Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

プランテーション v.6

2009-06-30 10:12:59 | ニューオリンズへの道
アメリカの映画などに出てくる南部地方の美しいプランテーションの風景。
ニューオリンズの町中だけでなく郊外も見てみたいと思っていた。

また旅先に一人で着いた翌日から、すぐに慣れない町を歩き始めるより、
とりあえずホテルのデスクで現地のツアーを申し込み、
バスに乗り、うたた寝でもしながら、未知の場所を観光する。
体力を消耗する乗り換えが必要な遠方の都市に行った時は、
こうやってウォームアップするのも悪くない。

着いたら、翌日のプランテーションに行くツアーを見つけて、
申し込むつもりだった。
それが、調べていく内に、どうも疑問に思えてきた。
プランテーションの華美な姿の影には
虐げられてきたアフリカからの奴隷達がいる。
豪華な邸宅から離れて敷地内には奴隷小屋が建っていたそうだ。
そういった物は取り払われて美しい部分だけ見せている現在。

私が前日、何をしていたかという話になって、
「プランテーションを何軒か見てきた。
どこもとっても綺麗だったよ。」では、済まされないだろう。
じゃあ、黙ってとぼけて行ってくればいいかというと、
私の性格ではどうもそういう事はできない。
そう考えているうちに行く気がなくなった。

街中とホテルでゆっくり過ごせば、
普段はバタバタしているんだから、充分じゃないかという気になる。

エリックベネイのファンクラブのメンバー、
今回の会合の出席者は約25名。
約23名がアフリカ系アメリカ人。
アラブ系フランス人が一人。
そしてアジア系が私一人。

普段はみんなとエリックを通して一つになっていて、
余り差を感じることはない。
先方も私に対してそう言ってくれているが、
アフリカ系アメリカ人、また先日フランス映画で
アラブ系フランス人の戦時中の苦労を綴る映画を見たが、
計り知れない苦難の歴史がある。

4年以上前からエリックベネイのファンクラブの人達と、
ネットやメールで親しくするようになり、
私のボキャブラリーから「黒人」という言葉は消えた。
自分が黄色い人と言われたら気分が悪いだろう。
自ら、アフリカ系の人が自分の事を語るのに、ブラックと言う表現は使っても、
他人種が使うのはとても失礼に思えるようになり、
いつのまにか使えなくなってしまった。

今のアメリカにおいて、○○人という表現も余り良くないようだ。
○○出身の人とか、○○の人々、そういう言い方が好まれる。
人の国籍について簡単に判断するべきではないという事だろうか。

追記
その後、2011~2012年にかけてのニューオリンズ再訪でプランテーションに
行ってきました。
2012年1/6のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20120106

ルームシェア v.5

2009-06-29 07:43:38 | ニューオリンズへの道
朝パソコンを開くとLとRからメッセージが来ていた。
二人は同じ部屋を取っているが、良かったらそこに一緒に泊まらないか、
という内容だった。

ありがたい申し出だと思った。
一人で違うホテルに泊まる事、料金が高くなる事、
心配してくれて心遣いしてくれているのが良く分かる。

若い頃だったら願ってもないお話。
しかし、この年になってメールではお馴染みでも
会った事のない人達と一緒に狭い部屋、
いわゆる雑魚寝。
そんな状況の中で眠れるか?
バスルームの順番や気苦労もあるだろうし。

ニューオリンズの町自体はそれほど危険ではないにしても、
フェスティバルの期間はどうなのだろうか。
地図で見るとみんなのホテルと私のホテル、1ブロックほど、
スーパードームから遠くなる。
「80ヤードってどれくらい?」と主人に尋ねると、
「俺ならピッチングかサンド、あなたなら9番アイアンの距離でしょ?」
なるほど。

友人に話すと、「ゴルフ場じゃないんだから、
例え短距離でも一人で夜中にホテルまで歩くより、
知らない人でも、一緒の部屋の人がいてくれた方がいいよ。
相手が一人より二人いて三人なら、なお気楽。
怖い思いをするより、眠れなくて疲れる方がずっといい。」

という事で、RとLに「良い事を提案してくれてありがとう。
私は早朝に発つので、二人を起こしてしまうのが、ちょっと心配。
それでも良ければ一緒の部屋にして貰おうかな?」

さてみんなの泊まるホテルは世界共通のビジネスっぽいホテル。
フェスティバルに掛からない最初の二日、
ツインのシングルユースならお部屋が空いている。
フェスティバル期間中、そこが取れずに
私が押さえたホテルは古色蒼然とした南部調。
最初の2泊から皆と同じホテルにする方が楽に決まっている。
でも、サザンテイストのホテルにもちょっと泊まってみたい。
「1ブロックでもスーツケース持って移動するより、
同じホテルに留まった方がいいに決まってるじゃない。
何考えているの?」と主人と友人に言われた。

ずっと前、スイスで4人部屋に一人で泊まった。
すごく気味が悪かった。
やはり2泊して、みんなのホテルに翌朝移動することにした。

「何かすることある?」とRに尋ねると、
「ただホテルに来てくれさえすればいいのよ。」

「それ、いいね! ありがとう。」
Rは、携帯の番号を書いてきた。
Lから、「こんな旅行をすることになるなんて、
凄いことになったわね!」と書き込みがあったので、
返事を書きかけていると、チャットが開く。

彼女は自分の名前に"想像力”と入れているので、
「まさにあなたのお陰でこの旅行が始まったわ!
ティーンエイジャーじゃあるまいし、
この年になってこういうパターンで旅するなんてって夫に言われた。
そして今回を逃したら、もうこんな機会ないかも、って。」

「確かにそうね。
でも私達、まだ若いわよ。
True Eric Benet Fans! 
すべてはエリックのせいね!」と返事。

彼女はパリを発ち、アムステルダムで乗り換えてヒューストン。
そしてニューオリンズ。
私と同じくらい、時間が掛かるようだ。

それにしても航空券は格安、ホテル代はルームシェアするから、
フェスティバル期間中、4泊でもかなり安くあがる。
コンサートチケットも自分で手配したので、実費のみ。
何より縁もゆかりもないニューオリンズの地に自分が向かう、
という思いもしない展開になった。

金子三勇士@シャネルネクサスホール6/27

2009-06-28 00:43:43 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士、銀座シャネルの3回目のコンサート。
今までは13:30からのマチネだったが、今日は、16:00からのソワレ。

ピアノの調律が開演寸前まで続いた。
今日は蒸し暑い一日。
ピアノの状態を急激な温度と湿度の変化に対応させようとしている、
その時はそんなふうに思ったが、今、振り返ってみると、
これは後半のサプライズに向けての入念な下準備をしていたのだった。

前半は短い曲にその都度、三勇士のMCが入る。

ショパン ワルツ第1番変ホ長調「華麗なる大円舞曲」作品18
ショパン 夜想曲第12番ト長調作品37-2
ショパン マズルカ第23番ニ長調作品33-2
ショパン 前奏曲第15番変ニ長調「雨だれ」作品28-15
ショパン 練習曲第5番変ト長調「黒鍵」作品10-5

休憩の際、周囲の知人達と「どれが良かった?」
などと会話をする。
マズルカも楽しげな雰囲気が彼に合っている、
「雨だれ」も季節感があって旬だ、
「黒鍵」迫力があった、夜想曲が好きなどの感想。

休憩後、金子三勇士、ジャケットを脱いで登場。
「このような服装で恐縮です。
次の曲の演奏が30分ほど掛かりますので。」
とのコメントに、会場がどよめく。

いったいどのような曲を聴かせてくれるのだろうか、と期待が膨らむ。
演奏が始まってみて、前半に弾いた曲は、
彼のウォーミングアップだったと知ることになる。

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調

フランツ・リストが作曲した唯一のピアノソナタ。
ロベルト・シューマンに捧げられた曲。
歴史上、この曲ほど賛否両論、論争を巻き起こした曲はないとさえ、
言われている曲に金子三勇士は手をつけた。

やさしく愛の言葉を囁いたかと思うと、冷たく突き放す。
本性を垣間見た次の瞬間、またしっかりとガードで固める。

ある時は激しく、そして密やかに、
人間的な姿を捉えたかと錯覚させ、
かと思うと悪魔のように恐ろしい様相で威嚇する。
その後、神聖で近寄りがたく形を変えていき、
甘美な調べから厳かな終焉へと導かれる。

30分とは思えぬ時間が、あっという間に過ぎた。

金子三勇士、とうとう本来の姿を現した。
"True to myself"、「僕はこういうふうに生きていく」
と意思表示、カードを切ってきた。
そして、思いっきり自分の胸の内を明らかにして、
観客に突きつけた。

聴いていて涙が。
ほんとうに美しいもの、真の芸術に今、自分が触れている。
金子三勇士が殻を破る瞬間に立ち会っている。

演奏終了後、拍手が鳴り止まない。
会場の人々も興奮と感動に包まれている。
三勇士も大きな賭けに出て、力を出し切り、
確かな手応えを感じ、満足している様子がわかる。

演奏後の金子三勇士はまだ曲の中にいた。
エリック・ベネイが彼に言った言葉、"Continued success!"
と告げると、"Yes!"と真顔で応えてくれ、
そして、ちょっとはにかんだ表情で笑顔を見せた。

金子三勇士@シャネルネクサスホール5/30
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20090531
クラシックピアニストMK
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20081120

ニューオリンズへGO! v.4

2009-06-27 08:55:28 | ニューオリンズへの道
とうとう決めた。
航空券は、1時間の乗り換えは心配なので、航空会社の時刻表から、
乗り継ぎ都市から1時間半後にニューオリンズに向かうフライトを選ぶ。

ホテルはルイジアナスーパードームに徒歩で行けて
ニューオリンズ中心部にも歩ける所。
ファンクラブメンバー達が泊まるホテルから1ブロックほどの距離。
その他、フレンチクォーター中心部や格安ホテルに泊まるメンバーもいる。

Essence Music Festival、
コンサートチケットの予約が思うように行かなかった。
何回か試みるがエラーになってしまう。
住所の入力の仕方を変えてみてようやくゲット!

ところが、チケット、合衆国、カナダの人は郵送、それ以外の国の人は、
受け取り場所が"At the venue box office"と書かれている。
「現地のオフィス」とは?
「ルイジアナスーパードームでいいのね、きっと。」と言うと、
夫が「それはないと思うよ。チケットぴあで予約しても、
セブンイレブンとかで引き出すじゃない。」なんて言いだした。
ニューオリンズのチケットマスターの支店にでも行くのかと心配になる。

ファンクラブの会長に分からない部分のセンテンスをコピぺして送信。
説明してもらう。
当日、会場で受け取れるとわかる。
しかし、間際に行くとかなりな混雑が予想されるから、
事前に早めに受け取るに越した事はないとアドバイスされた。

チケットマスターの説明にも、海外から予約した場合、
アメリカのイベント、開催日前は会場がクローズになっていて、
チケットの引き換えが出来ないのが一般的。
当日、早めに行くことを薦めてあった。

次に米国入国のためのESTA。
最初に見つけたHPでずっと質問事項を入力していたら、
何と$45の請求の画面が・・・
取り消しにして新たに公式のESTAのURLを調べる。
先程の偽者、ページのバック画面が本物と同じ。
これに引っかかった人ってお金払って、きちんと申請されるのか、
それとも空港に着いたら申請されていなくて飛行機に乗れない・・・
なんて事ありなのか?!
こんなのに引っ掛かりかけたオオボケは私だけ?
ともかく無事にESTA申請は完了。

ニューオリンズに行くのは、もちろんエリック・ベネイのショウを観たいし、
4年近い付き合いになるファンクラブの面々とも会いたい。
エリックベネイの最もコアなファン達と一緒にエリックのショウ、
そしてエッセンスミュージックフェスティバルを体感したい。

初めてのニューオリンズの街の雰囲気を味わいたいし、
郊外のプランテーションも見たい。
料理教室も参加したいけれど、この日程では難しそう。

いろいろと土地にまつわる歴史を調べてみると、南北戦争の激戦地であり、
綿花栽培のために多くのアフリカ人が奴隷として使われたこと、
ハリケーンカトリーナで大規模な被害を受けた地域だという事も知った。

Eric Benetのスタンディングの2ショウ、
蒸し暑くて、室内はクーラーがギンギンのニューオリンズ。
さあ、軟弱な私が強力なメンバーと一緒にどこまでサバイバルできるか。

他のメンバーたちの多くはダラス7/1→ヒューストン7/2→ニューオリンズ7/3~5。
ニューオリンズに7/2に着いて7/4に帰る人、
飛行機で夕方着き、7/3のショウを観て泊まらず翌朝帰る人。
皆、ほんとうにタフだ。
(つづく)

昨日、マイケル・ジャクソンが亡くなった。
初めて聴いたのは、ラジオから流れてきた「ベン」のテーマだったと思う。
こんな綺麗な声の少年がいるのかと思った。
そこから遡り、"ABC"や"I Want You Back"を知ったように記憶している。

1983年のモータウン25周年の映像が印象深い。
出演にはいろいろな確執があったと聞いている。
「スリラー」のプロモーションビデオ、未だに色褪せることのない作品。
2005年にハリケーンカトリーナのチャリティーシングルを制作したが、
未発売のままになっているそうだ。

電車の中で隣の席の女子高生達が、「まだ若いのに。」と声を顰めていた。
こんな若い世代にも惜しまれているとは。
50才、短かったとも言えるし、充分に生きたとも。
facebook、myspace、皆、追悼の書き込みをしている。

エッセンスへの道 v.3

2009-06-26 09:34:56 | ニューオリンズへの道
エッセンスミュージックフェスティバル、
コンサートチケットの手配を試してみる。
一番安い席が$51、まだ空きはある。
アメリカ国内の人、カナダの人、その他の国、
と買い方が違う。

ファンクラブのメンバーが泊まるホテルの近くに二つ、
空室のあるホテルをみつけた。
一つは安め、もう一つはちょっと高めだが、値段が上がるのは、
7/3,4,5の3日間。
フェスティバル前後に連泊した場合の一日分を計算すると、
納得できない値段ではない。

空港からの足。
そのホテルを利用した他州の人のコメントを読む。
リムジンバスもあるが、フェスティバル中は待ち時間が長いので、
タクシーも$30位だから、そちらを利用した方が良いと。

ホテルからスーパードームまでは1キロ弱。
近くのホテルの皆とロビーで落ち合い、歩いていく事ができる。

フレンチクォーター、バーボンストリートなどの繁華街。
こちらもホテルから歩ける距離のようだ。

格安航空券で乗り換え時間に1時間しか取っていない物がある。
1時間・・・行きの飛行機が少しでも遅れたら、かなり焦る。
一方、乗換えで行きに5時間近く乗り継ぎで待つ物もある。

インターネットでいろいろ調べていたら、
エリックベネイファンクラブの会長から催促メールが来た。
「どうするの? 来るの、来ないの?
まだ返事、貰ってないわよねぇ?」

「ずっといろいろ調べていたのよ。
そしてヒューストンはあきらめた。ややこしくなるから。
行くならニューオリンズだけにする。
みんなの泊まるホテルはもう満室なので、
近くのホテルを検討している。
後は航空券とコンサートチケット。
全部の金額を出してみてリーズナブルだと思えたら、
数日中に決める。
そしたらすぐ知らせるからね。

今回、みんなは1月末から準備をしていた。
だからちょっと出遅れたかもしれない。
でも、もし今回行かれなかったら、次のファンクラブの集いは、
絶対に行くからね!」とメール。

「OK、手配がうまくいって来られるといいわね。」と返事が来た。

ヒューストンではエリック・ベネイ、ボーイズⅡメンとのコンサート。
終わった後、楽屋で皆と会う時間を空けてある。
しかしニューオリンズのEssence Music Festivalではラウンジで1人で2ショウをして、
翌日はメンフィスでのショウがあるエリック。
ファンクラブの集いに出席できるか約束はできないそうだ。
エリックに会えなくても、ここ4年余り文通ならぬネットやメールで、
親睦を深めてきたファンクラブのみんなが一同に会する7/3、
このチャンスを逃したら彼女達と今後会うことはないかもしれない。
(つづく)

Do you know the way to New Orleans? v.2

2009-06-25 20:58:51 | ニューオリンズへの道
航空券を調べる。
とんでもない遠回りで2回乗り換えもさせる格安チケットもあるが、
まだアトランタ、ダラス、ヒューストン乗換えがある。
待ち時間が長過ぎるのも辛いが、短すぎて焦るのも困る。
行った事のない空港だと乗り換えに取る時間の目安が把握できない。
行きの飛行機が遅れたり、キャンセルになったりすると、
乗り継ぎ便を逃すことになるので慌てる。荷物が付いてこない事もある。
だから、乗り換えは苦手だ。

ホテルを調べる。
教えてもらったホテルはミュージックフェスティバル中は満室。
その他のホテルを見ると、なんとこの期間、スーパードーム近辺のホテル、
例えば普段1泊¥5000位の部屋が¥15000に。

ファンクラブのメンバーが押さえていたホテルは、
中の上クラスのホテルだった。
もっと安い所に泊まるのかと思ったので、意外。
会長が合宿所に中程度のホテルを選んだのは安心と
スーパードームへ至近距離を買ったのかと思う。

とにかく近くのミドルクラスのホテルは空いていない。
そして高級ホテルと格安ホテルが空いている。
また値段についてもフェスティバルに向けての早割り期間
存在したらしいがもう終わっている。

スーパードームのすぐ前にハイアットがある。
ニューオリンズ中心部へはシャトルバスも運行しているとある。
願ってもない条件と思ったら、改装中で再オープンは今年の9月。

始めたばかりのfacebook、myspaceと違って勝手が分からない。
いじっているうちに思わず、
「ニューオリンズのエッセンスに行きたいけれど、不可能にも思える。
難しすぎるし、また今からじゃ遅すぎるようだし。」と書き込んでしまう。

その後、見るとファンクラブメンバーたちからのレスが付いていた。
「おいで!」
「待っているよ!」
「会いたいね!」
「実現したら、ほんとうに素敵!」
(つづく)

ニューオリンズへ v.1

2009-06-24 23:16:27 | ニューオリンズへの道
ゴールデンウィークも終わりに近づいた頃、
フランスのエリックベネイファン、Lから突然メッセージが来た。
「思い切って初めてのアメリカへの旅を決断した。
ヒューストンでエリック・ベネイのライブを観て、ニューオリンズへ移動、
3日間、エッセンスミュージックフェスティバルを観て、
Eric Benetファンクラブの集いに出る。
そしてその後、友人に会うためニューヨークへと向かう。
あなたにも会えるといいんだけれど。」

つい先日まで体調を崩していると言っていたので心配していたが、
さすがバカンスにはアフリカやアジアに足を伸ばすフランス人。
旅慣れている。

「私も行ってみたいと思ったけれど、航空券、ホテルの予約、
Essence Music Festivalのコンサートの予約、ホテルとコンサート会場への移動の足、
夫は行って来いと言ってくれたけれど、一つ一つの準備のたいへんさと
人から危険だと言われ、あきらめたのよ。」とメール。

「一人旅は勇気がいるけれど、夫や親友に励まされて、
人生は短いからチャンスを逃してはいけないと思って。」と返事が来た。
う~ん、フランスぽい決め台詞。

彼女はコンサートのチケットと航空券は自分で予約して、
後は現地の親しい人に手配を頼み、いっしょに行動するという。
「あなたもアメリカのファンクラブの会長とか他のメンバーに、
相談すれば良かったのに。」と言われた。

確かにそうなんだけれど、相談したらひっこみがつかなくなるし、
自分の力である程度段取りをつけてからと思っていた。
とりあえず、会長に「Lが行くんだってね。
私も行こうと思って調べたけれど、手配や移動のたいへんさ、
土地に不慣れであきらめていた。
やっぱり行きたいなぁ。」と連絡する。

「ワォ!ほんとに?!来ればいいじゃない?
でも心配なのはヒューストン、皆と同じ席がもう取れなくて、
一人だけ離れてしまうから。
皆で7/1はダラス、そして7/2はヒューストン。
7/3、ヒューストンのライブの翌日、朝の飛行機でニューオリンズへ移動するわ。
ニューオリンズはだいじょうぶよ。
まだチケット売っているし、エリックのショウはラウンジで立ち見で座席関係ないし。
ドームは同じセクションの席はもう取れないけれども、
5箇所の会場の出たり入ったり自由のコンサート、
私達の席の近くにきっと空席があると思うから、そこに座ればいいと思う。
私達の泊まるホテルはH。同じホテルが取れればねぇ。
そこならスーパードームに歩いていけるから。
何でも相談して。」と返事を貰った。

日本の感覚で、ライブハウスに一人で行くよりも着席のヒューストンのアリーナ、
気軽かと思っていたところ、以前に、このブログでも書いたが、
「日本の女が一人で南部地方都市のR&Bコンサートに行くならお洒落はするな。
肌どころか顔も隠すぐらいにして出口に近い目立たない末席を取れ。」
とまで言われてしまった。
会長もその事を気にしているとわかった。
ドームでも私だけ離れた席になることを心配してくれている。
(つづく)

エレファントム

2009-06-23 09:29:40 | Weblog
昨日は雨が降ったり止んだり。
新宿駅まではJR、その後は地下鉄大江戸線に乗ったので、
外の様子は見えない。
大江戸線の騒音はかなりうるさい。
築地市場駅で降りて、地上に上るとほっとする。

曇ってはいるものの大きな空が開けている。
その瞬間、私のiPod、Eric Benet"Over The Rainbow"
がかかった。

iPodを聴いていると、こういう瞬間ってありませんか?
最も相応しいタイミングで、その曲がかかる。
しばし聴き入ってしまい、行く方向を間違えました。

訪ねた相手はロハスマガジン「ソトコト」ファウンダーの小黒一三さん。
「ブルータス」の編集者時代から度々アフリカを訪問し、
とうとうケニアにムパタクラブというホテルも建ててしまった。
同席した青山学院大学教授、分子生物学者の福岡伸一先生から
明後日発売される新刊書、「エレファントム」をサイン入りで頂きました。

「エレファントム・フグス」―「捉えがたい幻の象、
この世には幻の象がいて、有り得ないようなことを、
とてもひっそりとおこなっている」
昨年亡くなったライアル・ワトソン博士の最後のメッセージ。
これから、楽しみに読ませて頂きます。

「虹の彼方」を聴きながら、訪ねた先で、
アフリカの幻の象の物語を知ることになる。

7/5にトークイベントあり

第56回 紀伊國屋サザンセミナー
ライアル・ワトソン著『エレファントム』刊行記念トークセッション
福岡伸一氏(分子生物学者)×斎藤 環氏(精神科医)
[ナビゲーター:小黒一三(ソトコト編集長)]

科学と非科学のあいだ〜ライアル・ワトソンとは何者だったのか〜

7月5日(日)14時開演(13時半開場)
紀伊國屋サザンシアター(紀伊國屋書店新宿南店7F)
料金1,000円
電話予約・問い合わせ 03-5361-3321

Essence Music Festival

2009-06-22 09:07:38 | Weblog
http://www.essencemusicfestival.com/
7/3~5にルイジアナ州ニューオリンズで開かれる
エッセンスミュージックフェスティバル。
今年は15周年。
ハリケーンカトリーナのあった2005年のみテキサス州ヒューストンで開催された。
開始時間が当初の予定時刻のpm7:30から7:00と早まった。
エリック・ベネイの出番は、pm9:45~10:45,  pm11:15~am12:15
場所はCoca-Cola Super launge

ということは、7/3、スーパードームでビヨンセ、ジョン・レジェンド、ニーヨ
などを観た後、ラウンジでエリックベネイの2ショウの体験可。

nkmrakikoさん、そしてエッセンスに行かれる方、
スーパードームでのライブが終了したら、
速やかにスーパーラウンジへとご移動下さい!(笑)

しかし夜7時から始まり、12時過ぎまでのコンサートとは。
5月始めのジャズフェスティバルは午後一番に始まるのに対し、
エッセンス、R&Bのフェスティバルは夜通し盛り上がりそうだ。

この時期のニューオリンズは湿度も気温も高いようだが、
スーパードームとラウンジはエアコンが日本の人には、
寒いくらい効いているらしいです。
冷房対策をして、ライブ鑑賞に臨みましょう。

ルイジアナスーパードームで7/3~5に開かれる
Essence Music Festival、
今年は素晴らしいラインアップだ。

大箱で座席指定のメインステージが1つ、
小振りでスタンディングのスーパーラウンジが4つ。
メインステージのチケットの座席を押さえるスタイルだが、
スーパーラウンジはそのチケットで4回出入りできる。

エリック・ベネイはラウンジに出演する。

さあ、どの会場のどのアーティストを選ぶか。


7月3日(金)
Main stage:
Beyonce, John Legend, Ne-Yo, Salt N Pepa, DJ Soul Sister

Superlounges:
Eric Benet, Sharon Jones & the Dap Kings, Solange,
Sierra Leone Refugee All Stars,
Keri Hilson, Marva Wright, Big Sam's Funky Nation,
Preservation Hall Jazz Band Revue,
Dwele, DJ Captain Charles, DJ Jubilee,
DJ Dynamite Dave Soul and DJ EF Cuttin.

7月4日(土)
Main stage:
Maxwell, Anita Baker, Robin Thicke, Charlie Wilson,
Jazmine Sullivan, DJ Soul Sister

Superlounges:
Ledisi, Janelle Monae, Zap Mama, Irvin Mayfield,
Dan Dyer, Little Freddie King,
DJ Captain Charles, DJ Jubilee,
DJ Dynamite Dave Soul and DJ EF Cuttin.

7月5日(日)
Main stage:
Maze featuring Frankie Beverly, Lionel Richie, Al Green,
Teena Marie, En Vogue, DJ Soul Sister

Superlounges:
Raphael Saadiq, Lalah Hathaway, Melanie Fiona, Ryan Leslie,
Blind Boys of Alabama, The Knux,
Trombone Shorty and Orleans Ave All Stars,
Rebirth Brass Band, DJ Captain Charles, DJ Jubilee,
DJ Dynamite Dave Soul and DJ EF Cuttin.

虹の彼方に

2009-06-21 02:02:22 | エリック・ベネイ、アルバム外の曲
5/29に発売されたJimmy Sommersのアルバム、"Time Stands Still"
2曲目の"Over The Rainbow"をエリック・ベネイが歌っていると、
True Eric Benet Fans のサイトに投稿があった。
試聴することができる。
日本のアマゾン、HMVでもこのアルバム売られている。

この曲のオリジナルは映画「オズの魔法使い」でジュディー・ガーランドが、
歌ったのが、最初かな?
確か竜巻で家ごと飛ばされてしまったドロシーが、
不思議な仲間とともに家族のもとへと旅していく、
そんな映画だったような。

「虹の彼方には、雲や雨が晴れ、
青い鳥のいる場所がある」
美しい言葉が散りばめられている。

スタンダードなナンバーとして親しまれている曲。
エリックベネイ、歌詞とメロディーを愛おしみながら、
シンプルな曲をエリックならではの歌に仕上げている。

しばらくはジャズ・ミュージシャンとの共演はないとのことだが、
こういう曲をエリックが歌うのを聴くのは新鮮だ。
http://www.amazon.com/gp/product/B002AB1H72/ref=pd_krex_dmusic_t

上記のサイトから購入しようとしたら、どうしてもZip codeで詰まる。
日本のiTunesで検索したら出てきたので早速購入。

エリック・ベネイの"Over The Rainbow"
ゆったりと優しくロマンティックだ。

エリックベネイ「愛に包まれて」

2009-06-19 18:58:28 | エリック・ベネイ関連インタビュー
Eric Benet
Wrapped Around Love
By Ruth Adkins Robinson
Cover Story BRE magazine Com.
昨年のエリック・ベネイのインタビュー記事で訳していなかった物を見つけた。
エリックベネイと彼の現在、そして音楽について的確に書かれている。

エリック・ベネイ「愛に包まれて」
(”Wrapped Around Love”とは、
「チョコレートレッグ」の歌詞をもじったタイトル)

スポーツタイプの乗用車がLAの渋滞とカーブを過ぎた辺りで急に止まった。
中から降りてきたのは、コメディアンでソングライターのTommy Davidson。
彼は道を歩いている一人の男をめがけて駆け寄る。
「エリック、ホールドアップ!」(笑)
Eric Benetはデビッドソンのハイテンションに驚きながらも、笑顔で見つめる。
急に真剣な表情になったデビッドソン、
「運転しながら、エリックのニューシングル、
”You’re The Only One”を聴いていたところだったんだ。
君を見つけて、どうしてもこのアルバムの発売が楽しみだって
言いたくなってしまってね。
世間の人は、エリックがどれだけ才能があってディープかわかっているのかなぁ。
早く、アルバム全体を聴いてみたいよ。」
しばらく立ち話をした後、デビッドソンは車へと戻っていった。

エリック・ベネイ、感情豊かで新感覚、経験と才能に溢れるアーティスト、
それを知る多くのファンたちが彼についてきている。

通りを歩いていても、建設中の現場にいようが、エリックの外見は人目を惹くだろう。
もちろん、いつも感じが良くて、笑顔を返してくれる。
しかし、この男はただのハンサムで、きれいな声で歌うだけの歌手ではない。
最先端で芸術的なR&B、アーバンソウルなアーティストだ。

R&Bの多面的な要素が散りばめられた彼の新しいCD、”Love&Life”
これはエリック・ベネイにとって究極のテーマを追求したアルバム。
全体を聴いても、あるいは1曲を聴いたとしても、彼が人生のどこを旅しているか、
知る事ができるだろう。
愛と優しさに満ちたアルバムだ。

しかし、彼の人生において愛と音楽は、決していつも甘く優しくはなかった。

最初はホームタウンのミルウォーキーから始まる。
警察官だった父は、クラシックが好きで子供達も皆、音楽好きに育った。
エリックベネイはスティービー・ワンダー、アル・グリーン、スライ・ストーン、
マービン・ゲイなどにのめり込む。
母はいつも家で歌っていた。
エリックも教会のコーラスで歌い、学校のミュージカルで演じる。
姉と従兄弟と組んでBenetという名のグループでアルバムを出したが、
あまり高い評価を受けることなく終わった。

その後、ソロシンガーとしてデビューアルバム、”True To Myself”を1996年に、
1999年に”A Day In The Life”が発売され、
最初のシングル、ToToをカバーした”Georgy Porgy”は、
ラジオでヒットし、そして2枚目のシングル、タミアとのデュエット
”Spend My Life With You”は、ヒットチャートに上り、R&Bナンバー1ヒットソングになる。
“A Day In The Life”は、ソウルトレインミュージックでベストR&B男性ソウルアルバム、
2000年度のグラミーにデュオグループとしてノミネートされた。
この後、エリックはEW&Fの30周年記念アルバムの製作に加わり、
子供の頃からファンだったアースと夢の共演を果たす。

5年後の「ハリケーン」は、エリックの新境地を開いた。
同時に彼の人間性の奥深い部分に踏み込んだ作品となった。
その時、エリックは長く辛い道のりの新たな段階に入っていた。
「そこに至るまでの間、いろいろな経験をした。
希望と絶望。 怒りと後悔。
このアルバムで限界まで挑戦し、とうとう自分を超越する域に達した。
辛い時にいかに自分自身の尊厳を見出し、どうやってそこから抜け出すかという
人としてのあり方、とも言える作品となった。」

エリックはこのアルバムでグラミー常連のプロデューサー、デビッド・フォスターと組む。
この事がきっかけでエリック・ベネイは2008年に行われたデビッドのコンサート、
”David Foster&Friends”に参加、多くのスター達と共にステージに立った。
コンサート中、デビッドは、客席に紛れていたエリックをステージに呼び寄せ、
まだ発売前だったアルバム、”Love&Life”から、”Chocolate Legs”を歌わせた。
デビッドはエリックが歌い終わった後も、観客たちにこの歌をコーラスさせる。
“Wrap Your Chocolate legs Around me”
「疲れきって帰ってきた男を女がただ愛で包むだけで、癒しのパワーになる」
という歌詞。
観客に喜んで受け入れられたことにエリック自身、驚きを隠せなかった。
そして「チョコレートレッグ」はチョコレート色の足を持つ女性ばかりか、
すべての人に歌われ愛される曲だと確信する。
「チョコレッグ」はエリックにとって彼の人生に立ち込めていた暗雲を振り払う曲となる。

“Love&Life”で、Eric Benetは、人生のいろいろな一コマ、
そしてその時々で沸いてくる感情について歌っている。
ある時は直感的な、また感情的、そして肉体的な反応。
それはいつもエリックにとって自分自身の人生の真実を描いたものだった。
今、彼は幸せそうだ。リラックスして、周囲に理解して欲しいと示唆している。
つまり、”Love&Life”は、彼の自信と幸せな人生へのアプローチ。
「このアルバムから受ける印象とエネルギー、この旅は僕のだけれど、
皆も自分へと反映させることができるでしょう?」
このアルバムでエリックは長年のパートナーだったGeorge Nash、
Demonteと再び組んだ。

最初のシングル、”You’re The Only One”は、熱狂的に受け入れられ、
現在において、かつて「愛」と呼ばれたものが存在するかどうかを問う。
そして今の時代のLoveについて描かれている。
“iminluvwichoo”では、ハンガリーのシンガー、リンダ・キラリーとの
エネルギー溢れるダンスデュエット。
「この曲は80年代のグルーヴ、愛をエンジョイする曲。
“Don’t Let Go”は、90年代のR&B風。
これは、恋人たちが愛し合い続けて困難を克服することの美しさを歌っている。」
エリックベネイらしいセクシーな曲、”The Hunger”
そして”Spanish Fly”
このタイトルは誤解されるかもしれないが、薬物ではなくて、
ラテン風の愛し合い方について語っている曲。

エリック・ベネイの人生には誕生と死、失敗と成功があった。

Eric Benetについて語る時、忘れてはならないのは、
1992年に彼とTami Stauffとの間に生まれた娘India。
95年にタミは突然、バイクの事故で亡くなり、エリックはシングルファザーになる。

エリック・ベネイ、インディアが生まれて父親としての喜びに満たされた瞬間を
”One More Tomorrow”で歌っている。
「もし明日、一日しか自分が生きられないとしたら、
その日はインディアと一緒に過ごしたい」
エリックはインディアのおかげで自分は強くなる事ができた、
「今までシングルファザーとしてインディアのためと思ってしてきたけれど、
もし彼女がいなかったら、どちらかを選らばなければならない分かれ道で、
間違った選択をする事になったと思う」
未だにインディアを通して多くを学んでいると。
「様々な事を二人で経験してきて、そのことでお互いの絆が深くなった。
この曲は彼女に捧げたものでインディアへの愛と
彼女のこれからの将来へのリスペクトを表している。」
そのインディアも最近は歌手として力を付けてきた。
エリックのバックコーラスとしてもNewアルバムで参加している。

役者としての経験も積んだエリック、今は脚本作りにも乗り出している。
“Chocolate Legs”の歌詞をかりてあえて言うならば、
今、エリックベネイは愛に包まれている。
http://www.scribd.com/doc/13723699/Eric-Benet-Wrapped-Around-Love

エリオット・ヤミン@ビルボード東京1st-6/17

2009-06-18 18:58:53 | その他のライブ
ビルボード東京に行くのは、2月のエリック・ベネイ4日間以来。
あれから4ヶ月、時間の経つのは早く、行くまでの道中、
自分の身に起きたいろいろな出来事を振り返る。

ビルボード東京、車で行くと地下の駐車場からエレベーターですぐ入り口。
続けていく時はありがたいと思ったが、久々だと何かあっけない。
帰りはわざわざ遠回りをしてエスカレーターでミッドタウンの雰囲気を味わいつつ戻る。

出演者のお世話係、ローレンスが私達を覚えていてくれて、出迎えてくれた。
ローレンスは、アーティストを護りつつ、観客にも絶えず気を配っている。

今回予約した席はデラックスカウンターL。
2/19日、20日のセカンドショウ、エリックベネイがここに上がったと聞いていた。
席に座ってみて、立ち上がり、カウンターの下を覗く。
ここに上って歩いたとは!
かなりな高さと狭さ。
エリックは高所恐怖症のはずなのに。
やっぱりEric Benet、ショウの演出となると手が抜けない性格だ。

エリオット・ヤミン、アメリカンアイドル・シーズン5で応援していた。
スティービー・ワンダーがコーチに登場した時、感極まって涙ぐんだ姿。
ダニー・ハサウェイの曲を歌う時はバックコーラスで歌っているダニーの娘、
ケニアを番組で皆に紹介してあげていた。
いつもエリオットを客席で応援し、そしてパレードでも同席していたお母さん、
残念ながら他界されたそうだ。
フィナーレのデュエットでは、メアリー・J・ブライジと組んで、
全く手加減なしのメアリーに振り回わされる。
持病に糖尿病がある他、片耳の聴力も10代で失い、
ハンディーキャップのある中、健闘していた。

ほぼ満席の室内、あきらかにEric Benetの時と客層が異なる。
私よりも若い人ばかりか、一回り近く上と思われる方達も多い。
エリオットはデビューして4年弱のはず。
どうやってこれだけ幅広いファンを獲得できたのだろうか。

キーボード2、ギター、ベース、ドラムス、
そしてバックコーラスにアメリカンアイドルシーズン6(たぶん)
のスウェイを発見。

1stアルバム、2ndアルバムからの曲を取り混ぜて演奏。
よくある事だが、テレビで観るより、ずっと小柄でスリムだ。
「ワンワード」では、みんなで1のサインを送る。
歌い踊り続けて、エリオットヤミン、みるみる汗だくに。
用意されたコーナーテーブルのお水、飲みつくしてしまう。

エリックベネイがライブでお水を飲んだところ、一度も見た事がない。
パームスプリングスの屋外のライブでさえ、
ペットボトルを開け掛けて、やめて下に置いてしまった。

Elliott Yamin「今日、ぼくのために時間を作ってくれて、
ここまで来てくれて、ほんとうにありがとう。
日本、そしてみんな、大好きだよ!」
客席から、「あなたのお母さんのこともね!」と声が掛かる。

レーベルやその日、エリオットにお花をプレゼントした最前列の女性、
ビルボードのスタッフ、ローレンスに感謝の言葉。
ローレンスが登場すると、「彼が全部、僕の面倒を見てくれてるんだよ。」

エリオット・ヤミンは、頑張っていた。
初心を忘れず、走り続けていた。
myspaceを見ると、昨年の来日時の写真がたくさんある。
遠い日本まで来て、あちこちで受けた歓迎に感動した様子がわかる。

でも、今回、東京4日、大阪2日、福岡1日。
こんなに飛ばして1日2ショウで、だいじょうぶなのかなぁとちょっと心配になった。


Touching Again-Better&Better

2009-06-17 21:29:15 | エリック・ベネイ未発売の曲
エリック・ベネイが2002年に完成させたが、
発売されることはなかったアルバム、"Better&Better"
その中の曲、"Touching Again"

ライブの後、ファンの一人Leathaがエリックに
この曲を歌って欲しいと頼む。

「ショウの後に歌えって言うの?
それってあんまりじゃない?」
と言いつつも、用意しておいた歌詞カードを渡し、
音源をオンにすると、エリックベネイ、歌ってくれて、
おまけにもう一度、やり直してくれる。

Leathaに「よくぞ、頼んでくれた!」とメッセージを送ると、
「Ericは、とても疲れているのがわかったので、
私も悪いなぁと思って、言い出すのに迷ったのよ。
でも、歌いだしたら、やっぱり、彼って凄いわねぇ。」
と返事がきた。

どんなに疲れていても歌い始めれば、本気になる。
それがEric Benet!

Q&A w/ EB pt. 2



アメリカンアイドル・シーズン8 グランドフィナーレ

2009-06-16 20:04:34 | アメリカンアイドル
またしても、やってしまった。
放映の数日前にインターネットで「クリス優勝!」
のタイトルを見つけてしまう。
番組、2回分を観る楽しみが半減。
来年は日米同時放映になるようFOXジャパンの社長、
よろしくお願いします!

決勝は一人3曲。
1.今シーズン自分の歌ったベスト1
2. 番組制作者サイモン・フラーの選んだ曲
3. 番組審査員カーラ・ディオガルディが制作した曲

アダム・ランバートは、1曲目は"Mad World"
スモークの立ち込める薄暗い中でロングコート姿。
「この瞬間を堪能してね。」とポーラ。
この言葉、的を得ている。
アダムもクリスも二日間、アメリカで最も注目される瞬間。
緊張やプレッシャーに負けずに楽しんで欲しいと思った。

クリス・アレンは、"Ain't No Sunshine"
確か、前回はキーボードに弦楽四重奏。
今回はピアノでオーケストラ。
初回はクリスの存在をアピールしたこの曲。
2回目はマジックが薄れてしまった。

2曲目のアダムはサム・クックの"A Change Is Gona Come"
とても似合っている。アダムの歌唱力が引き立つ。
高音で圧倒させつつ、曲のスピリットも伝える。

クリスはマービン・ゲイの"What's Going On"
これはちょっと許せない。
いじってアレンジして、曲の魂を抜いて、お気軽にまとめた。
思い入れがある曲だけに納得できない。

3曲目はこの番組の決勝のためにカーラが制作した"No Bandaries"
二人とも同じ曲、そしてこれは二人のデビュー曲になる。
ベルリンの壁崩壊20周年の今年に相応しい曲。
この歌、難しいのか二人とも音程を外している。
アダムはいつも自然体、"True To Yourself"と評される。
クリスは人を惹きつける才能がある。

フィナーレは、トップ13の"So What"で始まった。

デビッド・クック、"Permanent"
歌詞の意味は理解できなかったが、ぐっとくるものがある。
歌い終わったクックを涙目のライアンがハグ。
癌で亡くなった兄に捧げた歌で、ダウンロード益は癌基金に寄付されるそうだ。

クイーン・ラティファとトップ6のリルで、"You're The Rain"
散々な出来栄え。 後でクィーンはリルに喝を入れてるのでは?

ジェイソン・ムラースとトップ13。

クリスはカントリーのキース・アーバンと"Kiss A Girl"
二人でギターを弾きながらのパーフォーマンス。
クリスは楽器を手にしてのデュエット、相手に合わせながら、
自分の味も出す。
この二人のコンビネーション、とても良かった。

クリス、アダム、ダニーに共通して言える事だが、デュエットが映える。
相手を引き立てつつ、自分も積極的に攻めることで、実力が発揮できる。

ファギーとブラックアイドピーズ。
初めてファギーを観たのは、一昨年、埼玉アリーナ。
メアリー・J・ブライジとキャロル・キングのジョイントコンサート。
声量、音域の広さ、スタイリッシュなステージを見せてくれた。

トップ4のアリソンとシンディー・ローパーで、"Time After Time"

トップ3のダニー・ゴーキーが"Hello"を歌いだすと、
ライオネル・リッチーが登場。
ダニーを励まして、華を持たせながらのデュエット。
さすが大物は違う。
ダニーもすごく嬉しそう。
"All Night Long"
客席のルーベンも一緒に歌っている。

アダムは炎とスモークとともに、
キッスがバックアップ。
アダムはキッスに完璧に溶け込んでいる。

そしてカルロス・サンタナ。「ブラックマジックウーマン」
トップ5のマットの歌に始まる。

コメディアンで俳優のスティーブ・マーティン、
シーズン5ではコーチで登場したロッド・スチュワート。

最後は、クリスとアダムの二人で、クイーンと"We're The Champion"
こういう歌はアダムの持ち歌だが、クリスもしっかり自分の魅力をアピール。
「みんな、ありがとう
二人は世界のチャンピオン
そしてこれからもチャレンジは続く」

結果発表の後、クリスが一人で、"No Bandaries"
「信念や愛のためなら、高い山もハリケーンも乗り越えられる
道は険しいけれど、限界なんてない
みんなが助けてくれるし、可能性は広がっていく
どんな困難も乗り越えられる」

優勝の時も終わった後のインタビューでも、
クリスは「アダムの方が相応しい。」と言っている。
ダニー「この経験を通して自分は変れた。
その事と感謝の気持ちをみんなに伝えたいんだ。」

クリスは好感度が高く、アダムの歌もダントツだ。
個人的にはダニー・ゴーキーのファン。
ジャンルもクリスがポップスならアダムはロック、
ダニーはR&Bが似合う。

数ヶ月前は無名だった若者達。
この番組を通してスターの階段を登り詰めた。
重圧に耐えて頑張ってきた彼らにトップクラスのアーティスト達が、
リスペクトをはらっているのがわかる。
これからも今の気持ちを失わずに歌い続けて欲しい。

菊池 武@レッドペッパー

2009-06-15 00:02:20 | その他のライブ
画像はイタリアの教会に入った途端、光を浴びたEric Benet

我社で学生アルバイトをしていた菊池武。
結婚式にも招待してくれて、確か目黒ブルースアレイだったと思うが、
若手のジャズミュージシャンが集まり、飛び入りありで、
いつのまにかセッションに、ビッグバンドの演奏会と化した。

振袖姿の可愛いお嫁さんも楽器を手に加わる。
お父様が「マイウェイ」を替え歌にして、
「息子よ、自分の選んだジャズの道を貫いてくれ。」と歌われた。
ご家族や友達の祝福が込められた心温まるウェディングだった。

その後、なかなか会う機会もないまま、
ディズニーシーのシアターでテナーサックスを吹く菊池の姿を発見。
ショウの後、スタッフに連絡を取って欲しいと伝えたが、
ディズニーリゾートでは、いっさい取り次ぎは禁止とのことだった。
ブルーノートやビルボードでエリック・ベネイには会えて、
ディズニーで知り合いに会えないなんて!

今月始め、ライブの案内状が来た。
葉書に菊池本人のプロフィールページが記載。
http://tokyo.cool.ne.jp/tkbari/
読んでみて、こんな思いをしていたのかと驚く。
菊池が学生時代に出演したコンテストは毎年、観てきたつもりだが、
ある年、審査員だったアーティストから批判され、
その後、部活も音楽も一時、退いたと書いてある。
そして、最近その方と競演することがあり、長年の胸のつかえが取れたと。

アーティストとして、感受性が豊かなばかりか、
多感な20歳前後、それほど傷つき、またその事をブログに書くまで、
公言することはなかった彼の気持ちに思いを馳せる。

場所はレッドペッパー。
HPを見ると、「オヤジの聖地、新橋」と書いてある。
6/13の夜、8時からの1stショウに行くことに。
新橋駅で降りて歩いていると「案内所」(!?)と書かれた看板がたくさん。
博多、沖縄、韓国料理、焼き鳥、ラーメン、ショットバー。
香港か台湾、韓国の路地裏に迷い込んだようだ。
前日に観た映画、「アイ カム ウィズ ザ レイン」のシーンとだぶる。

久しぶりに会う菊池武。
大学を卒業した後、ジャズ一筋で17年。
大学生の時は癒し系のキャラだと思っていたが、
今は、確かな貫禄がある。

ディズニーの出演等では、
観客にしっかりと雰囲気を伝えるためのアピアランスも求められるのでは?
聴かせるだけでなく、演奏がビジュアル的にもきまっている。
積み上げてきた経験の奥行きを感じさせる。

菊池 武(sax)
米山 秀和(piano)
深美 健一(bass)
千光士 真理子(drums)
柿沼 いずみ(vocal)

昨日、菊池が選んだ楽器はバリトンサックス。
最初の2曲はHorance Silver。
Diggin' On Dexter
Song For My Father
最初の曲はバンドのテーマソングだそう。
この2曲、とても気に入った。

スタンダードなジャズナンバーが続く。
In A Sentimental Mood
菊池武の年輪や人生を感じさせる。
メロディー、バリトンサックスのセンティメンタルな響きが、
今も耳に残っている。

終わった後、夫と二人、「巧くなった!」と誉めまくる。
20年近くやってきたプロに対してなんて失礼なことを!
近くのテーブルに座ってた男性、見覚えがあると思ったら、
あの「マイウェイ」を歌われた彼のお父様だった。

2曲目の"Song For My Father"、お父様に捧げたことになる。
お父様が結婚式に歌われた通りに、
菊池武、ジャズミュージシャンの道を貫いている。
夫も成長した菊池の姿と再会に目が潤んでいる。

学生のコンクールで菊池を批評した人が正しかったとは思わない。
しかし、菊池はそのことを長い時間を掛けて受け止めた。
Eric Benetもこういう経験をいくつもしたんだろうなぁと思う。
そしてアーティストにとっては、そうやって悩んだり苦しんだりして、
昇華したことがすべて演奏に表れ、聴く人の共感に繋がる。
雷に打たれたような出来事も光明へと変えることができる。

その後、歩いて有楽町のGallery Bar Kajimaへ。
加島牧史さんの経営するギャラリーとバーが合体した店。
加島さんのお父様の加島祥造展「伊那谷からバリへ」が開催中。
86歳でバリ島に住み、書画を嗜まれ、老子を師と仰ぎ、
エドガー・アラン・ポーの詩集を翻訳されている。
お父様ではなく、息子さんの加島牧史さんの最新の翻訳書、
「もう殺さない」ブッダとテロリスト サティシュ・クマール著を購入。

菊池家と加島家、父と息子の姿に感動する夜。

新橋駅に戻り、先ほど通りかかった時、完璧にアジアンしてると思った
博多ラーメン屋台で¥500の麺を完食。
「オヤジの聖地、新橋」を後にした。