民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「無名の人生」 その11 渡辺 京二

2018年02月18日 00時44分13秒 | 生活信条
 「無名の人生」 その11 渡辺 京二  文春新書 2014年

 3、生きる喜び

 身の丈に合った尺度 その1 P-70

 人が幸福だとは、一体どういうことを言うのでしょうか。
 一個の人間が一生を通して幸せに過ごそうなどというのは、欲の皮が突っ張りすぎなのかもしれません。幸福と不幸は糾(あざな)える縄の如しで、こいつは不幸のはじまりかと心配したら、実際は幸せのはじまりだっということもあれば、せっかく幸福をつかんだと思ったのに、とんでもない不幸が待ち受けていたとか、人生いろいろです。

 一生のあいだにはさまざまな出来事があって、愛する人が突然死んでしまうこともあれば、。失恋することもある。しかし、パートナーの死も失恋も、偶然です。相性のいい人を好きになれば失恋することもないはずだけれど、相性のよしあしを最初から見抜くことはなかなかできません。同様に、死んでしまうのも病いにかかるのも、みな偶然です。

 もっとも、不幸を避けようとして避けられることもある。なるべく危なそうな事柄に首を突っ込まないようにするのです。
 しかしそれは、賢く一生を送れるかどうかの細かなテクニック、あるいは注意力の範疇に属することであって、すべての不幸を避けることなど不可能だと言えます。不幸の種はかぎりなくこの世に存在していて、どうあがいても不幸は、人生に起こってくるものだからです。また、注意深く不幸の落とし穴に落ちるのを避ける人は一種の賢人ではありましょうが、何だかみみっちい気もいたします。