Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

アメリカンアイドル シーズン10 ハリウッド・グループ審査

2011-02-28 10:03:35 | アメリカンアイドル
アメリカンアイドルの中で最も過酷な審査と言われるグループ審査。
その中で精神的に打ちのめされ、人に振り回されプレッシャーに負けて行く人がいる。
有力候補だった人がここでいとも簡単に敗退してしまう、またその残酷さゆえか、
一度、グループ審査が行われなかった年もあった。

ハリウッド一次審査二日間で残った168人が最大の難関グループ審査へと。
一日目のグループは既に20曲ある課題曲の中から曲を選び、
グループを決め練習を始めていた。
それでは2日目の合格者と不公平になるとの判断で一日目と二日目の合格者、
両者からグループが構成されるようにとプロデューサーから通告がある。

グループの組み直しが始まる。
メンバーの取り合い、やっと決まった人が余所に誘われて抜けたり、
どこにも入れてもらえない人もいる。
練習を始めているグループもいれば未だに仲間探しをしている人もあり。

カントリーで低音の声、まだ10代のスコティー。
個性的だがワンパターンなゆえか中々グループが決まらない。
受け入れてくれたのは15歳のボーイソプラノ、ジェシーだった。
ところがそこのグループのリーダー格クリントが「バランスが崩れる」との理由で、
ジェシーに「抜けて欲しい」と言い出した。

どこにも行き場のなくなったジャシー。
いろいろなグループに入れて欲しいと持ちかけるが断られる。
15歳の少年は涙目だ。
両親に「のけものにされた。」と話すと「それもきっと意味のあることなのよ(神の意志)
せっかくのチャンスなんだから、楽しみなさい。」
りっぱなお母さんだ。

168人が限られた場所で練習するため、周りの人、特に同じ曲を歌う人などが近くにいると、
気になって集中できない。トイレにこもり練習を始めるグループもある。

15~16才のグループ、母親達がつきっきりでコーチングしていて、
周りの反感をかっている。

ロブは元カノのシェリー、彼と一緒にハリウッドまで来たのに彼は既に落選して一人残ったジャクリーン、
二人の女性に仕切られて疲れきっている。

感情の激しいアシュレイ、疲れと緊張から限界に達し棄権したいと言い出した。
メンバーが説得にかかるがなすすべもない。
ボーイフレンドが元気づけようとしている。

ジョーダンのグループに入りたくて自分の歌を聞かせるシェーン。
何とその曲はエリック・べネイのアルバム"Hurricane"の"The Last Time"だった。
ジョーダンは自分のグループの方向性と合わなくなってきて抜けて行く。
そのことでメンバー達の怒りをかう。

アシュレイは自分のグループに戻る決心をする。

ジェシーはまだメンバーがそろわないまま練習を続けていたブレッドのグループに誘われる。
ブレッドは高校でいじめにあっているとオーディションでは紹介されていたが、
この番組に参加してリーダーシップを発揮し自信に満ちている。
ジェシーは「このままだとメンバーが見つからなくて失格かもしれなかった。
誰かが来てくれることを祈っていたらあなたが来てくれた。」と歓迎されて嬉しそう。
このグループの課題曲は"Mercy"
「曲を知らない」というジェシーに「今から覚えればいいよ。」と励ますブレッド。
15歳のジェシーは半日の間に地獄と天国を見た。

翌日の朝8時半、39組が集合。
「できると信じろ。」スティーブン・タイラー。
「人に惑わされないで。」ジェニファー・ロペス。
「歌詞を忘れるなよ。」ランディー。

審査員が頭を抱えるシーンが続出。
候補者の歌が聴くに堪えないからではない。
応援していた人、お気に入りの候補者が力を発揮できない姿に失望しているのだ。

リタイヤ―しかけたアシュレイのグループは「最高のハーモニー。」と絶賛され、
全員合格。
アシュレイが抜けると決めた時にも彼女の気持ちを理解しようとして、
戻って来た時にも受け入れたグループ、結束が固い。

ブレッドのグループに入れてもらったが歌詞を覚えきれなかったジェシー。
歌詞を忘れたが歌い続けるジェシー。
「僕はここにもういれらないかもしれない。でも帰りたくない。だって楽しいから。」
と自分の気持ちをメロディーに乗せて歌った。
全員が合格。
ジェシーが泣いている。彼の合格に歓声を上げる会場の仲間がいる。

スコティー。
自分のせいでジェシーが抜けたことに傷ついている。
合格になるがその思いを引きずっている。
まだ16才の田舎育ち。
こんな少年がいきなりショウビジネスの厳しさに翻弄されるのは痛々しい。
しかしグループを追い出されたジェシーが最後までやり通し、
「僕はこのグループ審査を通過できたことを誇りに思う。」と胸を張る姿は見ていて爽快だ。

ジェシーをグループからはずしたクリントは反感をかうが合格。
人柄を競う番組ではない、歌が巧ければ認められる。

ロブは元カノと仕切りやの女の子の間に入ってボロボロになる。
二人は合格、落選したロブは家に帰っていくが何かホッした表情だ。

次回はグループ審査で残った人の個人審査。
番組は更に候補者を篩に掛けて行く。

今井金吾の世界

2011-02-27 09:27:08 | 私の日々
今月のダイナースクラブの月刊誌「シグネチャー」、
伊集院静のエッセイ「旅先でこころに残ったことば」は、
こんな出だしで始まる。
「旅はさまざまなことを私たちに教えてくれる。
今の若者はあまり旅に出ないと言われているが、私はそれはいっときの風潮であり、
そう心配することでもないように思う。」

同じ雑誌の中で美術作家・杉本博司のインタビュー記事があり、
こちらの出だしも「外国に興味をもたない若者が増えているという。
海外旅行に行くよりも家でほっこりしていたいのだという。
『僕達の時代は圧倒的に情報量が少なかったのですから。(中略)
いまは、ありとあらゆる情報がパソコンで手に入る時代。』」

若者とはいったいいくつくらいの人々を定義しているのだろう。
20才前後から30代前半ぐらい?
このブログを読んで下さっている方でこの範疇に入る年齢の方、
私とfacebookで繋がっている方は、みなさん旅好きなように思えるがどうだろう?

先週行った朝日カルチャーセンターにおける金子三勇士、真嶋雄大の「リスト「らしさ」とは何か」
の講座の中で1800年代に入ってから旅のしやすい環境になったこともあり、
リストは旅先で見聞を広め、それを曲へと作り上げた作品を「巡礼の年」としてまとめたという説明を受けた。
金子三勇士自身も「リストが『巡礼の年』で訪れた各地を巡る旅をしてみたい。」

ポーランド大使、ヤドガ・ロドヴィッチが講演会の中で「ポーランド人は旅好きな国民です。」
フランス語の教科書にも「フランス人は国民性として旅行が好き。」とある。
個人の問題でなくて国民性として旅を好むと好まざると分かれるのだろうか。
だとすれば、日本人は旅好きな国民と言えるのかもしれない。

地元の歴史博物館で「今井金吾の世界」という特別展が行われている。
先日、学芸員の方から丁寧な説明をしていだたいたのだが、
今井金吾氏は新聞記者を経て江戸の旅について書かれた書物「道中記」と言われる文献、
また江戸の旅にまつわる歴史的なコレクションを所蔵され、実際にその地を自分の足を使って歩き、
それを文章としてもしたためられてきた。
そのスタイルを尊敬し、今井氏の書かれた本とともに江戸の旅を辿るマニアの方もいられるそうだ。
90歳を前に亡くなられた後、その遺品が当地の歴史館に寄贈され、
それがテーマに分けて分類され展示されている。

江戸時代にタイムスリップして自分が一人で旅をするということを追体験してみた。
まず女性が旅するのは男性よりもずっと厳しくなる。
「入り鉄砲に出女」江戸の町に武器は持ち込まれないように、
女性は出さないようにとされていた時代。
今でいう「パスポート」には写真などないゆえに姿形の特徴が細かく文章として書かれる。
その上、更に女性の検査官もいて関所ごとに厳重に調べられたようだ。
いくつかの関所を通るための通行所が必要になる。
その今で言えば「ビザ」そこに書かれた文章の内容は、
まず仏教の寺院に属する檀家であること(キリシタンではないという証明)
またもし万が一、生き倒れになった際にはその地の作法で埋葬し、連絡不要とまで書かれている。
この時代の旅はこれではまるで命掛けだ。

その他に馬や籠を借りる際の許可書なども携帯する。
この時代だからプラスティックやビニールなどはもちろんなく、紙でさえ薄い半紙。
これをいったいどのように持ち歩いたのだろうか。
畳んで更に紙で包み、布で包む。
そんなものが現在まで残っているとは。

例えば旅先でお風呂に入るとか。
ほんとうに危険が迫っていたら風呂どころではなく入らなかっただろう。
しかし日本人の国民性として「風呂好き」「清潔好き」とも言われる。
当時は来客に対してのもてなしとして食事だけでなく風呂の存在も大きかった。
今のようにセイフティーボックスなどもない時代、
連れがいれば交代に貴重品の番をするとして、一人でもお風呂に入りたかったらどうしたのだろう。
それこそ「肌身離さず」目の届くところに必ず置いたのだろうか。

それでもそんな思いをしても旅する女性はいた。
その目的はいったい何だったのだろう。
観光と言うよりも強い信仰からお伊勢参りや四国を巡るまさしく「巡礼の旅」が目的だったように思う。
あるいは武士の妻や子供として必要に迫られて。

ミシュランのガイドブックではないが、そういった際に安心して女性でも泊まれるように、
その地域で認定された宿というのが紹介されている。
また旅行の際の携帯品、小さくまとまったハサミ、鏡、携帯用の白粉を入れるための小袋。
展示されている化粧袋には当時の白粉がそのまま入っていると聞いた。
その当時の白粉には水銀、鉛が含まれていて毎日、厚化粧を強いられた遊女の寿命が短かったのは、
鉛中毒が原因でもあるそうだ。
一人旅どころか、美しく装うのもその当時は命懸けだったのか。

日本では1600年代から人々が旅をするようになり、
しかしながら関所を通るごとに通行証が人数分必要なことから、
(たとえば同行者の人数が書かれていて変更があると申請し直しが必要になる)
その手間の煩わしさから江戸からは関所を通らない鎌倉、江の島などへの観光も盛んになった。

この博物館を見学すれば随所に江戸の人々の気性や好んだ物が理解できる。
クジラが岸にうちあげられたと聞けば見物に行き、春は桜を愛でながら宴会。
当時は桜の種類が今よりもずっと豊富で各所で違った花が見られたようだ。
好奇心旺盛で美しい物、新しい物、美味しい物が好きだった。
神社仏閣ももちろん大切にした。

こういう気質は今の東京人にも受け継がれているはずだが、
旅をすることが特に女性が出掛けて行くことが、
どれだけこの時代には特別で危険であったかは充分察せられる。
それでもその時代に旅をする女性はいた。
せざる負えずに出掛けて行ったのか、自ら好んでなのか。
旅好きの私としては興味が尽きない。

今、自由に女性でも一人でも旅ができるということがいかに恵まれているかもよくわかった。
せっかくそのような時代に生まれながらそれを謳歌しないのはもったいないことにも思えるが、
今だに一人旅というのはサバイバルが掛かったチャレンジとも言える。
今の「若者」が旅を好まないというのはそういうリスクを嫌うからなのだろうか。

Jeff Lorber-Grandma's Hands

2011-02-26 15:50:07 | エリック・ベネイ、アルバム外の曲
2007年の9月、エリック・べネイは来日してブルーノート東京と
東京国際フォーラムの東京ジャズフェスティバルに出演した。

その頃、アメリカではエリックのライブがほとんどなかった。
その時期に東京から毎晩エリックのライブに行き、ライブレポートをアメリカのファン達へ送り、
またNHKハイヴィジョンで放映された東京ジャズフェスティバルの映像をコピーワンス、
日本でしか読み取れなかった画像を改造してアメリカのファンクラブの会長トロイリンに送ったところ、
お礼に未発売、アルバム外のエリックの曲をいくつかプレゼントしてくれた。
エリックの歌で未発売の曲、アルバム外の歌がずいぶんあってびっくりした。

その内の一つ、"Grandma's Hands"、Jeff Lorberの"He Had A Hat"というアルバムに収録されている。
ゴスペル風のこの曲、エリック以外の人も歌っている。
もっとブルースっぽくギターだけで歌っているアーティストの映像もある。
エリックの歌う"Grandma"s Hands"は優しくて、懐かしい感じがする。
日本語にするとそのまま「おばあちゃんの手」
暖かく癒してくれるおばあさんの温もりが歌に表現されている。

エリックは自分の祖母を思いながら歌ったのだろうか。
むしろエリックの娘インディアとエリックの母の関係を目に浮かべながら歌ったのでは。

YouTubeに祖母とおそらくその孫がハグする写真と共にこの曲をアップロードした人がいる。
ファンクラブのメンバーでニューオリンズでも会ったクレアがそのことを教えてくれた。

Jeff Lorber-Grandma's Hands

アメリカンアイドル シーズン10 ナッシュビル・オーディション

2011-02-24 11:35:51 | アメリカンアイドル
テネシー、ナッシュビルのオーディション。
ここはかつてキャリー・アンダーウッドが発掘された地。
会場はオ―プリー・ライアン公会堂。
やたら音の響きが良い場所だ。

チェルシーとロブ
元恋人同士の二人。チェルシーには新しい彼がいる。
別れたけれどデュエット。
その後、別々に歌ってどちらも合格。
二人が一緒にハリウッドに行くと知り、チェルシーの恋人は複雑な表情。
ロブはまだチェルシーが忘れられない。

ストーミー
ミスティーンUSA、若き日のブルック・シールズ、シンディー・クロフォード風の美女。
ランディーとスティーブンは甘く"Yes"を出してしまうが、ジェニファーは"No"
ストーミーが退室した後でジェニファー「あなたたち、本気なの?」

アドリエンヌ
アフリカ系だが2歳で白人の夫婦の養子になり農業を家族でやっている。
スティーブンに褒められて涙。ハリウッドへ。

カミ―ラ
「チャカ・カーンを歌うわ。」の言葉に期待したが最悪の結果に。
それでも会場の音響が良いので声が通る。
「もっと練習しろ。」とスティーブン。
「君は歌は辞めた方がいい。」とランディー。
ジェニファーもノー。
カミ―ラが部屋を出た後、スティーヴンはランディーに、
「おい、ランディー、下手だなんて言うな(出場者を傷つけるな)」
何時間も待った人を落胆させることをスティーブンは気にしていた。

ナッシュビルは巧い人と下手な人のギャップが激しい。

ローレン
15歳、やはり才能がある人はその人が部屋に入って来た時から、
周りを惹きつける、微笑を誘う。
「年齢や出身は関係ない。もっているヤツは持っているんだ。」とランディー。
ハリウッド行きが決まると「家族を呼んでいい?」
家族が入ってくると「ママが好きなの。」とエアロスミスの曲を歌い、
スティーブン・タイラーも一緒に歌わせる。
審査員もスタンディング、ライアン・シークレスともにっこり。

「やはり"Yes"と言える方が"No"というよりもずっと気分がいい。」とスティーブン。

Eric Benet - Love and Happiness, Live in Pori Jazz Festival 1997

2011-02-22 18:16:12 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
Eric Benet - Love and Happines, Live in Pori Jazz Festival 1997

2007年のエリック・べネイの来日、アンコールはアル・グリーンの"Love and Happiness"だった。
観客を左右、"Love"サイドと"Happiness"サイドに分けて歌わせる。
これくらいならこの曲を知らない観客もすぐに入り込めることができる。

この映像は1997年。
まだエリックがメジャーデビューしたばかりの頃。
野外のライブ会場では大勢の人がいるようにもまばらにも見える。
エリックが歌っているとスタンディングで応えている観客もいれば、
座って見守っているような人も。

最後にエリックは観客に要求する。
「一緒にこの部分を歌って欲しい。」
群衆は歓声を上げてエリックに応える。
しかし「いや、まだ足りない。」ともう一度、歌うことを促すエリック。

14年前の映像。
昔からこういうことするの好きだったんだ~と思わせる映像。
参加しない観客も最後には強引に巻き込むエリック。
普段の優しくソフトな様子とは違う強面のステージの姿。

14年前のエリック、今と余り体型は変わっていない。
むしろ今の方がほっそりしている。
内面的には今の方がずっと奥が深い感じがする。

金子三勇士 公開講座 2/19 @朝日カルチャーセンター

2011-02-21 16:19:33 | ピアニスト 金子三勇士
この日の講座に申し込んだ方はまさか自分がめったに出会うことのできない
稀にみる演奏会へのチケットを手にしたことをその時からわかっていただろうか。
もちろん私も当日の内容がこれほどまでに濃いとは予想もしていなかった。

会場に着くとコンサートホールかと思いきや、講義室の一室。
正面にピアノが置かれ、大学の聴講用のような右脇に小さなテーブルの付いた椅子が、
ピアノを囲んで30客ほど。
ピアノ横に講師用の椅子とテーブルが用意されている。
中央二列目の中心からピアノに向かって若干左寄り、鍵盤と手の見える位置を確保。

新宿朝日カルチャーセンター公開講座:リスト「らしさ」とは何か
講師 ピアニスト 金子三勇士 音楽評論家 真嶋雄大
演奏予定曲:ハンガリー狂詩曲第2番、夜想曲第3番「愛の夢」
「巡礼の年 第一年スイス」より「泉のほとり」
「巡礼の年 第二年イタリア」より「熟慮する人」
ピアノ ソナタ ロ短調

講座は第一曲目「泉のほとり」の演奏からスタートした。
水が湧き出す場所にはマイナスイオンが満ちていると言われる。
この曲を聴いていて清らかな湧水の溢れる豊かな自然に包まれているような心持になる。
演奏終了後に金子三勇士より「泉の水の湧く様子にはリズムやテンポがない。その不安定な部分、
自然界の様子が表現されている」と解説が入る。

講師とピアニストとのパネルトークが始まる。
真嶋雄大「まずリストの作品にどのようなイメージを持っていますか?」
金子三勇士「楽譜を開いて読むだけでも伝わってくるものがあります。
後でわかったことですが、リストの人間性が作品に詰まっていて、
それが興味を持たせるだけの力を持っていると思います。」
真嶋「興味とはどのような点にでしょう?」
金子「何を伝えたいかと思い、何をしているかが興味深いです。
リストの作品にはメッセージ性が強く、それがお客様へのメッセージなのか、
演奏者に対してのメッセージなのか、昔からどちらなのかと思っています。
昔と言いましても・・・(笑)」
会場からも笑いが沸き、真嶋雄大から「まだお若いんですよ、21才です。」

真嶋「リストというと超絶技巧のイメージがありますが?」
金子「リストの時代には音楽に大きな変革がありました。
リストには華やかな作品も多くあり、それもリストの一面ではありますが、
それだけではない面も多くあります。」

真嶋「リストの考え方は同時代のショパンやシューマンと較べると自分の心情を二人よりも、
深く投影しているように思えます。
そしてそれが宗教的な物へと変わっていき、また現代的な部分もありますね。」
金子「考えというよりも感じたことをそのまま表現していて、
自分の心境の変化がそのまま曲になっている、
超絶技巧的な曲の中でも、第一、第二、第三版と書き直している曲もあります。
第一版なんておそらく弾けないでしょう。10年掛ければ弾けるものかもしれませんが(笑)
その都度、自分の思ったことを演奏していて、即興で演奏した物を家に帰ったから譜面に映す、
ここまでする人は中々いないと思います。」

真嶋「リサイタルという言葉を作った人としてもリストは知られていますが、
激動の時代の中にいたからこそ、リストにもいろいろな変化があったと考えられますね?」
金子「おっしゃるとおりです。ピアノも大きく変わった時代でいくつものメーカーが生まれました。
一人のピアニストが出てきてお客様を飽きさせない演奏をする。
ピアニストとして華麗なパーフォーマンスをしたというエピソードがありますが、
それはお客様を惹きつけるためにしたことで、
だからこそリサイタル形式が定着したと自分は考えています。」

「巡礼の年」より「熟慮する人」の演奏。
さきほどの「泉のほとり」とは対極に近い。
リストが芸術作品(ミケランジェロの彫刻)を観て感じたことを曲にしたとされるそうだが、
"Il Penseroso"「物思いに沈む人」のタイトルの方がふさわしいだろうか。
重々しい曲調だが決して聴く人を暗く引き込むようなものではない。
むしろ哲学者や宗教家が深く思惟し高い次元で瞑想に入っているような印象だ。

「巡礼の年」とは題名の通り、旅がより移動しやすく快適になった時代、
いろいろな土地へと旅をして見た物、感じた物を作品にしたと解説が入る。

さてここからは金子三勇士自身のインタビューへとなる。
ピアノに初めて触れたのは2歳半。
ハンガリーの祖母からプレゼントされたバルトークの作品でコチシュの演奏による
子供のための演奏曲集を聴いたことをきっかけにピアノに目覚めた。
レパートリーが一時間程の演奏会ができるまでに達した。
親類縁者、近隣の人を集めてミニリサイタルを行い、これをヴィデオに撮った。
その後、ハンガリーを家族で旅行した際に教育者、演奏者でもある祖母がある音楽家にこの映像を見せた。
そこからぜひ、ハンガリーに来て勉強しないかという話が出る。
本人はハンガリーに行って勉強したいという気持ちが固まってくるが、
父からも「ほんとうに行くのか?」と何度も意志を確かめられた。
家族で話し合いを重ねた結果「辛かったらいつでも帰ってくればいい。」と送りだされるが、
反対に何があっても帰らないだけの覚悟が定まった。

ハンガリーに行ってからの道も決して安易ではなかった。
しかし自分には音楽があったし、それが目標でもあったのでくじけず頑張り続けることができた。
小学校六年の時にその当時教わっていた先生から「リスト音楽院を受けてみないか」と提案される。
まさかの合格となり11歳から大学へ通うことになる。
16才になり全課程を修了した時、父方の親戚から音楽の道にも精進しつつ、
東京に住んで日本の文化も学んでみないかと話があり日本に戻ってきた。

話題はリスト ピアノ・ソナタへと移る。
金子「リストの代表作であり、作品としての作りが大きい。
ベートーベンにもピアノソナタはありますが、20分の作品で構造的にも分かれています。
しかしこの曲は一つの曲としてまとめられている中にいろいろな内容、
初期、後期の作風、当時のヨーロッパの歴史的文化、人々の考え方、哲学、
これ一曲を聴いてもリストが理解できるといっても過言ではないほどの作品です。
超絶技巧も入っていますが、それ以外の部分の持つ意味も聴きとって頂きたいと思います。
ここのところ、この作品を弾く機会に恵まれますが毎回がチャレンジ、
50年後もこの曲へのチャレンジは自分の中で続いていくでしょう。」

「ピアノ ソナタ ロ短調」
良い意味で毎回、期待を裏切り続けてくれている。
またそうでなければいけないはずの曲だ。
観客の予想通りの展開には決してならない。

今回はひとつの音に感情を乗せることの難しさ、短い和音、片手で弾く一音にメッセージを託す、
それが見事なまでに完璧にこなされる様子に心を奪われた。

しかしやはり超絶技巧も素晴らしい。
この作品の中で大きな魅力となっている。
鍵盤と手の見える位置に座りながら、肉眼で指の動きを捉えることができない。
べダル使いでさえ、見過ごしてしまう。
勢いのある演奏に椅子さえも動いてしまった。
片手で弾く際に本人が前へと寄せている。

日本語で「超絶」と訳されている"transcendante"、
仏語辞典を引くと「卓越した、優れた、ずば抜けた、
(哲学)超越的な、日常的な経験の世界を越えた、意識の領域外にある。」
と書かれている。
まさにその言葉通りの演奏が目の前で繰り広げられていく。

最後の一音の持つ凄みに圧倒された。
深く余韻を残してピアノ・ソナタの演奏は終了した。
30分間、姿勢を変えることもなく固まって聴き入っていたことに気づく。
観客も一体となり固唾を呑んで見守っていた。
二日たった今日もこの曲が頭の中で聴こえている。

「ハンガリー狂詩曲第2番」
リストがハンガリーの民謡を基に作曲した曲(実際はハンガリーではなくロマ、ジプシーの民謡だった)
今年に入って青葉台、鎌倉、この日と三度に渡りこの曲を聴くことができたが、
CDに入っているオリジナルから更に毎回アレンジを加え、表情豊かにアピアランスを変え演奏される。
本人も楽しみながら弾いている様子がみてとれる。

最後に時間をオーバーしていたが観客と主催者側からのリクエストもあり、
プログラム通り「愛の夢第三番」の演奏。
講師の真嶋雄大からあるピアニストの言葉として、
このような曲を作っても全く下品にならないことがリストの偉大さであると紹介された。

金子三勇士、ピアノに一瞥を投げかけながら退場。
いつも重なるアンコールの後に最後にはピアノの蓋を閉じて退席していくのが慣例。
今回はそれがなくて名残惜しげに見える。
近くで聴いているとピアノが一時間半の間に金子三勇士に馴染んで、
どんどんと変わっていくのが感じられた。
主催者側から、これだけの拍手で終了する講座は校内でも中々ないと締め括られた。

さて、この日の演奏後に、金子三勇士から、
「『巡礼の年』でリストが行った場所を巡る旅を一度してみたいです。」
という話が出た。
「巡礼の年」の史跡を巡る旅ももちろんしてみたいが、一般向けのツアーとして、
「リスト生誕200年に寄せてーピアニスト金子三勇士と巡るハンガリーの旅
(ブタペストにて金子三勇士の演奏会付き)」
こういう企画をJTBやHIS、あるいはジャパンアーツや朝日カルチャーセンターで
催行してくれないだろうかと思っている。

「音楽の友」3月号にもリストの特集として、
この日の講師、真嶋雄大による金子三勇士のインタビュー記事が掲載されている。

金子三勇士、今後のスケジュール
3/25(金) 18時~ ホテルオークラ「オークラ音楽賞授賞式」
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/material/pdf/press_release/2010/hot_1217.pdf
4/24(日) 14時~ 京都市交響楽団大阪特別公演 シンフォニーホール
http://www.kyoto-symphony.jp/concert/detail.php?id=98&y=2011&m=4&PHPSESSID=ab9a96166f93b3c673e59dca593d44e9
7/23(土) 14時~ デビューリサイタル 東京オペラシティー
http://www.japanarts.co.jp/html/2011/afternoon/index.htm#ticket
8月、10月とオーケストラとの共演でリストピアノ協奏曲の演奏も予定されている。

Eric Benetインタビューby YouKnowGotSoul 2/2

2011-02-19 00:06:09 | "Lost In Time"発売後
ここ数年、音楽業界において普遍的な存在が欠如していることは誰もが感じていた。
ラジオから聴こえてくる曲には魅力が乏しく数年すれば消えてしまう曲ばかりだ。
ゆえにエリック・べネイのような本物でタイムレスな曲を作り続けているアーティストは尊敬に値する。
YouKnowGotSoulはエリックべネイ”Lost In Time”を2010年のトップR&Bアルバムとして選んだ。
インタビュー中にエリックとなぜ70年代のサウンドへのオマージュをアルバムのテーマに選んだのか、
これが彼の今までで最強のアルバムか、どのように完璧なデュエットのパートナーを選ぶのか、
ビルボードのチャートにランキングされないことを残念に思うのか、
娘とのデュエットの感想、タイムレスな曲作りを目指すこと、等々を質問した。

YKIGS: Newアルバム”Lost In Time”について聞かせて下さい。
このアルバムはあなたをアーティストとして磨き上げた70年代への
愛情のこもったオマージュだと読みましたが、なぜこの時代に焦点を充てたのでしょうか?
Eric Benet: 「君も分かっているように特にR&Bに関しては近年充実がみられない。
僕の考えるほんとうの音楽性、アーティスト魂のようなものが感じられない。
僕の考えるR&Bはもっとボーカル重視だ。基本があり、質の高い物。
実際に歌い演奏し、心の機微が声に現れる、そういうもののはずだ。
僕は今回のアルバムを生のストリングスによってR&Bの本質に迫るCDにしたかった。」

あなたのファン達はこのようなアルバムについてどう思っていますか?
「反響は良く、ファン達にとって特に違和感はなかったはずだ。
1stアルバムから70年代の影響は感じられると思うし、
そのことを僕が追求した結果このアルバムに至ったことはファンにとっては必然に感じるだろう。」

YouknowIGotSoulでは、2010年に発売されたすべてのR&Bについてのレビューを書いて来ましたが、
昨年はR&Bの当たり年とも言えた。R. Kelly とEl DeBargeのアルバムも候補に挙がりましたが、
あなたのアルバムをトップアルバムとして選びました。
「それは素晴らしい!ありがとう。知らなかったよ。感謝している。」

今までで最高のアルバムだと思っていますが、どうでしょう?
「ありがとう。僕もそう思う。いくつかの進化があった。
どのアーティストでもずっと活動してくれば、必ず良くなってくる、
時間と共に変化があるのは当然だ。ずっとこの業界でやってきて、
真剣に70年代へのオマージュを捧げることを考えていた。
経験と時期が熟するのを待っていて、そしてとうとうその時がやってきてこのアルバムが出来上がった。
だからこそ自分にとってのベストなアルバムと言うことができる。」

このアルバムは音楽評論家達に絶賛されながらもビルボードのチャートでは33位に留まった。
このことはあなたを失望させましたか?
「がっかりはしなかったね。もちろんナンバー1になっても良かったと思うよ。
でもR&Bのカテゴリーの曲がそうなることはほとんどない。
自分の曲が最初の週にトップ5に入らなかったとしてもその曲が終わってしまうわけではない。
それはそれで、また次の曲を作っていこうというエネルギーへと繋がっていく。
ポップスやヒップホップの曲がナンバー1になっても次々と移り変わっていく。
そういうものなんだよ。」

最初のシングル、"Sometimes I Cry"はアーバンA/Cチャートでナンバー1になりました。
作った時、そうなることを予感していましたか?
「誰もその曲がNo.1になるかは予想できないよ。でもこの曲は人々の共感を呼び、ヒットすると思った。
そして実際にそうなった。」

"Never Want To Live Without You"、なぜこの曲をセカンドシングルとして選んだのでしょう?
「自分は実はシングルカットすべき曲を選ぶのは得意じゃないので、レーベルと相談しながら決めた。
クラシックR&Bサウンドであるこの曲は"Sometimes I Cry"の次のシングルとして
アルバム全体のテーマに相応しいものと判断された。
ストリングスもボーカルもR&Bの王道を行く曲なので、
アルバムの雰囲気を象徴しているものとしても考えられる。」

このアルバムはほんとうに素晴らしくてどの曲にもパワーがあるだけにシングルとしてどれを選ぶか、
とても悩んだことと思いますよ。
「そう言ってくれて、ありがとう。感謝しているよ。」

アルバムの中で好きな曲の中の一つにお嬢さんとデュエットした"Summer Love"がありますが、
自分の娘とコラボするのはどんな感じでしたか?
「ありがとう。僕もこの曲は好きなんだ。
娘のインディアと一緒に仕事するのは楽しかったよ。
何十年も多くのプロの歌手と仕事をしてきたが、それぞれ自分のボーカルの部分に入り込むのに、
時間が必要だった。インディアはとても呑み込みが早く、親として誇りに思ったよ。
期待通りにやってのけたよ。彼女は歌の才能がある、そしてソングライターとしても。
今、自分の曲を作っている最中だ。」

自分の娘とそんな風にコラボレーションできる人はそういないと思う。
「確かに。娘とそういう一時を共に過ごせるのは恵まれているね。」

以前にフェイス・エバンスと"Georgy Porgy"で90年代終わりに組んでいますが、
今回のアルバムでも共演していますね。フェイスと一緒の仕事はどうでしたか?
「僕はずっと彼女のファンで素晴らしい歌手だと思ってきたから、
彼女と最初に組んだ時は最高の気分だったよ。
最初は憧れの人とレコーディングしていると思って緊張したけれど、
だんだんと彼女が優しくて謙虚な人だって、わかってきたんだ。
"Georgy Porgy"は二人にとって代表曲となりヒットした。
それ以来、彼女と次にデュエットすることを考えてきて
チャンスと彼女に相応しい曲が作れるのを待っていた。
僕と従兄のジョージで"Feel Good"を書きあげた時、すぐに考えたのはフェイスのことだった。
彼女にぴったりだと思ったんだ。」

今までそれほどたくさんの人とデュエットして来ていませんね。
でもデュエットした相手とは最高の作品を作り上げている。どうやって相手を選ぶのですか?
「ソングライティングに等しいね。歌を書いている時、言葉を書く前に、
メロディーが最もそれにふさわしい言葉を教えてくれるんだ。あるいはそのイメージがわいてくる。
メロディーが沸いてくる時がある、憂鬱だったり、興奮したり、怒りだったり。
それにぴったりな言葉を探せばいい。デュエット相手も同じことだ。
その曲にフィットする相手が必ずいるはず。時にはその相手が微笑みながらその歌詞を口ずさむ様子まで
浮かんでくるほどだ。曲に最もふさわしい相手を選ぶのは重要だ。
そうしなければ、その曲に魂を吹き込めないから。」

デュエットに関する話が続きますが、クリセット・ミシェルとのコラボレーション曲"Take It"
これも素晴らしい大好きな曲です。どのようにしてコラボレーションを進めたのでしょう?
「クリセット・ミシェルが登場してからずっと僕は彼女のファンだった。
クリセットの方も僕のショウを観に来ていて僕のファンだって言うんだ。
それでずっと彼女とコラボしたいって思っていた。
"Take It"の曲が出来上がった時、これは彼女にぴったりだって思った。
個性的で生意気な女の雰囲気でこの曲を完璧に仕上げてくれたよ。」

FantasiaとKandiとのツアーを終えたところですが、感想を聞かせて下さい。
「楽しかったよ。順調で笑いに満ちていた。二人ともとっても優しくて、才能がある歌手、
一緒にステージで組めて良かったよ。個人的にもツアーを楽しむことができた。
またぜひ一緒にやりたいね。」

あなたの履歴を読んでいて、80年代の終わりに"Gerard"という内輪のバンドをやっていて、
グループが解散した後、UPSで働いていたそうですが、その時、今の自分を想像できましたか?
「もし、自分に夢があるなら、決してそれをあきらめずに育み続けることを忘れてはいけない。
答えを言おう。僕は決して自分の夢を捨てなかった。
UPSでやりたくない仕事をしている時も、自分の夢のことを忘れなかった。
誰もが自分のやりたいことを現在しているわけではないと思う。
だがそれでも自分の向上心、大願、切望を決してあきらめずに炎を燃やし続けることだ。」

90年代のタミアとのヒットソング"Spend My Life With You"、この曲をタイムレスな音楽、
タイムレスなR&Bとして捉えれれています。
あなたの作品は人々からタイムレスとされている、そのことをどう思いますか、そしてどうすれば、
そのような曲が作れるのでしょう?
「アーティストにとって、それは最大の褒め言葉だね。画家でも作家でもソングライターにとっても。
自分の作品が時を、年代を超えて後世に残る物だと評価されるのは。
だからこそ、いつもそうありたいと思って作品を作っている。
ゆえにそう言われる時ほど嬉しいことはない。」

これで私のこちらの質問はすべてですが、あなたが付け加えたいことは?
「話せてとても良かった。そしてそれでは、これを最後に。
ツイッタ―のフォローをよろしく。Twitter @Ebenet
そして僕のウェブサイトもね。EricBenet.net
僕のツアースケジュールも掲載されているから、ぜひチェックしてみて。
以上だ。」

http://youknowigotsoul.com/?p=5326

エリック・べネイ、ライブ2/13@Chattanoogaテキサス

2011-02-18 13:47:29 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
2/13、テキサス州で行われたエリック・べネイのライブのリキャップをredmamaがアップしてくれた。

******************
先週はまずアトランタでのエリックのサイン会(ショッピングモールでサイン会が行われ、
多くのファン達が詰め掛けた)に始まりテキサスのライブに終わった最高の週末だった。

会場のドアオープンは7時。周りはバレンタインのデコレーションでとっても綺麗。
入口には赤いバルーンが、テーブルクロスは赤と白、テーブルには赤いバラが飾られいる。

夫(Jeff)と私(redmama)は思っていたよりも良いテーブルに座ることができた。
ステージ正面から2列目の右側。
ヴィッキーのテーブルの番号を聞いていたのでテーブルに行き「この中にヴィッキーはいる?」
と聞いた。そこにいた人達は私の前にいる彼女を指差したの。お互いに自己紹介をしてハグして、
しばらく話をした後で席に戻った。ヴィッキーにやっと会えてすごく嬉しかった。
思っていた通りの優しい人だった、また彼女と会えるのを楽しみにしているわ。

席に戻るとパトリーナから「今、ホテルに着いたところ。」とメールが来ていた。
着いたばかりでお腹も空いているので、エリックのライブがまだ始らないのなら、
少し食事をしてから来ようと思っている、と書いてあった。
私はいつライブが始まるか分からなかったので、会場のスタッフに聞くとショウは定刻通りに始まる、
とのことだった。
パトリーナにメールすると彼女はすぐにやってきた。彼女をヴィッキーに紹介する。
三人で話しているとショウが始まるとアナウンスが入る。
さあ、席に戻っていよいよエリックが登場するのを待つばかり。

まずバンドのメンバーがイントロを始める。
エリックが現れる。
いつものように、ステキ!
ジーンズとピンクのシャツ、黒のベスト、白いナイキのスニーカー。
エリックが言うのには、「ほんとはね、今日のためにお洒落するつもりだったんだ。
何しろヴァレンタインだからね。でも僕の荷物がロスバケになっちゃって。」
でもその日の服装もいつものようにお洒落で完璧だと私は思ったわ。

エリックが出てきた時から興奮して立ちあがっちゃったんだけど、
私の後ろの人達が「悪いけれど見えないから座ってくれない?」
最初から今晩は盛り上がろうと思っていたんだけど、おとなしくしてなくちゃいけないのかなと思ったら、
一曲目の後でエリックが「さっ、踊りたい人達はステージの前においで!」と声を掛けてくれた。
そう言ってくれるのを待っていたのよ、エリック!
靴が付いてこられないほどの勢いでステージ前に突進。
ステージ前のミキサーの横、完璧な場所を確保。
夫とお財布はテーブルに置いて来ちゃった。夫も私がエリックのことだとこういう風になるのは
わかっていたって。私の気持ちはわかっているからってそんなに怒ってはいなかった。

エリックのライブは素晴らしかった。彼はできるだけ観客の傍へと入り込んできてくれた。
エリックはいつものように歌と歌の間でいろいろな話をしてくれた。
私はそれが大好きなんだけどね。
テキサスの観客達がエリックのショウを楽しんでエリックのファンだということ、
私も感じたしエリックにも伝わったはず。

Set List

1. Intro/ Love Don't Love Me
2. The Hunger
3. When You Think of Me
4. Chocolate Legs
5. Spend My Life
6. Spanish Fly
7. Sometimes I Cry
8. Feel Good
9. Never Want To Live w/o You
10. Don't Let Go
11. I Want To Be Loved
12. You're The Only One
13. Georgy Porgy

セットリストはエリックの前にあった紙をうつしたの。
"Georgy Porgy"ではエリックは私の手を取って少しの間歌ってくれた。
これは初めてのことで感激したわ。

*********************

redmama, 臨場感あふれるリキャップをありがとう!
私達、日本のメンバーもお財布や連れの人を忘れてエリックに向かって突進する日が待ち遠しい。

さてこの日のセットリスト、日本のライブでも適用されるでしょうか?
私の想像ですが、4月からエリックは日本、韓国、イギリス、フランス、オランダツアーを予定している。
その後、5月はアメリカ国内ツアーが待っている。
たぶん4月に始まるワールドツアーから、セットリストの内容は再び練り直されて、
違った物になると予想している。
それだけにどの曲が歌われるか想像がつかない。
全く予想ができないだけによけいにワクワク、ドキドキ。

bmr 3月号 音楽評論家達の語るEric Benet-Lost In Time

2011-02-17 16:37:19 | エリックべネイ、2011年来日へ
自分の好きな人のことが良く書かれているのを読むのは気分がいい。
bmr3月号の音楽評論家達の選ぶ2010年のベスト選から、エリック・べネイ評を抜粋してみた。

石島春美
「エリックべネイの新作はその暗雲(R&B界の)を切り裂かんばかりのソウルへの思慕に溢れ、
苦い過去を浄化するかのようにあらん限りのヴォーカルスキルを注ぎ込んだそれは、
アーティストとしての立脚点を示した。彼はまたしてもやってのけたのだ。
14年前のデビューの時と同じように。(中略)
よって2010年のMVPはエリック・べネイがぶっちぎり。」

荘治虫
「首位は散々悩んだ末に"Sometimes I Cry"の一曲の素晴らしさでべネイに決めた。」

末崎裕之
「2010年の一位はダントツでエリック・べネイ。」

林剛
「ここ15年近くヒップホップやポップスと共存しながらも翻弄されてきたR&Bが、
ようやく本来の姿(味わい)を取り戻したというのが昨年のシーンに対する所感。
一位のべネイはそのことを象徴する作品だったと思う。
(中略)妙に狙った感がある作品よりも、
べネイの「こうせずにはいられなかったんだ」という衝動を僕は買った。」

その他にも金島康裕、松尾潔、JAM、Muramatsu Hana氏が
ベスト10の中にエリックべネイ"Lost In Time"を選んでいる。
私にとって"Lost In Time"は掛け替えのないアルバムだが、
プロの方々からこれほどの評価を頂けるとは思ってもいなかった。

一方、ゲストとしてアトランダムにいろいろな業界から選ばれた人達の中に
エリックの名をあげる人はいなかった。
そういう意味では専門家に認められてもまだまだ一般的な認知度は弱い。

これからもエリックべネイの素晴らしさを多くの方に知ってもらうべく、
今年も気を引き締めて行く決意を新たにしたのだった。

さてエリック・べネイ、4月の来日、すべての予約が既に始まっています。
それぞれの方の行く日をメールでも頂いていますが、だんだん把握できなくなってきました。
みなさん、どんどん見る回数が増えているようで追加予約や2ショウ続けてみるという
良い意味での心変わり、嬉しいですね。

エリックべネイへの20の質問

2011-02-16 00:07:19 | エリックべネイ、2011年来日へ
2011年2/14にBridget Bland が行ったシンガーソングライター、Eric Benetへの20の質問
http://www.bvnewswire.com/2011/02/14/20-questions-eric-benet/

エリック・べネイは過去にフェイス・エヴァンスとコラボした”Georgy Porgy”,
Tamiaとのデュエット曲”Spend My Life With You”などがあったが、
ハル・ベリーとの結婚の破局により、
エリックには不貞を働いた男という悪いイメージがマスコミにより刷り込まれた。

しかしこれは今やすべて過去の出来事となった。

グラミーノミネート歌手のエリックべネイは先日、婚約の発表をし、
また彼の娘のインディアも歌手として父親の後に続きつつある。
べネイはKandiとFantasiaと共にツアーを行い、最新のアルバム”Lost In Time”も
好調な売れ行きだ。

44才になったエリックに婚約者へのプロポーズ、崩壊した以前の結婚から学んだことを話してもらった。

ここに20の質問がある。

新しいアルバム”Lost In Time”の評判はどうですか?
「評判は上々だよ。このアルバムのコンセプトは70年代、80年代のR&Bと
ソウルミュージックへのオマージュ。
生の楽器の演奏、そこに歌が加わり、機械ではなく手作りの音楽があった時代。」

ライブで新しい曲を歌う時、周りの反応はどうですか?
「最高だね。特に新しいアルバムから最初にシングルカットされた”Sometimes I Cry”は、
ヒットチャートで数週に渡ってNo.1ソングになった。
この曲がオンエアされる前に観客の前で歌う機会があったのだけど、
聴いていた人たちの反響の大きさにこちらが驚いたほどだ。
普通は反対なんだ。ラジオで聴いたりしてまずその曲を好きになる。
そしてライブで聴いた時に「あの曲だ。」と喜んでくれる。それなのに未発表の段階で、
人々はこの曲を喜んで受け入れてくれた。」

あなたは今婚約中でまた10代の娘もいる、
今のあなたの生活は人生においてどういう段階にあり、
またそのことは新しいアルバムにどう影響している?
「今の自分の生活は夢のようだ。娘は強く、美しく、賢い女性に育ってくれて、
とても誇りに思っている。
生涯共に過ごしたいと思う女性もいて最高に恵まれている。
そういう気持ちが今の自分のアルバムに反映されているはずだ。」

今の幸せな状態に至るまでどうしてこんなに時間が掛ったのでしょう?
「それは自分が成長したからだ。
人生で犯してしまった多くの間違いは自分が若くて未熟だったから起きた。
今は経験から学んだ智慧により、幸せがもたらされた。そのことを自分でも納得している。」

お嬢さんについて。あなたの後に続き音楽の道へと踏み出していますね?
「娘は歌手としてもソングライターとしても才能があるよ。
今回のアルバムでも一緒に仕事をした。しかし親としては今の段階では、
音楽よりも学生生活を大切にするように薦めている。
自分が大学を中退する時も親には大反対された。
今、自分が親になってみてその理由が良くわかるよ。」

あなたが心配しているのは、名声についてまわる数々のことや、業界の厳しさ?
それについてお嬢さんと話したりしますか?
「まさしくその通り。この業界はいろいろな面があり、自分のキャリアも
浮き沈みがあった。精神的に強くないとやっていけない。
娘の幸せを望むのは父として当然。ゆえに心配もしているが、
一方インディアが自分の夢を実現するのをサポートしてあげたいとも思っている。
矛盾しているようだけど。」

あなたとマニュエラの婚約をハルベリーの前夫とプリンスの前妻と面白可笑しく
取り上げるマスコミもある。あなた達はそれぞれ一人の人のはずなのに。
最初の結婚について聞いても?
「特に話すことはないね。」

どうやって婚約者と知り合ったのですか?
「自分が誰かの前夫だった時に、彼女も誰かの妻をやっていた。
それでもお互いに誰かの何かではなく、それぞれエリックとマニュエラだった。
その後出会い、4年半になるが、彼女は素晴らしい人だ。
いつも謙虚で恵まれない人達や子供達のために尽くしている。
愛すべき優しい人だよ。僕が恋をしたのも当然だ。」

どのようにプロポーズしたのですか?
「僕のアルバムの中の曲、”Never Want To Live Without You”
“Sometimes I Cry”の次のシングルカット。この曲を彼女に捧げたんだ。
一緒に食事して二人の関係や将来について話し合った後で。
歌い終わってから僕は結婚して欲しいとプロ―ポーズした。
二人でこれから一緒に過ごしていく未来のことを考えるとわくわくするよ。」

最初の結婚から学び次の結婚へと生かされる教訓はありますか?
「結婚生活で大切なのはお互いの信頼関係だ。
まず自分自身に正直になれないと、相手に対してもなれないことを学んだ。
強烈なレッスンだったね。付き合い始める前に自分で納得できないことがあったら、
それをそのままにしないではっきりさせること。
それは自分自身の問題だから。最初はそうすることで気まずくなるかもしれないが、
結果的にはお互いに自分の期待や望んでいることにオープンになれる。」

パパラッチやマスコミの目に晒されて生活するのはたいへん?
「レイダーを潜り抜けるのはたいへんだ。確かに悪い面もたくさんある。
自分の名前はしばらくの間、悪者として書かれてきた。
もちろんそうじゃない方が良いに決まっている。辛い時期だった。
まるで金魚鉢の中にいて世間の目にさらされているような気持だった。
全く最悪の状態だったよ。」

ハル・ベリーとの愛と破局があなたの音楽性にもたらしたものは?
「ハリーと別れてからしばらくは自分のソウルサーチンをして、成長する必要があった。
自分がもっと良い人間、男性としてもより良い存在にならないと、
良い女性との出会いもないと思った。努力も重ねていろいろな意味で成長できて、
今の自分になれたことに感謝している。」

あなたは性依存症とマスコミで取り上げられましたが、一夫一婦制に反対ですか?
「一夫一婦制に対して反論はないよ。
マニュエラはイタリアとエジプトの血を引いているので、(もし彼女を裏切るようなことをしたら)
僕の車が原因不明の事故に合うような事件が起きるだろう。」

まだハル・ベリーと連絡を取っていますか?
「遠くから彼女の幸せと心の平安を願っている。インディアも彼女とは話さないし、
僕と同じ気持ちだ。」

離婚により自分が悪者にされたことは辛かった?
「自分が良く知らない人が悪いことをしたという話を聞いたら、その人を悪く思ってしまう。
人間にはいろいろな面がある。そのうちの一つの部分だけが取り上げられる。
僕は良いこともしてきたが、間違いもした。しかし悪い部分だけが取り上げられて、
まるで不実な男の烙印が押された。最悪の気分だった。
しかしその汚名を挽回できた今となっては、自分の行動にもっと責任を持つべきだったとも思っている。」

音楽以外でやりたいことは?
「音楽を捨てるつもりはないよ。脚本を数年前に書いて、またそれを続けても良いと思っている。
アーティストの発掘や映画音楽も。
たとえアーティストをやめても、音楽に関することはずっと続けるだろう。」

今のラジオから流れている音楽について?
「良くなっているとは言えるが、僕のジャンル、R&Bに関しては納得できない。
才能のないアーティストがテクノロジーの力を借りてごまかしている。
楽器の演奏に歌が付き、メロディーを繰り返して和音が生まれる。
そこにドラムも付いてくる。それが本来のやり方のはずだった。
今のR&Bはテクノとヒップホップのミックス。そこに人工的な音声が加えられる。
それでも本物のアーティスト、例えばマックスウェルやクリセット・ミシェルは
本来のやり方を大切にしていると思うよ。」

これからのツアーの予定は?
「FantasiaとKandiとツアーを終えたところだ。
4月にはワールドツアー、ヨーロッパ、韓国、日本を、5月には国内ツアーを予定している。」

一緒にツアーしたいアーティストはいますか?
「今、浮かんでくるのは、Al Green, Maxwell, Corinne Bailey Rae、そんな感じかな?」

5年後の自分はどうなっていると思いますか?
「そうだな、双子の子供でも育てていて、アーティストの発掘とプロモーションをしている、
そして自分の書いた脚本の映画化のプロデュースもしたいね。」

気が付いたら目の前に地面が!

2011-02-15 11:03:07 | 私の日々
画像は水木菜花さんの書画。

早朝に地下鉄から地上に出て、初めての現場に行くために、
資料と地図を見ながら歩き始めた。
そのとたん、気が付いたら道路に大の字になるほど、凄い転び方をした。

一瞬何が起きたか分からない。
自分はどうなってしまったのだろうと思う。
駆け付けてくれた男性がイタリア語で何か喋っている。
片言の日本語で「ダイジョブデスカ?」
私、ほんとうに起き上がれるのかな、大怪我をしたのかもしれないと思う。
頭を打たなくてもそれだけの衝撃で転ぶと目が回っている。
一番、痛いのは膝。
両膝を思いっきり打ったようだ。
持っていたファイルが破れて道路に飛び散っている。
その時に突いた片手にはアスファルトの跡。
イタリア人の男性は私が起き上がって歩けるまで見守っていてくれた。

待ち合わせの場所にそのまま行く。
一時間半かけて現場の点検をした。
その後、その場所に関する登記簿を取りに法務局へ行った時、化粧室で足を見ると、
両足に青アザ、片足は摺りむけて血が滲んでいる。

午後はもう一度、現場に戻って別の業者と打ち合わせ。
その後、別の場所で約束があったのでそのまま移動。
すべての予定が終わって夕方になった頃、ほっとして気が緩んだせいか、
痛みと疲れ、眠気が襲ってきた。
一緒にいた人に事情を話すと、その日の内に医者に行った方がいい、
夜になって痛みだしたら不安にもなるだろうし、と言われる。

帰り道、駅の下りの階段が降りられない。
観念して自宅近くの整形外科に行く。
レントゲン、すぐに結果が出て骨には異常なし。
痛み止めと湿布薬を処方される。
手を突いて骨折、あるいは足を捻挫、顔や頭を打たなかったのは、
運が良かったと慰められる。

週末に会った友人夫婦のご主人に「段差があったの?走ってたの?」と聞かれる。
「平らな道をゆっくり歩いていたけど。」と答えると、
「それなら誰かに押されたんじゃない?」

「そんなひどいことする人いるわけないでしょ?」と私。
すると「人じゃなくて霊とか?」
もう、いい加減にして下さい!
はい、これからもずっと前を向いて歩き続けますよ。
余所見はしないように気を付けながら。

金子三勇士 ピアノリサイタル 2/13 2011 鎌倉

2011-02-14 10:52:20 | ピアニスト 金子三勇士
品川から横須賀線で50分余り。
横浜を過ぎた辺りから景色は変わり始める。
北鎌倉では電車のホームまで緑が迫ってくる。
遠くに山も見えている。
前日までは雪やみぞれ、不安定だった天候がこの日は雲一つなく、
晴れ渡っている。
これから聴く金子三勇士のリサイタルもこの日の空のように、
澄み切って美しく突き抜けた音を聴かせてくれることを予感した。

鎌倉生涯学習センターホール。
駅から2分とあったが駅のロータリーを抜けるとほぼ正面。
たいへん分かりやすい位置だ。
後援は鎌倉市。主催は鎌倉市芸術文化振興財団。

今回は自由席とあり、また開場は開演の30分前。
少し早めに行くように心掛けたいと思っていた。
開場が始まった頃に到着すると受付に行列ができている。
中に入ると350席ほどのホールだろうか。
ピアノは珍しいスタンウェイのCタイプ。
大きなコンサートホールではD、
反対にシャネル・ネクサスホールなどの小ホールでは、
Bだった。

この日のパンフレット。
モノクロでアンティークな雰囲気にあえて作ってある。
サブタイトルでは「フランツ・リスト生誕200年に寄せて」とある。
その言葉に相応しくリスト中心にバッハやベートーヴェンの曲も、
演奏された。

リスト ハンガリー狂詩曲 第2番 嬰ハ短調
バッハ フランス組曲 第5番 ト長調
ベートーヴェン ピアノソナタ 第8番 ハ短調「悲愴」

ここで休憩が入る。

バルトーク ルーマニア民族舞曲
バルトーク 3つのチーク県の民謡
リスト ピアノソナタ ロ短調

アンコール
リスト 愛の夢第3番
バルトーク オスティナート(Ostinato、ミクロコスモス集第6巻より)

前半のバッハ、以前にシャネルのネクサスホールの第一回目で聴いているはずだが、
全く違った印象を受けた。
あれから2年余り、ピアニストの内面性、表現力、技術、
いろいろな意味での変化が演奏に反映している。
ベートーヴェンのピアノソナタ、金子三勇士の演奏で聴くのは初めて。
ベートーヴェン、バッハ共に金子三勇士との相性が抜群だった。

後半のバルトークの二曲。
これはいつも思うのだがハンガリーの田舎の村の景色、
鳥や獣の声、村の祭りの様子が目の前に再現されてくるようだ。

リスト、ピアノソナタ。
初めて聴かれた方はこの曲の長さが30分越えることに気づかれただろうか。
人生の美しさ、悲しさ、怖れと喜び、また天国と地獄を思わせる二つの世界が交差するこの曲。
曲の中へと深く惹き込まれていくので実際よりもずっと演奏時間が短く感じられる。

アンコール、
「明日はバレンタインデイですので。皆さんにこの曲をプレゼントします。」
リスト 愛の夢。

そして「風邪の季節、免疫力の向上のためにも、もう少し体温を上げたいと思います(本人と観客共々に)」
とバルトーク:オスティナート(Ostinato、ミクロコスモス集第6巻より)
勢いのある曲に客席から歓声が上がる。

「愛の夢」でうっとりとさせて力が抜けた観客に最後にカツを入れて元気を与えて会場から送り出す。
いつもながら心憎い演出。
今回のコンサート、盛り沢山で金子三勇士のいろいろな面を観ることができた。
いらっしゃった方々もそれぞれ心から満足されて家路につかれたに違いない。
これだけの激しい演奏、ピアノも良く付いて来てくれたと最後はピアノへのお礼、
そして鎌倉市の方達、遠くから足を運んだ観客達への感謝の言葉で締めくくられた。

この日、フランスから来日していた山下農園の山下朝史氏、
羽田からの深夜便でパリへ向かわれる前に鎌倉まで三勇士のコンサートを聴くために足を運んで下さった。
フランスで車の中で金子三勇士の1stアルバム"Miyuji Plays Liszt"を聴いてきて、
この機会にぜひ生で彼の演奏を聴きたいと思われたそうだ。
「金子君の演奏は3D、目の前に映像が浮かんでくる気がする。」
別のピアニストと比較して、そのピアニストの演奏が「小川で水が小石の間を流れて行くような演奏」
それに対し三勇士は「大海の岸壁に波が打ち寄せているようだ。」と表現された。

金子三勇士のお父様が「病気の人や辛い思いをしている人を
勇気づけられる演奏ができるピアニストになって欲しいと願っている。」と昨日話していられたが、
「世界平和に貢献する音楽家になりたい。」という志を持つ金子三勇士。
風邪が蔓延して寒さの最も厳しい今の時期、観客に明るさと喜びを与え、
体温を確実に0.5度は上昇させたはずだ。

Happy Valentine's Day From Eric Benet!

2011-02-12 22:03:21 | エリックべネイ、2011年来日へ
昨日も雪が降りましたが、今日は一段と冷え込みますね。
みなさま、三連休をどのようにお過ごしでしょうか。
さて、エリック・べネイからバレンタインデイに寄せてのメッセージ。

Happy Valentine's Day From Eric Benet!

「ハッピー ヴァレンタイン!
僕の新しいアルバム、"Lost In Time"はヴァレンタインデイにぴったりのCDだよ。
聴いてみて。そしてプレゼントにもぜひ。」
アメリカでは男女共に愛する人にプレゼントを送るヴァレンタイン。
日本では女性が男性にチョコレートを送る日ですね。

手作りのチョコに添えてぜひ、エリック・べネイの"Lost In Time"を。
アルバム自体が愛の告白、そのもの。
愛することのすべてがメロディーと詩になってます。
二人で一緒に聴くのにもお薦め。

アンジー・ストーン 2/10 ビルボード東京2nd

2011-02-11 15:13:52 | その他のライブ
ビルボード東京、2/10のAngie Stoneのライブ、セカンドに行ってきた。

これから先はアンジーのファンの方は読まないで下さい。
エリック・べネイのことしか書いてありません。

ファーストで観ていたnkmrakikoさんとロビーで遭遇。
今月号の「bmr」を見せてもらう。
それぞれの評論家、編集者の一押し、今年のCDとして"Lost In Time"が上げられている。
すっかり嬉しくなる。

クロークで並んでいると後ろの女性達が次に観たいライブとして、
「エリック・べネイ、行きたいんだ。」
「カッコイイよね。超セクシー。歌も巧いし。」
にんまりとして聞いていると「結婚式の映像でプロモーションビデオ作ったら、
その相手と婚約したんだって。」
ちょっと間違ってるなぁと思ったが、人の会話に口を挟むのは失礼だと思い、
訂正はしなかった。

席に着くと夫が「今日のアンジーの金額設定は高めだね。やっぱりグラミー取ってるからかな。」
私「・・・・・・」
途端に雰囲気が悪くなったのを察した夫が「いや、エリックも今年の末には"Lost In Time"
でノミネートされて来年はグラミー受賞者と言われるようになるよ。」と慌てて取り繕う。

アンジーはアップテンポな曲からスローに移る時、「みんな、座ってリラックスして。」と言う。
「そこの人達、昨日も来てくれていたわね。ありがとう。感謝しているわ。」
それを聞いた時、私の頭の中はエリックのことで一杯になった。
エリックもきっと続けてやってくるファンに対して言葉に出さなくても同じように感じることだろう。

エリックべネイの来日が決まり、昨日、エリックのライブの予約をした。
後、二ヶ月もしない間にエリックが歌う姿を目の前で観られるかと思うと、
アンジーがエリックに見えてきてしまうほど危ない私。

アンジーはバックコーラスを二人、ギター、ベース、ドラムス、キーボードとエスコートの男性を連れていた。
エリックもこれくらい、連れて来て欲しい。
多少、レベルを落としてもやはり人数が欲しい、そんなことを考え始めていた。

終わった後、ビルボードのスタッフの会話が聞こえてくる。
ブルーノートのエリック・べネイを観に行きたいと言っているではないか。
彼は以前にもエリックのファンだと言っていたが私に気を使ったのではなく、ほんとだったんだ。

これから4月まで誰のライブを観てもエリックに繋がってしまう、そんな気がした。


TrueEB、日本に初上陸なるか!

2011-02-10 18:35:27 | エリックべネイ、2011年来日へ
アメリカのエリックべネイファンクラブの会長、トロイリンに何度か日本に来ないか、
と誘ったことがある。
「ありがとう。でもテキサスからサンフランシスコまでのフライトが私の限界かなぁ。」
「わかった。その内、気が変わるのを待っているわ。」
フランスのリンダも何回か誘った。
「行きたい。でも・・・」
「いいのよ。またいつかね。」
リーサ「従兄が日本にいるから行ってみたいの。」
その他にも行きたいという気持ちを表したお馴染みのメンバーに対して、
「どうぞ。いらっしゃい。」と言葉にしてきた。
すると「でもやっぱり難しい。」ということになる。
この方達に関しては、呼ぶからには徹底的にお世話する覚悟で声を掛けてきた。

一方、全く面識のない人から「エリックのショウを観に日本に行きたい。
行く場合はショウを一人で観るのは嫌だから全部、あなたに付き添って欲しい。」
全く知らない人からご機嫌伺いの挨拶の言葉もなく単刀直入にそう言われても・・・
「東京にエリックのショウを観に行きたいけれど東京って
アメリカのOからどれくらいの時間で行くのかしら?4時間くらい?」
自分で東京に来る方法も調べられなくてどうやって日本に来られるんだろう?
そういうメール、あきれて放っておくと次には怒りのメールが来る。
「知りません!でも家からニューオリンズまではドアtoドアで24時間くらい掛かった。」
と返事をするとそれっきりになった。
「エリックのライブに東京に行くわ。ライブやコンサートに最後に行ったのは20年前かしら。」
母国でのコンサートの行き方もわからなくて日本のライブに来られるはずもない。

パトリーナから「東京のエリックのライブに行きたいんだけど。」とメールを貰った時も、
彼女のことはよく知らないし、ファンクラブのメンバーになって半年に満たない人なので、
最初は半信半疑だった。

ブルーノートのページが日本語しか書いてなくて読めないと言う。
"English"と書かれたところをクリックすると、ページは白紙。
これはひどい。見かけだけで実際は英語のページがないとは。
エリックのショウのスケジュールをメールで伝える。

ホテルはどこがお薦めかと聞いてきたが、これも難しい。
その人の感性や予算もあるし、アメリカの人にとって東京のホテルはびっくりするくらい、
狭くて高い。
一応、立地としてブルーノートに近いのは渋谷区、港区と伝える。
東京に住んでいるのでホテルの室内までは分からないが、
ロケーションに関してはアドバイスできる、と。

この時点まで彼女がどこまで本気か見定められず、私は少し距離を取ろうとしていた。

パトリーナが見つけてきたホテルは南新宿にある。
彼女がリンクを貼ってきた英語のホテル探しのサイトではどういうわけかこのホテルが渋谷となっている。
立地の割には料金がお手軽で英語圏の利用者のレビューがやたら良い。
ここからだとブルーノートには乗換えが必要になるが、その他の観光、また近くにはデパート、
ショッピングモール、地下鉄、JR双方利用できる。

九州のエリックべネイファン、Takakoさんがブルーノートから徒歩圏のホテルを教えて下さった。
ブルーノートから歩いて帰れるなんて私も泊まりたいくらいだ。
しかしそのホテルは残念ながらエアポートリムジンバスが停まらず、
そして住宅地にあるので海外から来る人には、立地がわかりにくかったようだ。

パトリーナは南新宿のホテルを選んだ。

この辺りから彼女が本気で日本に来ることを考えているのがわかり、
こちらも真剣になって来た。

その上、日本に来たらぜひ京都も観光したいと言ってきた。
せっかく来たらやはり東京だけでなく日本の伝統的な文化も見学して帰って欲しい。
この件ではEさんがいろいろと調べて尽力して下さった。
しかし、南新宿のホテルから新幹線の停まる駅のホームへと彼女は無事に行けるだろうかと、
心配が増える。

Eさんと私と相談して、品川のホテルはどうかと提案した。
品川からと南新宿からと表参道に行く時間は意外にも大差なかった。
品川なら新幹線の駅もある。
これで一件落着かと思ったらパトリーナはどうもこのホテルが気が進まないらしい。
英語のサイトを見るとかなり評価が低い。
確かに格安のイーストタワーはまるでブートキャンプ、合宿所だ。
ノースタワーはイーストタワーより少し割高になるが泊まれなくもない。

今朝になってパトリーナは赤坂見附の別のホテルをどうかと言ってきた。
赤坂見附、永田町、どちらからでも表参道はすぐ。乗り換えの必要ない。タクシーでも近い。
どうもここが良さそうだということになった。
JRの四谷にも徒歩圏だ。

しかしここは巨大ホテル、中で迷ったと海外の人のレビューにもあるし、
今まで候補になってきたホテルと較べると、高級ホテル。ホテル内の物価も高そう。
赤坂見附もどちらかと言えば夜の町、あるいはビジネス街で、決してお薦めとも言えない。

午後になるとパトリーナは南新宿の別のホテルはどうかと言ってきた。
こちらも彼女の見ている英語のサイトだとロケーションが渋谷になっている。
これは新宿で表参道には乗換えが必要だからお薦めではないとメール、
とうとう私は、もう値段は関係ないと渋谷の駅に直結しているホテルのURLを送り、
「ここが一番近くて便利だと思う。」と書いた。

東京で値段が手ごろで便利、エアポートリムジンが停まって新幹線の駅にも近い、
英語対応があり、部屋もそれなりに広くて居心地が良い、
その上、ブルーノートまで簡単に行ける、そんなホテルはないのだろうか。

6泊することになるパトリーナ、ホテル選びに慎重になる気持ちもよくわかる。
エリックの来日、毎回新しいテーマが加わって挑戦し甲斐があるが、今回はホテル選びに難航している。
何とかパトリーナの希望に叶ったホテルが見つかり、日本の滞在を楽しく過ごしてもらいたいものだ。