今日は、真夜中は別の顔でした。
と言っても、早わかりではありません。
今日は、幹事をしたお仕事場の飲み会と、
転職した同期を交えての飲み会とを渡り歩きました。
その両者に対する臨み方というか態度というかが、
我ながら全く違う顔をしてるな、と思うわけです。
どこにいても同じ顔をしている人というのもいますが、
私は、そんなに自分を貫くことは出来ません。
お仕事場では、喋りまくる私が想像できないことでしょうし、
同期内では、無口な私が想像できないことでしょう。
こう役割分担をするのは今に始まったことではなく、
学校に行っているときと、親の前にいるとき、
たとえ学校に行ってても、授業中と、部活中と、
わざと明確に違う自分を使いわけていた気がします。
そんな名残からか、
いまだに何人かの自分をバランス良く出していかないと、
なんとも疲れてしまいます。
どれが本当か、どれがつくりかってわけでもなく、
どれも私の姿なわけです。
人や立場によって自分を変えるなんてことは、
多くの人が当たり前にしていることだとは思いますが、
私もそんなひとりなんだな、
と、つくづく思った今夜なのでした。
さて、昨日発表した通り、
昔の作品を再録したいと思います。
本を読めない私が読めるよう、そしてネットで読みやすいよう、
サラッとした文体で書いた「犬(dog)」という、浅い作品です。
正直、1、2回目はどうかと思いますが、
慣れるとなかなか面白いです。
当時まだ流行っていなかったものを、
わりと先取りして含めたりたりもしますしね。
ともかく若い、7年前に初めて書いた荒削りな作品なので、
どうぞ温かな目でご覧ください。
これもまた、もうひとつの私の顔です。
と言っても、早わかりではありません。
今日は、幹事をしたお仕事場の飲み会と、
転職した同期を交えての飲み会とを渡り歩きました。
その両者に対する臨み方というか態度というかが、
我ながら全く違う顔をしてるな、と思うわけです。
どこにいても同じ顔をしている人というのもいますが、
私は、そんなに自分を貫くことは出来ません。
お仕事場では、喋りまくる私が想像できないことでしょうし、
同期内では、無口な私が想像できないことでしょう。
こう役割分担をするのは今に始まったことではなく、
学校に行っているときと、親の前にいるとき、
たとえ学校に行ってても、授業中と、部活中と、
わざと明確に違う自分を使いわけていた気がします。
そんな名残からか、
いまだに何人かの自分をバランス良く出していかないと、
なんとも疲れてしまいます。
どれが本当か、どれがつくりかってわけでもなく、
どれも私の姿なわけです。
人や立場によって自分を変えるなんてことは、
多くの人が当たり前にしていることだとは思いますが、
私もそんなひとりなんだな、
と、つくづく思った今夜なのでした。
さて、昨日発表した通り、
昔の作品を再録したいと思います。
本を読めない私が読めるよう、そしてネットで読みやすいよう、
サラッとした文体で書いた「犬(dog)」という、浅い作品です。
正直、1、2回目はどうかと思いますが、
慣れるとなかなか面白いです。
当時まだ流行っていなかったものを、
わりと先取りして含めたりたりもしますしね。
ともかく若い、7年前に初めて書いた荒削りな作品なので、
どうぞ温かな目でご覧ください。
これもまた、もうひとつの私の顔です。