Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

PNG最終日

2011-08-26 00:00:23 | パプアニューギニアへの旅
朝起きると、夫の体調も回復しているようで安心した。
そのまま、水着を着て食事前に一人で泳ぎに行くことにする。
誰もプールにはいない。
食事をしている人も少ないから見ている人もいないと思い、
泳ぎ始めたら、調子が出てきてしまった。

部屋へと戻りシャワーを浴び、二人で朝食に出掛ける。
誰も見ていないと思っていたのに、オーダーを取りに来たサービスの男性に、
「さっき泳いでいたでしょう?
今日の水はちょっと冷たすぎませんか?」と聞かれる。


前日は暖かい卵料理を含むコンティネンタルブレークファーストにしたので、
この日はビュッフェにしてみる。
冷菜ばかりなのとジュースも生ではなくて出来合いの物。
パンをごっそり盛りつけてテーブルに持って来てくれたので、
これをお持ち帰りにすることにした。

「フィリピンから来たのですか?」と会計の時に聞かれる。
日本からの観光客はこのホテルには余り泊まらないらしい。

旅程表によると、最終日の飛行機は午後2時40分発。
ホテルまで旅行社から迎えが来ると書いてある。
が、何時とも書いてないし、行きの空港で会った時に特に時間の話もなかった。
現地の支店へと電話してみる。

帰りはオーストラリアから乗り継いで来る乗客も多いこと思うので、
早めにチェックインしたい。
でも空港には時間を潰すようなお店もレストランもない。
先方は「じゃあ、10時に迎えに行って空港でチェックインをして、
またホテルに送って上げますから、2時前頃までホテルで過ごしたらいかがですか?」
チェックアウトが11時、それだとちょっと慌ただしいかと思い、
11時にピックアップ、空港のチェックインを済ませ、またホテルへと戻る、
ホテルへは余裕を持って1時半に迎えに来てもらうことになる。
ほんとうにこんなんで大丈夫なのかと思ったが、ホテルと空港間は5分ほど。
空港も空いていて何の問題もなかった。

意外にセキュリティーが厳しくて、空港の入り口、
搭乗口待合室前、飛行機に乗る寸前と三カ所になっている。
空港まで送ってくれた旅行社のKさんの他に搭乗口までは別の係の人、
Nさんが付き添ってくれた。
ほんとうにこの旅行社は至れり尽くせりで行き届いている。

搭乗口前の土産物屋で私はへまをやった。
欲しいピアスを見つけてしまったのにPNGの通貨、キナはもう手持ちがない。
「米ドルで払ってもいい?」と聞くと計算してくれた。
12.5ドル。10ドル札と20ドル札しかない。
お釣りは出せないとのことなので、
「それなら10ドル分を米ドルで払って、
残りの2.5ドルはキナで払うから計算して。」
おばちゃんは計算に手こずって、レジは渋滞してしまった。
Nさんが「どうしました?」と飛んで来てくれて、
キナで払ってくれて、私はNさんに日本円で返した。
あ~恥ずかしい。

着いた時に空港で両替、足りなくなったのでエアウェイズホテルでも両替をしたが、
ホテルでは一桁少なく金額を間違えて計算されていた。
両替のレシートも出してくれなかったので、
金額の訂正とレシートの発行をして貰うように言った。
一流ホテルのエクスチャンジでさえ、
この有様なのにお土産物屋さんでめちゃくちゃな要求をしてしまった。
並んで待っていた人達、皆さんにお詫び。
Nさんにも迷惑を掛けてしまった。

空港の通路で、いきなりすれ違いざまに男性が私にぶつかってきた。
日本のサーファーかダイバー風の男性。
PNGで混雑しているところにもたくさん行ったが、
人に突き飛ばされたりはしなかった。
ホテルの中でも男性は皆、ドアやエレベーターで女性を優先してくれたので、
空港で突然、日本の男性にぶつかってこられて、挨拶もないことに私は動揺した。

PNGに行く前に危険な国、治安の悪い場所とあちこちに書かれていたが、
日本や日本人の方がよっぽど危ないかもしれない。

物を売る母親の傍に裸で座っている子供は気の毒だろうか。
母親と一緒にいることができて、
暑いから裸の方が気持ちが良いかもしれない。
靴を履いていないから、
家がないから、その人が不幸であるとは言えない。
日本の尺度で物事を簡単に計ることはできない。

もしも空腹で栄養が行き届かない、きちんとした医療が受けられないために命を落とす、
教育を受けていない為に職業に選択肢がないとすれば、
子供達にとってそれは未来が閉ざされていることになるかもしれない。

PNGは生活物資が意外に高い。
街のスーパーや野菜市場での物価はかなり高めだった。
また首都のホテルの宿泊費、安全な地域にある家屋の家賃が急騰しているそうだ。

Rから2年振りで帰国したら、車の交通量が増えていることに驚いたと聞かされた。
この国では今、多くの産業が発展しつつあるとも聞いた。

帰国した翌日、早速ご馳走になった料理を自分の出来る範囲で作ってみた。
ココナッツミルクは缶詰、芋類は長芋と里芋を使った。
青菜は空心采と水菜。
丸くて大きい焼く為の石などは持っていないので大きな鍋をガスに掛ける。
バナナは固い物を選んだがとろけて繊維だけになってしまった。
とてもビッグママの料理には及びもつかないが、旅の余韻に浸ることができた。
焼けた石を入れることで料理に香ばしい味が加わっていたことも作ってみてわかった。

パプアニューギニアで私が出会ったのは、みんな、気が良くて穏やかな人ばかりだった。
海や緑豊かな島、潮の香りのする風、ゆったりと流れていた時間、青い空も忘れられない。

ビートルナッツ

2011-08-25 00:00:23 | パプアニューギニアへの旅
料理に使ったココナッツの殻を夫が洗っては磨き干している。
その様子を見て、家族の人達何人かに「彼は何をしているの?」と聞かれる。
「家に持って帰って器に使いたいんだと思いますよ。」と説明する。
家族の人達も手伝ってくれて、ココナッツの中を削ってくれた。

娘婿が襷掛けにしている籠を編んだポシェットを見て、
「どこでこれは買えるの?」と夫が聞いている。
この家のビッグママが二つ、バスケットを出して来てくれて、
「これを持って行きなさい。」と渡してくれた。

こんな感じで寛いだ雰囲気だったので、
とてもこの国と馴染みが良いタイプだと見込まれてのことと思う。

「ビートルナッツをやってみない?」とビッグママが夫に提案する。
やり方を見せてくれる。
まず実をかじって、中の果肉を噛み切る。
それをしばらくガムのように噛んで、白い石灰を付けたマスタードの実をかじる。
そこからしばらく噛んでいると、真っ赤に色が変わってくる。
その時に唾液をぺっと吐き出す。
ビッグママはすぐに口の中が真っ赤になり、吐き出した。
夫のはいくらやってもオレンジだ。
唾液も出てこないから吐き出す物もないと言う。
今にして見ると、かなりたくさんの量を口に含んでしまったような気がする。

しばらく噛んでいたら、目が廻って来たと言い出した。
汗が噴き出して来て寒くなって来たと言う。
皆が早く吐き出せ、水で口を濯げ、体内にたくさん吸収されてしまったから、
水をたくさん飲んで浄化しろと教えてくれる。

横になった方がいい、たくさん水分を取るようにと大きなペットボトルまで、
持たせてくれてホテルへと送ってもらう。
「だいじょうぶ、すぐに治るよ。」と皆に言われたのと、
本人も気はしっかりしていて「横になってしばらく寝るから、プールにでも行ってくれば。」
と言うので、そっとしておいた方が良いかと思い、プールサイドへと出掛ける。

もう5時を廻っていて、陽は陰り、誰もプールにはいない。
プールサイドのバーでは飲み始めている人達がいる。
デッキチェアで横になった途端、夫のことが猛然と心配になってきた。
二日酔いとか風邪を引いたとか、足をくじいたとかならともかく、
全く未知の植物の毒が廻っている状態なのだ。
傍にいれば、様子が変わったと気付いた時に、
フロントに電話してドクターを呼んでもらう、
自分で人工呼吸や心臓マッサージもできるかもしれない。
でも一人部屋に残して来てしまって手遅れにでもなってしまったら、
どうしよう。
慌てて部屋に戻る。

部屋に入ると夫は気持ち良さそうに寝息を立てて眠っている。
おでこを触ると熱いように思うが、私の手が冷たいのかもしれないと思い、
しばらく傍で様子を見ていた。
暑さで疲れが出たのかもしれない。
8時過ぎに目を覚ました夫は、軽く夕食を食べたいと言う。
「今日はビールは我慢した方がいいかなぁ。」などと呟いている。
ルームサービスを取るつもりかと思ったら、外に食事に行きたいと言い出した。

9時前にバーコーナーへと向かう。
昼食が遅かったので軽いお摘みのつもりでフィッシュ&チップスを頼んだら、
たっぷりと盛りつけられてきた。
ビールをそれぞれ2杯飲み、その日は早めに休むことにした。

ポートモレスビー

2011-08-23 08:41:57 | パプアニューギニアへの旅
10時にRがホテルに迎えに来てくれた。
一つ年上の従兄で大学でも先輩だったというCも一緒だ。

まず国会議事堂へと向かう。
最初にやはりゲートがある。
しかし余りきちんとしたチェックはしていない。
車を停めて、議事堂の前に行く。

外を見るだけかと皆思っていたのだが、
中から出てくる人がいる。
「入っていいんですか?」と聞くと、ドアを開けてくれる。
受け付けがあり、名前を記帳。
最後に感想も書いて欲しいとのこと。

受け付けにいた三人の女性の内の一人が「どこから来たのですか?
初めてですか?案内しましょうか?」
と声を掛けてくれる。
早速案内をお願いすることにする。
外にいたRにも声を掛けて中へと呼ぶ。

内部にはパプアニューギニア歴代の首相の写真が飾られている。
初期には首相とは言わずに"Speaker"と呼ばれたそうだ。
またPNGの風物、珍しい蝶の標本なども置かれている。
議事堂の内部、国会が行なわれるホールも見せてもらった。
天井や壁にはモザイクや木彫りの彫刻があり、首相の座る椅子はひと際立派だ。
国会議員の座る席、書記や傍聴人の座る席がある。
与党と野党と席が分かれている。

内部の構造がわかるようになった模型が展示されていた。
その中には国会議員一人一人のオフィスもある。
「今度、来る時にはあなたのオフィスを訪ねるからね。」とRに言うと笑っている。

内部は撮影禁止とのことだったので、外に出て全員で記念撮影をする。
余りののどかな様子に、いったいここのどこが危険だと言われているのか、
なぜ強盗が起きているのか、その時は理解できなかった。

その後、PNG大学へと行く。
ここにもゲートがあり、守衛が待機していて門を開けてくれる。
二人がかつて住んでいて今は使われていない寮
(二人ともポートモレスビーから飛行機で一時間ほどのハイランド出身)
現在の男子寮、女子寮、図書館。
校内はびっくりするほど広い。
車なしに移動するのはたいへんそうだ。
男性が二人手を繋いで仲良く歩いていた。
Rが「あれはね、この国では男同士でも親しみを込めてやることなんだ。
ゲイではないんだよね。」と説明してくれる。

動植物園の前で車を停める。
ここの前でも事件が起きたと聞いていたが、確かに怪しげな人が前にいる。
しかし私達の目には危ない人とそうでない人の区別が良くわからない。

動植物園で最も面白かったのは圧倒的に鳥類だった。
見たこともない華やかな鳥達、木の実を取って観覧者にプレゼントしてくれる鳥までいる。

ところが、ここでグレーのペンキが塗りたてなのに何も案内がでていなくて、
RのTシャツとズボン、持っていたキーホルダーや手に付いてしまう。
Rは「ペンキ塗りたてなら、そういう立て札とか書いておけばよい物を・・・」
と日本語で呟いている。
その後、係員にも注意をすると早速手書きの立て札が置かれる。
この辺が日本と違ってかなりアバウトだと思った。
持っていたウェットティシューを出して渡したが、手に付いたペンキも洋服も落ちない。
作業小屋の前を通りかかったので、作業員を呼んで、
「友達にペンキが付いちゃったんだけど、シンナーとか落とす薬品はないの?」と聞くと、
缶を出して来てくれる。
手とズボンのペンキは落ちたが、Tシャツは残念ながら落ちなかった。

Rと夫がその直後に煙草を吸おうとするので「引火するかもしれないよ。」と心配したが、
「ガソリンみたいな匂いになった。」と言いながらも二人は煙草を吸いだした。
Rは私が渡したウェットティッシュも煙草の吸殻もごみ箱を見つけるまで持ち歩いている。
夫が捨てようとした吸殻も預かっている。
その辺がすごくきちんとしていることに感心する。

大学を後にして野菜の市場へと向かう。
この時ばかりはRとC、二人とも険しい表情になる。
車の中に荷物を残さないように、バッグは前にたすき掛けにして、
自分達から離れないようにと言われる。
Rが前を歩き、その後ろに夫、私、Cが後ろにピッタリと付いてくれていた。

地面に座り、裸の子供と一緒に陽のあたる中、
笑顔で野菜を売っている女性がいる。
様々な種類のバナナ、サトウキビ、グァバ、日本にない種類の芋類。

ココナッツの実の上をナイフで切ったものをRが買ってくれる。
さっぱりとした味で喉の渇きが癒える。
たっぷり入っているので、最初に私が飲み、次が夫、RとCも引き続き廻し飲み。
まるでお茶のお手前のようで笑える。

突然、Rに話しかけてきた人がいる。
その人は買い物した荷物を全部持ってくれて、買い出しを手伝ってくれる。
Rが選挙に出た地方出身の住民だそうだ。
RはPNGにある一つの部族の酋長の家系なので、
同じ地方出身の人には知られている存在らしい。

車に戻ると市場の入り口は大勢の人がいて中々進めない。
Rから「みんな、いい人ばかりなんだ。
でも悪い人が一人か二人いて、弱そうな人を狙う。」
「それは観光客を狙うのね?」と言うと、
「そうとは限らない。老人だったり子供連れの人だったり。
だから注意しなければならないんだけどね。」

この話を聞いた時、なぜRがCを連れて来てくれたかが良くわかった。
危険な場所でも現地の男性が二人ついていてくれれば狙われないからだ。

Rがポートモレスビー滞在中にお世話になっているという家へと向かう。
ご主人は船の船長で留守にしている。
奥さんと娘3人、一人の息子、娘婿二人と孫が同居している。
「健一郎」と名付けれてた孫息子が無邪気で可愛い。
家の周りは鉄の柵で覆われていて、柵の上にはギザギザの針金がぐるぐる巻きだ。
チェーンで厳重に閉められている門を開けてくれて車を入れて門を閉める。

庭には鶏がたくさんペットのように飼われている。
裏庭には動物園にいたようなきれいな鳥もいる。
庭の林檎をもいで食べさせてくれた。
バナナやライムの木もある。

庭の一角でバーベキューのような炉がある。
そこに薪をくべ、丸い大きな石を熱し始めた。
大きな鍋やたらいが用意されている。
石が熱くなるのを待つ間、近くのスーパーに飲み物を買いに徒歩で出かける。
ここでもRに声を掛けてきた人がいて、買い物の荷物を持ち、
お店の人に頼んでくれたり、必要な買い物を手伝ってくれる。

道に赤い染みがところどころにあるのをRが指差す。
「口が赤い人、歯が赤く染まっている人に気付かなかった?」と聞かれるが、
全然、覚えがない。
ビートルナッツというのを噛みながら、石灰を付けたマスタードの実をかじる。
すると化学変化を起こして色が赤くなる。
その汁を吐き出す。
カフェインをたくさん取ったようなハイな気分になるそうだが、
Rはそれが嫌いだと言う。
中にはやり過ぎて歯が赤く染まってしまい落ちない人もいるそうだ。
その後、気を付けて見ているとたくさん口の周りを赤くしている人がいる。

歩きながらRは前にいる人を指差して「ああいう人はドラック付けで危ないんだよ。」
と教えてくれるが、私にはやはり危ない人とそうでない人の区別がつかない。
家に戻ると石がちょうど良いあんばいに焼けていた。

まずココナッツを割る。
その真ん中をこそげとるような大根おろしのような道具でココナッツを削って行く。
少しやらせてもらったが、慣れないと決して簡単ではない。
最後に手についたココナッツは手足に摺り込む。
天然のオイルだからと。

4つのココナッツを摩り下ろすと、今度はこれを手で笊をのせたボールの上で絞る。
オイリーにしたかったらぎゅっと、そうでなければさっと絞るそうだ。

このココナッツを少し水で薄める。
そこにニンニクとショウガのすりおろしも入れる。
この鍋を炉の近くに置き、まず熱々の石を炉から取り出し、水を張ったボールで洗う。
そして鍋に入れると一気に沸騰する。
一度、蓋を閉める。

そこに鶏肉、バナナ、芋類などを入れる。
そしてまた熱い石を足す。
庭に生えているバナナの枝を切る。
これを洗ってたたみ、鍋の上を覆い、更に蓋をして重しのレンガを置く。

次にトマト、玉ねぎ、青唐辛子などを刻んだものと、
チキンスープの素、空心采あるいは明日葉のような野菜と
摘み菜のような野菜をたっぷり、どんどん押しこむ。
石も足す。
そしてまたバナナの皮、蓋をして重石。
良い香りが立ち昇って来た。

学校に行っていた末娘と末息子が帰ってくるが、制服も可愛らしく二人とも初々しい。
できあがった料理、鶏肉、芋類とバナナ、青菜をそれぞれ別に盛り付け、
炊きたてのご飯も用意された。

皆で遅い昼食になる。
本物のココナッツを使った料理、パウダーや缶詰と違い、目から鱗の美味しさ。
今まで食べていたアジアンフード、
日本料理で例えれば、鰹節や昆布で出汁を取ったものではなく、出汁の素を使った料理だったことになる。

食事の後で先ほどの道端の人達がかじっていたビートルナッツをやってみないかということになり、
これがとんでもないことになってしまった。

エアウェイズホテルへ

2011-08-21 09:19:59 | パプアニューギニアへの旅
対岸に船が着き、車に乗り込む。
来た時は夜で気づかなかったいろいろな物が目に入ってくる。

走っている内に、緑は少なくなり、はげ山のような丘に囲まれてきた。
その路上で生活している人々を見かける。
東京で見掛けるホームレスとは違う。
家族で外で生活を営んでいると言った方が正しい表現かもしれない。
桶に汲んできた水を前に頭から石鹸で洗っている人を見た。
裸足で歩いている人も多い。

都心部に近づくと、
路上には飲み物を売るスタンドやTシャツや小物を売っている露天商もある。
いよいよエアウェイズホテルが見えてきた。
最初にゲートがあり、警備の人が両側と正面に立っている。
ゲートが開けられ、坂道をメインタワーへと進む。
入口にはライフルを持つ人が立っていて、ベルボーイやドアマン、警備員、
それぞれ違った制服を着ている。

内部は美術館のような、びっくりするほどスタイリッシュなホテルだ。
チェックインを済ませて部屋へと案内してもらう。
いくつかの棟に分かれているが、私たちはバスタブなしの部屋を選んだ。
バス付きの部屋、最も豪華な棟はフロアごとにバトラーが待機してサービスしている。

部屋も整然として木調とシルバー系、青銅色に色彩が整えられている。
バルコニーがあり、目の前には椰子が茂っている。

部屋からプール、ダイニングルームに至るまでにいくつものカードキーを通さなければいけない。
エレベーターもしかり。
このセキュリティーの厳重さが安心などころか、
先ほどまで滞在していたロロアタ島ののんびりとした様子とは余りにかけ離れていて、
「ここまでしなければならないほど、ここは危険なのか。」と返って不安になる。
またカードキーの調子が悪く、グリーンのライトがつかず赤いライトが点滅、
ドアが開かないこともあった。

しかしとにかく、掃除の人、巡回する人、ハウスキーパー、警備員、
大勢の人の目が絶えず行き届いているので、ドアが開けられずに戸惑っていると、
誰かしらが飛んできて開けてくれる。

歩いていても皆、挨拶や「何か捜しています?」と声を掛けてくれる。
ここで働いている人達は皆、表情が生き生きとしている。
自分の仕事に誇りを持ち、楽しんでいることがわかる。

チェックインの際にスパの15分間のフットマッサージのサービス券が入っていたので、
ホテルの中を見学しつつ、スパの前に来たのですぐにできるかと聞いてみる。
暗くアロマオイルの香りのするスパロビーに通され、
フットマッサージのコーナーへと案内される。
蒸しタオルで足を清めた後、アロマオイルでマッサージ。
左足の時は気持ちが落ち着かなかったせいか、リラックスできなかったが、
右足の時にはうとうとしてしまった。
ソフトで優雅な雰囲気のフットマッサージだった。

部屋に戻ると水着に着替えてプールへと向かう。
時間は4時。
まだ陽が高く、じりじりと肌が焦げるようだ。
ダイニングルーム、バースペースに隣接したプール。
泳ぐ人はいない。
周りを見るとお客はすべて白人だ。
フランス語やドイツ語、英語が聴こえてくる。
働く人は現地の人、お客はすべて欧米の人種。
東洋人は島でも見掛けなかったが、ここにも全くいない。
先ほどの街中の様子と余りに別世界のホテルの内部に何か戸惑いを覚える。
Rと6時にフロント前で待ち合わせをしていたので、
シャワーを浴びに部屋へ戻った。

三人でその日の晩はホテルで夕食を食べることになる。
高台の最上階にあるレストランからは背後にある空港の夜景が見える。
風が通り涼しい。

Rはポークソテー、夫はラム、私はバナナの皮で蒸した白身魚に
ライスとココナッツミルクのソースが添えられたメインディッシュを選んだ。
メインを頼むとビュッフェも取ることができる。
オードブル、ビーフシチュー、デザート、フルーツ、チーズなどが豊富に並べられている。
ビールは現地のSP。
オーダーする時にRが「ちょっとすいません!」と言ったので二人で笑ってしまった。
私達と話していてつい日本語が出てしまったようだ。

夫とRは煙草を吸うので、食事の後はバーコーナーに移る。
「モヒートを頼んでみよう。」ということになり、オーダーするが、
バーテンダーもわからないとのことで、それぞれウィスキーや白ワインを注文。
働いているスタッフを見ながら「この国の女の子はみんな、とっても可愛いね。」
とRに言うと、実は良く知らないと言う。
家が厳しくて在学中は勉強に追われ、日本に留学してから初めて彼女ができたそうだ。

一昨年、選挙に出たとは聞いていたが、
パプアニューギニアに100名余りいる国会議員に立候補したそうだ。
後、もう少しのところで落選してしまったが、費用が多額に掛かったこと、
日本で仕事も持っているので、選挙運動に充分な時間が取れなかったこと、
また現地と密接な関係のある候補者が有利だったことなどを話してくれた。
日本や海外との接点も多く持っているので国のために貢献できるという自負もあり、
また選挙に出てみたいという気持ちもあるが、諸事情を考えると悩みどころだそうだ。

「さて明日は何をしたい?」とRに聞かれる。
「船を借りて無人島に行き、バーベキューをするのはどう?」と言われたが、
「海はロロアタで行ってきたから、街の人の生活を見たり、首都の観光をしたい。」と夫。
「わかった。それなら国会議事堂を見て、その後、僕の行っていたパプアニューギニア大学を見学、
そこには植物園、動物園もあるし。その後で知り合いの家でこの国、独特の熱い石を使った料理、
食べるところだけでなく、作るとことから一緒にやってみない?
後、現地の野菜市場、スーパーマーケットなんかも見よう。」

「R、ありがとう。そういうことをしたいと思っていた。
でも国会議事堂はいいよ。行かない方がいいって外務省のページにもあったし。
植物園も危ないって書いてあったような・・・」と私。
R「ぜんぜん大丈夫だよ。」
私「それはRがこの国の人だからでしょ?」
R「一緒にいれば僕だって同じ目に合うよ。自分だって危ない思いはしたくないから、
そんなところには連れて行かないよ。」
かつては大使館でも働いていたR、
そこまで言うなら、もう大舟に乗ったつもりで付いていくことにした。

ロロアタ島へ

2011-08-19 21:17:29 | パプアニューギニアへの旅
早朝、4時40分にパプアニューギニア、ポートモレスビー、ジャクソン空港に着くと
旅行社のKさんがにこやかに出迎えてくれる。
そしてすぐ近くにいたロロアタ島からの出迎えのドライバーに引き継いでくれた。

真っ暗な中、車はどんどん進んでいく。
道路の状態は穴や路肩に窪みがあったりでかなり悪いが、途中から舗装もなくなった。
私は猪、あるいは野豚の群れを見た。
暗闇の中、時々、歩いている人がいる。
こんな時間にどこに何をしに行くのだろう。

最初は島のホテルと航空券だけをお願いしようと思ったが、
ポートモレスビーのホテルも合わせて申し込んだことで、
個人旅行でもパッケージという形になり、滞在中の行動にサポートが受けられる。
緊急時の連絡先というのも設定されている。
もしKさんの誘導なしに、この車に二人で乗っていたら、
「これって本物の送迎の車かな?」と不安になったかもしれない。
実際、ベトナムでは「偽送迎に注意」という案内も出ていた。

鉄の柵を開けて私有地へと車は入って行った。
そしてその先には船着き場がある。
まだ眠気が覚めないまま、ボートに乗り込むと穏やかな海を進んでいく。
客は夫と私だけ。
だんだんと夜が明け始めた。
海に朝陽が昇って行く間、空は様々な表情を見せる。
漆黒から墨色、黄、オレンジへと変化していく。

ロロアタ島の桟橋へと船は着く。
ホテルの人が荷物を持ってくれて桟橋を歩き小さなアーチをくぐる。

フロント、ダイニングスペース、屋根はあるが壁はなく、ほとんどオープンエアに近い。
待つことなく、すぐ近くの部屋に案内してくれた。
二部屋が一つのコテージになり、海に面したデッキがある。
部屋の三面に窓があり、ドアを開ければ目の前は海。
ベッドとシャワー、小さな洗面所とトイレが付いている簡素な部屋。
電話もテレビも時計もない。
アメニティーはバスタオルのみ。シャンプー、石鹸も持参。
虫が多いと聞いて蚊取り線香も持ってきたが、殺虫剤が部屋に置いてある。

エアコンと冷蔵庫付きの部屋とこの部屋の選択肢があり迷ったが、
設備のある部屋は丘の上で離れていると聞き、近い方のこの部屋にしたが正解だった。
ほどなく7時の朝食が始まる。
コンティネンタルなブレークファスト。
4つの卵料理、フレンチトーストの中から選ぶことができる。

海が見えて風が抜ける空間が心地良い。
午後に近くにあるライオン島にシュノーケリングに連れて行ってもらう約束をして、
午前中は部屋のデッキや島内の涼しい場所を見つけて風に吹かれながら、
読書をしたりして過ごす。

この日は日曜日。
日帰りでこの島に観光に来た人達もいて、ビュッフェスタイルのランチは賑わっている。
蟹や海老の料理、パパイヤやスイカ、林檎、南の島らしいフルーツが並んでいる。
同席したのは午前中のダイビングから戻って来た人達だった。

午後になると風が強くなり、空は曇って来た。
海の色がどんどん暗くなってくる。
部屋を離れるので、フロントにセイフティーを使わせてし欲しいと伝えると、
「ありません。でも部屋に鍵を掛けておけば誰も入らないから問題ない。」

マスクとフィンを借りてボートに乗せてもらうが、
海が荒れてまるでジェットコースターのようだ。
水をザブザブとかぶる。
ライオン島に上陸したものの周りはサンゴ礁や尖った岩や石だらけ。
砂浜はない。
泳げる深さになるまでしばらく海中を歩き、シュノ―ケリングを始めるが、
海が荒れて水が濁っているので、小さな魚がやっと何尾か見えるのみ。
潮の流れが速くなってきたので、戻ることにした。

来た時よりもずっと潮流が早くなり、歩こうにも転んでしまいそう。
泳げるだけの深さはない。
途中で手をついてしまい、動けなくなる。
先にいっていた夫が「今、戻ってあげるから。」と言うと、
ボートを操って連れてきてくれた人が「僕の方が近いから行ってあげる。」
素足のままでザクザク海に入ってくるので「足痛いでしょ。来なくていいよ。」
と叫ぶと「大丈夫。慣れてるから。」と言いながらやって来て、
にっこり笑って手を差し伸べてくれた。
手を引いてもらいながら、岸に戻る。
ちょっと情けないなぁ・・・

帰りはさらに海は荒れて「この波に向かって縦に進むのか?」とぎょっとすることもあった。
日本やハワイやグアム辺りだったら「今日のシュノ―ケリングは天候のため中止です。」
となるところだろう。
手足にいくつか擦り傷ができている。

夕方、島の山頂に登ってサンセットを見たかったのだが、風は強くなり、
気温もどんどん下がっているので諦めた。

夜はまるで高原にいるような涼しさになってしまったので、
虫除けのために用意してきた長袖、踝までのスパッツが防寒用に役だった。
足や首周りには蚊よけのスプレーをして夕食に行く。

同席したのはオーストリア人でもう何回この島に来たのか数えられないほどだというダイバー、
仕事でポートモレスビーに来るとその都度、この島に寄っているというドイツ人。
そこに日本語が少し話せる島のダイビングインストラクターが加わった。

日本のダイバー人口は世界で2番目と聞いた。
またPNGを訪れる日本の観光客は「ボーンコレクター」が多いと言う。
「ボーンコレクター」、最初、映画のタイトルの方が頭に浮かんでしまったが、
つまり「遺骨収集」ということだ。
オーストラリア人のダイバーも「潜っていると日本のマークの付いた潜水艦、
飛行機や鉄兜を見かけるよ。」

「日本は地震でたいへんだったね。」と言われたので、
「オーストラリアには地震がなくていいわね。」と答えると、
「いや、こっちは山火事がある。」

夕食は酸味のあるスープと白身の魚、ジンジャー風味のココナッツソースにトマトを散らした物。
デザートにはフルーツとココナッツアイス、レモンパイが出た。
コーヒーと紅茶はフロント前に用意されていていつも飲めるようになっている。
ビールは現地の物をいくつか試した結果、SPというのが一番旨いと周りの人とも意見が一致した。
食事が美味しく、働いている人も皆、感じが良くて、設備が何もない分、
何かしなければと追われることもなく、ほんとうにのんびりできた。

翌朝、朝食を食べようとダイニングに向かう途中、
従業員達が行列して船着き場へと向かっていくのに会った。
皆、今朝までの勤務を終えて本土へ戻って行くようだ。
何人かが親しげに声を掛けてくれるのが嬉しい。

従業員には子連れで働いている人もいる。
島には放し飼いになったクジャクやワラビーがいる。
15歳になるロッジの飼い猫が人懐っこくて私に寄ってくる。

午前中、島の頂上へと登ってみる。
早朝は曇っていたが、途中からどんどん晴れてきて、海の色が澄み切ったブルーで美しい。
島を一周する一時間弱のコースもあったが、そのまま下へと降りる。
チェックアウトは9時半。
昼食後、ボートで本土へ、そこからポートモレスビーのホテルへと送ってもらうことになっていたので、
それまで島内のいろいろな場所で寛ぐ。
ここはほんとうに時間がゆったりと流れていく。
デッキチェアに横になり、空を見上げると木々の緑の間に青空が広がっている。
陽射しは強いが、日陰は涼しくて風もあり心地良い。

この日は月曜日。
島を訪れる人もなく、本土から企業の合宿で来ているという8人組と私達のみ。
島内は一斉に大掃除が始まっている。

ランチはPNG風のミネストローネスープと
海老料理にココナッツの皮で包まれたライスが添えられている。
パンは自家製。

朝、島に戻って来たというオーストラリア出身のこのロッジのオーナーと一緒に食事をした。
35年前にここをダイバー用にと始めたそうだ。
子供が5人いるので教育のこともあり、島と本土を行ったり来たりの生活らしい。
「ホテルを経営するのは何がたいへん?」なんて質問をしてしまった。
「メインテナンス、設備を維持して新しい物も取り入れていくことかな。」
としばらく考えてから答えてくれた。
家庭的な雰囲気、島の心地良さ、食事が美味しいこと、スタッフのフレンドリーなこと、
また訪れたいと思っていると伝えた。

島を離れる時間が近付いてきた。
オーナーとスタッフ達にお礼を言って船着き場へと向かう。
来た時は寝惚けていてぼんやりと眺めてしまった景色。
帰りの船ではしっかりとこの大自然の美しさを目に焼きつけようと思いながら、
ボートに揺られていた。

Let's go PNG!

2011-08-12 19:35:46 | パプアニューギニアへの旅
夫は次の週にRと待ち合わせをして、紹介する会社へと二人で向かった。
スーツ姿のRは緊張の面持ちで
取引する予定の会社のスタッフ3人に名刺を差し出し、
礼儀正しく対応していたそうだ。
その後、二人でランチにカツオのタタキ定食を食べながらいろいろな話をしたらしい。
この取引は夫にもRにも利害関係は一切ない。
日本にいながらRは自分の国の発展に少しでもつながるチャンスがあれば、
役に立ちたいという気持ちで臨んでいること、
母国に自費で小学校を作った話なども聞かせてくれたそうだ。

残念ながらこの商談、日本側は乗り気だったがPNG側の体制が煮え切らず、
お流れになる。しかしこのことで私達のRに対する親しみは深まった。
もちろん彼の方でもそうだったと思う。

8月にPNGに行く話が具体的になってきた。
飛行機は週に2便だけ。
それが夫の夏休みの時期とぴったり一致した。
私はこういう時にいつもこれは「サイン」だと思う。
自分がそこに行く意味がきっとあると。

まず書店に行きガイドブックを捜すがみつからない。
調べてもらうと「そういうガイド本はありません。」と言われた。
次にネットでいろいろと調べ始める。
何と11月から4月まで「渡航は控えて下さい」になっていた。
それが5月に入ると「充分に注意して渡航して下さい。」となった。
犯罪が都心部で多発しているとある。
実際に行った人のブログなどを読みつつ、これは旅行代理店をからめた方が良いと判断した。

東京にはパプアニューギニア専門の旅行代理店がある。
電話して渡航の旨を伝えると「何が目的ですか?何に興味があるんですか?」
旅行社に電話したら人数とか日程とかを聞かれるのが普通なので面食らった。
向こうも私が女一人で個人旅行をすると思ったらしく、心配したようだ。
PNGへと向かう旅行者の目的は慰霊(激戦地ラバウルがある)、ダイビング(美しい海に囲まれている)
そして民族(独特の文化がある)であると知った。

首都のポートモレスビーが最も危険なので、日本から到着次第、国内線で観光地へと移動した方が良い、
また観光地でも危険度が上がっているところがいくつかあるのでそこは避けた方が良い、
すべての移動に安全のために現地係員の付き添いを付けた方が良い、
国際線から国内線ターミナルへと移動する数100メートルの区間でも
外国人を狙った犯罪の被害が報告されている、などという話を聞いた。

早速Rにメールでこの内容を伝える。
Rからは「ほんとうの部分もあるけど、すべてが正しいとは思わない。」
安全なスポット、ホテル、お薦めの地方なども教えてくれ、行きは一緒の飛行機に乗り、
帰りは自分はせっかく来たからもう少し滞在すると書いてきた。

後日、この代理店を夫と二人で訪問する。
事前に現地の都心部のホテルの予約価格を調べておいたが、旅行社を通すと少し高めになる。
航空券と連絡の取り辛い現地の島のホテルの手配を頼み、
首都のホテルは自分で予約しようと思い最初は断った。
しかし話を聞いている内にすべての手配をお願いすると、現地でも完全にサポートが受けられ、
例え短距離の移動でも係員が付き添うことがわかる。
初めての場所でしかも危険度が高いということを配慮して安全のための費用は惜しまないことにする。

応対してくれた担当者が既に何回かPNGにも行っているそうなので、貴重品の管理など尋ねると、
市内のホテルでは部屋のセイフティー、島のホテルではフロントのセイフティーを利用したこと、
マラリアに関してはこの地域なら予備薬を飲む必要がないことなども教えてもらった。
肌を出さないようにとか、女性であることを悟られないようにとか、
そういった心配は無用のようだった。

その後も度々、ネットで危険状況をチェックする。
7月に入り国会議事堂付近で観光客を狙ったラスカル(強盗団)の出没が多いと書かれていた。
国会議事堂はRが案内してくれると言っても断った方が良さそうだ。
またパスポートを盗まれた場合は取引すると持ち掛けられても応じてはいけない、
などと書かれいた。

7月の終わりにビザ取得のためにPNG大使館を訪れる。
駅から乗ったタクシーの運転手さんからそこはかつてディック・ミネの邸宅だったと聞いた。
住宅地にあり、門の前のブザーを押してドアを開けてもらい入館。
大理石が使われた白い館だ。
担当者に話を聞くと失業者が地方から首都へと流れ込み、
アジア系の旅行者が狙われる軽犯罪が多い、とのことだった。

これだけ危ないという情報が入ってきているのに、何故か旅行に不安がない。
それは数か月前の日本が「渡航を控えるべき国」に入っていたからだろうか。
もちろん気持ちを引き締めていかなければならないと自覚はしているが、
それはどこに行くのでも同じかと思う。
また現地にも支店がある専門の旅行代理店が日本にあり、
細かく相談しながら旅程を決めたこという安心感もある。
そしてRの故郷を観てみたいという気持ちの方が自分の中で勝っていた。

R

2011-08-10 13:31:50 | パプアニューギニアへの旅
行き付けのソウルバーのカウンターに座って飲んでいると隣に人の来た気配がした。
「ママさん、オンザロック。」と言うのを聞いて、私は思わず吹き出してしまった。
途端に「何が可笑しいんだよ?」と言葉が返って来た。
横を見るとアフリカ系ともミクロネシア系ともつかぬ男性がこちらを睨みつけている。

「こういう店でね、ママさんって言うのがちょっと面白いと思ったのよ。」
「じゃあ、何て言えばいいんだ?」
流暢な日本語とも言えるが日本の方言にも聞こえる。
「そうねー、私はY子さんと呼ぶけど、Y子さんは何て呼んで欲しいの?」
「Yちゃん!」
「ということだから、Yちゃんと呼びなさい。」

私はいつもこんな高飛車な態度で人に接するわけではない。
しかしその時はエリックべネイの来日中止のことで某ライブハウスに話を聞きに行った後で、
かなりテンションが高かったのだ。

Rも訳あって虫の居所が悪かったらしい。
どういうわけか、その日の私とRの会話はそういうペースで始まり、
ずっとそれが最後まで続いた。

「どこで日本語習ったのよ?」
「広島の大学に留学していた。」
出身はPNG(パプアニューギニア)で日本に来て20年になること、
ここ2年ほど里帰りしてないことなど話してくれた。

「で、PNGの人はみんな、いい人なわけ?」
「どういう意味だよ、それは?」
この時Rがむっとした理由が後からわかってきたが、この時点では知る由もない。
隣の席の夫やマスターも笑い転げている。

ここから会話は英語になって自分の故郷のPNGがどれだけ素晴らしいところで、
自然に溢れ、食事も美味しく、人々も優しい、そんな話をしてくれた。
そして遠くを見るような目でRは言った。
「みんなで一緒にPNGへ行こう。」

「今、知り合ったばかりでそんなこと言われても行けるわけないでしょう。
付き合いを積み上げて一年後とかね、それならわかるけど。」
「俺だって馬鹿じゃないんだ。それくらいわかってる。」
またRを怒らせてしまったようだ。
ここで私も言い返し始めた。
「あなたね、さっきから少し私に馴れ馴れし過ぎるのよ。
隣にいる夫に対して失礼だと思わないの。」
「悪かった。二人に酒を奢らせてくれ。」

そこから夫とRは仕事の話で盛り上がり始める。
二人が間に入ってPNGの生産物の輸入仲介をする話になる。
夫とRは近日中に紹介する予定の業者のオフィスで会う約束がまとまる。
時間を見ると日付はもう翌日をはるかに廻っている。
その日はそこでRと別れることになった。