イザヤ7:14 見よ、乙女がみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。
いよいよクリスマスです。10回にわたって、クリスマスに関連する御言をいただくことにします。
預言者イザヤはキリスト降誕の約700年前の人物です。彼は、やがて神がつかわされるキリスト(メシヤ)について預言しました。
ユダヤの国を攻撃するために、北のエフライムとアラム(スリヤ)が同盟を結びました。それを聞いたユダの王アハズの心も民の心も、風に吹かれる林の木々のように動揺しました(7:2)。そんな時に語られたのが、この預言です。
「この戦いは勝利するのだ」と神はいわれるのですが、人の目には圧倒的に不利な状況です。そこで、神は、その証拠となる「しるし」を求めよと言われました(7:10)。しかし、アハズ王は遠慮してしるしを求めませんでした。
皆さんならどんなしるしを求めますか。この時、神が啓示なさったしるしは、「乙女が身ごもって男の子を産む」というものでした。
えっ!国家存亡の危機を前に、生まれたばかりの男の子がしるしですか。いったいそれが何の役に立つというのですか……。そう言いたくなるようなしるしです。
もっと大きなしるしはないのですか。勇気がわいてくるような、インパクトのあるようなしるしです。だれもが納得できるようなしるしがほしいのです。
しかし、神は小さなしるしを見せてくださいます。「信仰のある者は見なさい」とでも言わんばりに、神のしるしは小さいのです。だから、「気をつけて、静かにして、恐れてはならない」のです(7:4)。
主はちょっとしたことの中に、「わたしは共にいるよ」というしるしを見せてくださっています。
乙女が身ごもった男の子は「インマヌエルと呼ばれる」と言われていますが、インマヌエルとは「神が共におられる」という意味です。「神が私と共におられる」というしるしは小さなことに現されています。
信仰の目をもって、今日の一日を見るとき、「ああ、今日も主は共におられた」「インマヌエルだった」という感謝で終わることでしょう。
キリストがお生まれになった時も、人々は気づきませんでした。マリヤが身ごもったことを、人々は疑わしい目で見るだけで、神のすばらしい知らせだとは知りませんでした。しかし、こんな小さなことから神の御業が始まることに期待して祈りましょう。(Ω)
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