民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「大聖堂」A・バリオス

2019年04月30日 22時44分43秒 | ギター日誌
4月30日(火)
昨日(月曜)の太極拳は健康の森(シルバー大学があるところ)。
自転車で30分近くかかるのでサボリ。
7年前に通っていたころは平気で自転車で行っていたのに、
いまは行くだけの元気がない。
行く気になれば行けるだろうけど、気力がなくなっている。

先日の「ソロギター愛奏会」の集まりは、
基本、第4土曜日の9時30分からお昼を挟んで3時までやっている。
クラシックギターの独奏を楽しみたい人が集まっている。
ジャンルは限定はしていないが、クラシックが中心だ。
そのせいか、ここのところクラシックの曲を弾くことが多い。
ずっとポップスを弾いてきたけど、遠回りしてクラシックに戻ってきたようだ。

独奏は孤独な世界だ。
仲間がいることはモチベーションになる。
一人ひとりが独奏を披露する時間があるので、練習のやりがいがある。
さっそく来月はなにを弾こうかと思い巡らすと、
浮かんだ曲があったので引っ張り出して弾いてみた。

それとは別に、右手の練習にいいと思って、
バリオスの「大聖堂」第3楽章を弾いてみたくなった。
運指を考えていたら、時間の経つのを忘れた。
楽譜に書いてある運指をかなり変えた。
前に弾いたときは(40年以上前)書いてある運指そのままで弾いていた。
運指を変えるなんて思ってもみなかった。
それが、ギターを再開して15年、クラシックの曲はほとんど弾かずに、
ポップスの曲ばかりを弾いてきたが、その間に、運指は変えていいんだと思うようになった。
このことだけでも、これまでの15年はムダではなかったと思える。

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