Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

妬む自分を見たくなかった

2004年07月27日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、妬む自分を見たくなかったでした。

友達に幸せな出来事が訪れたとき、
素直に喜んであげられるのが友達である。

それが仲の良い友達であればあるほど、
まるで自分のことのように喜ばしく思えるものである。

私にとって大切な友達に、
幸せな出来事が訪れたことを伝えられた。

その話を聞いた瞬間、
自分のことのように喜ばしく思えた。

自然と笑顔になれた。

しかしその陰で、
ホンの一瞬、妬みにも近い感情が過ぎった。

私は、こんな自分を見たくなかった。

たとえホンの一瞬であっても、
そんな負の感情が過ぎってしまったことが申し訳なくて、
素直に「おめでとう」の言葉をかけられなかった。

不安の少ない人達ばっかりが幸せになって、
どうして毎日死の恐怖に脅えている私には、
いつまでも幸せな出来事は訪れない、と。

そんな小さな妬みを思った自分が許せなかった。

誰もが不安を抱えて生きていることは知っている。
幸せを得るにはそれだけの努力が必要なことも知っている。

それなのに自分だけが不安のように思い、
努力を怠っている自分を見つめようとはしなかった。

そして大事な友達を妬んでしまった。
私はなんて愚かなんだ。

生きる価値はあるのだろか。

もう少し前の私には、
こんな愚かさは存在しなかった。

この2ヶ月くらいの間、
辛いことを辛いと誰にも真摯に告げられず、
私の心は病んでしまった。

理論や理屈で割り切れない答えだけが、
病んだ心には響き渡る。

ひとりのあがきで抜け出せるものではない。

その病みを誰にも気づかれないよう、
いつも通りの自分、という人間を演じ続けている。

その演技に疲れて、また心が病んでいく。

いつも通りの自分を取り戻そうと、
瞬間瞬間の楽しさを繋げて心を明るくさせようとしても、
瞬間瞬間が終わる度に、それまで以上の病みが広がる。

私は、ひとり、だ。

今更渡される、どんな友の声も、
今の私には同情の声にしか伝わらない。

どうせ表面上を触れるだけで、
愛すべき者の元に帰っていくのだろう。

私は、二の次三の次、だ。

いいことをしたと気持ち良くなるための、
単なる道具でしかない。

道具はご主人様がまた使ってくれるようと思い、
喜ばれようと過剰な反応を示す。

それもまた演技となり、心の病みは広がる。

病みから抜けるためには、
なにもない空間で、ひとりになる時間が必要だ。

そしてなにもせず、
自分が自分を許せる場所に留まる。

しかしその時間は、今はない。

もうしばらく、愚かな思考しかしてくれない、
嫌いな自分を見ていかなくてはいけない。

いつかこの病みから切り抜けられたとき、
心から「おめでとう」と言いたい。

その前に私は永遠になってしまわないだろうか、
それだけが不安だ。