ピリピ2:15-16 それは、あなた方が、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
先の1章では、私たちに与えられた救いは神の御業であって、だからこそ救いの完成に向かって確実に進められていることを見ました。だから私たちは喜びます。たとえキリストのために苦しむことがあっても喜びます。
救いの御業を始められたキリストご自身も、この御業が完成するために「しもべの姿」になられ、十字架の死に至るまで「従順」になられました。謙遜と従順の道です。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」(2:6-8)
まず始めに、イエス・キリストご自身が謙遜と従順の道を歩まれました。それは、キリストに従う私たちの道です。
父が子供に見本を見せてくれるように、また、兄が弟たちのお手本になってくれるように、神は人となって、人の歩むべき姿を見せてくださいました。人間としての本来の姿とは何かを見せてくださいました。
それは謙遜と従順の道です。
謙遜とはどんな生き方でしょうか。「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」という生き方です(2:3)。また、「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」です(4)。
このような生き方は、「イエス・キリストの内にも見られる」ことです(5)。※新改訳・新共同訳を参照。
つまり、謙遜とはキリストの生き方そのものなのです。だから、私たちもそうするのです。でも、肉なる自分は主張します。「ずっと謙りっぱなしですか」。肉なる自分は、これくらい謙ったから、そろそろ頭をもたげても良いのではと思うのです。
でもキリストは「しもべの姿」をとられた。そして、十字架の死に至るまでしもべとなられました。ご自分では高くあろうとはなさいませんでした。だから〝神が〟キリストを高く上げられました。
「それゆえに、神は彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わった」のです(9)。ここに本当の謙遜を見ます。
こうして、私たちもキリストのように謙遜と従順の道を歩みます。その従順はキリストがそうであられたように、死に至るまでの従順です。
では、従順とはどういう生き方でしょうか。聖書は「従順であるように」と勧めています(2:12)。その第一は、内なる聖霊に対する従順です。聖霊なる神は、私の内に思いを起こさせ、かつ実現に至らせます(2:13)。
「思い浮かぶことは何でも神からの思いだ」というのは言い過ぎですが、でもあまり臆病にならないで、私の内に聖霊の思いが満たされますようにと祈って、その思いに従順することです。
日々の生活は大小の決断の連続です。事細かに、これは神の御心だろうかと祈る余裕もなく判断しています。それで良いのだと思います。だからこそ、私の思いが聖霊によって満たされるように祈るのです。「直感をきよめてください」と祈るのです。
神の圧倒的な御手の中にあることを信頼しよう。私があれこれと思案する以上に、神のご計画は、はるかに大きくて、緻密で、絶妙であることを信頼しよう。
神の御心は何か……と神経質になりすぎて、スケールの小さいクリスチャンになってしまわないようにしたいものです。先取りの喜びをもって、大胆に進もうではありませんか。
従順の二番目は、「つぶやかず、疑わないこと」です(14)。新共同訳では、「不平や理屈を言わずに」と訳しています。つぶやきや疑いは、喜びと反比例します。
神は、私たちにすばらしい計画をお持ちです。私たちの神への従順がもたらす実は、曲がった邪悪な時代の中で、私たちが光となることです(15-16)。
この地は曲がった邪悪な世界だと御言はいいます。つまり、霊的には闇の世界です。本当の光が必要です。だから、神はご自分の栄光を、地上に輝かせようとなさいます。闇の中で光を見つけたら、それはどんなにか勇気や希望を得ることでしょう。
はじめに神は、イエス・キリストを通してその輝きを照らしてくださいました。今度は、イエスを信じた私たちに栄光をあらわして、この世を照らす光となさるのです。
神が、私たちを通してあらわそうとなさる栄光の輝きは、世の栄光とは質が違って、見た目には華々しくありません。従順と謙遜によって導き出される神の輝きは「地味な輝き」です。 ※人の目には「地味」と見えるだけだが……。
でも、それは「暖かな輝き」です。小さくても決して消えない「確かな輝き」です。私たちはそのような存在です。自分の力で輝いても限界があります。ただ、主に対する謙遜と従順によって輝かせていただくだけです。
最後に、「いのちの言葉をしっかりにぎって……」(16)と記してあることに注目しましょう。どうぞ、今日の御言をしっかり握って、今日を歩むことができますように祈ります。(Ω)
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