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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「本屋さんで待ちあわせ」 その2 三浦 しをん  

2017年11月23日 00時05分34秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その2 三浦 しをん  大和書房 2012年

 はじめに その2

 もしかして前世は、本に棲息している虫かなんかだったのか?それとも、ひとを読書へと駆り立てることで恋や美容から遠ざけるような、悪霊に取り憑かれているのか?そうとでも考えないと、本や漫画に対するこの執着が説明つかん!

 前世や悪霊が原因だとしたら、もうしょうがないですね(思考の放置)。思うぞんぶん、読書に勤(いそ)しみます。え、本日の仕事?あばばば、聞こえません。私は仕事をするために洗顔をそっちのけにしているのではない。本や漫画を読むために洗顔をそっちのけにしているのだ!

「ダメっぽいことをえらそうに言って煙に巻く」戦法でした。
 それでは、はじまり、はじまり!お楽しみいただければ幸いです。

「本屋さんで待ちあわせ」 その1 三浦 しをん

2017年11月21日 00時26分55秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「本屋さんで待ちあわせ」 その1 三浦 しをん  大和書房 2012年

 はじめに その1

 1日の大半を本や漫画を読んで過ごしております。こんにちは。
 いまも、この「はじめに」を書こうとして、「いや、そのまえに景気づけに本を読もう」と思い立ち、『江戸東京の地名散歩』(中江克己、ベスト新書)を手に取ったらそのまま夢中になってしまい、気づくと夜になっていた。本日の仕事が全然終わってないのに……。

 というわけで(?)、本書は一応「書評集」だ。ちゃんとした評論ではもちろんなく、「好きだ!!」「おもしろいっ」という咆哮になっちゃってるので、お気軽にお読みいただければ幸いです。取り上げたのは、個人的におすすめの本ばかりなので、ブックガイドとして少しでもみなさまのお役に立つといいなと願っております。

 私は本を紹介する際に、ひとつの方針を立てている。「ピンとこなかったものについては、最初から黙して語らない(つまり、取り上げてああだこうだ言わない)」だ。

 ひとさまの本に、えらそうにあれこれ言っておきながら、自分が書いてる本はどうなんだ。そう問われるとグゥの音(ね)も出ない。そこで姑息にも、批判的にならざるをえない本や漫画への感想は、公には表明しないようにしている。また、たとえ私にはピンとこなかったとしても、その本や漫画を好きなかたが当然おられるのだから、わざわざネガティブな感想を表明して、該当の書籍やそれを好きなひとたちを否定する必要も権利もないと考えるからでもある。
 ひとによっていろんな読みかたができるから、本や漫画はおもしろい。

「大放言」 その27 百田尚樹

2017年11月15日 00時18分40秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その27 百田尚樹  新潮新書 2015年

 囚人さえも壊れる仕事 P-56

 今にして思えば。、父は決して仕事が嫌いではなかったと思う。仕事や職場の愚痴をこぼすのは聞いたことがないし、毎朝、機嫌よく家を出ていった。母も父が転職したいと言ったのを聞いたことがないと言っていた。

 父はおそらく仕事をする喜びを感じていたと思う。壊れた水道管を直すことにより、その地域に住む人々の役に立つという喜びがきっとあったと思う。労働の喜びとはそういうものであるはずだ。

 これは有名な話だが、囚人に与える最もきつい仕事は、穴を掘らして埋め戻させる仕事だという。この作業を延々と続けさせると、どんなに精神的に強い囚人も心が折れ、やがて肉体的にも崩壊する。逆にどれほど過酷な労働をさせても、それが何かしら役に立つ、あるいは何らかの達成感があるという仕事なら、囚人は耐えられるという。

 私はこの話には、「労働」の深い意味が読み取れると思う。世の中に役に立たない仕事はない。どんな仕事であろうとも、それは社会や人のためになる。労働の本当の喜びはそこにあるのではないか。 

 

「大放言」 その26 百田尚樹

2017年11月13日 00時16分48秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その26 百田尚樹  新潮新書 2015年

 好きなことは金を払ってするもの P-53 

 前略

 私の亡くなった父は大正13年生まれだが、家が貧しかったため、高等小学校を卒業してすぐに働きに出た。当時の仕事がどんなものだったか聞き忘れたが、好きなことなんか仕事にできなかったのは間違いない。父は働きながら夜間中学を出たが、20歳の時に徴兵で軍隊に入った。戦後、いろいろな職を転々とし、30歳くらいのときに大阪市の水道局の臨時職員になった。その頃、結婚して私が生まれた。

 父はやがて正職員になれたが、配置されたのは漏水課というところだ。どういう仕事かといえば、一日中、大阪市内を歩き回り、破れた水道管を直すというものだ。昔は大阪市内の道路もほとんどは舗装されていなくて、晴れた日に道が濡れていると、地中の水道管が破れているという印だった。そういう場所を見つけては、道路をツルハシとシャベルで掘り返して、水道管を修理するのだ。父は定年まで、夏の炎天下、ヒュの木枯らしの中で、そういう仕事をして、私たちを養ってくれた。
 
 こんな仕事がふつうに考えて楽しいとは思えない。きっと辛かったと思う。けれど父は私たち家族の前では、一言も仕事の愚痴をこぼさなかった。別に父が格別に立派とも思わない。当時は父と同じように、しんどい仕事を黙々とやり続けた男たちがたくさんいたからだ。

「大放言」 その25 百田尚樹

2017年11月11日 00時12分25秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「大放言」 その25 百田尚樹  新潮新書 2015年

 好きな仕事が見つからないバカ 

 好きなことをして生きられるのか P-49

 これはテレビ業界に限らないらしい。大手企業でも新入社員が3年以内に離職する率は3割を超えている。中小企業ならもっと高いだろう。なぜ辞めるのかと聞くと、「もっと他にやりたいことがある」と答えるらしい。ところが、さらに突っ込んで聞くと、具体的にやりたいものがあるわけではないのだ。要するに「これから、それを探す」ということらしい。

 聞くと、最近の若者は仕事を「好きか嫌いか」で決める傾向があるという。

 私に言わせれば、なんという贅沢な考え方だと思う。仕事は生活のためにするもので、楽しんでやるものではない。「好き、嫌い」で選ぶなら、それは仕事ではなく趣味である。

 仕事は自分が生きるため、そして家族を食わせるためのものである。この場合の「生きる」は文字通り「生活する」という意味だ。

 世の中、自分の好きなことを仕事にしている人なんか、1%もいない。その1%、戦後の豊かな社会になったからこそ、生まれたものだ。つい60年前まで、「好きなこと」をして生活できる人間なんか日本にいなかったのだ。

 なぜ、若者たちは「好きなことをして生きよう」と考えるようになったのだろうか――。