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朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ハガイ書 2章

2023年07月21日 | ハガイ書
ハガイ書 2章
さあ、あなた方は、今日から後のことをよく考えよ。すなわち、第9の月の24日、主の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考えよ。
(2・18 新改訳)


先の第1章では、現状をよく考えよと主は言われました。そして、第2章では、今日から後のことをよく考えよと言われます。

第1章では、本来の使命である神殿再建を後回しにして、自分の生活のことだけに明け暮れている現状を考えるように導かれました。そして、人々は悔い改めて神殿再建に着手したのです。

時に、ペルシャの王ダリヨスから神殿再建の承認がなされました。それを不服とするサマリヤ人たちからの妨害は相変わらずあったものの、人々は勇気を得て再建工事に着手したのです。その時の励ましが2章1~9節です。

神殿再建は進むものの、かつてのソロモン王が奉献した神殿の規模からすれば、いま自分たちが再建している神殿はあまりにも見劣りしています。

それはそうですよね。あの栄華をきわめたソロモン王が、当時の莫大な財力をもって奉献したのが第1神殿でした。かたや、自分たちは奴隷の地からようやく戻ってきたのです。自分の生活ですら、やっとのことなのに、神殿再建のために用意できる財力も資材も、あのソロモンの神殿には到底かないません。

バビロンからの帰還民の中には、かつての第1神殿の荘厳な姿を知る長老もいて、それと比較して落胆することもあったようです。その様子が次のように語られています。

あなたがた残りの者のうち、以前の栄光に輝く主の家を見た者はだれか。あなたがたは今、この状態をどう思うか。これはあなたがたの目には、無にひとしいではないか。(2・3)

荒廃したエルサレムにおける再建工事ですから、何もかもが劣っているのは明白です。見た目にはみすぼらしく、かつての栄光が薄らいでいるようにも見えたことでしょう。しかし、主が励ましてくださるのは、再建する神殿の栄光は、以前の神殿の栄光にまさっているのだと言われるのです。

主の家宮・神殿の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこの所に繁栄を与えると、万軍の主は言われる。(2・9)

新約の時代にイエス・キリストを信じた私たちはどうでしょうか。イエスを信じる以前の方が物質的には富んでいたかも知れません。世の栄華に輝いていたかも知れません。

しかし、イエス様を信じて世の富や栄華よりも、天における富や栄光を求めるようになりました。見た目には、劣っているかのようです。クリスチャンの姿を見て嘆く人もいるかも知れません。

ある牧師の話です。東京大学を卒業して前途有望な将来を約束されていたのに、牧師に転身しました。周りの人々は、それを勿体ないと批判したのです。その人々には、東大出身の肩書きが栄光に富んでいると思えたからです。

しかし、主は言われるのです。この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさるのだと。そのような後の宮である神殿再建に着手した今日から後のことをよく考えよと主は言われます。しかも2回にわたって言われます(2・15、18)

神はその後の祝福を約束なさっているからです。

まず神の国と神の義を第一にしようと決断し、着手した後に用意されている祝福を考えよというのです。「それらの必要は与えられるのだ」と言われた主の約束を信頼せよと言われるのです。

旧約の人々も神殿を完成させるために苦労しました。その苦労は新約のクリスチャンも同様です。ハガイが語る預言は、そんな私たちに対するエールでもあります。

主は言われる。ゼルバベルよ、勇気を出せ。ヨザダクの子、大祭司ヨシュアよ、勇気を出せ。主は言われる。この地のすべての民よ、勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいると、万軍の主は言われる。

これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたの内に宿っている。恐れるな。
(2・4~5)


さあ、勇気を出して雄々しくあろう。主は共におられるのですから。しかも、罪の奴隷から〝出エジプト〟した時に働かれた聖霊が、今も私たちの内におられるのですから……。

このようにしてハガイ書は、現状をよく考え、悔い改めよ。そして、その後の栄光のことをよく考えよと命令しています。


ハガイ書 1章

2023年07月20日 | ハガイ書
ハガイ書 1章
今、万軍の主はこう仰せられる。あなた方の現状をよく考えよ。
(1・5 新改訳)


本書のハガイ書とそれに続くゼカリヤ書とマラキ書は、バビロン捕囚以降の預言書です。ユダヤ人がバビロンから帰還した後のことは、エズラ記・ネヘミヤ記・エステル記に記録されています。そのエズラ記によると、ユダヤ人たちがバビロンから帰還してまず最初に着手したことは神殿建設でした。

しかし、それは順調には行きませんでした。バビロンによって破壊された祖国は荒れ廃れたままであり、そこを再建することは至難のわざでした。

また、先住民であるサマリヤ人の執拗な妨害に苦しみました。彼らは、ユダヤ人たちが無許可で神殿を再建していると訴えたため、再建工事は中断したままになってしまいました。しかし、神殿再建はペルシャの王クロスによって許可されたはずであり、その真偽を確認すべくダリヨス王に伺いを立て、ようやく古文書の中からクロス王の勅令が確認され、神殿建設工事は再び動き始めることになりました。

預言者ハガイは、神殿工事が中断された時代の預言者でした。帰還した人々の神殿再建への情熱は冷め、その使命は消え去ろうとしていました。そこで、ハガイは民に向かって語ったのです。

主の家神殿はこのように荒れはてているのに、あなた方は、みずから板で張った家に住んでいる時であろうか。(1・4)

自分たちは何のためにバビロン捕囚から解放されたのか。何のために約束の地に帰還したのか。本来の使命を忘れて、自分の生活のために明け暮れていて良いのか。神の住まいである神殿よりも、自分の住居や生活のために生きるだけで良いのか……。そんな問いかけをハガイは語ったのです。

勿論、神は私たちに飢え死にせよと言われるのではありません。しかし、私たちが何を着ようか、何を食べようかと思いわずらい、そのことで盲目になってしまうことを警告なさっているのです。まず神の国と神の義を求めよ。そうすれば、それらの必要は与えられるのだとの約束を信頼するのです(マタイ6・33~34)

バビロンから帰還したユダヤ人たちの使命が神殿を再建することであったように、新約時代の私たちの使命は、神を礼拝し、神の栄光のために仕えることです。日々の生活はどうでもよいというのではありません。学校の勉強を欠かしてはいけません。社会で働きます。また、家事仕事にもいそしみます。しかし、それが人生の最終目的ではありません。私たちの使命は、私たちの心に神殿を完成させることです。まことの礼拝者としての人生をまっとうすることです。

さて、帰還したユダヤ人たちの生活は何か歯車がかみ合っていない様子です。神殿のことより自分の生活を第一としている割りには、収穫は少ないし、食べたり飲んだりしても満足がないのです。

ハガイはその様子を次のように語っています。

あなた方は多くまいても、取入れは少なく、食べても、飽きることはない。飲んでも、満たされない。着ても、暖まらない。賃銀を得ても、これを破れた袋に入れているようなものである。(1・6)

何かが狂っています。どこか歯車がかみ合っていないのです。そんな人々に、冒頭の聖句のように、あなたがたの現状をよく考えよと主は言われます。

5節でもそう言われ、再び7節でも同じように語られています。第一にすべきことを後回しにしていませんか。あなたの現状をよく考えてください。本来の使命を忘れていませんか。そこから、人生を組み立て直す必要がありませんか。