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朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

受難週⑦ 土曜日

2025年04月19日 | 降誕節・復活節
ヨハネ19:42 その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。

受難週の土曜日……その日は安息日でした。

イエス様は金曜日に十字架で死なれ、その日の内に十字架から取りおろされました。その日は準備の日であったのでと記されていますが、安息日のための準備の日という意味です。

安息日は律法によって「何のわざもしてはらない」と定められているので、人々は安息日を迎えるために、金曜日中にやるべきことをして準備をしたわけです。だから、金曜日は「準備の日」です。

そんな慌ただしい金曜日にイエスは死なれたので、金曜日中に葬らなければなりませんでした。そのため、刑場の近くにある園の墓にイエスの遺体を葬ることにしましたヨハネ19:41)

そして、すぐに日没になって安息日を迎えました。当時の規定により、安息日には何もすることができません。イエスの弟子たちは、重苦しい時間が過ぎるのをひたすら待つしかありませんでした。

イエス様を守ることも弁護することもできなかった弟子たちは、悔いと恥じとで完全に落胆していました。十字架の後の土曜日は、何とつらく、暗く、長い一日だったでしょう。また、弟子たちは、次は自分たちが捕らえられ、殺されるのではないかという恐れで満たされていました。弟子たちの心のを表すかのように、自分たちの居る部屋の戸はかたく閉ざされていました。

実は、聖書には、十字架の翌日である土曜日の記述がありません。それは、まさに弟子たちの重苦しい状況を表しているかのようです。何もできない、何もする気がしない、無力で落胆しきった弟子たちを表すかのようです。

何もすることのできない一日があります。でも、それは復活の前日であることを忘れないでください。固く心を閉ざすような一日があります。しかし、それは復活の前日だったのです。

私は何もできなくても、神は着々と復活に向けて御業を進めておられます。それが、受難週の土曜日です。十字架と復活の出来事の間には、何もできない落胆の一日があるです。

さあ、明日は復活日です。復活の主にお会いしようではありませんか。主イエスは、復活のいのちを与えようと、準備して待っておられます。(Ω)

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