ヨエル書 3章
わたしは万国の民を集めて、これをヨシャパテの谷に携えくだり、その所でわが民、わが嗣業であるイスラエルのために彼らをさばく。(3・2 新共同訳4章2節)
この内容は、終わりの時代の更に終盤に起こるとされる出来事です。すべての国民が裁かれると預言されています。
そこで神は、諸国の民をヨシャパテの谷※に集められます。その谷とはエルサレムの町とオリーブ山の間にあるケデロンの谷であるとの説もありますが、正確な所は不明です。ただ、ヨシャパテが「主は裁かれる」という意味からして、そこで諸国の民に対するさばきが成されるのです。
これは、ヨハネ黙示録でも預言されているところの「患難期の最後に、神および神の民イスラエルに敵対して集結する各国からなる軍隊」に対するさばきだと考えられます。
その諸国から集結する民について、ヨエルは、「諸々の国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし、勇士をふるい立たせ、兵士をことごとく近づかせ、のぼらせよ」と述べています(3・9)。それは、神が、神に敵対する国民に向かって言われている言葉です。
ですから、次の10節の「諸々の国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし、勇士を奮い立たせ、あなた方の鋤を剣に、あなた方の鎌を槍に打ちかえよ。弱い者に、『私は勇士である』と言わせよ」とは、「さあ、敵対する民よ、わたしと戦うがよい。勇気を出すがよい。武器を手にするがよい」と、嘲笑まじりの挑発的な神の呼びかけです。
9節の「戦い」を、新改訳では「聖戦」と訳しているので、イスラエルの民を奮い立たせる言葉だと誤解されてしまいます。しかし、ここは前後の文脈で読めば、神に敵対する諸国民へのさばきです。ですから、イスラエルを殲滅しようと奮い立つ民とその軍隊からすれば、イスラエルを滅ぼすことは、皮肉ではありますが正に「聖戦」 です。
ですから、今に至るまで、神に敵対する人々や勢力は、鋤を剣に、鎌を槍に打ち替えるようにして、軍備を増強してきました。とうとう核兵器にまで〝打ちかえ〟てしまいました。
しかし、神を信じる者たちは逆です。「こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国にむかって、剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」のです(イザヤ2・4)。
神に敵対する者たちに対する預言と、神を信じる者に対する預言とは真逆です。
そして、神に敵対する者たちは軍備をまとって、ついに、神の民であるイスラエルを滅ぼそうとヨシャパテの谷に集結します。しかし、そこで神は敵対する者たちを滅ぼされます。こう預言されています。
「もろもろの国民をふるい立たせ、ヨシャパテの谷にのぼらせよ。わたしはそこに座して、周囲のすべての国民をさばく。」(ヨエル3・12)
10節の「主よ、あなたの勇士をかしこにお下しください」とあるのは、敵対する民(軍隊)に包囲される中、イスラエルの叫びです。神が遣わされる天の軍勢たち(天使)の助けを要請する祈りです。
最後に確認しましょう。あなたはどちらにつく者ですか。神に敵対する者なのか。それとも「主の御名を呼ぶ者」であろうか。
「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」のです(2・32)。
わたしは万国の民を集めて、これをヨシャパテの谷に携えくだり、その所でわが民、わが嗣業であるイスラエルのために彼らをさばく。(3・2 新共同訳4章2節)
この内容は、終わりの時代の更に終盤に起こるとされる出来事です。すべての国民が裁かれると預言されています。
そこで神は、諸国の民をヨシャパテの谷※に集められます。その谷とはエルサレムの町とオリーブ山の間にあるケデロンの谷であるとの説もありますが、正確な所は不明です。ただ、ヨシャパテが「主は裁かれる」という意味からして、そこで諸国の民に対するさばきが成されるのです。
これは、ヨハネ黙示録でも預言されているところの「患難期の最後に、神および神の民イスラエルに敵対して集結する各国からなる軍隊」に対するさばきだと考えられます。
その諸国から集結する民について、ヨエルは、「諸々の国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし、勇士をふるい立たせ、兵士をことごとく近づかせ、のぼらせよ」と述べています(3・9)。それは、神が、神に敵対する国民に向かって言われている言葉です。
ですから、次の10節の「諸々の国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし、勇士を奮い立たせ、あなた方の鋤を剣に、あなた方の鎌を槍に打ちかえよ。弱い者に、『私は勇士である』と言わせよ」とは、「さあ、敵対する民よ、わたしと戦うがよい。勇気を出すがよい。武器を手にするがよい」と、嘲笑まじりの挑発的な神の呼びかけです。
9節の「戦い」を、新改訳では「聖戦」と訳しているので、イスラエルの民を奮い立たせる言葉だと誤解されてしまいます。しかし、ここは前後の文脈で読めば、神に敵対する諸国民へのさばきです。ですから、イスラエルを殲滅しようと奮い立つ民とその軍隊からすれば、イスラエルを滅ぼすことは、皮肉ではありますが正に「聖戦」 です。
ですから、今に至るまで、神に敵対する人々や勢力は、鋤を剣に、鎌を槍に打ち替えるようにして、軍備を増強してきました。とうとう核兵器にまで〝打ちかえ〟てしまいました。
しかし、神を信じる者たちは逆です。「こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国にむかって、剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」のです(イザヤ2・4)。
神に敵対する者たちに対する預言と、神を信じる者に対する預言とは真逆です。
そして、神に敵対する者たちは軍備をまとって、ついに、神の民であるイスラエルを滅ぼそうとヨシャパテの谷に集結します。しかし、そこで神は敵対する者たちを滅ぼされます。こう預言されています。
「もろもろの国民をふるい立たせ、ヨシャパテの谷にのぼらせよ。わたしはそこに座して、周囲のすべての国民をさばく。」(ヨエル3・12)
10節の「主よ、あなたの勇士をかしこにお下しください」とあるのは、敵対する民(軍隊)に包囲される中、イスラエルの叫びです。神が遣わされる天の軍勢たち(天使)の助けを要請する祈りです。
最後に確認しましょう。あなたはどちらにつく者ですか。神に敵対する者なのか。それとも「主の御名を呼ぶ者」であろうか。
「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」のです(2・32)。
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