goo blog サービス終了のお知らせ 

朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

ナホム書 3章

2023年07月12日 | ナホム書
ナホム書 3章
これは皆あでやかな遊女の恐るべき魔力と、多くの淫行のためであって、その淫行をもって諸国民を売り、その魔力をもって諸族を売り渡したものである。
(3・4)


ニネベの滅亡にともなう悲惨な情景が描かれています。このような事態になったのは、冒頭の聖句のように、彼女と称されるニネベ市民の淫行の結果であると述べられています。

町が「女」として描かれています。「乙女イスラエル」とか「シオンの娘」という表現も思い出されます。しかし、どのような娘なのか。それが問題です。

ニネベは遊女と言われています。これは道徳的に乱れていたことも意味していますが、同時に偶像礼拝に明け暮れた町という意味でもあります。

まことの神を知りながら……つまり、ヨナの宣教によって一時期は神である主を知ったのですが、その後、偶像の神々に再び心奪われ、心酔していったニネベの姿が描かれています。これは、神から見れば遊女です。霊的な姦淫です。

いま、私たちの住む日本の宗教事情はどうですか。まことの神を礼拝しようともせず、神ならぬ神々を拝んでいます。そして、その神々に何を祈願しているのですか。それは地上の繁栄と富です。世界有数の経済大国ではありますが、当時のニネベと変わりがありません。

最近やたらと日本を称賛するテレビ番組が増えています。日本の技術ってスゴイねとか、おもてなしや優しさってイイね等々。でも、だからといって、真の神をないがしろにする罪が帳消しになるわけではありません。日本人の良い点が活かされて経済的繁栄を謳歌していますが、だからといって永遠につづく真の豊かさを得ているわけではありません。

もう一度、冒頭の聖句に戻りましょう。

彼女と称されるニネベは遊女の恐るべき魔力と、多くの淫行によって、諸国民をも誘惑し、富の魅力とか魔力によって富の虜になっていました。そのような姿は、神の目には淫行を重ねる遊女として映っていることを知るべきです。

このことは、ニネベだけのことではありません。

世の終わりについて預言したヨハネの黙示録によれば、最後に滅ぼされる都大バビロンは遊女の町として描かれ、彼女は大淫婦と呼ばれていることを忘れてはなりません。「地上の王たちは、この女と姦淫を行い、この女の姦淫のぶどう酒に酔いしれた」としるされ、また、この女の「魔術にだまされていた」とも記されています。

世界中は大淫婦と呼ばれる〝彼女〟に魅了され、その富と淫行によって滅びて行く様は、このニネベの滅亡の最終的な姿であろうと思われます。


ナホム書 2章

2023年07月11日 | ナホム書
ナホム書 2章
万軍の主は言われる、見よ、わたしはあなたに臨む
(2・13)


ニネベの人々をかくも誤らせたのは何だったのでしょうか。それは、神に対する侮りでした。

かつて、ヨナの宣教によって国をあげての悔い改め運動がおこり、神はニネベに対するさばきを思いとどまられたのは事実です。しかし、そのことによって、人々の中に忍び込んできたのは慢心でした。

なんだ、この程度でゆるしてくれるんだ。それなら、具合が悪くなったら悔い改めれば大丈夫。いざとなれば悔い改めたらいいんだ」。でも、この考えには何かごまかしがありませんか。

それが「侮り」です。

もちろん神は、怒るにおそく、いつくしみ深く、恵みに富みたもう神です。しかし、それをいいことに神を侮っていると惑わされます。惑わされると、これぐらいなら大丈夫だと平気になります。それが癖になり、習慣になり、後戻りできなくなります。

神は、神を侮る者には、惑わす霊を送られることを忘れてはなりません。

そんなニネベの人々に、神は、やがて真正面から対処なさる時が来るのです。冒頭の御言のように、見よ、わたしはあなたに臨むと言われるのです。新改訳では、見よ。わたしはあなたに立ち向かうと翻訳されています。

実際は、ニネベはこの後バビロン軍に滅ぼされるのですが、それを「わたしがあなたに立ち向かう」と表現されたのです。神が主語です。神が敵になられたら、ひとたまりもありません。

今日の2章は、あれほどの栄華をきわめたニネベも滅ぼされてしまう情景です。彼らは最強の軍備を要していました。無尽蔵の金銀もありました(2・9)。なのに滅びるのです。なぜでしょうか。〝神が〟立ち向かわれるからです。

しかし、今やイエス・キリストにある者たちは幸いです。神が私たちの味方なのですから。この差は大きいです。否、真逆です。神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうかと宣言なさっているのです(ローマ8・31~32)

残念ながらニネベの人々は、その侮りゆえに神を敵にまわしてしまいました。その結果、心は消え、ひざは震え、すべての腰には痛みがあり、すべての顔は色を失ったのです(2・10)。このお方に誰が立ち向かえるでしょうか。

だから、イエス・キリストを通してこのお方と和解すべきです。それが最善の道です。イエス・キリストは今も天にあって、過ち多き私たちのために執り成してくださるからです。


ナホム書 1章

2023年07月10日 | ナホム書
ナホム書 1章
主は怒ることおそく、力強き者、主は罰すべき者を決してゆるされない者、主の道はつむじ風と大風の中にあり、雲はその足のちりである。(1・3)


ナホムはアッシリヤ帝国の首都ニネベに遣わされた預言者で、彼はニネベの滅亡を預言しました。

すでに100年以上前に、ヨナがニネベに派遣されたことはヨナ書に記されています。その時、ニネベの人々は王をはじめ奴隷に至るまで悔い改め、滅亡を免れたのでした。この時、啓示されたのは、異邦人の滅びを惜しまれる神の慈悲深い御心でした。

しかし、その後のニネベ(アッシリヤ帝国)は再び拡張路線に舵を切り、ついには北イスラエル王国を侵略、南はエジプトをも手中におさめ、いまや南ユダ王国を飲み込まんとする勢いでした。そんなニネベに対してナホムは預言したのです。

冒頭の聖句のように、主は怒ることおそくあられる神です。しかし、罪を永遠に放置されるお方ではありません。罰すべき者を決してゆるされない者であると語られています。神は決して侮られるお方ではありません。ナホム書は、そんな神の慈愛と峻厳が啓示されています。いったい、このような神の御前に立つことのできる者があるでしょうか。

だれが彼の憤りの前に立つことができよう。だれが彼の燃える怒りに耐えることができよう。その憤りは火のように注がれ、岩も彼によって裂かれる。(1・6)

さて、かつてのヨナの宣教によって悔い改めたニネベの王や人々はどうなったのでしょうか。どこで変質してしまったのでしょうか。あのガラテヤの人々について語ったパウロの言葉が思い出されます。あなた方は、そんなに物わかりがわるいのか。御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。あれほどの大きな経験をしたことは、無駄であったのか。まさか、無駄ではあるまい。(ガラテヤ3・3~4)

どんなに信仰深い出来事も、それが自慢になったり、慢心へとつながるなら、「肉で仕上げる」という結果に終わります。ですから、はじめから終わりに至るまで、神の聖霊の助けを求めなければなりません。

残念ながら、ニネベの悔い改めは旧約時代の出来事であり、神の御霊が降っていない時代でした。しかし今は新約の時代。求める者には御霊を賜る恵みの時代です。御霊によって完成させよう。