レビ記 6章
祭壇の上の火は、そこに燃え続かせ、それを消してはならない。祭司は朝ごとに、たきぎをその上に燃やし、燔祭をその上に並べ、また酬恩祭の脂肪をその上で焼かなければならない。(6・12)
レビ記は幕屋(神殿)で仕えるレビ人や祭司たちの働きを規定していますが、これは自分とは無縁の遠い昔のことのように感じられるかも知れません。
しかし、新約の時代において、イエスを信じる者は祭司であると教えています。
「この主のみもとにきて、あなた方も、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを献げなさい」(Ⅰペテロ2・5)。
こういうわけですから、レビ記は私たちと密接な関係があることになります。もちろん「霊のいけにえ」と言っているのですから、文字通りの動物や穀物を献げるのではありませんが……。
レビ記6章からは、先の「ささげ物」に関して更に詳しく、かつ祭司がどのように献げるべきなのかを規定しています。冒頭の聖句は、各ささげ物を焼くための「祭壇の火」について規定しています。
その火を絶やしてはならない、消してはならないと命じています。
この「消してはならない火」は、もうひとつ、聖所の中にある燭台の灯火も同じく「消してはならない」と命じられています。両者は同じ「火」ではありますが、役割が異なります。 ※聖所の火は24章で考察。
第6章の祭壇の「火」はいけにえを焼く火のことです。いけにえを捧げ続けることを意味していると思われます。おのれの〝肉〟を焼く火であり、また、罪の悔い改めの告白をささげる火を絶やさないとです。
私たちの自我とか肉を神にささげることは、1回限りでは終わりません。日々のことです。「日々、おのが十字架を背負って従え」と主は命じられましたが、肉の思いを十字架につけて葬ることの連続です。
また、罪の悔い改めも、1回限りでは終わりません。日ごとに罪を告白し、それを神の火で焼きつくして頂かなければ、生きて行くことができません。
そんな祭壇の火を燃やし続けることができるよう、聖霊の油を注いで頂こう。
祭壇の上の火は、そこに燃え続かせ、それを消してはならない。祭司は朝ごとに、たきぎをその上に燃やし、燔祭をその上に並べ、また酬恩祭の脂肪をその上で焼かなければならない。(6・12)
レビ記は幕屋(神殿)で仕えるレビ人や祭司たちの働きを規定していますが、これは自分とは無縁の遠い昔のことのように感じられるかも知れません。
しかし、新約の時代において、イエスを信じる者は祭司であると教えています。
「この主のみもとにきて、あなた方も、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神によろこばれる霊のいけにえを献げなさい」(Ⅰペテロ2・5)。
こういうわけですから、レビ記は私たちと密接な関係があることになります。もちろん「霊のいけにえ」と言っているのですから、文字通りの動物や穀物を献げるのではありませんが……。
レビ記6章からは、先の「ささげ物」に関して更に詳しく、かつ祭司がどのように献げるべきなのかを規定しています。冒頭の聖句は、各ささげ物を焼くための「祭壇の火」について規定しています。
その火を絶やしてはならない、消してはならないと命じています。
この「消してはならない火」は、もうひとつ、聖所の中にある燭台の灯火も同じく「消してはならない」と命じられています。両者は同じ「火」ではありますが、役割が異なります。 ※聖所の火は24章で考察。
第6章の祭壇の「火」はいけにえを焼く火のことです。いけにえを捧げ続けることを意味していると思われます。おのれの〝肉〟を焼く火であり、また、罪の悔い改めの告白をささげる火を絶やさないとです。
私たちの自我とか肉を神にささげることは、1回限りでは終わりません。日々のことです。「日々、おのが十字架を背負って従え」と主は命じられましたが、肉の思いを十字架につけて葬ることの連続です。
また、罪の悔い改めも、1回限りでは終わりません。日ごとに罪を告白し、それを神の火で焼きつくして頂かなければ、生きて行くことができません。
そんな祭壇の火を燃やし続けることができるよう、聖霊の油を注いで頂こう。
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<You Tube> 【一日一章】 朝マナ レビ記 6章【聖書通読】 (youtube.com)
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