
お城検索は→こちら
北之庄城跡は、八幡山から北東に尾根続きの北之庄山(254m)の山頂部に築かれた中世の山城です。八幡山縦走路の中央部、八幡山(271.8m)と岩崎山(278m)の中間に位置します。
山を削り、土を盛って築いたいわゆる「土のお城」です。高石垣を巡らしたお隣の「石のお城」の八幡山城とは好対照です。城跡には今も曲輪、土塁、堀切、切岸、空堀、土橋、櫓台、虎口などの遺構が大変良好な状態で残り、見ごたえがあります。
北之庄城の成立に関しては、同時代の記録がないため詳細は不明ですが、江戸前期成立の「淡海温故録」にある「岩崎山城」の記述から、佐々木六角氏の観音寺城の付城と考えられています。、、、北之庄里山を守る会HPより
また、別の史料では阿弥陀寺に関連する旧跡地との解説もあるようで、城主が誰で周辺で戦いがあったかなど不明です。
城址に至る登山ルートはいくつもあり、八幡山ロープウェイからの八幡山ルート、岩崎登山口から打越に至るルート、そして北之庄神社登山口からのハイキングルートがあります。
自分は北之庄神社から登りました。
北之庄神社境内、隣は北之庄公民館の駐車場でもあります。

石段を登ると本殿

階段横にせり出した拝殿

本殿脇から裏山に向かって登山道・ハイキングコースの登り口があります。

ここから標高差240mを一気に駆け上がるという感じで、久しぶりの山歩き、なまった体にはまさに心臓破り
少し登っては立ち止まり、ハアハア・ゼイゼイの繰り返し
途中には第1休憩所

第1休憩所からの眺望「ラ・コリーナ近江八幡」が眼下に見えます。

第2休憩所

同眺望「近江八幡市内」が一望できます。

第3休憩所からは、内湖・水郷地帯が広がります。

八幡山ルート分岐点
八幡山ロープウェイ乗り場、八幡山城方向

分岐から6分
いよいよ城域に到着
北之庄城イラストマップ、、、現地案内板より(北之庄里山を守る会制作)

同、縄張図、、、※【近江の山城を行く70(北之庄城跡概要図)】より引用

二つの丘のような形をした馬出

その先には堀切と土橋

西側堀切の底から土橋を見る

土橋の東側には、上段曲輪の下を取り巻くように築かれた空堀がつながります。

土橋を渡って上段曲輪に分け入ります。
曲輪Ⅰ(主郭)の南西端に築かれた監視台
「のろし展望台」として整備されています。

眺望
琵琶湖が一望できます。

現地案内板イラストマップのところに、「御城印」と「パンフレット」が備え付けてあり、誰でも自由に持ち帰ることができますが、志を募金箱に入れるシステムとなっています。
このとき何を思ったのか、『帰りに頂こう』とその場を離れてしまいました。結果的に帰りは別ルートを通ったため、頂くのを失念してしまいました。思い出したのはほぼ下山したときで、後悔先に立たず、痛恨の極みです

※最後に追伸あり(2024年12月21日追記)

狼煙台からは西側を通って北側の曲輪Ⅱへ向かうコースとなっています。

中段曲輪群のある谷部には西に虎口

東側に七ツ池があります。
同案内板

七ツ池の探索は後回しにして、遊歩道の先を急ぎます。
北虎口上展望所として整備されています。
北側虎口の北側にある小高い丘で、狼煙台(監視台)があったと考えられています。

同、眺望

北虎口

周辺の竪堀

山を二つ越え谷にさしかかったところで打越峠の案内看板
このまま進むと岩崎山に行ってしまいます。

慌てて引き返しました。
途中にあった堀切

ふた山登って引き返す徒労感
七ツ池まで戻ってきました。

思い切って脇道を進むと

谷筋の低湿地帯に大きな窪みがいくつもありました。
これを称して七ツ池と言うんですね。山城の水源地だったわけです。

そこから東側へさらに進むと東虎口に出ました。(大手門)
大手道から曲輪に入るため、2回屈折させる構造で、これは内枡形虎口となっています。



その先は大手道です。
大手道に平行して巨大な竪堀が施されています。


ここから上段曲輪に戻りたいのですが、七つ池の中程まで戻ると従来の「西回りコース」と新たに開拓された「東回りコース」の分岐があります。従来の西回りコースでは中段曲輪から、上段曲輪へ虎口から入って土橋に抜けるルートだと想います。

自分は竪堀の処まで来ているので新しく開拓された「東回りコース」を行くことにしました。
上段曲輪の切り岸を直登するようなコースです。
急な崖を駆け上がるため、ロープが取り付けてあります。

まるで石垣のような石積み跡

崩落したかのような石材
一説にあるような寺院建築の跡かもしれません。

すると空堀が現れました。
最初に通った土橋・堀切につながる空堀で、堀底を歩いて土橋に到着しました。
空堀

土橋

ここでもう一度土橋を渡れば、上段曲輪「監視台」(のろし展望台)に戻って据え置きの【御城印】と【パンフレット】が回収できたのですが、前述したとおり完全に失念してしまいました。
あえて言おう!
悔しい~

当日の行程
移動時間、1時間40分
移動距離、2100m
標高差、238m
帰路の急激な下りで大腿部にけいれんを起こしました

ヤマップ3D
画面下が八幡山
北之庄神社からの登山ルート合流まで結構距離がありますが、ロープウェイで山頂まで登っているのでほぼ水平移動と思われます。

【北之庄城】
《》
名称(別名);きたのしょうじょう(岩崎山城)
所在地;滋賀県近江八幡市北之庄町
城地種類;山城
標高/比高;254m/150m
築城年代;不明
廃城年代;不明
築城者;不明(佐々木六角氏観音寺城の付城か?)
主な改修者;不明
主な城主;不明(佐々木六角氏観音寺城の付城か?)
文化財区分;
主な遺構;曲輪、土塁、堀切、土橋、※枡形虎口
近年の主な復元等;遊歩道整備、展望所整備
※出典、、、現地案内板、北之庄里山を守る会HP→こちら
地図;
※2024年12月21日追記
北之庄里山を守る会の皆様、ありがとうございました。
【御城印】
北之庄公民館内北之庄里山を守る会
住所;近江八幡市北之庄町1097
北之庄城跡は、八幡山から北東に尾根続きの北之庄山(254m)の山頂部に築かれた中世の山城です。八幡山縦走路の中央部、八幡山(271.8m)と岩崎山(278m)の中間に位置します。
山を削り、土を盛って築いたいわゆる「土のお城」です。高石垣を巡らしたお隣の「石のお城」の八幡山城とは好対照です。城跡には今も曲輪、土塁、堀切、切岸、空堀、土橋、櫓台、虎口などの遺構が大変良好な状態で残り、見ごたえがあります。
北之庄城の成立に関しては、同時代の記録がないため詳細は不明ですが、江戸前期成立の「淡海温故録」にある「岩崎山城」の記述から、佐々木六角氏の観音寺城の付城と考えられています。、、、北之庄里山を守る会HPより
また、別の史料では阿弥陀寺に関連する旧跡地との解説もあるようで、城主が誰で周辺で戦いがあったかなど不明です。
城址に至る登山ルートはいくつもあり、八幡山ロープウェイからの八幡山ルート、岩崎登山口から打越に至るルート、そして北之庄神社登山口からのハイキングルートがあります。
自分は北之庄神社から登りました。
北之庄神社境内、隣は北之庄公民館の駐車場でもあります。

石段を登ると本殿

階段横にせり出した拝殿

本殿脇から裏山に向かって登山道・ハイキングコースの登り口があります。

ここから標高差240mを一気に駆け上がるという感じで、久しぶりの山歩き、なまった体にはまさに心臓破り

少し登っては立ち止まり、ハアハア・ゼイゼイの繰り返し

途中には第1休憩所

第1休憩所からの眺望「ラ・コリーナ近江八幡」が眼下に見えます。

第2休憩所

同眺望「近江八幡市内」が一望できます。

第3休憩所からは、内湖・水郷地帯が広がります。

八幡山ルート分岐点
八幡山ロープウェイ乗り場、八幡山城方向

分岐から6分
いよいよ城域に到着
北之庄城イラストマップ、、、現地案内板より(北之庄里山を守る会制作)

同、縄張図、、、※【近江の山城を行く70(北之庄城跡概要図)】より引用

二つの丘のような形をした馬出

その先には堀切と土橋

西側堀切の底から土橋を見る

土橋の東側には、上段曲輪の下を取り巻くように築かれた空堀がつながります。

土橋を渡って上段曲輪に分け入ります。
曲輪Ⅰ(主郭)の南西端に築かれた監視台
「のろし展望台」として整備されています。

眺望
琵琶湖が一望できます。

現地案内板イラストマップのところに、「御城印」と「パンフレット」が備え付けてあり、誰でも自由に持ち帰ることができますが、志を募金箱に入れるシステムとなっています。
このとき何を思ったのか、『帰りに頂こう』とその場を離れてしまいました。結果的に帰りは別ルートを通ったため、頂くのを失念してしまいました。思い出したのはほぼ下山したときで、後悔先に立たず、痛恨の極みです


※最後に追伸あり(2024年12月21日追記)

狼煙台からは西側を通って北側の曲輪Ⅱへ向かうコースとなっています。

中段曲輪群のある谷部には西に虎口

東側に七ツ池があります。
同案内板

七ツ池の探索は後回しにして、遊歩道の先を急ぎます。
北虎口上展望所として整備されています。
北側虎口の北側にある小高い丘で、狼煙台(監視台)があったと考えられています。

同、眺望

北虎口

周辺の竪堀

山を二つ越え谷にさしかかったところで打越峠の案内看板
このまま進むと岩崎山に行ってしまいます。

慌てて引き返しました。
途中にあった堀切

ふた山登って引き返す徒労感

七ツ池まで戻ってきました。

思い切って脇道を進むと

谷筋の低湿地帯に大きな窪みがいくつもありました。
これを称して七ツ池と言うんですね。山城の水源地だったわけです。

そこから東側へさらに進むと東虎口に出ました。(大手門)
大手道から曲輪に入るため、2回屈折させる構造で、これは内枡形虎口となっています。



その先は大手道です。
大手道に平行して巨大な竪堀が施されています。


ここから上段曲輪に戻りたいのですが、七つ池の中程まで戻ると従来の「西回りコース」と新たに開拓された「東回りコース」の分岐があります。従来の西回りコースでは中段曲輪から、上段曲輪へ虎口から入って土橋に抜けるルートだと想います。

自分は竪堀の処まで来ているので新しく開拓された「東回りコース」を行くことにしました。
上段曲輪の切り岸を直登するようなコースです。
急な崖を駆け上がるため、ロープが取り付けてあります。

まるで石垣のような石積み跡

崩落したかのような石材
一説にあるような寺院建築の跡かもしれません。

すると空堀が現れました。
最初に通った土橋・堀切につながる空堀で、堀底を歩いて土橋に到着しました。
空堀

土橋

ここでもう一度土橋を渡れば、上段曲輪「監視台」(のろし展望台)に戻って据え置きの【御城印】と【パンフレット】が回収できたのですが、前述したとおり完全に失念してしまいました。
あえて言おう!
悔しい~


当日の行程
移動時間、1時間40分
移動距離、2100m
標高差、238m
帰路の急激な下りで大腿部にけいれんを起こしました


ヤマップ3D
画面下が八幡山
北之庄神社からの登山ルート合流まで結構距離がありますが、ロープウェイで山頂まで登っているのでほぼ水平移動と思われます。

【北之庄城】
《》
名称(別名);きたのしょうじょう(岩崎山城)
所在地;滋賀県近江八幡市北之庄町
城地種類;山城
標高/比高;254m/150m
築城年代;不明
廃城年代;不明
築城者;不明(佐々木六角氏観音寺城の付城か?)
主な改修者;不明
主な城主;不明(佐々木六角氏観音寺城の付城か?)
文化財区分;
主な遺構;曲輪、土塁、堀切、土橋、※枡形虎口
近年の主な復元等;遊歩道整備、展望所整備
※出典、、、現地案内板、北之庄里山を守る会HP→こちら
地図;
※2024年12月21日追記
北之庄里山を守る会の皆様、ありがとうございました。
【御城印】
北之庄公民館内北之庄里山を守る会
住所;近江八幡市北之庄町1097
