列王紀下25・1 ゼデキヤの治世の第9年の10月10日に、バビロンの王ネブカデネザルはもろもろの軍勢を率い、エルサレムにきて、これにむかって陣を張り、周囲にとりでを築いてこれを攻めた。
ヨシア王の子(エホヤキンのおじ)ゼデキヤは、バビロンの傀儡(かいらい)政府の王としての立場を得ていましたが、ついに反旗を翻したため、バビロン軍はエルサレムを完全包囲しました。
この戦いの結果、ついにエルサレムは陥落し、人々はバビロンに捕囚として連れて行かれる事になります。これが第二次バビロン捕囚です。
聖書は軍隊に包囲された日を記録しています。「ゼデキヤの治世の第9年の10月10日」です。
神は、罪に対しては容赦なく滅ぼされますが、悔い改める者には驚くほどの恵みをもって報いてくださいます。「この日」を、神の慈愛を示す日として、人々は記録しました。
バビロンが自分たちを滅ぼすために街を包囲した日が、恵みの日になるとはどういう意味でしょうか。自分たちにとって最悪と思える日が恵みの日です。
この日のことは、預言者エゼキエルも重視しており、次のように記録しています。
「第9年の10月10日に、主の言葉がわたしに臨んだ、『人の子よ、あなたはこの日すなわち今日の名を書きしるせ。バビロンの王は、この日エルサレムを包囲した』」(エゼキエル24・1~2)。神ご自身が、この日を記録せよと命じておられます。
また、預言者エレミヤも「この日」を記録しています。重要な日付です。
「彼(ゼデキヤ)の治世の9年10月10日に、バビロンの王ネブカデレザルはその軍勢を率い、エルサレムにきて、これを包囲し、周囲に塁を築いてこれを攻めた。」(エレミヤ52・4)
聖書はなぜこんなにも「この日」に注目しているのでしょうか。それは、最悪の日でありますが、そこから神の恵みが始まった日でもあるからです。どのような恵みが始まったのでしょうか。
エレミヤはさらにこう預言しています。長くなりますが引用します。
「見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。
またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は70年の間バビロンの王に仕える。
主は言われる、70年の終った後に、わたしはバビロンの王と、その民と、カルデヤびとの地を、その罪のために罰し、永遠の荒れ地とする。」(25・9~12)
神は、ユダを見捨てられたかのようではありましたが、そうではありませんでした。神の御怒りは筆舌にし難いほどに激しいのですが、神の愛もそれと同じように深く偉大です。
バビロンによって滅ぼされたかに見えたユダヤ人でしたが、そこには70年の計画の始まりでもありました。悲しみの出来事にも「70年の計画」があることを忘れてはなりません。「70年の計画」を経て、神は素晴らしい出発を用意なさっているのです。
もちろん、新約の私たちにとって、それが文字通りの70年とは限りませんが、「70年の計画」に相当する期間を経て復活の出来事が用意されています。十字架の死という悲しみは、3日間の死を経て復活へと至るのが神の方法です。
では、ユダヤの民には、この日から70年を経て何があったのでしょうか。
ユダヤ人はバビロンへ奴隷として連れて行かれましたが、その後、ペルシャがバビロンを滅ぼしペルシャ帝国が誕生しました。そのペルシャの王クロスは神の不思議な導きを受けて、ユダヤ人を解放し、祖国に戻るように命じたのです。
人類史上、このようなことがあったでしょうか。前代未聞の出来事です。神がクロス王の霊を奮い立たせ、ユダヤ人解放の志しを起こさせ、かつ実現に至らせたのです。
ユダヤの民は祖国に戻って、まず何をしたかご存知ですか。彼らが最初に手がけたことは神殿の建設でした。神への礼拝を第一にしたのです。
もちろん、神殿の建設はスムーズに進んだわけではありませんでした。挫折あり、妨害あり、民の心がくじけたこともありました。しかし、ついに、民は神殿建築に着手し、神殿の基礎工事を始めた日のことが、ハガイ書に記録されています。
「あなた方はこの日より後、すなわち、9月24日よりの事を思うがよい。また主の宮の基をすえた日から後の事を心にとめるがよい。種はなお、納屋にあるか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの木、オリブの木もまだ実を結ばない。しかし、わたしはこの日から、あなた方に恵みを与える。」(2・18~19)
バビロンがエルサレムを包囲した「日」から70年後が、この神殿建築の基礎工事を開始した「日」に相当するのです。
何と意義深い日ではありませんか。最悪と思える「日」に、70年後のこんな恵み深い再出発の「日」が定められていたのです。
先のエレミヤも、神が計画なさっているのは、単なる災いを与える計画ではない。希望と将来を与える計画だと預言したとおりです。
ですから、どんな困難な日の中にも、神の恵みが盛り込まれていることを信じて乗り越えます。主を信頼しよう。
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