Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

ルーチンワークを切り抜けろ

2004年11月21日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、ルーチンワークを切り抜けろでした。

たまたま同期も多い会社に入っているので、
その中で気の合う相手も出来て、週末の遊び相手は、
毎日顔を合わせる、フロア違いの会社の同期となります。

この1、2年くらいは、どうにも同じ風景の繰り返しです。

私の想像でしかないですが、世の中にはきっと、
社内に同期がなく、気の合うわけではない上司と後輩しかおらず、
会社を出たらいつもひとり、週末も学生時代の友達とたまに遊ぶだけ、
という人が、少なくないと思うんです。

社会人で、この年齢で、遊んでくれる友達がいるってことは、
とっても恵まれていて、大事なことだと思いますし、感謝もしています。

それに私自身、友達達が好きで、遊びたくて遊んでるわけで、
その関係自体には、一切の問題はないです。

けれど、もっと大きく、ひとつの人生単位で考えたとき、
言い方は悪いですけど、このルーチンワークは、
一定の楽しさ以上に、なんの発展も、成長もないんですよね。

内容は違えど、仕事も遊びも同じメンバ内だけで、
淡々と繰り返されてるだけのような。。。

周囲は着々とルーチンワークから抜け出す準備をしているとしても、
ひねくれたリチギさのある私は、陰でなんて動けませんしね。

きっと自分だけに残るモノを持っていないと、
みんな自分だけのモノを抱えて、散り散りになり、
置いていかれるんです、そのうち。。。

そして考えは羽ばたく。

だとしたら私は、ひとまずこのルーチンワークを離れ、
自分だけに残るモノを手に入れる必要があるんではないだろうか。

そこにあるものに甘え続けているのもいいが、
ないものを新しく切り開いて、あるものに変えていく強い意思こそが、
今の私には必要ではないだろうか。

全く新しい場所に移るには、
それなりにアタマを使う必要がある。

私にそのアタマは残っているのだろうか。。。

そもそも私は、常に危機感を持ち続けなくてはいけない、
そんな生活に憧れ過ぎてやないだろうか。

王子と乞食じゃないが、その世間的価値がどうこうではなく、
今、手に入っているものよりも、手に入らないものの方が、
憧れて、欲しいものになったりする。

そして失って気付くものがあり、失うまでそこに気付かない、
やがて淋しさと悔やみに打ちひしがれる。

いや、失っても、それはそれだね、って気にしない方が、
チョット今までの私の歴史っぽいかも。

ま、それでいいかな。

…なんてね。

なんにせよ、この考えが、書く時がないときにすぐに書きたがる、
何度書いたかわからないくらいルーチンワークなのは、
誰にも内緒だ。