本日出張先の名古屋では、
妙に私の外見的好みに一致する女性を、
なぜだか、たくさんと見かけました。
名古屋が私に合った土地なのでしょうか、
それとも単に旅の開放感でしょうか。
そんな女性をたくさんと見ている内に、
そういえば私は、これまでの人生の中で、
「これだ」という好みの女性には出会ったことがないな、
と、ふと気付きました。
もちろん外見的な好みが全てではないですし、
内面的な要素から人は惹かれ合うものですが、
それでも25年生きてきて1度くらい、
そんなひとめ惚れ感覚の出会いがあってもいいんじゃないかな、
とか、なんとなく思うわけです。
そんな風に思って考えていると、
今度はそもそも人と出会える確率なんてのが、
恐ろしく低いような気がしてきました。
人が一生に出会える人数というのは、
一体どのくらいなのでしょうか。
その値はとてもバラつきのあるものなので、
ここからは私の中だけの閉じたお話にします。
すれ違う程度、同じものを鑑賞した程度、挨拶を交わした程度、
程度の差によって総数は変ってくると思いますが、
結婚式に友人を呼べるだけ呼んでいいといわれたとき、
あなたは何人を呼びますか?
てなことを言われて数えてみると、
結局、友人として数えられる人数なんてのは、
25歳の私でも、大体100人くらいな気がします。
その中で異性の友人なんてのは、
どうでしょう、多くて30人くらいでしょうか。
もっと少ないでしょうか。
30人で理想の好みを見つける、
いや無理じゃないですか、そんなの。
かなり手厳しい選択肢です。
ここからはさらにズルい仮定を取り入れますが、
その分母に残るまでの偶然的な要素を度外視して、
30人という限られた分母で見てしまえば、
正直、愛称の合うふたりが出会うのなんて、
大した確率でもないわけです。
私と同じ比率を相手に与えてよければ、
お互い、最高でも60分の1にしかなり得ません。
そんな大した確率でない中で選び合うのだから、
好きな人のいる人、恋人のいる人、配偶者のいる人、
そんな人を好きになってしまうことも、
わりと仕方ないことな気がしますし、
そこで友人同士の奪い合いが起こることなんてのは、
むしろ当然な気もします。
でもそんな中で、浮気とかしてくれるなよ、とか思います。
ただでさえ母体なんてのは小さいんですからね、
ふたつとみっつと欲張りはいけないですよね。
…いやいや待て待て、話続ける前に、
恋愛に友人関係を取り入れるのは違うくないか?
それもひとめ惚れのお話だろ、今回?
この話全て合わなくない?
そうでした、その通りでした。
友達からしか好きになれない、
という自分の癖に閉じて、単に書き殴ってただけでした。
どうぞ、ごめんなさい。
ということで、お話を戻して、なかったことにして、
偶然という大きな要素を入れ直すと、
このお話は途端に大きいものに戻ります。
さらに、街で見かけた好みの人に声かければいいじゃない、
なんて言い出すと、積み上げようとした数値は、
なんら意味を持たなくなり、
天文学の彼方へと飛躍していきます。
いやはや、小さい輪から途端に大きな枠外に飛んでしまうなんて、
私が大好きで、ことある事についつい何度も観てしまう、
EAMESの『Power of Ten』みたいな、
人の細胞から宇宙の果てまで狭まり広がっていく、
とても飛び抜けたお話の展開でしたね。
(amazonさんレビューにリンクしてます。)
もはや小さく閉じた私の力説は、
なんら意味をなしません。あわあわ。
結局のところ、なにが言いたいのかといえば、
最近、自分の1分1秒を他人に預けたいくらいな勢いで、
例のヤツ、産まれたときから続く淋しさにやり込まれてるな、
なんて思うわけで、ここからなんとか抜け出さなきゃな、
と、自分自身を取り戻すための指針の必要さを感じてるわけです。
25歳にしては、あまりに幼過ぎる指針ですが、
「誰のために生きてる」
なんていう青臭いところが必要なわけです。
その、誰、の対象がどんな人かなんて言われたら、
上の写真「大名古屋ビルヂング」を面白く感じてくれる人となら、
私は笑顔で暮らせそうな気がするわけです。
もう少し贅沢言わせていただければ、
背が高くて痩せてて知的でオシャレで名古屋、
そんな条件を満たすのは↓この人だけかな。。。
(あずスタさんにリンクしてます。)
妙に私の外見的好みに一致する女性を、
なぜだか、たくさんと見かけました。
名古屋が私に合った土地なのでしょうか、
それとも単に旅の開放感でしょうか。
そんな女性をたくさんと見ている内に、
そういえば私は、これまでの人生の中で、
「これだ」という好みの女性には出会ったことがないな、
と、ふと気付きました。
もちろん外見的な好みが全てではないですし、
内面的な要素から人は惹かれ合うものですが、
それでも25年生きてきて1度くらい、
そんなひとめ惚れ感覚の出会いがあってもいいんじゃないかな、
とか、なんとなく思うわけです。
そんな風に思って考えていると、
今度はそもそも人と出会える確率なんてのが、
恐ろしく低いような気がしてきました。
人が一生に出会える人数というのは、
一体どのくらいなのでしょうか。
その値はとてもバラつきのあるものなので、
ここからは私の中だけの閉じたお話にします。
すれ違う程度、同じものを鑑賞した程度、挨拶を交わした程度、
程度の差によって総数は変ってくると思いますが、
結婚式に友人を呼べるだけ呼んでいいといわれたとき、
あなたは何人を呼びますか?
てなことを言われて数えてみると、
結局、友人として数えられる人数なんてのは、
25歳の私でも、大体100人くらいな気がします。
その中で異性の友人なんてのは、
どうでしょう、多くて30人くらいでしょうか。
もっと少ないでしょうか。
30人で理想の好みを見つける、
いや無理じゃないですか、そんなの。
かなり手厳しい選択肢です。
ここからはさらにズルい仮定を取り入れますが、
その分母に残るまでの偶然的な要素を度外視して、
30人という限られた分母で見てしまえば、
正直、愛称の合うふたりが出会うのなんて、
大した確率でもないわけです。
私と同じ比率を相手に与えてよければ、
お互い、最高でも60分の1にしかなり得ません。
そんな大した確率でない中で選び合うのだから、
好きな人のいる人、恋人のいる人、配偶者のいる人、
そんな人を好きになってしまうことも、
わりと仕方ないことな気がしますし、
そこで友人同士の奪い合いが起こることなんてのは、
むしろ当然な気もします。
でもそんな中で、浮気とかしてくれるなよ、とか思います。
ただでさえ母体なんてのは小さいんですからね、
ふたつとみっつと欲張りはいけないですよね。
…いやいや待て待て、話続ける前に、
恋愛に友人関係を取り入れるのは違うくないか?
それもひとめ惚れのお話だろ、今回?
この話全て合わなくない?
そうでした、その通りでした。
友達からしか好きになれない、
という自分の癖に閉じて、単に書き殴ってただけでした。
どうぞ、ごめんなさい。
ということで、お話を戻して、なかったことにして、
偶然という大きな要素を入れ直すと、
このお話は途端に大きいものに戻ります。
さらに、街で見かけた好みの人に声かければいいじゃない、
なんて言い出すと、積み上げようとした数値は、
なんら意味を持たなくなり、
天文学の彼方へと飛躍していきます。
いやはや、小さい輪から途端に大きな枠外に飛んでしまうなんて、
私が大好きで、ことある事についつい何度も観てしまう、
EAMESの『Power of Ten』みたいな、
人の細胞から宇宙の果てまで狭まり広がっていく、
とても飛び抜けたお話の展開でしたね。
(amazonさんレビューにリンクしてます。)
もはや小さく閉じた私の力説は、
なんら意味をなしません。あわあわ。
結局のところ、なにが言いたいのかといえば、
最近、自分の1分1秒を他人に預けたいくらいな勢いで、
例のヤツ、産まれたときから続く淋しさにやり込まれてるな、
なんて思うわけで、ここからなんとか抜け出さなきゃな、
と、自分自身を取り戻すための指針の必要さを感じてるわけです。
25歳にしては、あまりに幼過ぎる指針ですが、
「誰のために生きてる」
なんていう青臭いところが必要なわけです。
その、誰、の対象がどんな人かなんて言われたら、
上の写真「大名古屋ビルヂング」を面白く感じてくれる人となら、
私は笑顔で暮らせそうな気がするわけです。
もう少し贅沢言わせていただければ、
背が高くて痩せてて知的でオシャレで名古屋、
そんな条件を満たすのは↓この人だけかな。。。
(あずスタさんにリンクしてます。)