Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

ウソみたいに前向きに

2007年01月01日 00時00分16秒 | 1分間スピーチ
喪中のため、お正月の決まり文句は言えない気もしますので、
早々に、まずは2006年の反省から。

明文化しないと、ふにゃふにゃ生きてしまう私なので、
1998年以来、毎年その年の主題を決めているわけで。

とはいえ、カチッとし過ぎるのも縛られそうで嫌なので、
あくまで血液型占いくらい曖昧に、当てはまりそうな感じで。

歴代の主題はこんな感じで。

---
1998年:人はひとりでは生きていけない
1999年:t-i=experiment
2000年:瞬間瞬間を生きたい
2001年:大きな円を描こう
2002年:1日1日を噛み締める
2003年:心を見つめる
2004年:自分考古学
2005年:熱い野心と温もりある手触りをもって
---

毎年、上手いこと、
この言葉たちに沿った1年を過ごしてきました。

そしてもはや去年となる2006年は、
「不責任から無責任への回り道」というもので。

不責任というのはもちろん造語なわけですが、
2005年の私は、責任を負うことを逃れていたな、と。

そこで段階的に、無責任でもいいからまず自分で責任を負う、
ということを忘れずに、2006年を過ごしてみました。

結果としては、決して胸を張るべきことではないんですけど、
いい具合に無責任になれたと思います。

この試みの過程において、私に対して距離を置いた人も、
少なからずいることでしょう。

とはいえ距離が遠くなったり、会う回数が減っても、
会った瞬間に元の距離に戻れることが大事かなと思うので。

私自身がなにも感じず、元に戻れるならば、
あんまり問題でもないのかな、とも。

そんな風にある場所では無責任をしたが故の反動が訪れていつつも、
でも、ある場所では年の終盤には責任を負う流れになれていて。

回り道を早々に終えて責任を負えた、ということで、
目標以上の1年にはなったと思います。

ただ、実際にその責任を負い切れたのかというとそんなこともなく、
巷で大流行中のロンバケっぽく言えば、地雷を踏まれた、ことが多かったなと。

そして、踏まれた地雷を解除できるほどの私ではなく、
爆破して倒れたまま、2007年を迎えてしまった気がします。

私はいわゆる、普通、に生きるのが、
実際のところとっても難しいんだな、なんて。

責任を引き受ける前に、
責任を渡して貰えないような。

責任の大きくなる年齢になってきた今だからこそ、
自分の置かれてる境遇がようやくわかったというか。

それはひとつに限らずあらゆる事柄で、責任を負おうとしたとき、
決められた運命、要は自分の心臓病に自分の首を絞められて。

年末には心がジャイアンにやられたのび太みたいにボロボロになって、
泣きつくドラえもんもいないまま、年が変わってきました。

1年というか、1日ごとに区切りのある生き方をしてる私には、
こういう、つづく、状態での越年は初めてのことな気がします。

今を自分の限界と決めて、倒れたまま頑張らずに生きていくのも、
きっと気楽だとは思うんですけど、それは面白くないなって。

より面白い人生にするため、そろそろ地雷を克服するというか、
決められた運命っていう縛りに勝ちたいなって。

自分にはどうしようもない問題だからって、
向き合わずに逃げ続けてても、なにも解決しませんからね。

今年は例年以上に頑張って、周りを納得させるだけの力を持ってやろう、
抜け道を見つけてやろう、工夫をしてやろう、とか思います。

ということで、今年の主題は、
「ウソみたいに前向きに」にしてみました。

というのも今年は、今までの自分から一段高い位置に行く、
とても難しい年になると思うんです。

挑戦に挑戦を重ねて、どれも叶わなくても、
さらに挑戦するような。

高い壁にぶつかってぶつかっても倒れず、
さらに立ち向かっていくような。

ドラえもんのプレ最終回、ジャイアンにボコされてもボコされても、
ドラえもんが安心して未来へ旅立てるよう戦い続けるのび太のような。

けれど、そうした難関に対して、これまでのように笑顔の裏で、
ひとり暗く重く受け止めてたら、心が疲れ果てちゃうので。

多くの悲しさ淋しさよりも、ひとつの楽しさに目を向けて、
どんな事柄もウソみたいに前向きに受け止めてけたらと。

周りからすれば、メイワクなヤツ、になるかもですけど、
多少煙たがられても、まずは決められた運命に勝ちたいわけです。

責任を負うために、というか責任を負わされるためにも、
自分自身の受け方が変わらなくてはなりませんからね。

とはいえ、これまでも笑顔で乗り切ってたので、
見た目には変わらないと思うわけで。

例年以上に自分にしか達成度のわからない、
そんな主題になるかと思いますが。

見た目だけでなく、内面までも、
ウソみたいに前向きになって挑戦し切ってやる、そんな今年です。

ただ、前向きになれない心の持ち主というのはいて、
そういう人に前向きを強要することなく、まず話を聞きたいなと。

あくまで自分自身に対してだけ、
ウソみたいに前向きに生きていきたいと思います。

そうでないと、あぶなっかしい自己啓発か宗教かにハマった、
周り見えない、あぶなっかしい人になっちゃいますしね。

人は人、自分は自分、突き放すような言葉ですが、
そうして客観的になるからこそ、見えるものは多いです。

自分視点で物事を考えず、当事者視点で考えていけば、
大抵のことは納得できて円満に解決していく気がします。

そしてそれは自分が絡んでいないときもそうで、
誰かひとりに偏らず、ひとりひとりの視線で考える必要があると思います。

話が外れてしまうので詳しくは書きませんが、
そう考えれば、誰もが正義の中で生きているわけです。

…ということで、ポールがSilly Love Songsを歌ったように、
なんと言われても明るいだけのラブソングを今年は歌い続けましょ。

去年以上に無責任をする場所は増えてきて、
全く違う場所に行ってしまうかもしれませんが。。。

どんなことが起きても下を向かず、
常に前向きに前向きに過ごしたいと思いますので、
どぞ、よろしくお願い致します。

3歳児の父親気分で、27歳

2006年01月19日 00時00分00秒 | 1分間スピーチ
27歳の誕生日おめでとうございます。
ありがとうございます。

基本的に記念日が大好きな私らしく、
誠に残念ながら、自分の誕生日が大好きです。

たぶん一生そうであり続けるでしょう。

普段は自分は素晴らしいと言い続けてないと、
どうにもダメになってしまうので、無理矢理言ってますが、
今日くらいは、心から自分を祝福してあげたいと思います。

今読んだら去年も同じようなことを言ってやがりますね。さすが。

さて、去年の「成人から数えれば6歳で小学校入学」みたいに、
今年もこじつけたいわけですが、どうこじつけるかというと。。。

何度かお話してる気もしますが、
大学くらいまでの私の人生設計では、
23歳で結婚して、24歳で子供が出来ている予定でした。

あれ?おっかしいなぁ。。。

もし、そんな人生設計通りになっていたならば、
今、私には3歳の子供がいたことになります。

3歳と言うと、ちょうど物心がつきかけなところで、
体と言葉を自在に扱えるようになったが故に自分勝手をしたがり、
より予測不能な言動をし出す、厄介な時期って気がします。

私自身は、いい子だったのでそんなことはありませんが、
たぶん、きっと、おそらく、そうなんではないでしょうか。

はい、違っても今回はそうさせてください。

そんな予測不能な3歳児という存在を、
過保護にならないよう、しっかり見守り、正しい方向に導く。

…なんて作業、正直気が遠くなりそうです。

子供は好きですけど、それが一緒に暮らす自分の子供となると、
かわいいな~って思える数時間だけでなく、
起きてから寝るまで、飽きても、疲れても、
休みなく関わらないといけませんからね。

かなりにプレッシャーがかかるというか、
この子を守ろう、正しく育てよう、
という責任感を持続させるパワーたるや、もう。。。

子供をしっかり育て上げている方は素直に尊敬です。
今のままの私では、とてもとても。。。

鏡みたいに人に反射して影響されて生きている私は、
他者との比較や、自分自身の経験がないと、
なにも自分のモノに出来ない人間だと思っています。

もう少しわかりやすく言うのであれば、
私という存在は、子供という確かに比較できる存在があって、
ようやく大人という存在になれると思っています。

つまり、今の私はまるで大人になれておらず、
単なる大きい子供でしかない、っていう。…言い換えが多い。

ではそれでいいのかと言えば、よくないわけで。。。

27歳なんて、家庭を持ってておかしくない大人な年齢になったのならば、
少しでも大人に近づいた責任感を持ってみようと。

守るものをなにも持っていない私が、
3歳児を育てている方と同等な責任感が自分に身に付けられるなんて、
全くもって思えませんけど。。。

けどもしそのくらいの責任感を持って生きることが出来たなら、
誕生日以外でも、自分で自分を素直に好きと言える、
そんな前向きな自分になれる気がするんです。

チョット話は外れますが、
私は私自身に魅力を感じないというか、
正直、人が私と遊んで楽しいのかどうかがわからなくて、
いつも不安で、いつか離れていくと思っていて。

なので、自分でなく相手が喜びそうな目的がないと、
遊びに誘えなかったり。。。

でも親子っていう関係は理由がなくたって繋がり続けて、
どうしたって離れてはいかないもので。

それは自分にとって大きな力になると思うんですよね、
ひとつでも確かな繋がりがある、守るものがあるのって。

逆に、大きな責任、弱さにもなり得るんですけどね、
どうしたっていつだって繋がり続けてしまうので、
嫌になることなんて出来なくて。

でもそのくらいの繋がり、責任感があったら、
もちっと違う自分になれるんじゃないかなって。

子供がいる大人な方って守るものがあるからか、
どこか余裕がある印象があります。

いつもあわあわしてる私ですが、
その余裕を少しでも持ちたいなって。

なので、3歳児がいる父親くらいの責任感を持って、
もちっと大人にな行動を心がけていこうかな、なんて。

年間の目標である「不責任から無責任への回り道」に、
しっかりと帰着させるような、そんな27歳の心構えなわけです。

無責任なくらいに声をかけつつも、しっかり責任を持って、
子供の目で見られているかのように行動をして。

具体的にいえば、子供の目があるときって、
車の通らない小さな交差点の赤信号でも絶対に渡らないとか、
いい人を気取ろうとするじゃないですか。

そういう小さなところからでも自分自身に責任持った行動を、
子供に誇れる行動をしようって。

そんな想いを噛み砕いていくと、
赤信号な例えになっていくんですけど、、、
あんまりいい例えじゃないですね。

27歳が終わる頃には、
大人な例えが言えるようになっていたいと思います。

というか、もっと言葉少なく表現できるように。
今日文字多過ぎ。

ということで、3歳児の父親であるくらいな気分で、
本当の意味で大人な27歳を目指していきたいと思います!!!

ちなみに、マリリン・モンローの真似で、
「ハッピー・バースデー」を歌われると、
笑い死ぬので止めてください。ホント弱い。

夏の姉崎巡礼

2005年09月01日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、夏の姉崎巡礼でした。

夏休み期間中、1回は姉崎に行きたいな、とか思っており、
お友達さん達が行くということで、今日行ってみる。

今回の1番の目的は、全選手レプユニに、
新加入の松ヶ枝選手からサインをもらうこと。

意気込んで17時30分と練習開始の30分前に行ったら、
別メニューですでに歩いてて、その10分後くらいに練習場を出て来たので、
サインを貰い、激励の言葉を送る。



…あ、練習開始前に目的達成してしまった。

その後、お友達さん達が到着。
トウチュウ1面に掲載された小さな巻写真で笑いをとる。
なぜか入団当時の顔写真が使われてたのです。なんで??

…と、少しお話の流れを切ると、
巻について色々とマスコミ等々言われております。

それについていちいち言葉を返すのも違うのでしませんが、
今後もし裁かれることがあったとしたら、素直に受け入れます。

でも、なにがあっても巻を信じています。
応援し続けます。それだけです。

10月5日は臨海ホームで迎え撃つカタチになりますが、
浦和の胸を借りる気持ちで、全力で戦い抜き、
そして、すっきり勝って遺恨なく決勝に進みたいと思います。

マリッチについてはごめんなさい。。。
早く良くなってください。。。

…さてお話を戻しまして、練習をぼんやりと見守る。
トップ組、サテ組がそれぞれミニゲーム。

やっぱり姉崎の雰囲気はいいな。

もともとサッカーを観てない人なら、
臨海連れてく前に姉崎に連れて行った方が、
ジェフを好きになってくれそうな気さえします。

今、この場にいる、すぐ隣を歩いてる選手たちが、
スタジアムで戦ってるんだ、みたいな。

そういうところからでも、
観客が増えてけばいいと思うんですけどね。

トップ組は疲労を考慮してか、早々に終了。

クラブハウスに向かう立さんに緊張して、
「昨日ゴールありがとうございました」なんて、
まるで意味不明な挨拶をする。

ゴールでなく、セーブだろ。

でも新潟戦から引き続き好セーブ連発だったので、
お礼をしておきたかったわけで。。。

巻はいつも通り、誰にも優しく、
笑顔で子供の目線まで大きな体を屈ませサインや写真に応じてて安心。
いつでも巻は巻です。

そして、サテ組のミニゲームが終わりそうになった頃、
第2の目的である、今年のジェフの試合DVDを入れてるケースに、
表はオシムのサイン、裏は間瀬さんのサインを貰う。


間瀬さんのサイン、相変わらずかわいい。
これで今年のジェフの試合が、余生のいい思い出になります。

サテ組の練習終了後、代表ユニに、
今年U代表で活躍した、浩平、晃樹、水本のサインを貰う。



先日の巻に引き続き、浩平、晃樹も代表ユニなのにジェフの番号を。
その方がらしくていいですけどね。

そんな風にして、夏の姉崎巡礼が終わる。

物欲主義な私らしく、
サイングッズ紹介になるのはご勘弁で。。。

てか、細かく書きたがりなので、練習内容書き出すと、
他チームに情報バレちゃいますから、そこはまた。

ご飯つくって待ってるね

2005年08月23日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、ご飯つくって待ってるねでした。

会社帰り、新婚旅行携帯用のビデオカメラと、
昨日の結婚式披露宴DVDをお渡しに、
戸塚ヨットスクールがない方でお馴染みの、
横浜市戸塚区な新婚新居に行ってきました。

で、行く途中に新婦に電話したら件名のお言葉。

ともかく「ただいま」と「おかえり」の使う側が、
リアルでどっちかわかんなくなるくらい、
ひとりっ子かつ鍵っ子で育ち切った私なので、
こんな涙が出そうなくらい温かな言葉聞いたことないどころか、
人のいる家に入るってのは、どこか不自然な感じなわけです。

家に行く前に、デジタルビデオなテープと、
差し入れ用なパステルの天然水ゼリー、
さらに新居祝いにドイツ産の入浴ソルトなんてのを購入。

どれも気に入ってくれてなにより。

家に着いたら、
新築マンションなんですけど、なんて言うんでしょう、
スターウォーズに出てきそうな近未来感。

ひとつの敷地にたくさんの建物が立ち並びつつも、
それを管理するロビーからしか入れないみたいな、
リゾート地の5つ星ホテルみたいな感じ。

もう素直にカッコイイ。

部屋の内装もカッコ良く綺麗で、
テレビドラマで出てきそうな感じ。

そうか、うちの会社でも、こんな生活できるんだ、
っていう妙な気持ちになってみる。。。

ふたりがどうにも照れて合ってるので、
料理をつくってる最中、勝手に式DVDを再生してみる。
すると料理の手を止め、食いつく。

友人の式撮影は、これで3作目となるわけだけど、
式を重ねるたびに賢く走れるようになり、
プロには出せない味わいで、上手く撮れてると思う。ふむ。

そんなこんなで、ぺちゃくちゃ待ってると、
新婦のポテトサラダ、ミネストローネと、
新郎のたらこスパゲティーが振舞われる。

久しぶりの手料理、その温かさに泣きそう。
手料理って味を超えたものがあるよな、やっぱり。
もちろん味も良いんですけどね。

…とか食事をしながらDVDを観つつ、
延々綾瀬はるか似のカワイイ新郎従姉妹の話ばっかりする私。
この意図を感じ取ってくれ。。。

こんなふうに、終始楽しく食事をする。
幸せをお裾分けされたかのような、温かい気持ちになる。

そうだ、私は、もっと心の幅を広く余裕を持って、
人と接していく生き方をすべきなんだ、とか突然思う。

いい意味でも悪い意味でも、心臓の悪いひとりっ子らしく、
押し付けながらも、どこか相手をコワがる愛情で育ってきて、
私もそれしか出来てない。失うことばかり恐れてる。

40歳くらいで、かなりの年下と結婚する。

…なんて5年前から、新婦に会う度に言われるけど、
こと人付き合いに関しては良くなる速度が遅い私なので、
それはその通りなのかもしれない。

その歳になれば、もはや外見どうこうの次元も、
おそらく突き抜けてるだろうし。

今の私の内面なんてものは、まだまだふにゃふにゃな成長過程で、
魅力がまるで感じられない、単なるバカでしょう。

バカでも人のために出来ることをひとつひとつ積み上げてけば、
それがきっといつか自分に還元されて、成長してくんでしょう。

人を幸せにする立場だけでなく、
人の幸せを素直に祝える立場もステキですもの。

とかなんとか、前向きなことを思わせてくれる、
ステキな夕食会でした。呼んでくれてありがとう。

カナダで頑張ってくれ、私のビデオカメラさん。

少なくとも私は楽しかった一日

2005年08月14日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、少なくとも私は楽しかった一日でした。

ジェフの練習が秋津でしかも午前11時からと都合が良すぎたので、
新盆見舞いする前に秋津に寄ることに。

秋津に向かう…前に、昨日の勝利で気持ちが大きくなってたのでw、
スポーツデポに寄り、イラン戦用に代表ユニを購入。

レプリカのアウェイかホームかで悩もうと思ってたら、
セールで売れたのか、オーセンティックのアウェイ半袖1枚とホーム長袖3枚しかない。

ガビまでももはや半袖だし、1枚限りなのに私のサイズだし、
…と希少っぽいオーセンティックアウェイを35%引きで購入。お安い。

と言いつつ、実のところアウェイユニにサインを貰うことで、
代表定着出来るよう頑張ってこのアウェイユニを着させてね、
という目に見えない激励の気持ちを伝えたいなと思ってたわけです。

昔から普段からこういう隠し意図を持った言動が大好きなのですが、
きっとどれも意図は伝わらず、あからさまに自己満足で終わってるでしょう。。。



そんなこんなでサテの試合をニコニコ観て、
代表ユニの前に阿部、後に巻のサインを貰う。



やはり巻は18を書くんだなぁ。
この代表ユニへのジェフ選手サインが今後増えるといいな。

で、イラン戦で着るか着ないか、どちらでしょうか。

…なんて振りっぱなしで、
新盆見舞いに成田の祖母宅へ。

着いたら叔母達に謎にひとりだけ台所で食事を食べさせられ、
さらに、わんこ酢の物されてかなりに気持ち悪くなってみる。

好みでないものを先に一気に食べる癖があるので、
見方によってはむしろ大好きに見えてしまうわけで。。。

その後、両親とイオン成田が混んでそうだという理由から、
直前で無理矢理気味にハンドル握りアリオ蘇我に向かう。

どうしても初アリオ蘇我に行きたかったというか、
サッカーJ+ジェフ版買いたかったんだもの。

で、アリオ蘇我にあったジェフ版残り2冊を、
私と父で買ってしまう。

そんな一日。

以上、久々の1分間スピーチでした。
淡々としてるな。

CONTAXという名の憧れ

2005年06月28日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、CONTAXという名の憧れでした。

CONTAX…この言葉の響き。

中学生時代からずっと憧れ続けてきた、
カメラ好きなら誰もが一度は手にしたがる、
それが、CONTAX。

CANON派な私も、いつかはきっと、と想い続けてきた。
CONTAX、そして世界最高のカールツァイスというレンズは、
心の中で、ずっと憧れだった。

Tシリーズという、高級コンパクトの先駆者になったカメラは
10万円を超えていて、それさえも持つことも出来なかった。

だから昨今のSONY製品についてるそれは違うと思ってた。
てかT*がない汎用品だろ、騙されんぞ。

そんな、憧れのCONTAX。

まさか36800円15%ポイント還元という、
嘘みたいな価格で手に出来るだなんて。

それも、CyberShotU1よりも小さく、
それでいて、このこだわりきった素晴らしいデザイン。



一眼レフ時代からポルシェデザインだったボデー等、
画質だけでない、こだわりのあるCONTAXをこの手にする。

単焦点だなんだ性能がどうだなんて関係なく、
私にとって、CONTAXを持つこと、CONTAXで撮ることが重要なのだ。

京セラさんがデジタルカメラ事業からも撤退ということで、
この機種がおそらく最後のCONTAXとなるのであろう。

そんなせいか、高額な商品を買うときは値引きよりもむしろ、
モノを要求するのが好きな私だが、今回はなにも言う前から、
ストラップ、替えのバッテリー、SDメモリーをつけてくれた。



もはや部品は全て取り寄せになるのだろうな。
そのくらい扱いづらい方が私は好きだ。

もっと底値があるとしても、この値段でも安いくらいだ。

夏のボーナスでいつもひとつご褒美を買う私だけど、
今回はとてもとても満足のいく、夢の買い物だった。

そして今までありがとう、CyberShotU1。。。

…なんて偉そうというか勘違いさん風味にダラダラ書いた割に、
カッコ悪いくらいに、てんで優柔不断というか、
銀、黒、赤の3色の中から1色が選べなくって、
2日間ずっとずっと悩んで、通って手にとって、でもダメで。

結局、最後には友達にishotなメールして、
どれがいい?って聞いて決めてもらったっていう。。。

だって3色ともコンセプト違ってカッコイイんだも~ん。

いや、でもCONTAXですよ、奥さん。うっとり。



ちなみに今回のボーナス、本来的にはデジカメではなく、
バイクで聴けるように…って書くと都内とかで捕まるので、
激しい運動中にも聴けるように、旅先で困らないよう電池駆動する、
メモリ型のMP3プレイヤーを購入するのが当初の想定でした。

てことで、一緒に購入したのですが、
CONTAXと合わせて赤にしてまいました。
ケースもなんとなく。



WE ARE REDS!!(ニセモノ)

日々を安静に過ごそう

2005年06月20日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、日々を安静に過ごそう、でした。

ちょっぴり秘密にしておりましたが、
このところ心臓の具合が悪く、突然に痛み出すことがあるため、
大事をとって、本日精密検査をしてきました。

結果、心臓自体には問題がないので、
心労がたまってるのでは、という診断。

で、さすが、1種1級という最上級な障害者らしく、
ニトロ持ち歩きとなりました。おぉ。

さしあたって2週間お試しで心労を取り除きつつ暮らして、
それで治ったら元通りに許していただけるのですが、
もしまた発作が起きて、ニトロさえも効かない場合、
別の要因の可能性を探るため、1週間まともに歩けなくなる、
かなりハードな検査をすることになってしまいます。

ということで今後2週間、今後の自分のために、
あえて私は様々な事柄から逃げようと思います。
まるで強がらず、素直に言動したいと思います。

別にそこに甘えてわがままを言うってわけでもなく、
いつもより愚痴多くも、普通に過ごしていくつもりなので、
揚げ足取りや、チャカしや、意味のない批判等、
心無い発言を私にかけて、心労を増やさないでください。

私を病院送りにしたければ別ですが、
もちょっと笑顔を観たい方は、ぜひご協力を。。。

みなさんあってこそ私は生きられます、ホントに。

葬儀

2005年06月13日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は葬儀でした。

なんだか私の体調の話になってしまいそうな気が。。。

3日目は葬儀。

お通夜で寝ずの番をした、免許のなにもない父親を、
お着替えとお風呂入らせに一時帰宅させるため、
朝6時から式場に車で向かう。

が、起きて、ものすごく体調が悪い。
てか、心臓が痛い。

1日目の午前5時に薬を飲んで、
2日目に飲み忘れて、今日になってしまっているのが、
その原因だろうか。。。

一時帰宅後、朝食を取り薬を飲むも、
効き始めて痛みが取れることはなく、
その痛みは、眠りにつくまで続いた。

しかし、最後の別れを私の不調で邪魔するのは違うと、
我慢して、なんとなしな顔をして再度式場に。

周囲にバレないように、
深呼吸で心臓付近をマッサージし血行を良くしてる間に、
葬儀が執り行われて行く。

葬儀自体はお通夜と同じように、
お経中に参列者が焼香をしていく。

葬儀終了後、棺が祭壇から降ろされ、蓋を開けられ、
中に参列者達が祭壇からとった華を敷き詰めていく。

これも親族始め参列者がむせび泣くものの、
感情に耐え得る心臓具合ではなかったので、
華をひとつ顔の付近に置いて、すぐに棺から離れる。

華が敷き詰め終わり、最後の顔を見て挨拶はしたいと近寄り、
蓋を閉める手伝いをする。

火葬場に持って行くための台車のある場所まで、
みんなで棺を持って移動。

そして火葬場に棺が入っていくところで、
感情が抑えきれず、また号泣してしまう。

しかし予想通り、感情を出したことで心臓に負担が来て、
昼食をとる休憩所に入れる状況ではなくなる。

突き上げるような心臓の痛さに引っ張られ、
脳に酸素が足りてないというか、過呼吸寸前というか、
震度2くらいで世界が揺れ続けている、眩暈が起こり、
耐え切れず、ロビーなソファーで横になる。

心的なものか、病的なものか、いまいち読み辛い。
そもそも単なる寝不足な恐れもあるし。。。

心配した叔父叔母には、
女友達からの嬉しい報告にニコニコとメールを返しながら、
眩暈してるんですよ、とか言ってたので、
正直かなりにウソっぽく見えたと思う。

どんなに辛くても、人の嬉しいことには笑顔を見せてしまう、
そんな単純素直な私ではある。

自分の全てを見せているかのような1日になってる。

しばらくした後、骨を箸でつまみ合い骨壷に入れ、
遺骨を祖母の家へと運んで行った。

そして、祖母の家に持ち込まれる生花、
たくさんの華で飾られた祭壇。

ひとつ、線香を上げた。

まるで誉められたことでないし、むしろ情けないことだけど、
最後の最後、私は我慢してなんとなしの顔をすることで、
祖父への想いを伝えたのかもしれない。

これで良かったのかわからないけど、
これしかなかったんだ。

ずっと、これからも、ありがとう。

私は私なりに幸せな家庭を作って、
安心させに見せにくるよ。

もう少し、もう少しだけ待っててね。

お通夜

2005年06月12日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、お通夜でした。

お昼、和歌山や遠方から来て泊まっていたり、
そぞろと集まってくる私から見た叔父叔母いとこ達のために、
長男たるうちの父親が自ら申し出て、
たっぷり20人分くらいの料理をつくり、 祖母の家へと持って行く。

確かに気を遣った素晴らしい行為とは言え、
料理を並べるとき、どうだこれスゴイだろ、と妙に強調する。

その割に、そこでみんなと食べることはなく、
自分の家に帰って食べる。

しかも自分達は、帰宅途中に買った、
コンビニおにぎりっていう手抜きもので終わり。

あぁ、さすが父親、なにもかもが私とそっくりだ。。。

---

2日目は、お通夜。

午後4時、霊柩車が祖母の家に到着する。
とっても金ぴかなヤツ。中見るの初めてかも。

私も加わり霊柩車に棺を入れ、
霊柩車をそれぞれの家の車で追う。

しかし、他の叔父叔母車がなかなか発進せず、
我家だけが後をつける状態となり、式場に到着する。

式場に到着後、用意した控え室に入り切れない。

6人兄弟に、それぞれ配偶者、
それぞれ3人4人と子供がいたら、そりゃ無茶だ。

で、外で待ちつつ、受付前の挨拶をする。
が、親戚があまりに多過ぎて、顔がわからない。。。

お通夜が始まると、予想より多く150人以上の列席者。

焼香をしながら1日目と同じように、
むせび泣いている祖母、叔父叔母、そしていとこ達。

お通夜が終わり、みんなひとまず解散となった。

しかし、お通夜から葬式まで線香を絶やしてはいけないので、
その番をしたがった、父親を置いて帰ることに。

泣いた顔を見た瞬間、母親と決まっていたので、
アイコンタクトというか、むしろこちらから提案したというか。

今は一緒に住んでおらず、
今回喪主でないとは言え、そもそも長男だし。

そう、1日目で26年前に倒れた、と言ったように、
私は初孫で、今26歳なわけで、たくさんいる孫の中で、
唯一、祖父がその腕に抱いたことのある存在なのである。

そのことは昔から知っていたけど、
お通夜が終わり、遺族もパラパラと少なくなった席で、
叔母さんに、一緒に撮った写真がある、と言われた瞬間、
張っていた気持ちの線が切れ、立ってられないほど嗚咽して、
その場に座り込んで、文字通り泣き崩れてしまった。

私は孫で最も年上だし、普段感情を表に出さなかったから、
最後までそれを貫こうと1日目から泣かないよう我慢してたのが、
余計に影響したんだと思う。

初孫で最も思い入れも深いだろうに、
私は生まれてすぐ心臓病で心配をかけるわ、
横浜に就職はしてしまうわ、バイクは乗ってくるわ、
曾孫どころか結婚式は見せられなかったわ。

確かに高校や大学に入って入るものの、結局のところ私は、
祖父を心から安心させてあげることをしてあげられなかった。

不器用だから時間はかかると思うけど、
いつか必ず、幸せな家庭を見せて、安心させなくてはいけない。

そんな約束をしてきた。

そして泣くのを止めて、私は前を向いた。

納棺の儀

2005年06月11日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、納棺の儀でした。

とりあえず気持ちを落ち着けるため、
こぼれ話から始めてみる。

みんなが成長した姿を見る度に下を向いてしまうのだけど、
キモイ私しか知らない人には信じられなそうだが、
10人くらいいるいとこ達が、みんなイケメンなのである。

3歳下にひとりいて、6歳下からほぼ年代順にひとりずつ。

3歳下から全員、贔屓目無しに客観的に見ても本当にカッコイイ。
普通と思える容姿な男子がおらず、みんなイケメン。

その質の高さに、ビックリすると思う。
今まで私がイケメン言っていじってた友達でも追いつけない。

しかも、ホスト系なカッコつけた感じはまるでなく、
体育会系で明朗快活で、あからさまにイイヤツって感じの、
男から見てもカッコイイと言える種類のイケメンっぷり。

男子からも女子からもモテるが故に、より良く輝いてる感じ。
絶対に女子で困らないし、性格も良いから困らせない。

で、みんなサッカー部のキャプテンとかなんですよ、これが。

私だけ陰湿自虐な文化系なオタクさんっぽい雰囲気で、
あからさまにひとりダウトである。うむ。。。
一応、写真部部長だったんですが。。。

容姿が遺伝しなかった代わりに、
心臓病が、なぜか私にだけ遺伝してるし、
どうにも遺伝の不思議を感じる。。。

そんな中、初孫かつ周囲より6歳くらい上だからってだけで、
ダウトな私に結婚相手はいるの話を親戚が代わる代わる聞くのは、
小さな集団いじめだと思う。

オレいないって。比べて見りゃわかるじゃん。
まるで隠してもいやしない。

しかも、3歳下のイケメンいとこが、
元めざましのお天気お姉さんなチカちゃん似の、
とってもカワイイ方と結婚し、子供までいるからなんとも。。。

カッコ悪い人はイケメンの100倍時間と熱意がかかりますからね、
もう260年くらい待ってください。すげ~頑張る。命かける。

---

1日目は、親族のみで納棺の儀をする。

みんな私服だというので、スーツを脱ぎ、
一応持っていった黒いジーンズに履き替える。

祖母と、私の父親を含めた6人の叔父さん叔母さん、
そしてその配偶者と十何人かの孫。

単純に遺体を棺に入れるだけでなく、
寝たまま洗える介護用っぽい風呂桶を家に持ち込み、
バスタオルのかけられた遺体を目の前でキレイに洗い流し、
要所要所で親族達がその洗い流しを手伝うという儀式。

この洗い流しについては、とっても珍しいらしいけど、
祖父は26年前に倒れて以来、右半身不随で、
祖母やうちの父親にお風呂を入れてもらっていたので、
最後もやっぱり、みんなでキレイに洗ってあげることに。

桶で体につらーと水をかける、タオルで顔を拭う、
という、ふたつのお手伝い。

安らかな顔は全く死んでるとは思えず、
祖母や叔父が、起きろ、の声をかけたり、
みんなが触れる度、すすり泣く。

急逝とは言うものの、単に私が知らないだけで、
3日前に具合が悪いと入院していた。

とは言うものの、単に肺に水がたまっただけで、
水さえ抜けば3日で退院できると診断され、
週末にはいつも通り、うちの父親にお風呂に入れてもらう、
なんて話を嬉しそうにしていたらしい。

それで私にも話はこなかった。

が、実際は肺に膿がたまっていた。

そして肺機能の低下が原因たる肺梗塞で、
死に際がわからないくらい静かに、眠るように亡くなっていった。

家に帰りたいからと救急車による緊急病院行きを拒否した、
祖父の過小申告と、診察ミスが重なった。

洗い流されていく背中には、肺のカタチに大きなあざが。

最後は痛みがなかったとは言え、
病院に行くまで痛みをこらえて、ずっと我慢してたんだ。。。

私もそうだし、父親もそうだけど、
多少くらいのツラさは、我慢してしまう。

たとえ、我慢し切れなくなっても、
軽い症状かのように振舞って笑顔で答えてしまう。

そうした振る舞いが代々伝わってきたことを考えると、
余計に悲しくなってくる。。。

洗い終えた後、白いつやつやキレイな死に装束を着せる。
足袋やスネあてをギュッとみんなひとつずつ縛る。

そして遺体を布団から持ち上げ、棺に入れる。
私は足元を持ってゆっくりと下ろし入れた。

祖父の入った棺に、
お気に入りの枕や帽子を入れる。

みんながむせび泣く中、蓋が閉められた。

もう1歩が出せる、気持ち

2005年06月05日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、もう1歩が出せる、気持ちでした。

PK戦による果し合いのはずが予定が消えて、
でも、せっかくなので外で遊びましょ、と、
横浜の四季の森公園さんでキャッチボール等々してみました。

なだらかに下り、すぐ隣に森があったりする広場で、
キャッチボールでボールをそらすと、
コロコロと転がり、茂みに突入してしまうわけです。

その茂みに突入しないよう最初はダッシュしてましたが、
疲れが溜まってくると、もう1歩で届く、その1歩が出せず、
ギリギリで間に合わず、コロコロ茂みに突入しまくってしまいました。

もう疲れたからダメだ、もう1歩頑張ってもどうせ届かないよ、
なんて、完全に気持ちで負けまくった結果です。

さて、お話は華麗に吹っ飛び、よくサッカー関係の評論では、
選手の気持ちが大事だ、なんて風に言われます。

気持ちなんて精神論じゃどうしようもないだろ、
とか科学という名の迷信で育った理系な方は思いそうですが、
こう、場面は違えど自分がそういう状況に直面すると、
やっぱり、気持ちは大事だな、って思うと思います。

疲れて疲れて倒れたいくらい疲れてるときに、
ラインを出そうになってるボールを懸命に追えるか、
相手に抜かれても、諦めずもう一度食いつけるか。

そういうギリギリの場面で、もう1歩が出せるか出せないか、
その気持ちの強い方が、ボールを奪い、自分のものにして、
結果的に勝負で勝つわけです。

大事なのは小手先の実力よりも、諦めない心です。

なんにせよ、心臓病な抑えなくてはならない私だからと、
運動だけでなく、あらゆる場面で、あえて最後の1歩を出し続けず、
それはそれで強い気持ちがあるとは思いつつも、
やっぱり結果はなにもないので、実際には弱いヤツですね。

心臓なんてもはや治ってると頭から離して、
もう1歩を踏み出して、それでもダメなら滑り込みででも、
倒れても、倒れても、立ち上がって、立ち上がって、
必死に、泥臭く、ボールを奪わないといけませんね。

てことで、目指せ巻。

…あまりに話が変わり過ぎ?

愛すべき東北イーグルス

2005年05月31日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、愛すべき東北イーグルスでした。

甲子園で観た阪神vs中日戦から3年ぶりくらいに、
入社5年目にして初めて横浜スタジアムで野球観戦しました。

写真に社屋が写ってるくらいお隣だからこそか、
逆に、試合を観ようと思う機会がありませんでした。

さて本日観戦したカードは、
横浜ベイスターズvs東北楽天ゴールデンイーグルス。

…名前長い。

楽天さんという初物を見逃すことは出来ませんからね、
会社同期とミーハー気分で観に行きました。

TBSとのタイアップとかで、
ドラマの番宣な吉川ひなのの始球式で始まる。
なぜひなの。。。

試合の展開としては、
楽天さんが2点先制後、1点返され、2点返され、
満塁ノーアウトのチャンスをふいにし、
必死の継投リレーをするものの、1点、2点と失い、
結果は6vs2で横浜ベイスターズの勝利。



けれど、得点差ほどの失意がないというか、
真剣勝負という言葉が似合う、かなり面白い試合でした。

楽天さんが愛すべき負け方をするんですよね。

しっかりと戦って少ないチャンスを得点に繋げ、
失点しないよう守って守って守るものの、
最後の最後に力負けというか、
どうにも攻め切れない、守り切れないっていう。

継投リレーもしっかりして、攻めの代打攻勢も仕掛けて、
1試合の勝利に全てをかけて頑張ってるのはわかるんですけど、
でも、もう一歩が足りないっていう。

その足りなさが、どうにも愛しかったです。

所属選手もいいんですよね。
私は基本的に90年代までですからね、野球知識あるの。

なので阪神の関川、中日の山崎がスタメンで出て来て、
最終打席、代打にヤクルトの飯田ですからね。

10年くらい前のオールスターなメンバーですよ。

昔、胸を熱くした、うちら世代は応援せずにはいられない、
ベテラン選手達のオンパレードなわけです。

サッカーで言えば、城、岡野、カズみたいな、
まるで一時期のヴィッセル神戸を観てるみたい。

そんなベテラン達が集まって、1試合にかけて戦って、
頑張って頑張って負けてしまう、その姿が愛しいんですよね。

懸命に勝とうとする気持ちが目に見えてわかって、
手に出来そうで手に出来ない感じが伝わってくるので、
勝った日には、もう感動しまくりでしょう。

応援の選手コールも2種類くらいしか曲調がないのも、
まだまだ出来立てなんだなって意味で愛しいですしね。

けチームどコールが楽天が省かれ、
東北イーグルスなのはアリなのかな?

ともかく、当たり前ですけど、楽天さんは、
負けたくて負けてるんじゃないんですね。

チームの総合力から考えて、勝つためには、
選手ひとりひとり実力以上のものを出す必要がありますからね、
毎試合、その実力以上を出そうと必死に頑張り、
その気持ちだけは、どこよりも勝ちたがってる気がします。 たぶん。

がっぷりおつで寄り切られるみたいな、
まさしく力負けの、いい負け方でした。



けど、サッカーは息抜く暇なく面白いですけど、
野球は友達と話しつつのんびり楽しめて、
でも片時も見逃せない緊張感も漂いつつ、
淡々と面白いですね。

サッカーも、バレーも、野球も、
スポーツ観戦全般に言えることかもしれませんが、
やっぱり生はいいですね。

野球は贔屓チームないですしね、楽天さんに限らず、
また機会があったら早い内に観に行きましょ。

お友達さんが結婚するよー、磐田戦が観られないよー

2005年05月15日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、お友達さんが結婚するよー、磐田戦が観られないよーでした。

横浜駅近辺ですたこらお買い物中、
現在平塚お住まいの地元で中高と一緒だったお友達さんから、
横浜に来たと急に呼び出されて、
お写真の注文システムに驚いた笑笑さんで、ふたりだけの飲み会に。

で、ちょっとつついてみたら、結婚式場を仮予約した話になり、
なぜだかその他おススメな結婚式場と、あと二次会の相談を受ける。

そうですか、いよいよ結婚ですか。

しかし私は、二次会な幹事は経験済みなので余裕とは言え、
式はしてないどころか…ねぇ。。。

…と言いつつ、色々と式場について答えられるところが、
我ながら意味わからん知識をお持ちの方だと感心。

参列する度に色々覚えたり調べたりしてるんですよ、これがまた。
ガーデンウェディングな場所とか無駄に。

で、その後、来週中華街で両親の顔合わせだというので、
地元からはるばるいらっしゃるお友達さんのご両親、
観光地ご案内プランなんかも考えてみる。

お仕事で横浜市さんや元町さんと組んで横浜案内つくったので、
完璧な観光プラン作れるんですよ、これがまた。

そんなわけで、本来的には私の予定を押さえつつ、
現状報告会をしに来ただけであろうお友達さんの想定以上に、
役に立ってみる。想定の範囲外です。

そう、予定と言えば、古い付き合いな友達ですし、
なにも確認せずにOKを出したのですが、
とりあえず仮予約した日程通りならば11月12日に式予定だとか。

…あ、磐田戦だ。。。

アウェイに引き続き、また観戦できないのか。。。うぅ。。。

そういう意味では、一応ご確認な、
今後の結婚式参列予定と、ジェフ予定。

07月09日挙式:千葉vs新潟_1830KO
08月20日挙式:(なし)
11月12日挙式:千葉vs磐田_?

二次会にいなかったら、そういうことだと思ってください。

だって、初対面でどうにかなるツラじゃないですもん。。。。
…って、そういうのを狙うなって話ですね、ごめんなさい。

昔からのルールにのっとるなら、披露宴出た人は、
流れではない、お呼ばれする二次会出ちゃいけないんですよ、
意外ですけどホントに。…ヘリクツ逃げ。

けど、こう、たくさんの友達に、
式に呼んでいただけるということはとてもありがたいことですし、
友達に対して私なりに役に立ててることへのお礼の気持ちなのかな、
なんて勝手に解釈して、とてもとっても嬉しい気持ちになります。

私自身、友達みんなから少しずつの影響を受けて、
今の自分というものが出来上がっているので、
日々それを感謝し、その感謝をみんなに贈ってるだけです。

なので、式のない方にも、
いつもありがとうございますなのです。

やっぱり優しさを贈る相手がいることの幸せってのは、
あるわけですよ、えぇ。

そこを忘れず、誰にも感謝感謝で生きなくてはなりません。

ただ、よっぱらいーな愚痴を言うと、
祝ってばかりで祝われることがまるでないのが、
あー、もー、なんでかなーっていうね。

なんにもしてなくはないんですよ、
してることは表立って言えないですけど、こそこそと。

タイミングの読みが悪いってのと、
最後の詰めが甘いってのは確かですけどね。

友達としてはいいんだけど…、
って話なんですよね、要は。

生き方をどこか間違えてるのかな。
かなりに間違えてるんだろうな。。。

いっそのこと、集団説教大会をしていただきたいです。

言っても口答えばっかりだから殴る蹴るしてもらって、
殴る蹴るは痛いのダメだから、女友達限定で。

…と、ま、よっぱらいーの絡みは止めましょう。

それにしても、午後に薬飲んだ日にお酒飲むと、
サワー1杯でも、かなり大変なことになるな。。。

実際、酔ってはないですけど、動悸が止まりません。
ドキドキ、カチカチ、恋かな、時計かな。

この心臓がなくなれば自分を引き止めるものがなくなって、
積極的に、素直になって、全て上手くいくのにな。

どうにかしてなくなんないかな。
でもなくなるときっと今の私はいなかったしな。

難題だ。。。

なんにせよ、みんな祝う、みんな撮影する、
今はその立場でいて、あとでビビらせてやる。

しかし、あぁ磐田戦。。。

どす恋、ちゃんこウェディング

2005年04月24日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、どす恋、ちゃんこウェディングでした。

ということで、会社同期の結婚祝いでした。

私的には2週続けてウェディングなわけですが、
今回はグループ研修で一緒になって以来、
ずっと仲の良い同期同士で、飲み会の延長線にあるっぽい、
とってもお気楽な感じのお祝い。

この同期内での忘年会定番店舗である、
横浜の「ちゃんこ富士」から飛躍して、
チャンコダイニング若」という、
元若乃花こと花田勝の経営するちゃんこ屋さんの渋谷店で、
ちゃんこウェディングとなりました、どす恋。

鍋以外にも食事のつくコースを頼んだのですが、
どれも、とっても美味しかったです。

特にちゃんこに関しては、
塩ちゃんこと味噌ちゃんこが出たんですけど、
塩があっさり、でもこくもありいい感じ。

店内もちゃんこ屋とは思えないオシャレな感じですし、
鍋作りから取り分けまでサービスも行き届いてて、
とっても好感度は高いかも、です。

一応ウェディングらしく、お祝いの品として、
ウェジウッドのステキなティーカップセットを、
みんなで贈答。おしゃれ。

そして私が109に入ってる「マ・メゾン」さんで注文した、
10人分のちょっと大きいオリジナルウェディングケーキも、
お店にちょっぴりお願いして持ち込み。

オリジナルでどんな風なケーキも注文出来たので、
同期奥さんの好みに合わせ、いちごたっぷりのってるケーキに。

これも美味しくてみんな大喜び。

…が、ここで裏話すると、この選択よくよく考えると、
同期の奥さんがいちご好き、
って誰からも聞いてなかったわけで。。。

同期奥さんがいちご好きと思い込んだのは、
この会にはなんら関係ない、
女友達さんがいちご大嫌いという記憶が、
どこかで絡まってひねくれて出てきたのかしら、
と、ひとり内心ドキマギ。。。

同期奥さんがいちご好きで結果オーライでしたが、
こういう記憶のすり替えは危な過ぎるぜ。ふぅ。

さて、お祝いの中身自体は、
照れて話したがらない同期さん夫妻から、
上手いこと引き出してこうと、内輪らしい鋭いつっこみで、
色々聞いてみるという、どこか記者会見のような、
なかなか面白おかしな感じでした。

同期さんの色んなことを知っているので、
つい、裏を考えてニヤけてしまいましたが。

しかし、こう色々引き出すということは、
自分が同じ立場になったとき、
同じように扱われると覚悟するべきで。。。

もし私が同じ立場になったら、
照れて心にないことや言っちゃいけないこと言いまくって、
あとで奥さんにすっごい怒られるのでしょうか。

…なんか想像つくでしょ?

7人の新入社員と1人の指導員、
8人のグループ研修だったわけですが、
この内、3人がもう既婚者になってしまったわけで、
残るは5人なわけです。

とりあえず私が最後の砦なんて言われて、
一番結婚遅いと設定されてるのですが…、
果たしてどうなんでしょうね。

顔の才能がまるでなく、
誰の初期ハードルさえも越えられない私なので、
そこでは確かに最下位な気もしますが。。。

てか結婚云々の前に、
最近の私は好きな人に好きと言うことさえ、
もはや出来なくなってる気もします。

どうやって付き合うか、
どうやって結婚まで辿り着くかが、
まるで想像できません。う~む。。。

ま、なにはともあれ、
自分の話だらけになりましたが、
心からおめでとうなのです。

末永くお幸せにです。

…なんて言わなくても、
帰り道のいちゃいちゃぶりを見れば安心かも。

ごっつぁんです。

書道展と、結婚式と、二次会と

2005年04月17日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、 書道展と、結婚式と、二次会とでした。

まるで申し合わせてないはずなのに、
同期だけで3組の結婚式が挙がる結婚式日和。

私の出席する結婚式が16時30分からとゆったり日程だったので、
ホントは早めに家を出て、
お友達出品の書道展、代官山JIN'S、同期結婚式と、
のんびり行動する予定が、
マンションの排水管の工事だとかで13時30分まで待たされる。

結果、代官山JIN'Sは省くことに。
メガネー。

まずはお友達の作品が展示してある、
第18回NHK学園生涯学習書道展を観賞しに、
お写真の科学技術博物館に行ってみる。

思ったよりも作品が多く、館内で迷いつつ、
お友達の作品を目にして、ただただ感動。

単に上手いだけでなく、 とっても心の伝わる作品。

字ってこんなに気持ちがこもるものだとは、
思いませんでした。

表現することの意味を見つめ直し、
お友達への尊敬の気持ちがより強くなりました。

いや、あれは素晴らしい。
今デジカメ画像見ても心震えます。

そして、色んな作品を目にする中で、
そんな心の伝わる書道自体にも素晴らしさを感じました。

いい作品だけでなく、いい出会いをくれて、
ありがとう、お友達。

そしてガーデンハウス白金という式場に、
式の1時間前に到着。白金とか始めて来た。

そこですぐ1時間開始時間間違えてた同期な友達と合流。

今回はご両家にも渡せるビデオを撮ってあげようと、
式場に入るところからしっかり綺麗に撮ってたのに、
早速友達に酷いコメントを入れられる。

そんなもんだろう。

するとすぐ、ウェディング姿の新郎新婦が式場のお外で撮影会。
かっちりきっちり映す。早く来ないと撮れない画です。

しばらく待つと、4人の同期達が揃う。

で、親族挨拶に間違えてついていき、
ボーイさんに、普通に注意されて締め出される。

そして式が始まる。

基本洋式なのですが神父のいない人前結婚式。
これは初めて。あとシャボン玉で送るバブルシャワーも。

そして披露宴が始まる。

…前に席にあるメッセージカードを確認すると、
新婦側の女友達を口説けなんてことが。

だから私はそんなキャラじゃ。。。

披露宴内容は、ケーキ入刀後、
そのケーキを食べさせあうなんて面白イベントもありつつも、
細々説明すべきでない気もするので省略。

ともかく、手作りっぽさを残しつつ、
でも練られてて飽きさせない構成でした。

そのときの写真を、改めて家で見返すと、
ほのぼのしたいい式、披露宴だったな、
とか、とっても思います。染みます。

披露宴が誰のものかっていう解釈が重要で、
自分たちの幸せな姿を見てー、誉めてー、だけじゃないとこが、
一番のステキ要因なんでしょうね。ふむ。

私はテーブル全部回ってコメント貰ったりとか、
ひたすらビデオを撮ってた気がしますが。。。

お節介というかなんというか、
この責任感を他に活かせば伸びるのに。

さて披露宴と言えば料理。

新郎新婦が食べ歩いて決めたという自慢の料理が、
ホントに美味しくて、これは素晴らしいな、と。

薄味なのにしっかり舌に印象が残るんですよね。
あんなにいい料理は久々以上。

あまりに美味し過ぎて食べるのに夢中で、
何品か撮影するの忘れちゃいましたもん。

仕方なく空いた皿映したりとか。

そんなこんなで披露宴はステキに終わり、
宇宙食も無事に新郎に渡し、4人の同期と横浜に向かう。

ひとりは今は転職してしまっていたので、
そんなこともあり、横浜で4人だけのこっそり二次会。

最初の内こそ結婚式の話題だったものの、
主役もいないので、話しは移り変わり、
いつの間にやら、全く積極的に話したがらなかった、
私の大学1、2年時代のお話に。。。

その時代を経たからこそ、今の私もあるわけで、
なにより、こういうのもまた楽しいものですが、
あまり話したくもないもので。。。

しかし、この手の飲み会では、
いつも私が酒の肴になってる気がするのは、
決して気じゃなく、真実でしょうね。

…と、こんな1日を過ごしてました。

なにはともあれ、どうぞおめでとう。