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「巴波(うずま)のナマズ」 リメイク by akira

2011年12月10日 00時57分33秒 | 民話(リメイク by akira)
 むかし、むかしのことだった。
 長(なげぇ)こと、雨が降らない日が続いた。
田んぼに雨が降らなきゃ、米もできやしねぇ。
みんな、雨が降るのを、今か、今かと待っていた。

 川の水が干上がって、ちょこっとできた水たまりに、でっけぇナマズが、グッタリしてた。
 (おやっ、こんなとこに、ナマズが・・・)
そこを通りかかったお百姓が、そのナマズを拾い上げた。

 (今日はナマズで一杯やっか)
かごに入れようとしたら、そのナマズと目が合っちまった。
まん丸の、ちっこい目して、(必死で)訴(うった)えてんだ。
「子供たちが、わたしの帰りを待っているんです、どうか、助けてください」

 お百姓は、可哀(かわい)そうになって、そのナマズを、巴波川(うずまがわ)に放してやった。
 すると、(突然)雨が降り出してきた。
「ありがてぇ、ありがてぇ」
干上がってた田んぼも、(やっと)息を吹き返した。

  それからしばらくして、(今度は)巴波川が洪水になった。
土手で遊んでいた、お百姓の子供が、川に落っこって、溺れそうになった。
すると、ナマズが、いっぱい集まってきて、子供をワッショイ、ワッショイ、土手の上に押し上げてくれた。
そうして、子供は助かった。

 しゃもじって、ナマズみてえな格好してっぺ。
あれはな、ナマズに、子供を助けられた、お百姓が、その恩を忘れないようにと、作ったからだ。
そんで、しゃもじでご飯をすくうたんびに、ナマズを思い出しちゃ、感謝してたんだ。

  おしまい


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4 コメント

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巴波川 (akira)
2011-12-10 01:07:04
 栃木市は、蔵の街として名高い。
巴波川(うずまがわ)の両岸に黒い板塀を連ねる蔵の様相は、
かつて関東北部の農産物、手工業品を集めて江戸に送り出す
水運の一大拠点を担った商業の街の面差しが感じられる。
当初は県庁所在地であったが、明治17年に宇都宮市にその機能が移転してからは、
栃木は時が止まったかのようなゆったりとした町並みのまま、昔風の情緒を残すことができたのである。
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うずまの鯰 (akira)
2011-12-10 01:08:15
 「うずまの鯰」は栃木市を代表する郷土玩具である。
昔、大きな被害が出るほどの旱魃に見舞われた年、作吉という農民が、
水から離れてしまい苦しがっていた一匹の鯰に出会った。
それを助けて巴波川に放ってやると雨が降り出し、旱魃が収まったという。
そしてその数年後、作吉の子どもが川に落ちた。
おぼれそうになって苦しんでいるところ、どこからか無数の鯰がやってきて
子どもを岸に押し上げてくれた・・・。

 そんな報恩の伝説を元に作られたのがこの鯰の玩具である。
誰が考えたのか、確かに鯰の頭はしゃもじにそっくりだ。
悲しそうな、困ったような顔は、干上がった土地に取り残され、川に帰ろうと苦悶している姿だろうか。
よれよれのこよりのひげ、ちょろりと出した赤い舌。確かに弱ったような風情で、ちょっと哀れになる。
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鯰(ナマズ) (akira)
2011-12-10 01:09:28
 湿地帯に住む鯰は、関東近辺では古くから親しまれてきた存在だ。
巨大な堆積土壌である関東平野は、そこここに沼や湿地があり、水辺の豊かな自然に守られた風土だった。そこで暮らす人々にとって、陸と水との境に棲む鯰の姿は日々目にする親しみ深い存在であるが、
ぬるりとした体、のぺっとした顔、泥臭く、お刺身にしても煮物にしても美味しいわけでもないから、
人間も積極的に捕まえようという気もしないし、鯰も人間に害を及ぼすことはない。
近くにいながらお互いに益にも害にもならない、そんな間柄だったのだろう。

 鯰が不可思議な力を持つと考えられるようになったのは、いつ頃からなのだろうか。
ご存知のとおり、鯰が暴れると地震が起きる、というのである。
どう見ても腕力に自信があるようには見えないこの両生類が、
どうして地を揺るがす大仕事をすると考えられたのかは理解に苦しむが、
泥中の主のような鯰の生態を普段から見ていた昔の人々にとって、その連想は自然なものだったに違いない。
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しゃもじと鯰(ナマズ) (akira)
2011-12-10 01:10:55
 単純に「黒いしゃもじ」といった感のあるこの「うずまの鯰」。
実は古くからしゃもじは呪術性の高い道具と認識されていた。
ご飯を盛るしゃもじは、言ってみれば「生命を維持するために欠かせない道具」である。
しゃもじに願いごとを書いて神社に奉納したり、
邪を防ぐとして大切に扱う民俗事例は日本全国に見られる。
生まれたばかりの赤ちゃんをしゃもじであおいで産声を促す地域もあるという。
かつて人は身近で見慣れた小さな道具に、巨大な霊力を感じ取っていたのだ。

 しゃもじと鯰。身近で他愛のないもののなかに潜む計り知れない不可思議な力。
情けないような、茶目っ気顔の「うずまの鯰」は、
実はそんなことを現代の私たちに思い出させようとしているのかもしれない。
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