(画像はすべて金子三勇士のツイッターより:
https://twitter.com/miyujik/with_replies)
ショパンの生涯を辿る旅、最初に金子三勇士が訪れるのは、
パリにあるショパンが埋葬された墓地。
ここには多くの歴史上の人物や作家、音楽家が眠る。
以前に三枝成彰氏が講演の中でこの墓地についてお話をされていた。
地図を片手に観光客で賑わうという場所、
椿姫のモデルになった女性の墓には管理する人が業者に委託しているのか、
常に美しく花が添えられるそうだ。
死後もこのように扱われる人もいれば全く過去の栄光からは程遠い、
粗末な墓所もあるという。
ショパンの墓地はきちんと整えられ華やかさがある。
三勇士は献花、祈りを捧げる。
まずこの姿にぐっときた。
ここに演奏者としての正しいあり方をみた。
その作曲家の曲を生涯掛けて遺志を伝えるべく演奏させて頂きますと墓参し、
ご挨拶することでショパンと三勇士の絆が更に深いものになったと確信する。
39歳で亡くなったショパン、19歳まで過ごしたポーランドへと画面は変わる。
音楽に満たされた街、ショパンがいかに市民に愛されているか、
一つのベンチが紹介される。
ボタンを押すとそこからショパンの曲が流れ始める。
ワルシャワからショパンの生家へ。
そこはショパンの家を囲む形で公園が形作られ、
日曜日の午後には部屋の中で行われる演奏を外から人々が鑑賞する、
というコンサートが行われている。
三勇士は日本から来たピアニストとして紹介され演奏が始まる。
勢いの良い「英雄:ポロネーズ」から始まり、しっとりとしたノクターンへと。
集う観客の中には感極まり涙を拭う聴衆もいる。
演奏を終え、金子三勇士の表情は嬉々としている。
現地でショパンをこよなく愛する聴衆の前で演奏することができ、
観客からも確かな評価を得た喜びが伝わってくる。
その後、ショパン博物館では最新技術でショパンの足跡を辿る展示が紹介される。
ショパンのデスマスク、毛髪、死に関する部分では、その生々しさに息をのむ。
そこにショパンの存在がすぐ近くに感じられ胸に迫るものがある。
ショパンの最後はポーランドから看病のためにパリへと渡った姉が看取り、
本人の遺志でその心臓はポーランドへと持ち帰られ、
教会の柱に祀られているという逸話は知っていた。
その教会にも足を運ぶ三勇士。
柱と聞いて想像していたのとは違い、教会内にある霊廟のような佇まい。
そこでもショパンの息吹、郷愁の念が手に取るように感じられてくる。
金子三勇士が偉大な音楽家に対しての畏敬の念を持って、
一つ一つのゆかりの場所を巡ることで私達もそこに想いを重ねることができる。
ワルシャワの公園でもコンサートが開かれ、その日は日本のピアニストが演奏している。
市民たちの音楽への篤い気持ちを画面から察することができる。
ワルシャワ市内、ショパンが常連として通ったレストランと料理が紹介される。
青豆のスープ、キノコのクリームソテー、外はカリッと中はジューシーな鴨のグリル、
などショパンの愛した料理に舌鼓を打つ三勇士。
この辺り、ほとんど料理の紹介番組のようで、
ピアニストがこれだけ美味しそうにレポートしていることが微笑ましい。
チェリストの松本エルとの公園での対談。
それぞれが自分にとってのショパンを語る。
それまでロマンティック、甘美、女性的なイメージで捉えていたショパン、
三勇士はこの旅をしたことで改めてショパンの男性的な面を識ったと話す。
二人が話しているベンチではリスが後ろを通るのが映る。
のどかなヨーロッパの公園、夏が終わり、秋の気配がする爽やかな時期。
公園内の宮殿にての二人のデュオ。
金子三勇士、ソロとは違う姿を観ることができる。
自分の演奏は抑えて、チェリストの様子を確かめながら、
相手を立てつつ支える。
私はこういう時に彼が見せる表情が好きだ。
場面はパリへと戻り、ショパンの葬儀が行われたマドレーヌ教会、
また今は宝飾店となっているが最後にショパンが住んだ家、
パリの時代にショパンやジョルジュ・サンド、そこにリストなども加わり、
演奏や宴が行われたサロンへと導かれる。
そこのピアノで演奏する三勇士。
彼にとっては当たり前かもしれないが、暗譜でさりげなく、
その場に相応しい曲を演奏できるというのはいつも驚かされる。
通して観てショパンに対しての認識を深めると共に、
ピアノ演奏はもちろんのこと、金子三勇士の人柄、
正しく美しい日本語を彼が使うことも素晴らしく、
偉大な音楽家に対して敬虔な気持ちで接している姿勢も清らかで、
観ていて心が洗われるようだった。
映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/e/23c99ba427df9344bb0ebe5c0b5fd6e9
https://twitter.com/miyujik/with_replies)
ショパンの生涯を辿る旅、最初に金子三勇士が訪れるのは、
パリにあるショパンが埋葬された墓地。
ここには多くの歴史上の人物や作家、音楽家が眠る。
以前に三枝成彰氏が講演の中でこの墓地についてお話をされていた。
地図を片手に観光客で賑わうという場所、
椿姫のモデルになった女性の墓には管理する人が業者に委託しているのか、
常に美しく花が添えられるそうだ。
死後もこのように扱われる人もいれば全く過去の栄光からは程遠い、
粗末な墓所もあるという。
ショパンの墓地はきちんと整えられ華やかさがある。
三勇士は献花、祈りを捧げる。
まずこの姿にぐっときた。
ここに演奏者としての正しいあり方をみた。
その作曲家の曲を生涯掛けて遺志を伝えるべく演奏させて頂きますと墓参し、
ご挨拶することでショパンと三勇士の絆が更に深いものになったと確信する。
39歳で亡くなったショパン、19歳まで過ごしたポーランドへと画面は変わる。
音楽に満たされた街、ショパンがいかに市民に愛されているか、
一つのベンチが紹介される。
ボタンを押すとそこからショパンの曲が流れ始める。
ワルシャワからショパンの生家へ。
そこはショパンの家を囲む形で公園が形作られ、
日曜日の午後には部屋の中で行われる演奏を外から人々が鑑賞する、
というコンサートが行われている。
三勇士は日本から来たピアニストとして紹介され演奏が始まる。
勢いの良い「英雄:ポロネーズ」から始まり、しっとりとしたノクターンへと。
集う観客の中には感極まり涙を拭う聴衆もいる。
演奏を終え、金子三勇士の表情は嬉々としている。
現地でショパンをこよなく愛する聴衆の前で演奏することができ、
観客からも確かな評価を得た喜びが伝わってくる。
その後、ショパン博物館では最新技術でショパンの足跡を辿る展示が紹介される。
ショパンのデスマスク、毛髪、死に関する部分では、その生々しさに息をのむ。
そこにショパンの存在がすぐ近くに感じられ胸に迫るものがある。
ショパンの最後はポーランドから看病のためにパリへと渡った姉が看取り、
本人の遺志でその心臓はポーランドへと持ち帰られ、
教会の柱に祀られているという逸話は知っていた。
その教会にも足を運ぶ三勇士。
柱と聞いて想像していたのとは違い、教会内にある霊廟のような佇まい。
そこでもショパンの息吹、郷愁の念が手に取るように感じられてくる。
金子三勇士が偉大な音楽家に対しての畏敬の念を持って、
一つ一つのゆかりの場所を巡ることで私達もそこに想いを重ねることができる。
ワルシャワの公園でもコンサートが開かれ、その日は日本のピアニストが演奏している。
市民たちの音楽への篤い気持ちを画面から察することができる。
ワルシャワ市内、ショパンが常連として通ったレストランと料理が紹介される。
青豆のスープ、キノコのクリームソテー、外はカリッと中はジューシーな鴨のグリル、
などショパンの愛した料理に舌鼓を打つ三勇士。
この辺り、ほとんど料理の紹介番組のようで、
ピアニストがこれだけ美味しそうにレポートしていることが微笑ましい。
チェリストの松本エルとの公園での対談。
それぞれが自分にとってのショパンを語る。
それまでロマンティック、甘美、女性的なイメージで捉えていたショパン、
三勇士はこの旅をしたことで改めてショパンの男性的な面を識ったと話す。
二人が話しているベンチではリスが後ろを通るのが映る。
のどかなヨーロッパの公園、夏が終わり、秋の気配がする爽やかな時期。
公園内の宮殿にての二人のデュオ。
金子三勇士、ソロとは違う姿を観ることができる。
自分の演奏は抑えて、チェリストの様子を確かめながら、
相手を立てつつ支える。
私はこういう時に彼が見せる表情が好きだ。
場面はパリへと戻り、ショパンの葬儀が行われたマドレーヌ教会、
また今は宝飾店となっているが最後にショパンが住んだ家、
パリの時代にショパンやジョルジュ・サンド、そこにリストなども加わり、
演奏や宴が行われたサロンへと導かれる。
そこのピアノで演奏する三勇士。
彼にとっては当たり前かもしれないが、暗譜でさりげなく、
その場に相応しい曲を演奏できるというのはいつも驚かされる。
通して観てショパンに対しての認識を深めると共に、
ピアノ演奏はもちろんのこと、金子三勇士の人柄、
正しく美しい日本語を彼が使うことも素晴らしく、
偉大な音楽家に対して敬虔な気持ちで接している姿勢も清らかで、
観ていて心が洗われるようだった。
映画「ショパン 愛と哀しみの旋律」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/e/23c99ba427df9344bb0ebe5c0b5fd6e9