「書く力は、読む力」 その5 鈴木 信一(1962年生まれ、公立高等学校に勤務) 祥伝社新書 2014年
いい文章をひたすら肌で感じる経験が、一方ではどうしても必要です。文章には、呼吸とか間合いとかいうよりほかにない、測りがたいものがたしかにあるからです。P-186
とくに書き手の「思い」が曲者です。出来事の描写をいくら精密におこなってもまだ許されますが、「思い」を書き過ぎたときには、人はもうその文章を読まなくなってしまいます。主観を押し付けられた気分になってしまうからです。P-193
「膨らみのある文章」とは、つまり「読み手が想像の世界に遊ぶ余地を残している文章」ということになります。
書き過ぎれば、読み手の出る幕はなくなります。その文章は字面どおりの意味を表明して終わります。しかし、書かれていないことがあれば、そこには読み手が想像力で補うしかありません。文章は逆に多くのことを語りはじめます。膨らみが生まれるのです。P-201
(例文)今世紀に入って世界はますます混乱をきわめている。しかし、私たちは人類の全英知を集めてこれに立ち向かい、いつか必ず、世界平和を実現しなければならない。
たとえばこうした文章は、子どもが書いたものというならともかく、大人の書き物としては認めるわけにはいきません。ここには、「書くに値すること」が何も書かれていないからです。
何か読む以上、私たちはそこに発見を求めます。知らなかったこと、気づかなかったこと。つまり新しさを求めるわけです。だとすれば、書くべきことも決まってきます。自明のものではない、何か新しいこと。それしか書いてはならないのです。
何を書こうと人の勝手じゃないか。もちろんそのとおりでしょう。手帳に書く。日記をつける。読書ノートをこしらえる。自由にやっていいのです。しかし、人に読んでもらうことを前提に何かを書くなら、話は違ってきます。「世界平和を実現しなければならない」というような、ある意味わかりきった、それでいてどこか絵空事のような話を書くわけにはいきません。P-214
他人が書いたものを読むというのは、エネルギーの要る仕事です。文の長さ、文の運び、呼吸、言い回し、どれも自分のものと違うわけですから、それに合わせてこちらがチューニングし直さなければなりません。面倒な仕事なのです。
したがって、よほどうまくやらないと、人に自分の文章を読んでもらうことはできません。
いい文章をひたすら肌で感じる経験が、一方ではどうしても必要です。文章には、呼吸とか間合いとかいうよりほかにない、測りがたいものがたしかにあるからです。P-186
とくに書き手の「思い」が曲者です。出来事の描写をいくら精密におこなってもまだ許されますが、「思い」を書き過ぎたときには、人はもうその文章を読まなくなってしまいます。主観を押し付けられた気分になってしまうからです。P-193
「膨らみのある文章」とは、つまり「読み手が想像の世界に遊ぶ余地を残している文章」ということになります。
書き過ぎれば、読み手の出る幕はなくなります。その文章は字面どおりの意味を表明して終わります。しかし、書かれていないことがあれば、そこには読み手が想像力で補うしかありません。文章は逆に多くのことを語りはじめます。膨らみが生まれるのです。P-201
(例文)今世紀に入って世界はますます混乱をきわめている。しかし、私たちは人類の全英知を集めてこれに立ち向かい、いつか必ず、世界平和を実現しなければならない。
たとえばこうした文章は、子どもが書いたものというならともかく、大人の書き物としては認めるわけにはいきません。ここには、「書くに値すること」が何も書かれていないからです。
何か読む以上、私たちはそこに発見を求めます。知らなかったこと、気づかなかったこと。つまり新しさを求めるわけです。だとすれば、書くべきことも決まってきます。自明のものではない、何か新しいこと。それしか書いてはならないのです。
何を書こうと人の勝手じゃないか。もちろんそのとおりでしょう。手帳に書く。日記をつける。読書ノートをこしらえる。自由にやっていいのです。しかし、人に読んでもらうことを前提に何かを書くなら、話は違ってきます。「世界平和を実現しなければならない」というような、ある意味わかりきった、それでいてどこか絵空事のような話を書くわけにはいきません。P-214
他人が書いたものを読むというのは、エネルギーの要る仕事です。文の長さ、文の運び、呼吸、言い回し、どれも自分のものと違うわけですから、それに合わせてこちらがチューニングし直さなければなりません。面倒な仕事なのです。
したがって、よほどうまくやらないと、人に自分の文章を読んでもらうことはできません。
『書く力は、読む力』という本、とても興味深いです。
大切なことが、わかりやすくサラッと書いてあります。
「思い」に関しては、そうそう!と思いました。
私も「思い」が強い人なので、気を付けなければと思いました。
文章以外にも言えることですね。
改めて、文章の推敲が大事だなと痛感しました。
ブログを更新した翌日などに、サイド文章を読むと、無駄が多くて、文章を削ることが多いのです。
くどかったり、文章の流れが悪かったり・・・
もう少し言葉を厳選できるようになりたいなぁと思いました。
いい本を紹介してくださって、ありがとうございます。
お元気なようで安心しました。
今までずいぶん文章の書き方に関する本を読んできたけれど、
この本は今まで読んだ本と切り口の違う本でした。
実際に文を書くのには、案外、役に立たない本が多い中、
文を書くことの本質にグサリと切り込んだ、
ハッと気付かされることが多い本でした。
図書館で借り、数ページ読んでみて、これは買って読む本と思い、
注文して読んだけど、私のカンは間違ってなかったですね。
この本は買って損はないと思いますよ。
ランチ一回(運が良ければコーヒー一杯)ガマンすれば買えるんですからね。
これは最近、私が本を買おうかどうか迷った時に言い聞かせることです。
著者が高校の先生なので、わかりやすく伝えるのが上手なのかもしれません。
けれど、わかりやすく伝えるって、本当にわかっていないとできないことですよね。
この一冊がどのような文章で編まれているのか楽しみです。
これから読み聞かせボラの勉強会へ行ってきます。
最近は子供関係中心だったので、久しぶりの勉強会が楽しみです。
気に入るといいのですが。
責任を感じてしまいます。
まあ、割りとサラリと読める本なので、
時間のムダにはならないのが救いかな。