Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

エリックべネイの付き人、ビジュー・ジマーマン

2014-12-20 13:18:20 | エリック・ベネイ関連インタビュー
ミルウォーキーの音楽関連のサイトにエリック・べネイのステージ・マネージャー、
としてビジューのインタビュー記事が掲載された。

http://onmilwaukee.com/music/articles/bijubenet.html

ビジューがエリックの付き人として初来日したのは2007年。
それ以来、ずっとエリックのツアーには同行している。
英語ではステージ・マネージャーとなっているが、日本語のニュアンスでは、
付き人と訳して良いかと思う。

ビジューとはエリックの来日ごとに顔を合わせ、言葉も交わしてきたが、
読み進む内に彼の生い立ち、インドのマザーテレサの家から、
ミルウォーキーの養父母に引き取られたこと、
ビジューの妹がアジア系の顔立ちをしていることも気づいていたが、
彼女もまた養女であることも知った。
二人は仲が良く、姪のこともビジューはとても可愛がっている。
温厚な性格で徐々にエリック・べネイとの信頼関係を深めていったビジュー、
何年もツアーに同行している内に写真の腕も上げ、
今ではエリックも彼の撮った写真にクレジットを入れるほどだ。

数年に一度会うだけだが、最初は地味で黙々とステージ周りの準備をしていた彼が、
会う度にスケールが大きくなっている、そんな感じがしていた。
エリックを取り巻く人々は次々と変わっていくが、
自分を理解して、状況に配慮しながら、心遣いをしてくれるビジュー、
エリックにとって今、なくてはならない大切な存在であるはずだ。

ミルウォーキーの地元サイトの記事を訳してみた。
人の運命や出会いの不思議さ、
またそれを捉まえてステップアップできたのは、
彼の努力や才能があってこそ、
そして周囲に愛される人柄が備わっていたからに他ならない。

************************************

かつてビジューはミルウォーキーのある町のカフェで働いていた。
ドラマーの仕事もしていたビジュー、
カフェのオーナーはツアーの間、仕事を抜けることも理解してくれていた。
ビジューがエリック・べネイと会ったのは、
まだエリックがハル・ベリーと結婚していた頃だった。
エリックは現在は二度目の妻とLAに住んでいるが、
ミルウォーキーにアパートメントも所有し、
ミルウォーキーに住む母を訪ねて、年に数回帰郷している。

「エリックと初めて会った時、まさか彼のために働くようになる、
なんて思ってもみなかった。
でもこの人に仕えたい、と願ったけれどね。」
ステージ・マネージャーとして採用されたという電話が掛かってきた時、
危うくビジューはこの連絡を逃してしまうところだった。
携帯に掛かってきた馴染みのない番号からの電話に出ることを一瞬躊躇したからだ。

「それはエリックのツアーマネージャーからで、
『この仕事を受ける?』と聞かれて快諾すると、
『OK、それならすぐに日本へと出発だ』と告げられた。」

ビジューはミルウォーキーの音楽業界でドラムスとして仕事をしていたので、
地元の音楽関係者には知り合いが多く、その縁からこの話が来たのだった。

ビジュー・ジマーマンは2歳の時にインドから養子として、
ウィスコンシン州に住む養父母に迎えられ、
高校卒業後、ミルウォーキーへと移った。
「養母は僕をインドのマザーテレサの家まで迎えに来てくれて、
ウィスコンシンに連れてきてくれた。
未だにインド料理は好きだけれど、自分はウィスコンシンの人間だと思っている。」
彼の名前はマザーテレサの孤児院の名が『ビジュー』だったことに由来する。
養父母は彼に続き韓国系の女の子も養女に迎える。

小学校高学年からドラムスを始めたビジュー、
高校生になった彼は養父母が名付けた『ブライアン』ではなく、
その頃はミドルネームだった『ビジュー』と仲間内で呼ばれるようになる。
「最初にアメリカに来た時に自分のパスボートにはたった一つの名前、
ビジューしかなかった。
でもこれが大人になってから一番しっくりくると思ったし、
周りにも定着したんだ。」
ビジューはドラムスとしていくつかのバンドのツアーに参加した経験がある。

現在のエリックべネイのステージマネージャーという仕事を、
一言で話して欲しいと尋ねると、
「ステージは自分次第。そこで起きることはすべて僕の責任になる。」
ビジューは一年の半分をツアーで過ごす。
それは一か月のこともあれば三か月続くことも。
このインタビューの後もすぐに韓国へと旅立つ。
この仕事で彼は世界中を周ってきた。
彼の好きな場所は日本とアムステルダムだそうだ。

「東京は6回行っている。
人々は優しいし、理解もある。
多くの人がいる場所でも清潔さが保たれている。
街の中の掃除も行き届いていて、歩道はまるで歯ブラシみたいに綺麗だ。」
(注:褒め過ぎです・笑)

エリックべネイはアメリカにも熱狂的なファンがいて、
その一人としてミシェル・オバマも知られているが、
アジアやヨーロッパにおいても人気が高い。
「日本では一日2回のツアーが5日も続いたりする。
それがいつも満席で、全部のショウに來るファン達もいるほどだ。
(注:これは私やコアなファンのことですね)
韓国での人気は絶大で、大きなコンサートホールがファンで埋め尽くされる。
2年前にソウル・ジャズ・フェスティバルに出演した時は、
エリックのバンをファン達が取り囲み、身動きできない状態になった。
まるでビートルズのようだったよ。」

「エリックは常に自分がミルウォーキー出身であることを、
人にも話すし、誇りに思っている。」とビジューは続ける。
そしてエリックと仕事をし、旅をすることを楽しんでいると。
「エリックはすべての音楽を愛する。映画音楽やどんなジャンルであっても。
いつも前向きで僕の話も聞いてくれるし、愉快な人柄だし、
一緒にいて楽しく気が合うと思う。」

「ツアー中は行く場所に応じて飛行機やツアーバスを使うが、
エリックが好むのはツアーバスだ。
その方がリラックスできるし、眠ることもできる。
皆で一緒にプレイステーションで遊んだりすることもあった。
一度、バスが故障してしまい、ピザの出前を頼んだんだ。
配達員がバスの中がゲームで盛り上がっている様子にびっくりしていたよ。」

ツアー中はパーティーの連続かと言う質問に、
「もちろんそれも楽しいけれど、一つの部屋でバンドのメンバー達と、
寛いだりして過ごすのも好きだ。
常にツアー先では最高の環境が用意されているからね。」

今、彼は独身だが、この仕事は結婚してからも続けることは、
不可能ではないと話す。
「オフの時に電話で話すこともできるし、一緒にいる時間は少なくても、
お互いを思う気持ちがあれば問題はないはずだ。」

韓国から戻って数週間後にはサンフランシスコでの年越しを含む3日間のツアー。
「いつでも旅立てるように常にパッキングして準備はできているよ。」

来年には別のアーティストのツアーにも同行する。
またいつかドラムスの仕事もしてみたいと思っている。
「もし自分が元々はミュージシャンで現在その仕事をしていなければ、
誰しも必ず何かが欠けているという気持ちを持つはずだ。」

ここのところ、エリックべネイのツアーの様子をカメラに収めたり、
ドキュメンタリー映像としてまとめたりしているビジュー。
ミルウォーキー出身で音楽シーンで活躍する人物の一人になりつつある。

ENTREVISTA: Eric Benet

2014-07-11 20:05:32 | エリック・ベネイ関連インタビュー
トップの画像はエリックべネイがSNSに掲載した写真。
"Where words fail, music speaks"
これがまさにEric Benetにとっての座右の銘かと納得。

ENTREVISTA: Eric Ben�・t


スペイン語圏のインタビュー、質問は理解できないが、
エリックべネイの答えている部分を書き取った。

実体験とそうでなくて単に気を引くために書かれた曲の違い、
聴く人は必ず気づくと思っている。
だから自分の曲はすべて自分に起きたこと、
自分でなくても家族や友人の経験に基づいている。

人の心を打つ、そういう音楽のみを作っていきたいと、
初期の頃から思っていた。
聴く人の心に触れる、自分にとって意味のある曲を作りたい、
トップチャートに上ることではなくて。
そういう意味で生音に拘ってきた。

R&Bにおいて"Love"とは、時として砂糖菓子のようで、
現実味がなかったりする。
自分はそこに真実性を加えていきたいと思っている。
例えば隣に寝ている相手を心から愛していると思える瞬間もあれば、
時にはイライラさせられたりもする。
それでもそこには愛がある、
そんな気持ちを曲にしていきたい、
良い部分も悪い部分も両方を描いて行くことを大切にしていきたい。

20歳と40歳では"Love"に対しての考え方も感じ方も変わってくる。
僕はそれが自然だと思っている。
どちらも自分であることに変わりはないのだから。

ドレッド?
もう切ってから14年になるかな?
今はないのかって?
う~ん、時には懐かしいと思う時もあるけれど、
今の髪型が気に入っている、軽いし自分らしいし。

自分の人生において困難を乗り越えることができたのは、
音楽のお蔭。
いろいろな苦労があったけれど、
トンネルを抜け、正気を保つことができ、
やる気を取り戻すことができたのは音楽の力あってこそ。
そして家族の存在と音楽に生きる目標を見出すことができた。
多難の時期があったから、今の自分がある、強くなることができた、
何もかも感謝で受け止めている。

画像は7/4、独立記念日に実家のあるミルウォーキーに帰り、
姉達やその家族と過ごした際に娘のインディアと共に撮った写真。


エリック・べネイ Newインタビュー

2014-06-27 19:34:06 | エリック・ベネイ関連インタビュー
新しいインタビュー、今まで誰も聞かなかったことに触れていて興味深い。
http://download.cnet.com/8301-2007_4-57620907-12/star-apps-eric-benet/

「なぜあなたの姓の”Jordan”を芸名として使わなかったのですか?」
いい質問だね。そんなこと、聞かれたのは初めてだな。
“Benet”は実際に自分のミドルネームなんだ。
母が僕を”Eric”と名付け、父が”Benet”と付けた。
“Jordan”はラストネーム。
“Eric Jordan”では有りがちな名前に思えて、
デビューするにあたって”Eric Benet”とした。
響きとか、覚えやすさとかでね。
またデビューする前に父を亡くしていたから、
父の思い出と共にある名前を使いたかった。

「インディアとのコラボレーションは?」
考えている。彼女の歌声を世界に聴いてほしいからね。

「また俳優をする気はありますか?」
映画製作、脚本を書くことに興味はあるけれど、演じることはね・・・
自分のレーベルを立ち上げて3人のアーティストがいる、もうすぐ更に2人加わる。
彼らのキャンペーンに今、情熱を注いでいるし、
そして自分の新しいアルバムも作りたいし、2歳半の子供もいるから。

「映画『グリッター』は酷評を受けましたが、出演したことを後悔していますか?」
マライア・キャリーに呼ばれてあの映画のセットで二日間を過ごした。
とても楽しかったし、ほんのちょっとの役。
あの映画の成功、不成功に僕の責任はないよ。
いずれにせよ、未だにこうやって話題になるわけだから(公開は2001年)
それは決して悪いことではないと思う。
マライア自身はとっても優しい人だったしね。



「ずっとセックスシンボルとされてきて、女性のファン達の注目を浴びる中、
忘れられないような衝撃的なできごとはありましたか?」
そうだな、一度、サインを脚にするように頼まれて、
その後、そこをなぞってタトゥーを彫ると言われて驚いた。
でも、僕はファンに恵まれていて、ばかなことをしたりする人はいないよ。
僕のファンは作った曲を気に入ってくれ、歌うことを喜んでくれて、
会える機会を楽しみにしてくれている、そんな人たちがほとんどだ。

「SNSで気に入っているのは?」
ツイッターだね。
簡潔に要点を伝えられる。写真や記事を添付できる。
短い中にいろいろな要素を込められるから。


Eric Benet「Calvin, Goapele, そしてFaithと」 Part.1

2014-01-07 09:24:04 | エリック・ベネイ関連インタビュー
2014年へと向けエリックべネイは大きなステップを踏み出そうとしている。
アーティストとしてばかりでなく、自身のレーベルのエクゼクティヴとして。
最新のアルバム"The One"のヒットに続き、ソウルシンガーのCalvin Richardson、
Goapele、この二人とEric Benetは契約を結んだ。

テレビのリアリティー・ショー"Sub-Stars"のプロデューサーとしても名を連ねる。
この番組ではアメリカ各地の地下鉄で歌う才能あるアーティストを発掘するという
新しい試みに挑戦しようとしている。
Singer・roomはエリックべネイの今年の抱負についてインタビューしてみた。

http://singersroom.com/content/2014-01-03/Eric-Benet-Talks-Signing-Calvin-Richardson-Goapele-Working-With-Faith-Evans-Sub-Stars-More-EXCLUSIVE/

「12月にニューヨークで行われたライヴについて」
とても充実したライヴができたと思っている。
満席にもなったし、自分の思ったような形でライヴを行うことができた。
エネルギーを燃焼しつくしたね。
バックバンドが自分名義であった貢献も大きい。
アメリカ全土を廻っているとそれぞれの都市により客層は違う。
満足させるだけのパーフォーマンスをしないと納得してくれないのがNYの観客だ。
まだ駆け出しの頃、最初にNYでライヴをした時、
歌い始めには若干の疎外感、腕組みして観られている感じがしたよ。
でも何曲か歌ううちに途中から観客の反応がガラッと変わる。
立ち上がり、ステップを踏み、叫び始めるんだ。

土地柄で最初から礼儀正しい観客、
また僕の曲に親しんでくれているファン達の前で歌うのも、
もちろんとてもありがたいことだと思っている。
でもNYのようなアーティストに対して厳しい目を持っている都市で受け入れられた、
そういう時の嬉しさは格別だね。

「Faith Evansと"Christmas Without You"ではまたコラボレーションしましたね?」
フェイスはほんとうに素敵な女性で僕との信頼関係もある。
お互いに長い間、一緒に仕事をしてきたので気心も知れている。
"Georgy Porgy"は二人にとって大切なヒット曲であることは言うまでもない。
ずっと連絡を取り合っているし、他にも数曲コラボしている。
2012年、スタジオでパートナーのデモンテとクリスマスの雰囲気たっぷりの曲を、
作り上げることができた。
その時、この曲を一緒に歌うのは絶対にフェイスだと思ったんだ。
レコーディングした時期が2012年の10月だったので、どのアルバムにも収録していない。
ただ気持ちが盛り上がって作り、そしてフェイスに声を掛けてみたら、
「いいわよ。いつでも。明日はどう?」なんてノリだよ。
そしてクリスマスにピッタリの曲ができあがった。

「今後のフェイスとのコラボは?」
もちろん、可能性はある。
僕が、あるいは彼女の方が一緒に歌いたいと思う曲と出会うかもしれない。
もしフェイスが電話して来て「ねえエリック、私はあなたとね、
マーヴィン・ゲイとタミー・テレル、
そんな感じのアルバムを二人で作りたいと思っているのよ。」
なんて言ってきたら二つ返事で引き受けるさ。
アーティストにとってアルバムをコラボレーションするためには、
お互いに長い時間を共に過ごすことになる。
だから相手の才能だけでなく、人柄や相性も大切になる。
そういう意味で僕にとってフェイス・エヴァンスは最高の相手だ。

The Eric Benet Interview

2013-12-29 17:00:17 | エリック・ベネイ関連インタビュー
12月8日、早くも雪の降るNYの街のコンサート会場、
BBキングで行われたエリック・べネイのライヴ。
ニューヨーク近郊に住むアメリカのファン達が駆けつけた。

Aが吹雪の中並ぶ様子をSNSでアップしたのを見て、
東京で整理券を取るために待つのはこれと較べたら、
まだまだ恵まれているのかもしれないと思う。

その後、ライヴの様子とインタビュー映像がyoutubeに掲載された。
6thアルバム"The One"から"News for You""Runnin'"
1stアルバムから"Spiritual Thang"などを歌う様子が見られる。

インタビュー中でエリックべネイの近況、
地下鉄の中で歌う才能あるアーティストを発掘する"Substars"というオーディション番組、
企画しているということ、
またアフリカ系アメリカ人に人気のテレビ番組"Real Husbands of Hollyywood"
でケリー・ローランドと共演したこと、などが語られる。

私が初めて聞いたのは「尊敬するアーティスト」として、
エラ・フィッツジェラルド、シャカ・カーン、ダニー・ハサウェイ、
ボビー・コールドウェル、ジノ・バネリ、スティーヴィー・ワンダーに加え、
その他のジャンルで聴いてきたアーティストとして、
フレディー・マーキュリー、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、
エルトン・ジョン、また姉の影響でカーペンターズも気に入っていたことを話す。

そのような話になった経緯はエリックべネイが立ち上げた自身のレーベル、
『ジョーダンハウスレコーズ』の名前の由来を聞かれ、
自分の本名がEric Benet Jordanであり、実家、ジョーダン家では、
いつも音楽好きの兄や姉達、従弟などがいて、
家からは音楽が流れ、時には家族で歌ったり演奏し合ったり、
ポーチで歌うこともあり、近所では音楽一家として知られていた、
そんな話から子供の頃に聴いてきた音楽についての質問が出た。

またインタビューアーがエリック・べネイがソロデビューする前に姉と組んでいた
Benet、その頃の時代から詳しく知っていて踏み込んだ質問をしたことにもよる。

その他にジョーダンハウスが既に契約した2人のアーティストについても
これからデビューさせる意気込みをエリックは語っている。


The Pace Report: "Jordan's In Da' House" The Eric Benet Interview

Eric Benet New Interview part.2

2013-11-04 19:56:01 | エリック・ベネイ関連インタビュー
フランスで行われたインタビューのパート2。
3rdアルバム"Hurricane"がアメリカ以外の国で人気が高いこと、
また2002年に完成しながら発売に至らなかったアルバム"Better & Better"について、
踏み込んだ質問をしている。
男性、女性、それぞれ5人のアーティストの中から共演したい人を選ばせたり、
フランス的な想像力と細かいポイントをついたインタビューで興味深い。




Eric Benet「今年の終わりにはスタジオで新しいアルバムの制作に入るつもりだ。
そして自分のレーベル"Jordan House Records"と契約したアーティスト達、
彼らのCDもリリースするつもりでいる。」

Brandyのファンがあなたに彼女の曲を作って欲しいとツイートしていますが?
「Brandy、いいね。とても才能があるアーティストでおまけに彼女とはまだ仕事したことがない。
僕の方はいつでもOKだよ。」

Brandyのどの曲が好きですか?
「"Baby, baby, baby, don't you know that you're so fine..."("Baby"を歌うエリック)
ああいう初期の彼女の曲が好みだね。」

自分にとって深い影響のあったアーティストを上げてくれますか?
「スティーリー・ダン、スティーヴィー・ワンダー、ジノ・バネリ、
アース・ウィンド&ファイアー、子供の頃からずっと聴いてきたアーティスト達。」

私があなたのアルバムで最も好きなのは"Hurricane"です。
洗練されていてセクシーで憂いがありながら、同時に希望も感じることができる。
自分ではこのアルバムをどう思いますか?
「アルバムの特徴を良くつかんで表現してくれたね。
自分自身の当時の内面を表現したアルバム。
今までの自分のヒット曲、ラジオで流れているような曲とは、
一線を画するような曲を作ってみたかった。
意外なことにアメリカ以外の国でこのアルバムは認められた。
イギリス、フランス、日本などだ。
国外のファンの方が商業的な曲よりも内面が豊かな曲を評価してくれていて、
このことにとても感謝している。」

2002年にあなたのアルバム"Better & Better"は完成したのに発売されなかった。
これは何が起きたのですか?
「メジャーなレーベルに身を置くアーティストにとっては起こり得るできごと。
レコードレーベルが発売しないと決定すれば不可抗力になる。
自分でも自信作でアルバム全体としても一つ一つの曲に対しても愛着があっただけに、
このことは痛恨の極みだった。
でももう済んだことだ。
だからこそ、自分のレーベルを起ち上げた。
そうすれば、自分の好きな曲で皆も受け入れてくれる曲を思う存分作れるからね。」

あなたにとって敵にあたる人にアルバムを与えるとしたらそれは何でしょう?
「個人的に僕を敵視する人はいないと思っているけれど、
愛や思いやりがない、心が空虚な人がいるとしたら、
お奨めなのはスティーヴィーの『トーキングブックアルバム』だね。」

砂漠にひとりで行くのなら誰のどのアルバムを持って行きますか?
「ひとつを選ぶのは難しいね。う~ん、だったらいくつかを上げよう。
ジノ・バネリ"Brother to Brother"、Donald Fagen"Nightfly"
ボビー・コードウェル"Carry On"、スティーリー・ダン"Aja"、
こんな感じかな?」

音楽史において自分で年代を選ぶとしたら、どの時代にいたかったですか?
「1974,5年、その辺りかな?
R&B、ソウルミュージックの黄金期だからね。」

あなたにとって夢のコラボレーションとは?
「スティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリン、アル・グリーン、
ジノ・バネリ、ドナルド・フェイゲン、EW&F。」

次の5人の男性の中でどの人に一番共感できます?
R Kelly, Neyo, Maxwell, Babyface, Justin Timberlake。
「Maxwellだね。」

それでは次の女性5人の中では?
Mary J Blige, Beyonce, Brandy, Eyrkah Badu, Rihanna。
「Erykahだ。」

では最後に言いたいことは?
「インタビュー、ありがとう。
そして僕の曲をいつも聴いてくれている皆、ありがとう。
ツイッター、ぜひフォローしてね。https://twitter.com/ebenet
そして僕のウェブサイト、http://www.ericbenet.net/もよろしく。」

Eric Benet New Interview Part.1

2013-10-25 11:12:54 | エリック・ベネイ関連インタビュー



今年の6月にフランスを訪れた際のインタビュー。
アメリカ本国でのインタビューと違った視点で語られていることが興味深い。
Part.2では日本も含めて海外で"Hurricane"が人気が高いこと(アメリカでの評価は低かった)
なども説明している。
インタビューの映像と共に過去の画像、プロモーションヴィデオなども挿入され、
彩り豊かな映像だ。
プライバシーや過去のスキャンダルには全く触れず、音楽性のみについて言及していて、
気持ちの良いインタビュー。

以下、要旨の訳:
エリック「新しいアルバムを"The One"と名付けたのは、
念願だった自分のレーベル、Jordan House Recordを起ち上げたところから来ている。」

なぜ、2Chainzと"News for You"のリミックスをリリースしたのか?
「『ソウルトレインアワーズ』で楽屋で会い、僕のファンだと紹介され、
一緒に何かしようという話になった。
"Harriett Jones"のリミックスをパートナーのデモンテと作っているところだったので、
それが終了した後、2Chainzとのコラボレーションをスタジオで作り上げた。」

"News for You"のプロモーションヴィデオは作成しますか?
「それはないね。次のシングル"Runnin"の予定がもう入っているから。」
とても良い曲なのに作らないのですか?
「自分の会社であってもすべて思い通りにいくわけではないからね(笑)
できれば全部の曲のPVを作りたいと思ってはいるよ。」

次のシングル、"Runnin"について
「R&B、そしてエリックべネイのクラシック的な曲。
情感豊かで繊細、力強いボーカルに支えられたバラード。
僕のいろいろな曲のすべての要素が入っている。」
ではなぜ、この曲を1stシングルにしなかったのですか?
「最初のシングルとして相応しいだけのインパクト、
アップテンポであったりとか、そういった要素がある曲とは違うからね。」

Lil Wayneはあなたがアルバムで共演した初めてのラッパーですが、
あなたはヒップホップのファンですか?
「カントリーであろうともヒップホップであっても、
ジャンルに捉われず才能あるアーティストの存在は受け入れる。」

"Lost In Time"は素晴らしいアルバムですが、正しくプロモーションされていなかった。
"Feel Good""Always a Reason""Something Wrong"などはシングル化されても良かったはず。
「ありがとう。ワーナーにいた頃には僕に決定権はなかった。
だからこそ、自分のレーベルを起ち上げたんだ。」

すべてのコラボレーションの中で最も好きなデュエットの相手は?
「娘のインディアだね。
娘の才能、情熱がスパークする瞬間をスタジオで共有し、
自分の遺伝子が受け継がれていると実感できるのは至福の一時だ。」

自分のレーベルがあるのなら、お嬢さんと契約して売り出さないのですか?
「今はUSCの学生なので、後1年残っている学業に集中してもらいたい。
その後は彼女のしたいと思っていることを応援するつもりだ。」

ドイツの歌手で女優のイヴォンヌ・カターフィールドとかつて共演しましたね?
(注・2005年にドイツに滞在し、3rdアルバム"Hurricane"中の曲"Where Does the Love Go"
レコーディングとプロモーションヴィデオをイヴォンヌと共に作成している)
「僕のマネージャーと彼女のマネージャーが知り合いで何か一緒にやってみよう、
ということになった。才能があって感じの良い人だったよ。」

フランスの女性歌手とのデュエットもあり得ますか?
例えば、Amel Bent, Nalwenn Leroy, Wallenなんかはどうでしょう?
「いつも音楽に対して意欲的なアーティストと共演することにオープンな気持ちでいる。」

現在のR&Bの状況、売り上げが落ち、伸び悩んでいること、
多くのアーティストが業界を去っていく、
Toni Braxtonも次のアルバムは出せないと言っていますが?
「R&Bは過渡期、難しい時期に入っているけれど、
真の意味での音楽性を大切にして、周りの評価は気にせず、自分の道を貫くのみだ。
僕は売れ行きに拘らないで自分が納得できる曲を作り続けるつもりでいる。
他にもそういうアーティスト達はいるはずだよ。」

(Part2に続く)


エリックべネイ、ヨーロッパツアー&インタビュー

2013-06-25 18:34:45 | エリック・ベネイ関連インタビュー
6/20のパリに始まり、6/22、23、24とロンドンでライヴを行ったエリックべネイ、
26日にはドイツでもコンサートがある。
画像や動画を通してフランスやイギリスのファンの熱気が伝わってくる。
インタビューもいくつか上がってきているが、その中で最も踏み込んだ内容、
過去と現在のエリックの心境を伝えていたMOBOのサイトの記事を訳してみた。

http://www.mobo.com/news-blogs/interview-eric-ben%C3%A9t

セカンドアルバム、"A Day in the Life"から頭角を現したエリックべネイ、
その時点で第一子であるインディアの母親を娘が2歳に満たない時期に亡くす
という悲劇を乗り越えていた。
その後、ハル・ベリーとの離婚によりマスコミの好奇の眼に晒されるという
新たな試練にみまわれる。
しかし数々の辛い出来事はエリックべネイをソウルミュージック界において
他に比類のない輝ける存在へと導いた。

ウィスコンシンに生まれ、現在40代であるエリックはプリンスの元妻である
マニュエラ・テストリーニと結婚し娘のルチアは17ヶ月となった。
自身のレーベル、ジョーダン・ハウス・レコードから6作目のアルバム"The One"
をリリースしたエリックべネイは今、ヨーロッパをツアー中だ。
エリックにニューアルバム、ライフスタイル、父親になった心境、
アーティストとして20年に渡るキャリアについてインタビューした。

前回のイギリス訪問は2011年でしたが、ロンドンのファンはどうでしょう?
「皆、素晴らしいよ。熱烈な歓迎を受けて感激している。」

ジャズカフェのライヴでは新曲だけでなく、今までのヒット曲も歌いますか?
「僕はステージに上がると夢中になるタイプだからね。
興奮と感動の中に必ず期待に応えるライヴにしてみせる。
昔からのヒット曲はその曲のおかげで今のファンがいるわけだし、
ライヴには欠かせないものだと思っているよ。」

6枚目のアルバムを出しましたね?
「僕の立ち上げたレーベル、Jordan House Recordからの最初の一枚であるということ、
初めて何の制約もなく好きなように制作できたことからタイトルを"The One"と名付けた。
その喜びの気持ちは聴く人にも伝わっていくはずだ。
シンガーとしてソングライターとして
更に円熟した作品をリリースすることができたと思っている。」

アルバムにおいてすべての曲は自作か共作ですが、
今は自分で曲を作らないアーティストも多い中、あえて曲作りにかかわる意味は?
「すべてのアーティストが自作の曲に拘るべきとは断言できないけれど、
自分に関してはほんとうのR&B、本来のあるべき曲はヒットチャートには載らなくても、
理解してくれるファンが必ずいてくれるはずだから、心と魂のこもった曲であってこそ、
深いものを伝えられると思っている。」

業界において20年近いキャリアになりますが、
その間に後悔するようなできごともありましたか?
「う~ん、どうだろう?
人は後悔することはないと言いがちだけれど、人間なんだから、
後悔することもあって当然だと思う。
自分や愛する人のためにしたことが結果が伴えば、満足できるけれど、
悪い結果に繋がれば、落ち込んだり、人を傷つけたりすれば、
最悪の状況になる。
それでもそこから学び、人の心の痛みが分かる人間へと成長することができれば、
決して無駄なことにはならない。
だから僕の答えは『後悔するようなことはない』だな。」

では反対に今までのキャリアの中で最高の瞬間とは?
「スティービー・ワンダーのラジオ局に招かれ彼にインタビューされ、
彼と一緒に歌ったこと。
オバマ大統領から依頼されてホワイトハウスのプライベートパーティーで、
彼と彼の家族のために歌ったこと。
どちらも夢のようなできごとだった。
子供のように無邪気に楽しんだよ。」

20年を経て再び父親になるのは、どんな気持ち?
「最初にインディアの父親になった時も、20年後に大人になり余裕もできて
ルチアの父親になった今も同じように新鮮な気持ちでいる。」

結婚と子供の誕生というできごとは音楽的にはどのような影響がありましたか?
「ソングライターとして僕はいつも自分の実人生を曲に反映させてきた。
人生において続いた喜びが曲の厚みとなり新しいアルバムに幸せな気持ちが、
表現できたはずだ。」

最近、2chainzと"News for You"のコラボレートをしましたが?
「初めての相手と新しいことに挑戦するのはいつも大歓迎だ。
ソウルトレインアワードで2chainzと出会い、僕のファンだと知り、
一緒に何かやってみたいと思った。
残念なことにスタジオで共に作る時間的余裕はなく、
僕とパートナーで曲を書き加え、2chainzには自分のパートをレコーディングしてもらい、
それをミックスした。」

今後の予定は?
「僕のレーベルにスカウトしたアーティストのために働くよ。
既に何人かと契約していて、スタジオでレコーディングを始めるつもりだ。
もちろん僕の次回のアルバムにも取り掛かるよ。
そして家族にとっての父親としての役割も果たすつもりだ。」

パリのライヴでのエリック
今回はコンサートホールではなくライヴハウスでのパーフォーマンス


6/20のライヴの後、フランスの22日の祝日「音楽の日」を街角で楽しむエリック


ロンドンでインタビューを受けるエリック


お馴染みロンドン、ジャズカフェにて観客からの声援に応えるエリック

エリックべネイ、ファンからの質問に答える

2012-12-22 12:03:28 | エリック・ベネイ関連インタビュー
エリック・べネイがファンからツイッター、フェイスブックに寄せられた質問に、
答える映像が投稿された。

Nから「ドレッドヘア、とても素敵だったのにもうやらないの?」
エリック「あの頃は服装も含めてすべてのスタイルがドレッドに相応しかったから。
今はクリーンな髪型が自分のライフスタイルやファッションに合っていて気に入っている。
ストレートというよりも少し伸びてちじれているけれどね。
でも先のことはわからない。今にまたする気になるかもしれないよ。」

Vから「特定の女性をイメージして歌を作っている?」
エリック「答えはNOだ。複数の女性のイメージをミックスして曲を作る。」

Iから「下着はトランクス(ボクサー)、それともブリーフ?」
(この部分はとんでもないジョークを言っているような?
一度アップしましたが、今、消去しました。。。)

Mから「いつあなたに会える?」
エリック「BBキングシアターのライヴに来れば?」

Jから「子育ては以前と今では違う?」
エリック「インディアの時は自分は若くて未熟だったし一人だし不安も大きかった。
今はマニュエラという妻と二人で子育てしているし余裕を持って楽しんでいるよ。
そしてマニュエラさえ納得してくれたら更にたくさんの子供を持ちたいって
思っている。」

Eric Ben�・t Answers Your Questions

Eric Benet Soul Train Music Awards 2012

2012-11-27 21:21:24 | エリック・ベネイ関連インタビュー
Eric Ben�・t Favorite Soul Train Moment | Soul Train Music Awards 2012


エリックべネイ、ソウルトレインアワードに出演した時の、
インタビュー映像。

「最も印象に残るソウルトレインの場面は?」と聞かれたエリック、
「それは初めてソウルトレインに出演した時だ。
僕がナーヴァスになっていることをドン・コーネリアスがわかっていて、
楽屋に声を掛けに来てくれた。
『よう、ヤングbro。君のやっていることは最高だ。
君は才能がある特別な存在だ。』
僕にとって当時アイコンでもあったドンが、
まさに自分にとって最も望んでいる言葉を掛けてくれた。
その後、僕のキャリアの中で浮き沈みがあった時も、
いつもこの言葉を思い出して励みにしていたよ。
ほんとうに感謝している。」

インタビューを受けて話している内に、最初は控えめだったエリックべネイ、
テンションが上がってくる。
インタビューアーのエリックへのリスペクト、
そして話すことでこの日のパーフォーマンスへと向け、
エリック・べネイの気持ちがウォームアップされていくのが、
見て取れる。


Eric Benet on Best Hit USA

2012-10-03 14:10:57 | エリック・ベネイ関連インタビュー
chanparaさんからEric Benetが"Star of the week"として取り上げられた
ベストヒットUSAの録画を頂いた。

最初に小林克也からエリックべネイは分野として番組中で扱われる若手とは違い、
アダルトR&B、アーバン系のラジオチャンネルでは常に上位にランキングしている常連、
と説明がある。

インタビュー映像と"Real Love"のプロモーション映像が流れる。
まず曲作りについて。
エリック「頭の中には常にメロディーがあるので、仕事のために音楽を作り出す、
といったことをしているわけではない。
今、話している間にも頭の中には音楽がある。
それを他のミュージシャンに伝えて、そこから曲が出来上がっていく。
そこに歌詞を付けて行くのが一番難しい作業だ。
今まで散々歌われてきたことが自分の言いたいこととだぶっていたら、
それをいかにして興味を引くようにメロディーに乗せるかだ。」
語り口はいつものように穏やかでソフト。

その後、"Real Love"のプロモーション映像が始まった。
いつもパソコンの画面で観ていたものを大きめのテレビ画面で観ると明らかに違う。
年月を重ねたカップルが次々と入場してくる中に一人東洋系の老婦人がいる。

画面には字幕が出る。
これも新鮮だ。
"Real Love"とエリックが歌う時の字幕は「本物の愛」
「僕たちは本物を手に入れたんだ。」

画面は若いカップル達のダンスパーティーに変わる。
東洋系の若い女性がいる。
先ほどの年配の女性の若かりし日を象徴するかのようだ。

エリックと見つめ合う女性が登場する。
彼女もミドルエイジだ。
これはエリックとマニュエラの出会い、それぞれ2回目、
大人になってからの成熟した恋愛を表現しているかのようだ。

手を取り合い去っていく二人の様子でPVは終わり、
インタビューへと戻る。

曲作りのモティヴェーションについて。
エリック「お金や名声のためにやっているわけではない。
書かずにはいられないんだ。
頭の中にあることを表現していくことで、アーティストとしてではなく、
人としてバランスを取っているのかもしれない。
そのお蔭で自分は安定した気持ちでいられる。
呼吸をするように作曲のモティヴェーションはいつも僕の中に自然にある。」

音楽を通して成し遂げたいことは。
エリック「R&Bの歴史の中で僕が影響を与えたとか、
R&Bを変化させることができたのなら、音楽を通して自分の存在は生き続けると思う。」

最後は小林克也の説明が加わる。
今時の若手には考えられない丁寧で静かな語り口だったと。

久々にこうやってじっくりPV映像とインタビューを観た。しかも大きな画面で。
ゆっくりと考えながら穏やかな声で話す普段のシャイな様子、
それとはガラッと変わるPVの中でのオーラ全開の姿。

自分が改めてエリックべネイの大ファンなんだなと認識を新たにしてしまった。
chanparaさん、貴重な映像をどうもありがとうございました!

Essence Fastival 2012 Eric Benet interview

2012-07-17 18:02:53 | エリック・ベネイ関連インタビュー
今年のエッセンスミュージックフェスティヴァル、
エリック・べネイの出演はなかったが、ニューオリンズ市内で、
CD販売とサイン会、そしてフェスティヴァルや関連イベントの観賞を楽しんだようだ。

"The One"発売後、たくさんのインタビューを受けているので、
重複するところは省略して、新しい内容のみに絞る。

今回のアルバムの中でどれが好き?
エリック「そんなこと、決められないよ。
それでもその時に歌いたい気分の曲というのはあるね。
今は"Here In My Arms"
昨年生まれた娘ルチアの子守唄。
妻のマニュエラが妊娠している時から、
僕はこのメロディーを歌っていたんだ。
そしてその後、娘が生まれてから、妻が歌詞を書いた。

そう、もう一つは、僕の20歳の娘、インディアと歌った"Muzik"
これもいい曲だよ。
(ルチアの話をした後、すぐにインディアのことも話すエリック。
インディアを思いやる気持ちが感じられて微笑ましい)

それと僕のサイトを見てくれれば、リル・ウェインとコラボした曲、
"Redbone Girl"のTシャツも買えるよ。
"Chocolate Legs"のショーツも売っているから合わせてみたらどうかな?」
エリック、もういいわ、やめて。

ニューオリンズでは何をするつもり?
「以前僕のバックシンガーをしていたリー・ラヴェルが今、
ラウンジで歌っているんだ。
それを見たり、NOLA(ルイジアナ州ニューオリンズ市)では、
歩き回って飲んだり、そこらじゅうに音楽があるし、
ほんとうに楽しいところだね。」

その後、自分のレーベルを持ったことの遣り甲斐とたいへんさを
語っているがこれは今までのインタビューでも度々言及しているので省略。

今回の出演はなかったが、エッセンスを満喫している様子が覗える。
来年の出演はあるだろうか。
日本から行く人も年々増えているようだ。

Essence Fastival 2012 Eric Benet interview with PHAT PHAT N ALL THAT TV

エリックべネイは故郷を忘れない

2012-07-01 12:23:07 | エリック・ベネイ関連インタビュー
http://www.jsonline.com/entertainment/festivals/brew-citys-bent-cherishes-hometown-ties-g75sciq-160188905.html

TankやRico Loveもミルウォーキー出身だが、めったに自分のホームタウンを訪れないのに対し、
Eric Benetは故郷を大切にし、未だにミルウォーキーとの繋がりを深め、
ミルウォーキーのミュージシャンやプロデューサー達に貢献している。

「僕はミルウォーキーアンだからね。」べネイは最近のインタビューでもこう語った。
ミルウォーキー工業高校の卒業生であるべネイはこれからも故郷のために役立つことを、
更にして行きたいという覚悟を披歴した。

今回のミルウォーキー・サマー・フェスティヴァルに出演することになったべネイ、
「自分は今までのキャリアを通してずっとミルウォーキーを代表してきたつもりだ。
ミルウォーキーに戻ってくるのは感慨深い思いだ。
いつも故郷が暖かく自分を迎えて包んでくれる。
自分のキャリアの中でミルウォーキーとの結びつきが弱くなっていると感じたこともあった。
だからこそ、今回のサマーフェスへの招待は僕にとって大きな意味があった。」

1992年に姉リサ、従弟のジョージ・ナッシュJrとBenetというグループで
最初のCDを出したがそれは失敗に終わった。
「その時、この業界でもう一度、チャンスをつかむことができたら、
絶対に妥協せず自分の納得できる音楽で勝負したいと思ったんだ。」

その2年後の96年にべネイはワーナーから"True To Myself"でソロデビュー、
最初のビックヒット、99年のタミアとのデュエット"Spend My Life With You"
ではグラミーにノミネートされた。

成功してからもべネイはミルウォーキーを仕事場にし続けた。
「僕は簡単に心変わりしないタイプでね。
ずっとデモンテ(ポージー)、ジョージ(ナッシュJr)とアルバム制作をして、
同じくミルウォーキー出身者のウェス、アフトンとバンドを組んでいるよ。
二人とはレコーディングもツアーも一緒に行っている。」

去年、べネイは自らのレーベル、ジョーダン・ハウス・レコードを起ち上げた。
新しいアルバム"The One"、この中のバラード"Real Love"、
アップテンポでファンキーな"Red Bone Girl"は既に聞き覚えのあるはずの曲だ。

「アルバムのほとんどをミルウォーキーにある『サード・ワード・レコード』
でレコーディングした。
ミルウォーキーには多くの才能あるアーティストがいる。
これから、そういう人たちを発掘し、世に出していきたいね。」

Eric Benet Studio Q Interview

2012-06-11 12:46:10 | エリック・ベネイ関連インタビュー
アメリカで6/5にEric Benet"The One"が発売されたこともあり、
たくさんのインタビューが記事や動画で上がってきている。
エリックべネイも精力的にラジオ、テレビ、イベントに出演し、
アルバムのキャンペーンを行っている。

同じ内容の質問が重複するインタビューも多いが、
その中でも他とは違った切り口から
踏み込んだ内容の質問をしている動画をみつけた。
以下、インタビューの要旨。

***********************

ライヴにおいてあなたと観客の間には目に見えないエネルギーが存在します?
エリック「確かに音楽には不思議な力がある。
観客の前でライヴをするという経験を重ねてきて、
自分の曲をずっと好きで聴いてきてくれた観客、ファン達の前で歌い、
バンドとも絶妙のコンビネーションが生まれた時には、
言語や普通のコミュニケーションを越えた心と心の触れ合いが生まれ、
トランス状態になる。
そして僕に向かって押し寄せてくるたくさんの愛を受け止めて、
僕も観客に向かってそれを送り返そうとする、
説明するのは難しいけれど、音楽にはそういう癒し、パワーがある。」

ライヴの前には緊張しますか?
「始まる直前はいつも緊張する。
でもステージに出た途端、すぐに吹き飛ぶよ。」

自分のレーベルを持ったことで?
「他のレーベルに所属していた時よりも、ずっとやりがいがある。
自分のレーベルを持たない限り、最終的な決定権は常に他の人にあるから。」

もし自分が間違っていても気付けないということは?
「誰かがきちんと納得できることを言ってくれれば、聴く耳を持つよ。」

このアルバムはリスクはありますか?
「(笑)いろいろやりたいことを、やりたいようにやったからね。
レゲエもカントリーも入っているし。」

"Real Love"について。
「ワーナーから離れてすぐに従弟のジョージと会い、
スタジオで作り上げた。
妻のマニュエラのことを曲にしたいと思って。」

彼女との関係について。
「愛にはいろいろな要素がある。
愛とは相手を受け入れること。
相手を変えようとか、自分の型にはめようとかではなく、
そのままを受け入れて愛すること。
また本来なら受け入れられないようなこともその人のためなら、
それが可能になるのが愛。」

あなたは自分の生活をすべて曲に反映させてますが、
そうしてオープンにしてきたことで後悔していることは?
「全くないね。
アーティストである以上、自分の繊細な部分も晒していかないと。」

ヒットチャートを追わないのは?
「アーティストとして現役でいられる時間は限られている。
その短い年月の中で自分の納得できることをやっていこうと、
最初のソロアルバム"True To Myself"から決めた」

創作するプロセスを聞かせて下さい。
「楽器は専門じゃないし、得意でもないけれど、
作曲の時にはギターやキーボードで思い付きをちょっとやってみる。
そうすると周りのクルー達がそれを自分たちの楽器で、
『わかった!こんな感じでどう?』みたいに膨らませてくれる。
メロディーが浮かんで歌ってみてもそんな感じで曲になっていく。
歌詞を書いてメロディーを付けるというよりも、
メロディーが最初でそこに歌詞をつけていくことが多いね。」

http://www.youtube.com/watch?v=ymiQZo3rBB4&feature=share

エリックべネイ インタビュー 6/4 Part.2

2012-06-07 20:27:36 | エリック・ベネイ関連インタビュー
画像は地元ミルウォーキーでマクドナルドを訪れてファンに囲まれたエリックべネイ。
ちなみにエリックはハンバーガーを食べるのは一年に一回あるかないかだとか。
この日にマクドナルドでは食べてないようです。

地元のモーニングショウに出演した映像のPart2
http://www.themorningblend.com/videos/156984745.html

お嬢さんの名前は?
エリック「ルチア・ベラ。」
奥さまはどこの血が入っているの?
「イタリアとエジプト。」
そういう女性の肌はとっても綺麗ね?
「確かにそうだ。」

ところでバックヴォーカルとリードヴォーカルにはどういう違いがある?
「いい質問だ。今まで誰にも聞かれたことがないよ。
僕は家族で子供の頃からコーラスをやってきたけれど、
バックボーカルをする時には自分の音をしっかり保ちつつ、
周りの音も良く聴いて合わせながら、振り回されることなく、
自分らしさも少し出していく、リードヴォーカルとバックヴォーカルは、
全く違う部分の脳を使う、そんな感じかな。」

『リアルラヴ』のプロモーションヴィデオ、とっても素敵ね?
「本物の何十年も連れ添った夫婦に出演してもらたんだよ。
カメラがオンになったら、皆自然に話したり、触れ合ったり、笑い合ったり。
感動的だったね。」

あなたのトレードマークのファルセットについて。
「ファルセットは地声を張り上げるよりも実は楽なんだ。
だから長期のツアーで一週間近く公演が続く時には、
喉を保つためにセットリストにファルセットの曲を増やす。」
歌ってもらってもいい?
("Sometimes I Cry"を1フレーズのみ歌うエリック。)
こんな朝早くからごめんなさいね。

今までの中で最もプラウドできる瞬間は?
プライベートでも仕事上でも。
「そうだな。やはりインディアの存在だね。
今回のアルバムでも"Muzik"でデュエットすることができた。
そしてルチアの誕生も。

そして仕事上では数か月前にカリフォルニアでライヴをした時に、
スティーヴィー・ワンダーが観に来てくれて、
『僕も一緒に歌いたい。』って言ってくれたことかな。
(ここからはエリック、スティーヴィーの口真似になる。)
『何をやろうか?僕の歌にしよう!
そうだ、"Superstition"がいい!』
バンドの皆にできるかって聞いたら、皆、できないって答えたんだけど、
ベーシストだけが知っていて、彼が始めたら皆合わせ始めた。
スティーヴィーが『僕が一番好きなコンテンポラリーR&Bシンガーは、
エリックべネイだ。』って言ってくれてね。
最高の瞬間だったよ。」

(地元のテレビで思いっ切り、寛いで本音で語るEric Benet。
中々楽しいインタビューでした。)