出エジプト記 26章
その垂れ幕はあなた方のために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう。(26・33)
引き続き26章も幕屋の詳細が記されています。幕屋の中心部は聖所と至聖所です。その聖所と至聖所は板塀に囲まれた部屋になっており、その板の寸法と枚数が記録されています。
また、板で囲まれた聖所と至聖所の天上部は大きな幕で覆われていました。一枚物の幕を作ることができないので、10枚の幕をつなぎ合わせて一枚にし、それで覆いました。
さて、板塀で囲まれた部屋の入り口から入ってすぐの部屋が「聖所」であり、その奥にある正方形の部屋が「至聖所」です。この至聖所は神に最も近く、かつ最も聖なる所を意味しています。この至聖所は「天」を象徴しています。
毎日、祭司たちは聖所に入って神への礼拝のために燭台に油を注ぎ、パンを供え、香をたきました。しかし、至聖所に入ることはできませんでした。定めを無視して入った者は神に撃たれて死んでしまうとされていました。
そのように誤って至聖所に入ってしまわないために、聖所と至聖所を隔てる「垂れ幕」がもうけられていたわけです。
主なる神はいつくしみ深いお方ですが、近づきがたいほど聖なるお方でもあります。至聖所を隔てる垂れ幕は、神の聖さをあらわしています。その聖なるが故に、罪人のままでは近づくことのできないことを啓示しています。
しかし、この至聖所には年に一度だけ「贖罪の日」に、祭司たちの代表である大祭司が犠牲の小羊の血をたずさえて入ることができました。このことは次のことを意味していました。
①罪のきよめ無くして天国に入ることができない。
②罪をきよめる真の大祭司が必要である。
イエス・キリストこそ真の大祭司です。イエス様は動物の血ではなく、御自身の血をたずさえて天に入られました。私たちの先駆けとなって天に入る道を開いてくださったのです。
ですからイエスが十字架で血を流して死なれた瞬間、聖所と至聖所を隔てていた垂れ幕が、上から下に向かって引き裂かれてしまいました(マタイ27・51)。
これは人の手で裂かれたのではありません。舞台の緞帳の数倍の厚さがあるとされる神殿の垂れ幕を、人の手で引き裂くなど不可能です。しかも〝上から下に向けて〟裂かれたのです。人が裂くとしたら下から上へと裂くしかありません。
この垂れ幕が引き裂かれる光景を、聖所で奉仕していた祭司たちが目撃しました。まだ見たことも入ったこともない至聖所が目の前に露わにされた出来事に、祭司たちは驚嘆したことでしょう。
イエス・キリストが十字架で死なれたことによって神殿の垂れ幕が引き裂かれたことは、今まで閉ざされていた至聖所への道―それは天国への道―が開かれたことを意味していました。
今や、真の大祭司であるイエス様によって、私たちは大胆にも至聖所である天に入り、聖なる神に近づくことができるのです。
その垂れ幕はあなた方のために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう。(26・33)
引き続き26章も幕屋の詳細が記されています。幕屋の中心部は聖所と至聖所です。その聖所と至聖所は板塀に囲まれた部屋になっており、その板の寸法と枚数が記録されています。
また、板で囲まれた聖所と至聖所の天上部は大きな幕で覆われていました。一枚物の幕を作ることができないので、10枚の幕をつなぎ合わせて一枚にし、それで覆いました。
さて、板塀で囲まれた部屋の入り口から入ってすぐの部屋が「聖所」であり、その奥にある正方形の部屋が「至聖所」です。この至聖所は神に最も近く、かつ最も聖なる所を意味しています。この至聖所は「天」を象徴しています。
毎日、祭司たちは聖所に入って神への礼拝のために燭台に油を注ぎ、パンを供え、香をたきました。しかし、至聖所に入ることはできませんでした。定めを無視して入った者は神に撃たれて死んでしまうとされていました。
そのように誤って至聖所に入ってしまわないために、聖所と至聖所を隔てる「垂れ幕」がもうけられていたわけです。
主なる神はいつくしみ深いお方ですが、近づきがたいほど聖なるお方でもあります。至聖所を隔てる垂れ幕は、神の聖さをあらわしています。その聖なるが故に、罪人のままでは近づくことのできないことを啓示しています。
しかし、この至聖所には年に一度だけ「贖罪の日」に、祭司たちの代表である大祭司が犠牲の小羊の血をたずさえて入ることができました。このことは次のことを意味していました。
①罪のきよめ無くして天国に入ることができない。
②罪をきよめる真の大祭司が必要である。
イエス・キリストこそ真の大祭司です。イエス様は動物の血ではなく、御自身の血をたずさえて天に入られました。私たちの先駆けとなって天に入る道を開いてくださったのです。
ですからイエスが十字架で血を流して死なれた瞬間、聖所と至聖所を隔てていた垂れ幕が、上から下に向かって引き裂かれてしまいました(マタイ27・51)。
これは人の手で裂かれたのではありません。舞台の緞帳の数倍の厚さがあるとされる神殿の垂れ幕を、人の手で引き裂くなど不可能です。しかも〝上から下に向けて〟裂かれたのです。人が裂くとしたら下から上へと裂くしかありません。
この垂れ幕が引き裂かれる光景を、聖所で奉仕していた祭司たちが目撃しました。まだ見たことも入ったこともない至聖所が目の前に露わにされた出来事に、祭司たちは驚嘆したことでしょう。
イエス・キリストが十字架で死なれたことによって神殿の垂れ幕が引き裂かれたことは、今まで閉ざされていた至聖所への道―それは天国への道―が開かれたことを意味していました。
今や、真の大祭司であるイエス様によって、私たちは大胆にも至聖所である天に入り、聖なる神に近づくことができるのです。
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<You Tube>【一日一章】 朝マナ 出エジプト記 26章【聖書通読】 (youtube.com)
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