民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「ひそかな楽しみ」 マイ・エッセイ 25

2016年10月24日 00時03分58秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「ひそかな楽しみ」

 冬物から春物に衣替えしてまもなくの五月のある日、「音訳奉仕員養成講座」の第一回を迎えた。「音訳」とは「目の不自由な人のために、文字情報を音声に変換すること」と新明解国語辞典にある。毎週午前の二時間、全三十五回と、長丁場の講座だ。
 定員が二十名のところ、十八人が集まった。男はなんとオイラひとり。男は少ないと聞いてはいたがまさかひとりとは、思わず苦笑いがこぼれる。
 オイラは団塊の世代、「古来稀なり」は目と鼻のさきだ。現役の時はやりたくてもやれなかったことをこれからは思う存分やるんだ、と気合を入れて臨んだリタイア生活も七年が経とうとしている。
 時間がたっぷりあることをいいことに、いろいろやりたいコトに手を出してきたけれど、やりたいコトはモグラ叩きゲームのように次から次に出てきた。そのうちきりがなくなってきて、これからは広く浅くより、狭く深くで行こうと、ほんとうにやりたいコトは何かを見直し、それ以外は手を出すのはやめようと決めた。それからは新しくやりたいコトにぶつかっても冷静にブレーキをかけてきた。それでもブレーキをかけきれず手を出しかけたこともある。そのとき踏みとどまらせる最後の決め手になったのは、ミニマリストのブログの中の「新しいコトをやるということは新しいモノが増えるということ」という戒めだった。 
 オイラは「断捨離」なんて言葉がはやる以前に、「清貧の思想」に共感を覚えていたので、身の回りの増えすぎたモノを減らすことに力をそそいでいた。もうこれ以上モノが増えるのはゴメン、その気持ちは思いのほか強く、最後の砦はなかなか崩れなかった。
そんなオイラが禁を破って「音訳奉仕員養成講座」を受講することにした。「広報うつのみや」で養成講座があるのを知ったときは決然とスルーしていた。それがいくつかの偶然が重なって、なんだか受講するように運命づけられているように思えてきた。それでも新しいコトをやることに逡巡していた。
 迷いを打ち払うのに、二つの理由を言い聞かせた。ひとつは、朗読を先生について習い出して一年になるけれど、栃木県に生まれ育ったので訛りがなかなか直せなくて苦労していた。音訳をやれば標準語が身につくかもしれないという期待。
「音訳奉仕員」は、前には「朗読奉仕員」と言っていたくらい、「音訳」と「朗読」は声を出すパフォーマンスという意味では同じだ。だからまったく新しいコトに手を出すわけではない。朗読は「個性」を重視し、音訳は「没個性」を優先する、まったく正反対の立場でプラス、マイナスの両面があるだろうけれど、「敵を知り己を知れば」、と前向きにとらえた。
 もうひとつは、新しいことをやるからにはなにかをやめなきゃと、リタイア後の大きなウェイトを占めていた民話を切り捨てようという決断。
 シルバー大学で民話に出会い、卒業してからは三年間、いっときは月に七、八ヶ所もボランティアに行っていたほど熱心に活動していた「下野民話の会」を退会することにした。
 そのほかに、経費がテキスト代の千円しかかからないこと、場所が近く自転車で通えることも背中を押した。
「音訳奉仕員養成講座」は初級過程が十五回、中級過程が二十回、それぞれ二回以上休むと終了証がもらえないというなかなかに厳しい講座だ。
 オイラのウリの栃木訛りが標準語になっていたら、オイラが民話から離れるのを惜しんでくれた仲間たちもびっくりするだろう。それを楽しみに頑張ってみる。