ヨナ書 4章
ましてや、わたしは12万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか。(4・11)
ニネベに素晴らしい悔い改めが起きました。神の民イスラエルが主流である旧約の時代に、異邦人たちの救いの記録はまれです。すごいことが起きています。新約にいたって異邦人にも救いが及ぼされることを予見するかのような記録です。
ところが、ニネベ宣教の功労者である預言者ヨナ自身は、その結果を素直に喜んでいません。神が、ニネベをゆるされたことに腹を立てています。放蕩三昧の弟が戻ってきたのに、その歓迎会に加わろうとしない兄の姿が思い浮かびます(ルカ15・11~32)。
ヨナは同胞のイスラエルをこよなく愛していましたが、それは偏った愛でした。偏った愛はしばしば人を傷つけ、神を悲しませます。もちろん、神は、イスラエルを愛しておられますが、それと同じように異邦人を愛しておられます。これはヨナ書に啓示された重要な神の御心です。
神のなさることに不満をもつヨナは、ニネベの成り行きを見極めようと、小さな小屋を建て、そこに座り込みます。とても暑い地域です。神は、そんなヨナを慈しんで、トウゴマ※を生やせて日陰を用意なさいました。神の粋なおはからいです。神は時に愉快なことをなさいます。へそを曲げるヨナに怒られるのではなく、やさしく寄り添ってくださるのです。 ※トウゴマは大きな葉を持つ多年草で、暑くなると急激に成長するが、茎のわずかの傷で枯れてしまう性質がある。
ヨナはわかっているのです。主は恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされるお方であることを(4・2)。でも、わかっていても腹が立つのです。神もまた、ヨナの心持ちをわかってくださっています。だからこそヨナをあわれんで、トウゴマの日陰をかざすようにして、なだめてくださっているのです。
本音で神と対面するヨナの姿と、そんなヨナを微笑みながら対応なさる神との交わり。そこに、真の信仰の姿を見ます。形式的に神を敬うだけの宗教ではありません。信仰とは、神の愛を信頼して、正直に自分をさらけ出しながら神と共に生きて行くことです。
さて、神はトウゴマを一夜のうちに枯らせてしまいました。翌日、かんかん照りの中でヨナは暑さに耐えられず、トウゴマを枯らせた神に文句をつけるのです。神を批判するなんてとんでもないですか。いいえ、ここにも神とヨナの麗しい信頼関係を見ます。
そこで、神はお応えになりました。あなたは、こんなトウゴマが滅びることでさえ惜しむのか。ましてや、わたしは、ニネベの人々が滅びることを惜しまないでいられようか……と(4・10~11)。
自分中心の愛は偏っています。だから都合の良いトウゴマが枯れることは惜しむが、都合の悪いニネベが滅びることは惜しまないのです。しかし、神の愛は偏っていません。神は、イスラエルが滅びることを惜しむように、異邦人の滅びも惜しむお方です。
「わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」(エゼキエル18・32)。これが神の御心です。神の愛です。
ましてや、わたしは12万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか。(4・11)
ニネベに素晴らしい悔い改めが起きました。神の民イスラエルが主流である旧約の時代に、異邦人たちの救いの記録はまれです。すごいことが起きています。新約にいたって異邦人にも救いが及ぼされることを予見するかのような記録です。
ところが、ニネベ宣教の功労者である預言者ヨナ自身は、その結果を素直に喜んでいません。神が、ニネベをゆるされたことに腹を立てています。放蕩三昧の弟が戻ってきたのに、その歓迎会に加わろうとしない兄の姿が思い浮かびます(ルカ15・11~32)。
ヨナは同胞のイスラエルをこよなく愛していましたが、それは偏った愛でした。偏った愛はしばしば人を傷つけ、神を悲しませます。もちろん、神は、イスラエルを愛しておられますが、それと同じように異邦人を愛しておられます。これはヨナ書に啓示された重要な神の御心です。
神のなさることに不満をもつヨナは、ニネベの成り行きを見極めようと、小さな小屋を建て、そこに座り込みます。とても暑い地域です。神は、そんなヨナを慈しんで、トウゴマ※を生やせて日陰を用意なさいました。神の粋なおはからいです。神は時に愉快なことをなさいます。へそを曲げるヨナに怒られるのではなく、やさしく寄り添ってくださるのです。 ※トウゴマは大きな葉を持つ多年草で、暑くなると急激に成長するが、茎のわずかの傷で枯れてしまう性質がある。
ヨナはわかっているのです。主は恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされるお方であることを(4・2)。でも、わかっていても腹が立つのです。神もまた、ヨナの心持ちをわかってくださっています。だからこそヨナをあわれんで、トウゴマの日陰をかざすようにして、なだめてくださっているのです。
本音で神と対面するヨナの姿と、そんなヨナを微笑みながら対応なさる神との交わり。そこに、真の信仰の姿を見ます。形式的に神を敬うだけの宗教ではありません。信仰とは、神の愛を信頼して、正直に自分をさらけ出しながら神と共に生きて行くことです。
さて、神はトウゴマを一夜のうちに枯らせてしまいました。翌日、かんかん照りの中でヨナは暑さに耐えられず、トウゴマを枯らせた神に文句をつけるのです。神を批判するなんてとんでもないですか。いいえ、ここにも神とヨナの麗しい信頼関係を見ます。
そこで、神はお応えになりました。あなたは、こんなトウゴマが滅びることでさえ惜しむのか。ましてや、わたしは、ニネベの人々が滅びることを惜しまないでいられようか……と(4・10~11)。
自分中心の愛は偏っています。だから都合の良いトウゴマが枯れることは惜しむが、都合の悪いニネベが滅びることは惜しまないのです。しかし、神の愛は偏っていません。神は、イスラエルが滅びることを惜しむように、異邦人の滅びも惜しむお方です。
「わたしは何人の死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」(エゼキエル18・32)。これが神の御心です。神の愛です。
<朗読配信_Spotify>ヨナ書 4章 • 朝マナPodcast (spotify.com)
<You Tube>【一日一章】朝マナ ヨナ書 4章【聖書通読】 - YouTube
~~~~~~~~~~~~

