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朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

歴代志上 8章

2025年05月26日 | 歴代志
歴代志上 8・34 ヨナタンの子はメリバアル。

第8章はベニヤミン族です。新約の時代に至って活躍した使徒パウロはこのベニヤミン族の出身です。

さて、ベニヤミン族は12部族の中では小さな部族ですが、イスラエル初代の王サウルを生み出しました。就任当初のサウル王は謙遜な人柄でしたが、後には高ぶり、神の道から離れて行くようになりました。その経緯が、彼の生んだ息子たちにつけた名によって現れています(8・33)。興味深い記録です。

サウルの長男はヨナタンで神の賜物という意味です。ヨナタンは信仰にあつく、後の王となるダビデの良き友人でありました。

次男はマルキシュアで主なる王は救いという意味の名です。ここまでは、サウル王の神への誠実さがうかがえます。

しかし、三男はアビナダブでわが父は高貴であるという意味の名です。この「わが父」とは、主なる神を指しているのではなく、名付け親であるサウル王自身を指していると思われます。このあたりから、サウルの高ぶりが見られます。

そして、四男はエシバアル。「バアルは居ますという意味の名です。カナン人の間で崇拝されていた異教の神バアルはここに居るというのです。イスラエルの民は、このバアル崇拝にどれほど惑わされたことでしょう。大変な霊的混乱を招いたことはよく知られているとおりです。なのに、「バアルは居ます」という名をわが子につけるほどに、サウル王は偶像礼拝に傾斜していったのです。

しかし、長男のヨナタンは違いました。父の変質ぶりを牽制するかのように、わが息子に「メリバアル」と名づけました。これはバアルに反対する者という意味です。

ヨナタンは父サウルを愛し仕えましたが、信仰においては父とは異なりました。

わが子に「バアルに反対する者」と名づけることによって、自らの信仰の立場を明確にしました。このヨナタンの子メリバアルが別名「メヒボシェテ」です。

メヒボシェテは父ヨナタンが戦死した後、ダビデ王によって救い出され、愛された人物です。信仰によって歩んだ家系を、神はお忘れにならず、よき報いをもって応えてくださることを教える事例です。

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【一日一章】 朝マナ 歴代志上 8章 【聖書通読】

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歴代志上 7章

2025年05月24日 | 歴代志
歴代志上 7・23 そののち、エフライムは妻のところにはいった。妻ははらんで男の子を産み、その名をベリアと名づけた。その家に災があったからである。

ユダ族、レビ族の系図に多くの紙面を割いていたのですが、第7章になるとイッサカル、エフライム、アセル等の紹介はわずかです。 ※6節からのベニヤミン族はゼブルン族の誤写ではないかと見られている。ベニヤミンについては第8章で詳しく記述されている。

なぜ、こんなに少ないのか。

ソロモン王の死後、北イスラエル王国と南ユダ王国と分裂したわけですが、エフライムとマナセといえば、北王国の中心的部族です。袂を分かった北イスラエルは偶像礼拝で堕落し、早々に滅びてしまったために、彼らの系図を残すことができなかったのではと思われます。 ※聖書では、エフライムといえば北イスラエル王国の中心的部族。そのため、「エフライム」という呼称は一部族の名の他に、北イスラエル王国を指す場合が多い。

さて、そんなエフライム部族ですが、父祖エフライムの悲惨な事件から始まっています。

エゼルとエレアデはガテの土人らに殺された。これは彼らが下って行ってその家畜を奪おうとしたからである。父エフライムが日久しくこのために悲しんだので、その兄弟たちが来て彼を慰めた。(7・21~22)

無残な死を受けた息子たちのことで、エフライムはひどく悲しみ、長い期間を喪に服したのです。

その後ようやく授かった息子がベリアです。災いとか悲しみを意味するベラアが語源の名です。

エフライムの家族が受けた悲しみが、この名に込められています。そんなベリアから、すなわち〝災い〟から年月を経て、ヌンが生まれ、ヌンの子ヨシュアが誕生しました(7・27)。モーセのあとを継いだ偉大な指導者のヨシュアです。彼の活躍は民数記とヨシュア記に詳しく記されています。

さて、エフライムの父はヨセフです。このヨセフは、兄弟たちに裏切られ奴隷としてエジプトに売られ、様々な苦難を経てエジプトの統治者になったのですが、そのことでイスラエルの長子の権は、長男ルベンからヨセフに受け継がれました(歴上5・1)

さらに、ヨセフの長男であるマナセではなく、次男のエフライムに祝福の流れは移ります。ヤコブが孫にあたるマナセとエフライムの祝福を祈るとき、長男のマナセに右手が置かれるはずが、ヤコブは意図的に腕を交差させ、弟のエフライムに右手を置いて長子の権があるように祈ったからです(創48・13~20)

ところが、その後のエフライムに起きた悲惨な事件は、祝福を打ち消すほどの悲しみをもたらしました。しかし、視野をもっと広げて見なければなりません。この〝災いの子孫〟からヨシュアが誕生し、約束の地に民を導く立役者として用いられたのです。

ヨシュアの存在は、エフライム族にとっては誇りであり自慢だったでしょう。ただ、注意しなければなりません。この誇りがやがて高慢へと展開して行ったからです。

その後、エフライム部族は何度も主導権争いに絡むことで、イスラエルの中にたび重なる混乱をもたらしました。そして遂に、ダビデ王家に対抗して、彼らは北イスラエル王国を起ち上げ、偽りの神殿を建立したのです。

災いから誇りへ、誇りから驕りへ、そして再び災いへと揺れ動くエフライムの歴史に学ばなければなりません。

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【一日一章】 朝マナ 歴代志上 7章 【聖書通読】

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歴代志上 6章

2025年05月23日 | 歴代志
歴代志上 6・32 彼らは会見の幕屋の前で歌をもって仕えた。

第6章はレビ部族の系図が記されています。

レビ族はゲルション」「コハテ」「メラリの3つの氏族からなっており、その中のコハテからモーセとアロンが生まれています。

すでに、レビ記や民数記で見てきたように、レビ族は神の神殿に仕えるべく聖別された部族です。他部族のような所有地はありませんが、神に仕える仕事……これこそがレビ人が受け継ぐ嗣業(所有地)でした。

神殿の奉仕には様々な分担がありました。アロンの家系は祭司職に就きました。また、神殿の器具を扱う家系もあれば、建物の部位ごとに担当も割り当てられました。

そして、冒頭の聖句のように讃美を歌う働きもありました。それは、コハテ族の中のヘマンの家系の者たちが奉仕しました。

歌をもって仕えると記されています。讃美は自分が楽しむための歌ではなく、神に仕える務めであることが記されています。神を讃美し、神の御名をあがめる。讃美の歌をもって神の御教えを宣布する。

このように讃美の歌は「神に仕える」ことなのです。讃美の歌を歌うこと、これこそ礼拝です。


歴代志上 5章

2025年05月22日 | 歴代志
歴代志上 5・1 イスラエルの長子ルベンの子らは次のとおりである。――ルベンは長子であったが父の床を汚したので、長子の権はイスラエルの子ヨセフの子らに与えられた。それで長子の権による系図にしるされていない。

イスラエルの系図は、基本的には長子(長男)が長子の権を継承します。「長子の権」とは、単なる家督相続ではなく、神の祝福とか、神の聖なる働きのために用いられることを意味しています。

イスラエル(ヤコブ)の12人の息子たちの中でルベンは長男でしたが、冒頭の聖句が示すように、彼は父のそばめ(側室)ビルハとの姦淫のため、長子の権から外されたと記されています。 ※創世記35・22参照。

長子の権が移されるということは、ルベンの父ヤコブとその兄エサウの場合もそうでした。ヤコブとエサウは双子でしたがエサウが兄でした。しかし、エサウは長子の権を軽んじたために弟のヤコブが引き継ぎました。

そして、ここで取り上げているルベンも同様でした。それで、長子の権はヨセフに移ったと記されています(5・2)。12人の兄弟たちの11番目です。では、このヨセフの家系からイスラエルの王が誕生するかと思いきや、実際はユダ族からでした。そして、イエス・キリストもユダ族の子孫として来られたのです。

話しは変わるようですが、聖書には兄と弟の話が幾つも記されています。父のもとで仕えた兄と放蕩息子の弟の話。父には面従腹背の兄であったが、弟は心を入れ替えて父に従った話。

そして、全人類の中では長子の立場であるイスラエル民族はキリストを拒みましたが、弟の立場である異邦人はイエス・キリストを迎え入れたという出来事も同じモチーフです。

いったい神の祝福は、どこに流れて行くのでしょうか。原則は「長子に……」ですが、失敗したり放蕩した者であっても、悔い改めのある所に流れるというのが、さらに重要なことのようです。

丁度、川の水が低いところに流れて行くように、悔い改めて身を低くする者の所に、長子の権は注がれるというのが、神さまの方法です。

ですから身を低くすることです。「悔い改めと謙遜」とはまさに身を低くした者の姿です。
 

歴代志上 4章

2025年05月21日 | 歴代志
歴代志上4・10 私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。( 新改訳)

第4章からは、各部族のおもだった系図が記録されています。まず、最初にユダ部族です。筋道が分かる系図もあれば、途切れて不明なものもあります。

そんな名前が連なる中で、9節からはヤベツという人物について、ほんの短くではありますが紹介されています。そのところだけスポットライトが当たるようにして、他と記述が異なります。

ヤベツの母は彼を出産するとき大きな困難があったようです。夫との死別なのでしょうか。経済的な破綻だったのでしょうか。それとも重い病気のゆえに難産だったのかも知れません。詳しい理由は分かりません。こう記されています。

彼の母は、『私が悲しみの内にこの子を産んだからと言って、彼にヤベツという名をつけた」。
(4・9)


ヤベツとは「悲しみ」という意味です。名づけられたヤベツも、まさに名のごとく、悲しみを背負った人生を歩んだことでしょう。しかし、彼は祈ったのです。四つのポイントからなる祈りでした。

(1) 私を大いに祝福してください。

自分の祝福のために祈るなんて自己中心だと思われるでしょうか。しかし、それはまだ恵まれた環境にある人の話です。

「ご自身の栄光の富の中から、あなた方の一切の必要を、キリスト・イエスにあって満たしてくださる神」に向かって、神の子どもたちは、天の父に大いに呼ばわることができるのです(ピリピ4・19)

もちろん、神がくださる祝福とは、単なる自己充足や自己実現の次元のものではありません。神のご計画は、私を大いに祝福し、「祝福の基」とすることによって、私の周囲に、私の住む地域に、私の出会う人々に祝福を拡大させようとご計画なさっています。

(2) 私の地境を広げてください。

ヤベツの時代は、ヨシュアに率いられたイスラエルの民が約束の地に入り、領土を分割されたばかりですから、具体的な所有地が広がるようにという意味もあります。その他に「神の霊的支配の領域」という意味合いを持っています。 ※「地境」は口語訳では「国境」、新共同訳では「領土」と翻訳。

私たちは「主の祈り」で「御国を来たらせてください」と祈っています。それは、神の恵みが支配する領域をもたらしてくださいという祈りです。

私が祝福を受けたら、その祝福は周囲に広がり、神の恵みにあずかる人々や地域や、生活の場面といった「地境」が広がるようにと祈ります。

(3) 御手が私と共にあるようにしてください。

このような祝福の働きは、私の力では到底不可能です。しかし、人にはできないが神にはできるのです。

神の御手が共にあるので可能です。5つのパンと2匹の魚が少年の手にあるときは、彼ひとり分の食事でした。しかし、それがイエスの御手に渡されたとき、5千人以上の人々の空腹を満たしたことを思い出そう。
主イエス様、あなたにはおできになります。どうぞ、あなたの御手が私と共にあるようにしてください。

(4) 災いから遠ざけてください。

私たちの闘いは霊的な闘いです。しかし、現実は、勇ましく立ち向かうものの、かえって悪魔の罠に落ちてしまう場合も少なくありません。

災いに打ち勝つ力を祈り求めるべきで、災いを遠ざけてくださいと祈ることは弱気な祈りでしょうか。そんなことはありません。自分が弱っている時、また逆に、成功して高ぶっている時、私たちは面と向かって悪魔と闘う力を失っています。イエス様も40日の断食を終え、悪魔の試みの中で、最後には「サタンよ退け」と言われました(マタイ4・10)。悪魔の策略に翻弄されたペテロも、「神の力強い御手の下で自らを低くしなさい」と教えています(Ⅰペテロ5・6)

神の御前での謙遜と従順こそが、悪魔に対する最高の力であることを忘れてはなりません。自分の知恵や経験に溺れることなく、「主よ、私を試みに合わせないでください」と祈ることは、老練な信仰者の祈りです。

さあ、ヤベツのように祈ろう。神は、ヤベツの祈りを聞き入れられて、兄弟たちの中で彼を最も尊ばれた者となさいました(4・8、4・10)
 
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歴代志上 3章

2025年05月20日 | 歴代志
歴代志上3・17~19 捕囚となったエコニヤの子らは……中略……ペダヤの子らはゼルバベルとシメイである。

第3章は、ダビデ王からバビロン捕囚に至り、さらに、解放後の系図へと書き進められています。

冒頭の聖句に捕囚となったエコニヤとあるように、彼はバビロンへ捕囚として連れて行かれました。

エコニヤは幼名で後の名はエホヤキンです。彼が王として立ったのは8歳であったと記されています。そして、王位に就いて3ヶ月後に捕囚となりました。 ※新改訳では18歳と翻訳。また、列王紀では18歳であったと記録。この違いの意味するところは不明。

いずれにしても、 妻をめとり子孫を残す前に、若くしてバビロンへ連れて行かれ投獄されたわけですから、ダビデ王家の血筋は絶えてしまう状況です。しかし、神の約束は、ダビデ王の家系からキリストをお遣わしになることです。

捕囚の地でエコニヤ(エホヤキン)は結婚し、その孫にあたる人物のゼルバベルがバビロンからの帰還民の総督として戻ってきています。何という神のご配慮。神の約束は確かなことの証しです。

天地が滅んでも、神の御言は滅びることがないとは本当です。神の御言、神の御約束を信頼しよう。

さて、もうひとりの人物に注目しましょう。それはダビデの子ナタンです(3・5)。ダビデ王家の家系はソロモンに引き継がれたので、ナタンは忘れ去れたかのような存在でした。

しかし、このナタンは、ルカの記した福音書の系図に登場します(ルカ3・31)。ルカは、キリストを生んだマリヤに綿密に取材を重ねたと思われます。だからこそ、ルカ福音書にはキリストの出生から幼少期にかけて詳しい記述がなされています。

ルカが記したキリストの系図とマタイ福音書の系図が異なっていることはご存知でしょう。

マタイは、ダビデ王からソロモン王へと系図がつながれ、その子孫であるヨセフの子としてイエスが誕生したと記しました。神の国の王として来られるキリストを紹介するにはふさわしい王の系図です。

しかしルカは、王位には就かなかったが、ダビデの子であるナタンの子孫としてマリヤが登場します。

とはいえ説明が必要です。ルカ福音書では、ヨセフの父の名が「ヘリ」と記されています(ルカ3・23)。マタイではヨセフの父は「ヤコブ」です(マタイ1・16)。このヤコブはヨセフの実父ですが、ヘリはヨセフの義父です。つまり、ヨセフと結婚したマリヤの実父がヘリです。 ※新改訳ルカ3・23の欄外注を参照。ヨセフはマリヤの夫であるので、「ヘリの子」と表記されている。

ルカは、系図にマリヤの名こそ記しませんが、イエスを生んだマリヤの家系を記しました。それは、キリストが女のすえ(創世記3・15)として来られるとの預言の成就と見なしたのでしょう。

また、キリスト誕生預言はダビデの若枝と記されていますが、この場合、ダビデ王家の流れが強調されており、マタイが記した系図がそれを表しています。

もう一方で、キリスト誕生預言はエッサイの根株から生まれるとの記録もあります。エッサイはダビデの父。その家系の切り株の根元から生え出るようにして生まれるという意味です。

エッサイからダビデとつながったものの、亜流であるナタンの家系は歴史の表舞台から消えて、根株のように、その芽を出すのを待ち望んでいたかのような系図です。

しかし、そんな死んだも同然の根株の系図からマリヤが生まれ、そのマリヤはダビデ王家の子孫であるヨセフの許嫁となりイエスを出産したのです。どちらの系図にせよ、神の大いなる御手の中で育み、キリストを世に送り出したのです。

名のある家系だろうが、無名であろうが、神の御前には関係ありません。あなたに神の約束がとどまっているなら、必ずその御言どおりに実現するのです。

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【一日一章】 朝マナ 歴代志上 3章 【聖書通読】

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歴代志上 2章

2025年05月19日 | 歴代志
歴代志上2・7 カルミの子アカル。アカルは奉納物について罪を犯し、イスラエルを悩ました者である。

先の1章ではアダムからアブラハム、イサク、イスラエル(ヤコブ)につながる系図が記されていましたが、第2章ではイスラエルの子孫、特にダビデに至る本流の系図です。

本流とはいえ、それは清い流れとは言い難いものです。イスラエルの息子のユダ。そのユダは自分の息子エルの妻タマルとの間に子を生みました。その経緯は創世記38章に記されているとおりです。そのタマルが生んだペレヅからダビデ王が誕生しています。

その家系の中にはカルミの子アカルも名を連ねています。ヨシュア記では、彼の名はアカンと記されています(6~7章)。滅ぼしつくすべき敵の所有物を惜しんで、ひそかに隠し持っていた事件です。

この事件は、罪を言い表さず、ひそかに隠し持っているなら、やがて私たちの霊的闘いは滅びに至ることの教訓となりました。

このように、王に至る家系は華麗な流れではありません。罪によって濁った流れです。しかし、聖書はそれを正直に記録し、後生の教訓としています。私たちの生き様もそうでありたいと願います。

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歴代志上 1章

2025年05月17日 | 歴代志
歴代志上1・34 アブラハムはイサクを生んだ。

「歴代志」はアダムからダビデに至るまでの系図、ダビデ王朝からバビロン捕囚、そしてバビロンからの帰還について記されています。 ※口語訳では「歴代志」、新改訳では「歴代誌」と表記。聖句はおもに口語訳からの掲載のため表記は口語訳とした。口語訳では上巻と下巻に区分。新改訳は「第一」と「第二」と区分。「歴代志上」とは、「第一歴代誌」のこと。

内容の多くはサムエル記および列王紀と重複していますが、歴代志の記者はある意図をもって、記事を省略し、また逆に追加もしています。その意図は、神殿に関する記録にスポットを当てることです。

サムエル記と列王紀は王の歴史であり、王座が強調されています。それに対して、歴代志は神殿が強調されています。なぜ神殿なのか。それは歴代志が編纂された時期と深く関わっています。

ユダヤ人はバビロン捕囚から解放され祖国に戻ってきました。そこで、まず着手したのは神殿建設でした。それは、神へのまことの礼拝こそが、祖国復興の鍵であると考えたからです。

そのような時期に歴代志は記されました。

かつての神殿は如何なる経過を経て建設されたのか。そして、如何にして堕落し、滅ぼされたのか。その歴史を記すことによって、真の神殿建設と復興を目指して歴代志は記されました。

さて、第1章はアダムからイスラエルまでの系図、第2章からはイスラエルからダビデにいたる系図です。その本流はダビデ王につながる系図なのですが、それ以外の系図も差し挟むように記録されています。

その中で区別されていることがあります。それは、ダビデ王につながる系図では、生まれたと記されているのに対して、第1章後半のエドムの地の王たちはみな死んだと記されています。

「キリストはダビデの子孫として来られる」。これが神の約束です。世の王たちはやがて死んで行きます。向かう先は死です。しかし、キリストは、いのちをもたらすために世に生まれるのです。そんな希望と期待を込めて、歴代志の記者は「生まれた」と記録したのではないかと思います。

キリストを待ち望む者にとって、その人生は「死んだ」で終わるのではなく、「生まれた」という、いのちへの希望と期待に溢れています。
 
 
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歴代志下 36章

2018年06月28日 | 歴代志

歴代志下36:21 これは、エレミヤにより告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。この荒れ果てた時代を通じて、この地は70年が満ちるまで安息を得た。(新改訳)


ヨシヤ王の改革も長くは続きませんでした。エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤ……そして、バビロンによるエルサレム神殿の破壊と捕囚という結果を招くことになりました。

あんなにヨシヤ王も頑張ったのに。先のヒゼキヤ王だって熱心だったではありませんか。しかし、歴代の敬虔な王たちをもってしても、罪の力を打ち砕くことは出来ませんでした。

「か弱き我は 律法(おきて)にたえず
燃ゆる心も たぎつ涙も
罪をあがなう 力はあらず

十字架のほかに 頼むかげなき
わびしき我を 憐れみ給え
御救いなくば 生くるすべなし」

新聖歌229番(讃美歌260)の歌詞です。私たち人間のいかなる努力も真面目さも、罪から救い出す力はありません。ただ、イエス・キリストの十字架の御救のもとに逃げ込むほかに道がありません。いのちの御霊の法則(律法)による他に道はありません。

さて、バビロン捕囚にいたる詳しい経緯は列王紀を参照することにし、歴代志では、冒頭の聖句にある御言に注目してみましょう。

バビロンによって南ユダは滅ぼされ、ユダヤ民族は根こそぎ引き抜かれるようにしてバビロンに連れて行かれました。このことを聖書は、「この国に安息を取り戻すためであった」と語っています。

神がご覧になるに、カナンの地は罪によって疲れ果て、荒廃していたのです。そこで、罪を犯し続ける民を取り除くことによって、この地に安息が取り戻されたというのです。

このことは人々の内なる霊魂の状態を表しているように思われます。それは、罪によって荒れ果て、安息を失った状態のことです。

私たちの霊魂は、罪に対するさばきときよめを経て、本当の安息を得ます。神が、偶像礼拝の罪に浸りきったユダヤ人を根こそぎ切り取られたように、神は、私たちの「古き人」をキリスト共に十字架につけて葬ってしまわれたのです

こうして、私たちの霊魂には安息が回復します。新しくされた神の子どもとしての私が戻ってきます。

ユダヤ民族も、罪人であった古いユダヤ人は葬られ、70年を経てバビロンで新しくされた民として、この約束の地に戻ってきました。神の方法は、罪人を修復して延命処置をなさるのではなく、大胆に罪人を葬って、新しい人に復活させられるのです

このような神の取り扱いは、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ、厳しく悲しいものと思われますが、後になって、神の取り扱いを経た者に平安な義の実を結ばせることになるのです。(Ω)

歴代志下 35章

2018年06月27日 | 歴代志
歴代志下35:6 あなた方は過越の小羊をほふり、身を清め、あなた方の兄弟のために備えをし、モーセが伝えた主の言葉にしたがって行いなさい。

律法の書の再発見は、ヨシヤ王の宗教改革の基礎となりました。真の宗教改革はいつも聖書が基準です。神の御言が「せよ」と命じているので、神殿をきよめ、礼拝をささげるのです。

神への従順……それは、御言への従順です。

ヨシヤ王はイスラエルの原点でもある「過越祭」を、御言に従って執り行いました。冒頭の聖句が示すとおりです。

先に、ヒゼキヤ王によって今まで忘れ去れていた過越祭が回復されたはずでしたが、それは徹底されていませんでした。単なる言い伝えだから……とか、伝統だから……といった理由では長続きはしません。続いたとしても、本来の意味や意義は忘れられ、変質してしまいます。

日本にも長く続いている祭があります。そして、その祭特有の儀式や形式があります。しかし、なぜそうするのか。それが明確になっている祭は少ないのです。その祭の起源は何があったのか、誰も知らずに、ただ賑やかに楽しむための祭となっています。

その点、ユダヤの祭……特に「過越祭」は起源が明確です。聖書にその詳細が記録されています。ヨシヤ王も例外にもれず、「モーセが伝えた主の言葉にしたがって」これを行ったのです。

新約の教会でも同じです。なぜ、教会でパンと杯を受けるのだろう。習慣や惰性で行われるなら、そこに込められた恵みやいのちは失われ、形式だけがむなしく残ることになります。

聖書には、イエス・キリストが肉体をとって世に来られたのはその肉体を引き裂いていのちをささげ、ご自分をいのちのパンとして私たちにお与えになるためであると記されています。

イエス・キリストの肉は真のパンであり、その血はまことの飲物であること。そのパンと血に与る者には永遠のいのちが与えられ、終わりの日に復活することが約束されています

神の御言を知って聖餐式をうけるべきです。神の御言を知らないで、ただ形だけの礼拝に何のいのちもありません。

しかしならが、ヨシヤ王によって南ユダの人々は聖書に立ち帰ることが出来たのでしょうか。歴代志はその結末を記して終えています。(Ω)

歴代志下 34章

2018年06月26日 | 歴代志
歴代志下34:2 彼(ヨシヤ王)は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。

マナセ王の治世が55年続き、その子のアモン王は2年間の治世で世を去りました。そのため、その子ヨシヤは8歳で王に就任し、31年の間南ユダ王国を治めました。しかし、神はこの若き指導者を祝福し用いられました。

彼は16歳の時に信仰に目覚め、20歳になり満を持して宗教改革に着手しました。そして26歳の時に、何と神殿の中で「主の律法の書」が発見されたのです(34:14)

私的推測ですが、偶像礼拝推進派が席巻する時代に多くの信仰に関する書物は処分されたり、封印されたのではないかと思われます。その難を逃れて信仰者たちは、律法の書を神殿に隠したのでしょう。

かつて王母のアタリヤがダビデ王家を滅ぼそうとしたとき、ひとりの信心深い婦人によって王子ヨアシが神殿の内部でかくまわれたように、神の御言を滅ぼそうとした偶像礼拝者たちの手から逃れて、律法の書は神殿の中でかくまわれたのです。

しかし、祭司たちは律法の書も知らずに、どうやって神殿祭儀を執り行っていたのでしょうか。想像するに、伝統や言い伝えによって礼拝の体裁は保っていたのでしょう。しかし、それは聖書から大きくかけ離れていました

それでも人々は習慣的に祭儀を行っていることで、自分は熱心に神に仕えているのだ、神に喜ばれる礼拝をしているのだと自負していたことでしょう。それはいつしか形骸化し、内容の伴わないものになっていました。

このような事はいつの時代にも起きています。

神の御子イエス様が来られた時代もそうでした。人々の信仰は形式だけのものになっていました。イエス様はそのことを、「あなた方は受けついだ言い伝えによって、神の御言を無にしている」と指摘なさいました(マルコ7:13)。  ※新改訳では「神の御言を〝空文〟にしている」。

形骸化」とはいのちを失った状態のことです。本来いのちのある御言が無になっている、空文となっていることです。

あのマルチンルターが宗教改革をなした時代もそうでした。彼はキリスト教の伝統にのっとってひたすら修行に励んでいましたが、いのちがありませんでした。その果てにたどりついたのは、〝聖書の再発見〟でした。

ヨシヤ王の時代に律法の書を発見したように、ルターも聖書を再発見したのです。

ルターの時代、人々は聖書を読むことができませんでした。勿論、聖書は貴重な書物でしたから、人々が手にできなかったこともあるのですが、信徒に自分勝手な聖書解釈をさせないために、信徒が聖書を読むことを教会が禁じていたからでもあります。

私たちの信仰の基準は「聖書」です

私たちの信仰は、習慣的になったり、伝統だからといってただ形だけになってしまい、いのちを失っていないだろうか。旧約の人々が律法の書を発見したように、私たちも聖書を〝再発見〟する必要があります。

聖書に帰ろう」。これが、いのちのある信仰を歩むために、くり返さなければならないことです。(Ω)

歴代志下 33章

2018年06月25日 | 歴代志

歴代志下33:13 これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った。


イエス様は放蕩息子の例え話をなさいましたが、ヒゼキヤ王の息子マナセはまさに旧約時代の放蕩息子です。父ヒゼキヤによって改革され、本来の栄光ある神殿と王国を取り戻したのですが、息子のマナセはそれを台無しにしてしまいました。

なぜこうも信仰の継承がうまく行かないのでしょうか。それは、昔も今も悩ませる問題です。

あまりにも立派であった父ヒゼキヤに対するコンプレックスの結果、真逆にふれたのでしょうか。あるいは、「信仰第一といっても、現実はそうはいかない。周辺諸国と妥協しながらやるべきだ」と考える現実派路線を選んだのでしょうか。

というのは、南ユダを脅かすアッスリヤ帝国は、あまりにも超大国です。「蟷螂(とうろう)(おの)をもて龍に向かうごとし」。常識的には、そのままで太刀打ちできる相手ではありません。

そこで、アッシリヤの崇拝する偶像の神々を受け入れることで、融和策をとるべきだという政治判断もあり得ることです。現実派の人々ならそう考えても不思議ではありません。とすれば、急激に偶像礼拝が復興したのもうなずけます。

マナセ王もそのような迷いの中で、アッシリヤとの妥協路線を選択したのかも知れません。しかし、神を畏れず人を恐れる生き方は長くは続きません。マナセは自分が恐れたアッシリヤの手によって、捕囚となってバビロンに連行されてしまいました(33:10-11)

マナセはこの出来事を通して悔い改めました。本心に立ち帰ったのです。まことの神である主こそ畏れるべきお方であることを確信したのです。聖書はこう記しています。

彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。(33:12-13)

こうして、彼は主こそまことの神であることを知ったのです。彼は神から愛された王です。神は、彼を愛しておられるからこそ、このような試練をお与えになります。悔い改める機会を与えようとなさいます。

神は、愛する者たちを懲らしめられるのですわが子として成長してほしいからこそ、神は愛する者を訓練なさるのです。懲らしめや訓練があるとき、神の愛を感じ取ることの出来る者であろう。(Ω)

歴代志下 32章

2018年06月23日 | 歴代志
歴代志下32:31 神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた。

ヒゼキヤ王の晩年には三つの大きな試練がありました。

第一の試練は、時の超大国アッシリヤ軍によるエルサレム包囲です。この時すでに、北イスラエルはアッシリヤの軍の前に滅ぼされその歴史に幕を下ろしていました。次は南ユダの番です。この経緯の詳細は列王紀下18~19章に記録されています。 ※列王紀におけるヒゼキヤは「アッシリヤとの戦い」に紙面を割いているが、歴代志は宗教改革に紙面を割いている。視点が異なる。

常識的に考えれば絶対に勝ち目のない相手です。しかし、ヒゼキヤ王の神への信頼は揺らぎませんでした。彼は南ユダの人々に、「我々と共におられる神を信頼しよう」と力強く呼びかけました。

「彼(アッシリヤの王)と共におる者は肉の腕である。しかし我々と共におる者は我々の神、主であって、我々を助け、我々に代って戦われる」。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に安心した。(32:8)

神への信頼に堅く立って揺らがない指導者の言葉は、人々に安心を与えました。リーダーのあるべき姿を教えられます。教会の牧師もそうですが、家庭のリーダーであるお父さん、お母さんの姿でもあります。

さて、この第一の試練は信仰に堅く立って乗り越えることが出来ました。神の御使によってアッスリヤ軍に混乱が生じ、彼らは撤退してしまいました(32:20-22)

第二の試練は、生死をさまよう大病です。彼は、祈り求める中で神のいやしを受けました(32:24-26)。こうして、ヒゼキヤ王の治世は安定し繁栄しました(32:27-30)。そんな晩年に……です。

第三の試練は、バビロンからの使者が来訪したときの誘惑でした(32:31)

列王紀の記録によるなら、アッシリヤの脅威から身を守るために新興国バビロンの助けを求め、南ユダの宝物蔵を公開したのです。しかし、このことが後のバビロン捕囚へとつながって行くことになります。

歴代志はバビロンとのやり取りの詳細を記録せず、冒頭の聖句のように、「神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた」と記録するのみです。

この「捨て置かれた」とは、放っておかれたという意味でしょう。神は、あれこれ介入なさらないで放っておかれる。「さあ、お前は晩年に至って、最後までわたしを愛するのか」と探っておられるかのようです。

ヒゼキヤ王はアッシリヤや大病という敵には勝利できましたが、最後の自分の中にあるおごりには勝利できなかったようです。

最後まで、主を信頼し、信仰を貫くことの難しさを覚えます。だからこそ、新約の時代に、主は聖霊なる神をお送りくださいました。恵みの御霊、真の助け主である聖霊様に助け手いただく他にありません。(Ω)

歴代志下 31章

2018年06月22日 | 歴代志

歴代志下31:21 彼がその神を求めるために神の宮の務につき、律法につき、戒めについて始めたわざは、ことごとく心をつくして行い、これをなし遂げた。


ヒゼキヤ王による改革は、第一に神殿のきよめ(29章)、第二に過越祭の回復(30章)、第三に献げ物の満たし(31章)へと進められました。

人々の献げ物がなかったために、神殿は荒れていました。物質的な荒廃にとどまらず、その信仰もやせ細っていました。そして、神殿で奉仕する祭司やレビ人たちも奉仕に専念できず、その持ち場から離れざるを得ませんでした。

そこで、ヒゼキヤ王は律法の従って十分の一の献げ物を命令し、人々は喜んでもろもろの産物を携えて神殿に詣でました

「その命令が伝わるやいなや、イスラエルの人々は穀物、酒、油、蜜ならびに畑のもろもろの産物の初物を多くささげ、またすべての物の十分の一をおびただしく携えて来た。」(31:5)

本当の豊かさとは何でしょうか

一般的には「得ること」が豊かさだと考えられていますが、聖書は逆に、「施すこと」「与えること」……それが真の豊かさだと語ります。自分を救おうとする者はそのいのちを失い、キリストのために捨てる者は永遠のいのちを得るのだと語られたキリストの御言は、得ることではなく、与えることによる豊かさを示しています。

ヒゼキヤの改革によって、南ユダの人々は多くの献げ物をしました。その結果、「民が主の宮に供え物を携えて来ることを始めてからこのかた、我々は飽きるほど食べたが、たくさん残りました。主がその民を恵まれたからです。それで我々は、このように多くの残った物をもっているのです」(31:10)

ある少年は5つのパンと2匹の魚をイエス様にささげました。しかし、それは豊かに増えて、人々の空腹を満たし、食事の残りを集めるとると、12のかごがいっぱいになったのです。

ささげることは失うことのようですが、実は、それは豊かさの秘訣です。その豊かさは物質的な富を越えて、霊的な富にまで至ります。はたして、自分のために富んでも、神の御前に富んでいるだろか。(Ω)

歴代志下 30章

2018年06月21日 | 歴代志

歴代志下30:26 このようにエルサレムに大いなる喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時からこのかた、このような事はエルサレムになかった。


ヒゼキヤ王は神殿のきよめをなし終え、次に着手したのは過越しの祭を回復することでした。

この祭はイスラエル民族の原点ともいうべき重要な祭です。かつてエジプトで奴隷であった彼らは、小羊をほふりその肉を食べその血を玄関に塗ることによって、神のさばきが「過ぎ越していった」ことに由来します。

この過越し事件を機に、イスラエルはエジプトの奴隷から解放され、神の民として出エジプトし、この約束の地カナンを受け継ぐことになったわけです。いわば、小羊のいのちを犠牲にしてエジプトから救い出されたのです。

しかし、偶像礼拝に溺れた民は、この重要な過越祭を長年軽んじ続けたのです。自分たちの原点である過越祭を忘れるのですから、信仰がゆがみ、逸脱するのは至極当然です。

今日の新約クリスチャンの原点も、イエス・キリストの十字架の血による救いです。神は、まことの小羊の血であるイエス・キリストの血によって、私たちを罪の奴隷から救い出してくださいました。

そのことを忘れないために、教会では聖餐式を執り行います。聖餐式のパンはイエス・キリストの肉体が十字架で引き裂かれたこと、杯はその血によって罪の代価が完全に支払われたことを記念しています。

この原点を忘れてはなりません。ここから始まります。

イスラエルの民も同様でした。過越祭が原点です。自分たちは奴隷からあがない出されて、神を礼拝する民として定められたことを忘れてはならなかったのです。

そこで、ヒゼキヤ王は過越祭をおこなうべく、すべての民に連絡しました。南ユダだけでなく、北イスラエルの人々にもこの知らせは届きました。北は、独自の神殿と祭儀制度をもって逸脱していましたが、もとをたどれば、彼らの原点もこの過越祭です。

北イスラエルの人々はその知らせを聞いて、ある人々はこの取り組みをあざ笑いましたが、本心に立ち帰って南ユダの過越祭に参加した人々もありました(30:10-11)

国の違いを超え、教派を越えて、このように原点に立ち帰ることは何と喜びに満ちたことでしょう。

ヒゼキヤ王の時代にそのような信仰による一致運動がなされたのです。その時の礼拝は、「エルサレムに大いなる喜びがあった。イスラエルの王ダビデの子ソロモンの時からこのかた、このような事はエルサレムになかった」のです(30:26)

新約の時代の教会はどうでしょう。

やがて、そのようにして、イエス・キリストの血によって罪から救い出された者たちが、ひとつ思いになって、パンと杯にあずかり、ひとつ心になってイエス様を礼拝する時が来るに違いないと信じています。(Ω)