本屋ウオッチをしていたら、4月創刊の『Latta・ラッタ』を見つけた。保育関係の市場が縮小傾向にあるのに創刊とは、という思いで手に取った。奥付の発行社が小学館なので、すぐ氷解した。やっぱり『幼児と保育』もか、という思いで表紙裏の「創刊のごあいさつ」を読んで複雑な気持ちでカウンターに向かって代金を払った。
『ラッタ』は、50年の歴史を誇る『幼児と保育』をリニュアールして創刊した、保育者向けの月刊誌なのである。
「新任保育者から3~4年目のフレッシュな保育者のかた向けに、よりビジュアルを充実させ、見やすく、わかりやすく、きめ細やかな紙面を・・・」と雑誌の性格を規定している。なるほど、園内表示、お誕生日表といった室内表示などのアイディアをビジアルにした記事がほとんどで、文章はわずかに「言葉かけ&語りかけ入門」8ページである。
もっとも別冊付録を『Atta・アッタ』として指導計画だけのものがセットになっている。これには9ページの文章記事があり、最初はマナーレッスンとして第一印象UP術の記事である。
『幼児と保育』は、小学校の学年別の「教育技術」という教員向けの雑誌と同じシリーズで、ある時期は小学館の看板商品であった。もっとも歴史があり、保育者向けの雑誌であるから、当然のことながら文章が中心であった。
保育雑誌の中で『保育とカリキュラム』などと並んで老舗として文字を主とした雑誌として奮闘していた。文章といってもとくに難しい論文などではなく、むしろハウ-ツーものが中心であった。ここ数年前からビジュアル化路線にきりかえたが立ち行かなくなったのだろう。
かなり前になるが学研の『幼児の指導』がやはりリニュアールして、文章記事の少ない、空き箱などを使った制作などのアイディアを中心にしたものになった。
皮肉なことに、早くからハウ‐ツーの内容をビジュアルに盛り込んで、理論とバランスを取って編集している『保育の友』が、今や最も文章の多い雑誌になってしまった。
保育者が文字を読まなくなった、あるいは文字を必要としないような保育が一般化しているのだろう。子どもの発達を軸にした実践がという発想の基盤そのものがなくなっているかもしれない。
大雑把に実感的に言えることは、80年代まで保育のキーワードだった発達という言葉の影が薄くなった。これは90年の『幼稚園教育要領』と『保育所保育指針』の改訂とかかわっている。キーワードは環境による保育であり、それと連動して保育雑誌もリニュアールして、内容も変えたのは確かである。
このような保育雑誌の状況は、保育そのものの変貌を意味しているので、歴史的に多面的に考察を加える必要がある。
わたしは就職して2年目に『幼児と保育』に保育のキーワードを事例で2ページ書くのを、2年間連載する機会を得たことがあった。4人のグループで討論し分担執筆した。その経験が、その後の仕事に影響をしたぐらい貴重な体験だった。編集者がすごい人だった。
その数年後に『幼児の指導』(学研)には、月ごとのに保育でポイントになる親との関係を中心にした記事を事例中心に、2ページ書いた。この2年間は、執筆が苦しかったが、楽しい仕事であった。
そんな体験に対する郷愁で雑誌の変化を見ているわけではない。今日ほど保育者の総合的な教養と理論的専門性の必要とされている時に、現場が文字を必要としない雑誌を求めていることに不思議さを感じるのである。
『ラッタ』は、50年の歴史を誇る『幼児と保育』をリニュアールして創刊した、保育者向けの月刊誌なのである。
「新任保育者から3~4年目のフレッシュな保育者のかた向けに、よりビジュアルを充実させ、見やすく、わかりやすく、きめ細やかな紙面を・・・」と雑誌の性格を規定している。なるほど、園内表示、お誕生日表といった室内表示などのアイディアをビジアルにした記事がほとんどで、文章はわずかに「言葉かけ&語りかけ入門」8ページである。
もっとも別冊付録を『Atta・アッタ』として指導計画だけのものがセットになっている。これには9ページの文章記事があり、最初はマナーレッスンとして第一印象UP術の記事である。
『幼児と保育』は、小学校の学年別の「教育技術」という教員向けの雑誌と同じシリーズで、ある時期は小学館の看板商品であった。もっとも歴史があり、保育者向けの雑誌であるから、当然のことながら文章が中心であった。
保育雑誌の中で『保育とカリキュラム』などと並んで老舗として文字を主とした雑誌として奮闘していた。文章といってもとくに難しい論文などではなく、むしろハウ-ツーものが中心であった。ここ数年前からビジュアル化路線にきりかえたが立ち行かなくなったのだろう。
かなり前になるが学研の『幼児の指導』がやはりリニュアールして、文章記事の少ない、空き箱などを使った制作などのアイディアを中心にしたものになった。
皮肉なことに、早くからハウ‐ツーの内容をビジュアルに盛り込んで、理論とバランスを取って編集している『保育の友』が、今や最も文章の多い雑誌になってしまった。
保育者が文字を読まなくなった、あるいは文字を必要としないような保育が一般化しているのだろう。子どもの発達を軸にした実践がという発想の基盤そのものがなくなっているかもしれない。
大雑把に実感的に言えることは、80年代まで保育のキーワードだった発達という言葉の影が薄くなった。これは90年の『幼稚園教育要領』と『保育所保育指針』の改訂とかかわっている。キーワードは環境による保育であり、それと連動して保育雑誌もリニュアールして、内容も変えたのは確かである。
このような保育雑誌の状況は、保育そのものの変貌を意味しているので、歴史的に多面的に考察を加える必要がある。
わたしは就職して2年目に『幼児と保育』に保育のキーワードを事例で2ページ書くのを、2年間連載する機会を得たことがあった。4人のグループで討論し分担執筆した。その経験が、その後の仕事に影響をしたぐらい貴重な体験だった。編集者がすごい人だった。
その数年後に『幼児の指導』(学研)には、月ごとのに保育でポイントになる親との関係を中心にした記事を事例中心に、2ページ書いた。この2年間は、執筆が苦しかったが、楽しい仕事であった。
そんな体験に対する郷愁で雑誌の変化を見ているわけではない。今日ほど保育者の総合的な教養と理論的専門性の必要とされている時に、現場が文字を必要としない雑誌を求めていることに不思議さを感じるのである。
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