ヨブ記37:23 全能者は───我々はこれを見出すことができない。
エリフは更に語ります。我々は神をいったいどれほど知っているのだろうかと。先の36章では、「見よ、神は大いなるものにいまして、我々は彼を知らない」と述べ(36:26)、様々な天然現象の神秘を列挙します(36:27-33)。
そして、37章に入っても、神は雷鳴のごとく力強く語り、その働きをなさるのだが、「我々の悟りえない大いなることを行われる」のです(37:1-5)。そして、引き続き天然界の神秘とそれを支配なさる神の偉大さを語ります(37:6-18)。
だから、ヨブよ、こんな大いなる神と論議したいなどと無謀なことをどうして要求するのだ。そんなことをしても滅ぼされるだけだと諭すのです(37:20)。
結局のところエリフも、ヨブがなぜ苦難を受けているのか、説き明かすことができませんでした。ただ「全能者なる神を、人は見出すことができない」という結論で終わります。人間には神は偉大すぎて、神を知ることができない。だから苦難の意味もすべてを説明できないというわけです。
しかし、申し上げておきたいことは、神は決してご自身を隠そうとはなさっていないお方だということです。むしろ、神はいつの時代も自己紹介をなさるお方です。旧約聖書の時代は〝使いの者〟を通して自己紹介をなさいました。使いの者とは「天使」であったり、天使から教えを受けた予願者たちです。
そして、終わりの時代に、神はご自分の御子イエス・キリストを通して自己紹介をなさいました(ヘブル1:2)。これぞ究極の自己紹介です。
ですから、今や御子イエス様を通して神を知ります。この御子イエス・キリストの受けられた苦難の中に、苦難の意味が啓示されています。そして、その苦難はやがて栄光の復活へとつながっていることを知るのです。
エリフもヨブも知り得なかった神を、今やイエス・キリストを通して知るのです。イエス・キリストの中で苦難の意味を知り、イエス・キリストの中で苦難は復活の希望へとつながるのです。(Ω)

