人々がいます。彼らは「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか」と主張し(3・4)、放縦な生活を正当化します。
イエス様が「再び来る」と予告されて、もう2千年も経つので、人の目には、神の約束は反故になったように見えます。神のご計画は変更されたのでしょうか。
それに対して聖書は応えています。「この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」(3・8)
幼い息子を車に乗せて実家に戻ったときのことです。30分にも経たないうちに「まだつかないのか」とたずねてきます。いま高速道路に入ったばかりです。大人はあと8時間くらいかなと答えますが、幼児にはそれがとても長く感じられるわけです。
また、昆虫の蜻蛉ですが、朝に生を受け夕に死んでしまうカゲロウにとって一日が彼の一生です。※正確には幼虫の時代を入れると1日ではないが、成虫としては1日である。「はかない命」の象徴として蜻蛉はいわれる。
そこで、人間の男女が婚約して1年後に結婚するのを知ったカゲロウは、自分の生涯の365回分も待っている人間の感覚は理解できません。でも、婚約中の男女には1年はアッという間です。
このように、霊的な感覚と人間的な感覚は次元が違います。神の時間概念と人間のそれとは違います。ですから、「わたしはすぐに来る」と言われた主の約束を侮ってはなりません。
今日の御言にあるように、神は、約束の実行を遅らせておられるのではありません。ただ、ひとりとして滅びず救いを得るようにと待っておられるのです。
この世界を終わらせるにあたり、福音がすべての人々に伝わるように待っておられます。それから終わりが来ます。この場合、「忍耐しておられる」のは、福音を伝えるクリスチャンたちに対してです。
私たちは神の約束の完成を待ち望みつつ、かつ、福音を伝えることによって「早める」ことになります。そのことを次の聖句は言っているのです。「そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。」(3・12 新改訳)
口語訳では、「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない」と訳されていて、右記のようなニュアンスが伝わってきません。新改訳、文語訳、新共同訳を参照してください。
神もまた、待っておられるし、同時に急いでいらっしゃいます。
あなたがイエスを信じて救いを得るのを待っておられます。そこまで待ってくださった神は、今度は、あなたがイエスを急いで伝えるようにと召しておられます。クリスチャンの生き方とは、世の終わりにフォーカスを合わせながら〝待ち望みつつ急ぎつつ〟です。
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