民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「声が生まれる」  竹内 敏晴 著(日記)

2012年09月21日 12時18分52秒 | 身辺雑記
 「声が生まれる」 竹内 敏晴 著  中公新書 2007年

 音がない。
両耳が聞こえない・・・。
16才で右耳の聴力を獲得しても、何を語ればよいのかわからなかった。
手探りで、ことばを見つける。
それを声にして語り出す。
だが、声にするには、まず息を吐かなければならない。
 本書では、ふだん自覚することのない、声として発されるまでのことばの胎動を見つめる。
息を吐くとは、相手にとどく声とは、そして、ことばとは何か。
著者自身の体験を交えて語られる声とことばをめぐるドラマ。(本書のキャッチコピー)

 「声の道場」の中で紹介されていた本。
さっそく、図書館で借りて読んだ。
いい本にぶつかった。
この人の言ってること(文章表現力も含めて)説得力がある。
ぐいぐい、こっちの身体に入り込んでくる。
「本物」が数が少ないということで、数の多い「偽者」の陰に隠れてしまうこともあるんだろうな。
そんなことを思ったり、させられた。

 そんな中で、目からうろこの言葉。

 「人間の声はピアノではない、管楽器だ」

「民話でくりひろげられる世界」 栃木県の民話 解説 1

2012年09月20日 22時48分10秒 | 民話(語り)について
 栃木県の民話 解説 1 (ふるさとの民話 全47巻) 日本児童文学者協会編 偕成社 1980年発行

 民話で繰り広げられる物語は、時間をこえて、あなたを遠いむかしの国へ連れて行ってくれます。
そこには、今は見られない、ひろびろとした野や山があります。
 山にはやまんばが住んでいます。
川には河童が住んでいます。
天狗が空を跳び、大蛇はうねうねと、山の木や草をおしわけてすすみ、真っ赤な舌をピラピラさせます。
日が暮れれば、キツネ火が燃え、タヌキが人を化かします。
不思議な世界です。

 昔の人々はそういう不思議な世界に住んでいました。
しかし、ただ、不思議を言ってしまえば、それまでです。
ありそうもないこと、でありながら、そこには案外、本当のことが語られているのではないでしょうか。
今よりも、もっと貧しく、米の飯など、正月にしか口に入らない暮らしの中で、生きた人々は、おそれる心を持っていました。
山をおそれ、川をおそれ、風をおそれました。
それがやまんばや河童となったのかもしれません。

 しかし、昔の人々はおそれてばかりいません。
力強く、たくましく、知恵やとんちを働かせながら、生き抜いていきました。
民話には、そうした祖先の心が、生き生きと語られています。
人々の願い、喜び、悲しみ、おかしさがあふれています。
だからこそ、私たちは、民話を大切に思うし、あなたたちにも知ってほしいと思うのです。
 (中略)
 昔、戦いがあって、負けた武士たちが山を越えて逃げ出しました。
自分の国へ帰ろうと思ったのです。
ところが何日か逃げ続けていったある夜のこと、ふと見ると目の前に海が見えるではありませんか。
山へ山へ逃げたはずなのに、ここはまだ敵の土地だったのです。
もうだめだ、武士たちはもう逃げ続ける力もなく、そこで切腹して死にました。
しかし、それは海ではなかったのです。
白い花をつけた、一面のソバ畑だったのです。
月の光で、それは海に見えたのでした。
村人たちは武士たちをあわれんで、それから、その村では、ソバを作るのを止めたという話です。

 これは民話です。
本当にあった話が語り伝えられて、伝説化したのです。

「声の道場」  山村 庸子著(日記)

2012年09月19日 12時05分41秒 | 身辺雑記
 「声の道場」 山村 庸子

 朗読をやっている人のブログで紹介されていた。
これはいい、確信して、すぐ注文した。
昨日、一気に読んだ。

「女性でありながら能楽師となった著者が始めた和のボイストレーニング「声の道場」。
その中で見つけたもの、それは「日本の声の問題点」だった。」

 オレと同じ年だいうのもいい。
続刊、「声の道場 2」も注文した。

「嫁と姑」 日本残酷物語 編集 下中 邦彦

2012年09月18日 10時14分11秒 | 民話の背景(民俗)
 嫁と姑 「日本残酷物語」一部 貧しき人々のむれ 編集 下中 邦彦 平凡社 昭和34年

 青森県五戸(ごのへ)地方では、女の呼び名が、一生の間に、次のように変わっていくという。能田 多代子「村の女性」

 ワラシ(童)-----4,5才から12,3才、つまり赤ん坊が乳離れして、ひとり遊びができるようになってから、だいたい小学校を終える頃まで、家ではジイサマ、バアサマの手でしつけられ、まだ勝手に遊んでも、そうきびしく文句はつかない。

 メラシ(娘)-----14,5才から17,8才。小学校を終わる頃ともなれば、女の子はことさら行儀作法はもちろん、言葉遣いの端から立ち居振る舞いの末まで、こまかく注意されるようになる。「娘と糸ベソは大きくなるほど邪魔になる」といういいならわしのとおり、なんとかして嫁にやらねばならないので、親達の心も痛むし、本人の気ももめるというものである。糸ベソというのは、麻つむぎの糸巻きのことだが、むかしは暇さえあれば、女たちは麻つむぎにはげんだので、始終、それを身の回りに置いた。いつも目の前にごろごろしているので、大きくなるほどあつかいにくくなるわけだ。東北の村の女たちは早婚である。おそくとも、18くらいまでには片付かぬと、親も娘も世間体が悪く、メタシの会合に出るのも、バツが悪くなる。まして19,20才ともなれば、もうメラシの仲間に勘定されず、嫁にいっても「年寄り嫁」ということで、肩身が狭い。まことに短い娘の期間であった。

 アネ、アネコ(嫁)、アッパ(母)-----跡取り息子の嫁だけがアネで、冷や飯食いの2,3男の嫁はオジヨメとふるくは呼びわけたようだ。アネコの期間は案外短く、子供を持つと、アッパとかわる。ヨメはヘラワタシ(主婦権渡し)をうけて、主婦となるまでのあいだの呼び名だが、アネコの期間は長く、アッパの時代が長い。

 オンバ(祖母)、エヌシ(主婦)-----アッパも孫を持つとオンバと呼ばれる。早婚だから、40前のオンバもできるが、それはナカラオンバと呼び分けている。ヘラワタシをうけて、一家の主婦になるのは、ようやくこの頃で、まだエヌシという古風な呼び名が残っている。やっと気楽にふるまえるようになるのだが、といって、仕事のはげしさがなくなるわけではない。

 ババ(隠居)-----エヌシ(主婦)の権利を嫁に渡せば、ババになる。このころにはもうヒコマゴができ、もっと長命すれば、ヤサゴさえ持つようになる。だからトソリババ(年寄り婆)とワカババとを呼び分ける必要もあるわけで、80過ぎのトソリババはひっそり住んで、死ぬのを待つばかりということになる。

 ワラシ→メラシ→アネコ(ヨメ)→アッパ→オンバ(エヌシ)→ババ。つまりこれが女の一生であった。

「豆腐とこんにゃく」 リメイク by akira

2012年09月15日 09時38分53秒 | 民話(リメイク by akira)
 「豆腐とこんにゃく」   元ネタ 福島さすけね(You tubeあり)

 むかしのこと。

 あるとこに、友だちの豆腐と蒟蒻(こんにゃく)がいたと。
豆腐ってのは、白くて、やっこかんべ、こんにゃくってのは、黒くて、かたかんべ。
この二人、まるっきり、違うのに、どういうわけか、仲がよかったと。

 ある時のこと、豆腐のヤツ、台所の上から、足、滑らして、床に落っこちまったと。
そんで、元の形もねぇくらい、ぐっちゃ ぐっちゃになっちまって、入院したと。

 それを聞いて、こんにゃくが 見舞いに行ったと。
べったり、くったり、べったり、くったり、尺取虫みたいに、歩いて行ったと。

「おい、豆腐どん、ケガしたんだってな。・・・だいじょうぶか?」
「よー、こんにゃくどん、来てくれたんか。
つい、滑って、落っこちまって、このありさまだ。
もう、痛くって、痛くって、参った、参った。」

 こんにゃくが、あまりの痛々しさに、かける言葉もなく、下向いてると、豆腐が言ったと。
「おめぇはいいよな、丈夫なからだ持ってて。
落っこちても、オレみてぇに ぐっちゃ ぐっちゃに なんねぇもんな。」

 それを聞いて、こんにゃくが言ったと。
「いや、いや、そんなことねぇ。
オラにだって 人に言えねぇ苦労があんだ。
「うん?・・・おめぇの苦労ってのは どんなんだ?」
「それはな、オラが台所にいると、みんな、オラのこと見るたんび、
「こんにゃくぅ、こんにゃくぅ」って、言うんだ。
「ああ、今夜食う」って、オレは 今夜食われんのか、
短い命だったな、って、切なくなるんだ。」
って、こんにゃくのヤツ、エーン、エーンって泣いたと。

 赤ん坊が、腰にあてがっている、白い布、何だ?・・・「おしめ!」・・・そう、おしめぇ。