週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#177 -’15. イルカ漁のガラパゴス化

2015年06月03日 22時37分55秒 | たわごと(少し硬派に振って)
心の変遷です。
以前の記事、シー・シェパードと今の心境です。
四年前と今の考え方では大きく変わった。
考えが変わる切っ掛けになったのが、南アフリカで出会った現地ガイドさん。
今は南アフリカに住んでいるがドイツの方です。
長い事日本に住んでいたので日本語で議論を交わすにも全く問題ありません。


観光地を巡る只の旅で有れば、そのような(イルカ漁)込み入った会話をする事もなかったと思う。
この時は、ネルソン・マンデラさんが収監されていた牢獄の有る島・ロベン島に行った帰りでした。

私達のツアーの日本人観光客も各自好きな所に座り、景色をながめています。
私は一人参加でしたから、ドイツ人の現地ガイドさんと話しながら景色を眺めていました。
その内、太地町のイルカ漁に話題が移った。

欧米人も沢山乗った船の中でのガイドさんと私の会話でした。
別に口角泡を飛ばす激論と言う事はありませんが、お互い考えをぶつけ合う話し合いであった事は勿論です。


因みにイルカとクジラの違いは、大きさだけだそうです。

議論の内容は次の通りだった。

彼の言いたかった事は、太地町で如何に残酷なイルカ漁が行われているかと言う事を切々を話された。
自然を大切にする日本に於いて、今でも調査捕鯨やイルカ漁が行われている事に憤りを覚えているようだった。

交通事故の抗弁で良く言われる、他の人も違反を行っているのに何で自分だけスピード違反で捕まえるのだと。
こんな意見は言いません。
即ち、クジラ(イルカ)は可愛くて牛や豚や羊や山羊は何で良いのかなどの論は一言も言っていないし、意味も無い論である。

日本の捕鯨(イルカも含む)は昔から行われ来ている伝統的な漁法である。
鯨油だけをとる為の捕鯨とは異なり、命を頂く事を神に感謝して遍く利用しつくしている。
動物は好むと好まざるに係らず、他の生命を頂く事で命をつないできている。
それは、植物であり時により動物である。
太地町の町立くじら博物館が有る通り、長い歴史が存在している。
イヌイットをはじめとする伝統漁法での捕鯨は世界的な社会通念で認められている。
しかるに、日本の捕鯨について何故に指弾されなければならないのか。
絶滅危惧種のクジラまで捕ると言っている訳ではない。
日本には長い歴史の中での鯨肉を食する文化がある。
と、言うような論旨で述べたが彼と妥協することはなかった。

この会話を打ち切る時に自分は次の様な事を言った。
積極的な捕鯨反対運動を日本で行う意志は無いが、機会が有れば捕鯨をしない日本になるべく努めましょう。


少し話題を変えて、子猫を生き埋めにした学校の先生のお話を。
動物を迫害死させる人はそれが進むと目標物は最後に人間に行きつく。

この学校の先生が述べた話では「田舎では猫を間引きしていた。」
もし、この話が本当なら幼い頃からそれが正当なことだとの事の刷り込みになる。
今の世の中に有ってペットたる猫を生き埋めにするなど鬼畜にも劣る所業と思うのだが。
時と地域により生き物に対する社会通念が異なるのかもしれない。
少しネットで調べたら、こんな事が載っていた。
日本国内での殺処分数は、犬は年間約5万頭、猫は約14万頭である(2011年度)。
犬は狂犬病予防法で殺処分されるのは知っていた。
しかし、猫が何の法律により殺処分の対象になっているのか?
可愛いペットを殺すなど考えられない社会常識の現在である。

本題に戻り、イルカ漁やクジラ漁を学問的に歴史的にいかに正当性を力説しても、世界には通用しない異端の理論なのである。
日本でのイルカを狩り、クジラを狩る行為は現代世界の先進国の社会通念とは乖離した非常識なのである。
どんな理論で訴えても、受け入れられる事の無い常識なのである。
動物愛護と変わる事の無い対象物に成ったイルカとクジラなのである。

日本は伝統漁法に則り、イルカを狩りクジラを狩らなくても生きていくことができるのである。
本当の意味での伝統漁法に従わなければ生きていけない一部のイヌイットとは訳が違うのである。
時と共に時代と共に過去に固執する事無く、世界常識から逸脱したガラパゴス化した観念を捨てる時に来ている。
対外的な圧力ではなく、自発的に捕鯨やイルカ漁を中止して世界から賞賛される日本でありたいものである。

日本社会が世界の常識から外れて、ガラパゴス化に陥らぬ事を切に願うものである。

後、十年もすれば日本でもイルカを狩り、クジラを狩っていた事が嘘のような時がきているはずである


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