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言論への圧力を繰り返す安倍首相

2007-04-28 17:46:59 | 生活・教育・文化・社会
 今日の朝日新聞の広告欄に、週刊朝日の編集長名でお詫びの文章が、2段組で掲載されていた。現在発売中の5/4・11の合併号に掲載した「山口組系水心会と安倍首相の<関係>を警察庁幹部が激白」(広告では 長崎市長射殺事件と安倍首相秘書との<接点>)というタイトルの記事に対して、安倍首相は24日(火)定例記者会見で、声高に「言論テロだ」「政治(倒閣)運動だ」と抗議の発言したのである。
 そのことを25日の『朝日』が、「週刊朝日報道を安倍首相が批判」とのタイトルで記事と編集長の謝罪コメントを掲載した。その記事に対して、25日(水)の記者会見で不十分だとした。この辺は一国の首相の器とは思えない執拗さである。そんな事情から、週刊朝日として誤解を招いたとして、早々とお詫びをしたのである。
 実際の記事内容は、とりわけタイトルの核心に迫るようなものでなく、いくつかの情報を切り貼りした取るに足らないものであり、とくに安倍首相を為にするよう内容では、およそない。そういう意味では、タイトルと内容は一致しているとは言いがたい。週刊誌ジャーにリズムは、この手のタイトルと記事はめずらしいことではない。
 週刊誌は情報をもてあそぶような記事も多いが、スクープもあるし何よりも大衆娯楽誌である。これも言論活動なのである。
 もし安倍首相の言う基準で週刊誌やタブロイド夕刊やスポーツ紙を見た場合、おそらく70%の記事は没になるのではないだろうか。

 ここで重要なことは、安倍首相は日本の最高権力者であるということである。権力者が、記事を読めば安倍個人を批判や攻撃をしているわけではないことはすぐ分かることに、ナーバスに反応することへの懸念を持つのである。
 かりに批判や攻撃をされたとしても、公人であり最高権力者の立場としては、ある程度甘んじるのが普通ではないか。それが権力者と国民の程よい距離となり、横暴と独裁を抑制装置になるのである。何はともあれ選挙で選ばれているということを、つねに持ち続けるのが議員というものではないか。
 
 NHKの従軍慰安婦問題の、放送内容に干渉があったとする内部告発を『朝日』
が報道したことに対する、裁判が係争中である。これとて真実を明らかにするという以上に、『朝日』に対する敵意とも思われるようなコメントをする。これはNHK側が内部告発は誤りだとする主張なので、安倍首相と中川政調会長に代弁させるために、NHKニュースが報道していることでもある。
 また911の郵政選挙の際、自民党のキャッチコピーに対して、写真を合成してつくるパロディ作家であるマッド・アマノが言葉を言い換えて皮肉ったら、当時自民党副幹事長だった安倍が内容証明つき郵便で抗議をしてきたとのことだ。キャッチコピーに対してのパロディを許さない感覚は、言論弾圧である。

 今回の『週刊朝日』の件は、本来は記者会見ではおよそ話題になるようなことではない。ところがこれには、しかけがあったのだ。
 記者会見に通常出席しない年配の『産経新聞』の記者が、この問題を取り上げたことへの答えだった。安倍首相との知り合いの記者であった可能性があり、事前にシナリオが用意されていたと考えられる。言い換えれば「やらせ」である。『朝日』に対する『産経』の攻撃を、安倍首相が代理をした、ともとらえられないこともない。
 首相という最高権力者が言論をめぐって係争中だったり、今回のちっぽけなことに過剰反応することは、言論の自由にとって由々しきことと思われる。

 一般的には権力者が、評論や批判をされる場合があるのは、民主主義が健全に機能している社会ではないだろうか。わたしは権力、政権批判を自粛されていく社会を恐れる。国民の知る権利のために、メディアは報道と取材の自由のために、今回のような圧力でだんだん政権批判を自己規制するようなことはあってはならないのである。
 「あるある・・・」問題を契機に、放送法改訂が検討されているが、その内容には報道を萎縮させるものであり、メディアの今後に大いに懸念を持つものである。

 森首相の頃からだろうか、自民党にメディア対策部署をつくり監視している、と聞く。
 たとえば「ニュースステーション」にはある時期から自民党の議員が出演しなくなった。政権政党たるものが党略のための出演拒否するのは、報道番組として必要条件を満たさなくなるのである。このようなことを通して、報道の自己規制の道を歩むことになる。
 主張を封印し、せいぜい情緒的コメントにとどめるようになる。予定調和的報道になっている、地上波テレビの報道番組はおもしろくなってきている。

 このぶんだとメディアに「安倍タブー」ができていく可能性がある。恐ろしいことだ。

2 コメント

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本当にそのとおりと思います (kazufumi55)
2007-04-29 03:20:40
はじめまして。絵本と子育てについてのブログを探していたら、たまたま通りがかりました。

私も、「言論によるテロだ」などと一国の首相が言ったときに、それこそ「言論へのテロ」だ、と思いました。仮にも民主主義の制度からなる一国の首相の発言として、諸外国に対して恥ずかしいとも思いました。

 民主主義が全うされている社会であれば、仮にある記事が真実とは異なる報道・表現であったとしても、それは言論の市場で淘汰されることで、更に真実が明らかにされていくはずのものです。私たち市民が全うな情報取捨能力を持っていれば、真偽を自分で判断するはずで、こんな情報はインチキだ、と思えば、虚偽の情報は真に受けるはずがないのです。自由な言論市場が確保さえされていれば、真偽が微妙な問題であれば、更に別の議論が出て、それがやりとりされる中で、真偽は明らかにされていくはずのものです。
 そうした言論の市場への信頼が、全くないどころか、それをこのような形で、じわりじわり圧力をかけていくやり方に、非常に嫌な感じを覚えています。

 ですので、こちらの「言論への圧力を繰り返す安倍首相」の記事を拝見して、よくぞ言ってくださいました、と思いました。特に、「絵本と児童文学」というタイトルからは、私のような子育て中の生活者が多く目にする機会がありそうなので、そうした一人ひとりの市民が、こうした問題意識を持つことを触発するきっかけになると思いました。

 長くなりまして申し訳ありませんでした。これからも読ませていただこうと思います。

 
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コメントありがとうございました (あきの)
2007-04-29 13:42:14
 わたしの意を汲んでいただいたコメント、ありがとうぎざいました。
 ブログを拝読しましたら、大学院と子育てと大変のご様子です。
 時々お訪ねしますのでよろしく。
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