Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

ホテルオークラ テラスレストラン

2010-02-28 09:35:23 | 私の日々
ホテルオークラのテラスレストラン、ジャパンアーツの新年会の後で、
どこかお茶を飲もうと、ピアニスト金子三勇士君とおばさまのSさんとご一緒した。

ふと数えると、この場所に来るのは、約27年振りくらい?!
エントランスを抜けて、レストランに入ると、左手が一面に窓になっていて、
外のテラスの緑が目に鮮やかだ。
ここはまるで時間が止まったように、昔と何も変わっていない。

若い頃のお気に入りの場所に久々に行ってみて、その頃は先端だった場所が、
今ではレトロな空間に感じたり、立派に見えた場所が貧相に感じられることがある。

そういう意味で、テラスレストラン、受ける印象が変わってないことが逆に新鮮だった。
「大学卒業して、2年後位、最後に来たのは、そのころかなぁ。」と言うと、
三勇士君、「それは、5年位前のことですか?」と大真面目な表情で。
「もう!」と思わずピアニストの腕を叩いてしまった。
彼は見た目からは想像つかないと思いますが、こういうジョークを言う人なんです。

母の若い頃はそもそも都心のホテルというものが数えるほどもなく、
帝国ホテルが圧倒的な存在だったそうだ。
私たちの世代にとってはオークラの存在感が大きかったが、
今では各国の外資系を含めてたくさんのホテルが東京にはある。

2月25日、金子三勇士君のホテルオークラでのロビーコンサートの後、
主人と久々でテラスレストランで食事をしてみようということになる。
メニューを開き、かつて好物だった料理が今でもあるのかと目を凝らす。
同じメニューが載っているのを見ただけで嬉しくなってくる。

チーズサラダ
ミネストローネスープ
キエフ風チキンカツレツ
ビーフストロガノフ
などを注文。

ミネストローネ、以前はスープ皿だったのが今はカップスープ。
たっぷりのパルメザンチーズが別皿に添えられてくるのは、以前と同じ。
具だくさんのスープにほんのりとガーリックの香りがするが、
ミネストローネと言うよりも野菜スープという感じだ。

チーズサラダは、昔懐かしシリーズではなく、今回のメニューから。
クリスピーなベーコンとチーズ、バルサミコの風味に食が進む。

キエフ風カツレツはかつて大好物で家でも同じものを作ろうと、挑戦したりした。
鶏胸肉にバターと刻みパセリを挟み込み、そのままパン粉を付けて揚げる。
ナイフを入れた時に、とろけたバターが浸み出してくる。
添えられたレモンをかけていただく。
昔通りに作られていることと思うが、その頃と較べると今の食べ物、
メリハリのしっかりした、香辛料など効かせたものが主流なのかもしれない。
久しぶりに食べてみて、味が少し穏やか過ぎる感じがした。
そして若い頃と違って食べる速度が遅いのか、油物に弱くなったのか、
時間が経つ内に液化していたバターが乳化してきて、重くなってきた。

ビーフストロガノフ、デミグラスソースではなくトマトソースに近い。
酸味がとがって勝ち過ぎている。
バターライス、からめられているバターの風味はなく無味。
きっと昔はこんなだったのだろう。
今時のの付け合わせのライスのように、サフラン風味だったり、
ワイルドライス、玄米や黒米、押し麦が入っていたりはしない。

カツレツには軽くソテーした、そしてストロガノフにはスティームした
たっぷりの野菜が添えられている。
これも昔とは違って今の健康志向に配慮したのだろうか。

最後はもう食べられそうもなかったけど、せっかくここまできた追体験シリーズ、
飲み物とデザート、あきらめるわけにはいかない。
煮リンゴとパイシェル、はちみつのアイスクリーム ビスタチオ風味
そしてエスプレッソ。
たぶん昔、ここではエスプレッソは飲めなかった。
かつてはデザート、どんなにお腹がいっぱいでもワゴンサービスのケーキを見ると、
わくわくしたものだった。
今は、何とか完食したもののさすがに苦しかった。
ビスタチオのソースって林檎と合うかなぁ・・・パイも余りサクサク感がないような。

高校時代に好きだった神保町のケーキ屋さん、エスワイルのプダンロワイヤル、
その当時は他店と較べると、甘みが少なく、
新鮮で乳脂肪たっぷりの生クリームとプリンの味が絶妙だった。
久々に近くを通ったので買ってオフィスに持って帰ると、スタッフから「甘くて味がしっかりしている。」
昔は控えめに感じた甘みは、変わらぬ味で作っていると、
今の時流からすると「甘い。」になってしまうんだなと思った。
(その後、エスワイル、文京区に移転したと聞く)

オークラのテラスレストランの味が変わったのか、私の味覚が変わったのか。
それとも両方なのか。
時間が経てば変化があって当たり前。
きっと変わらない方が不自然なのかもしれない。

エリックべネイ、マルディグラ、そしてジャワジャズフェスティバル

2010-02-27 09:18:35 | エリックベネイの日々&KyteVideo
ニューオリンズのお祭り、マルディグラの期間中に行われたZulu Ballでのエリックべネイのライブ。
スタンディングの映像だが、カーニバルのような大きな衣装を付けている人もいる。
このボールルームでのショウのチケット、10人一組でのみの販売だった。
そうなると、中々、単独では行けないせいか、ファンクラブメンバーで参加した人はいない。

エリックべネイ、久々に"Chocolate Legs"を歌っている映像。
日本のライブよりもずっとざわざわした中で、歌い上げる。
最後の部分、"Around Me~!"
たっぷり間を取り、観客に期待を持たせて、シャウト。
映像は荒いが、一番新しい「チョコレッグ」
を聴くことができた。

その後、LAに戻って、レコーディングの調整を行い、
今はインドネシアのジャワジャズへと準備中。

ジャカルタジャズフェスティバル、エリックべネイの参加は2005年と2006年。
今年は4年振りの参加となる。
ジャカルタで、3/5.6,7の三日間。
ジャワジャズの後は、大好きなバリ島にでも行く予定なのでは。
ここのところ、ライブにアルバム制作にとずっと働き通しなので、
インドネシアで少しゆっくりする時間が持てると良いのだけど。

http://web.javajazzfestival.com/2010/artistslist.php
ブルーノート、半年分くらいのアーティストが一同に会する。
日本のコットンクラブ、ブルーノートのライブとこのジャワジャズを
ツアーに組み込んでいるアーティストもいる。
アメリカからインドネシアの地は遠い。
どうせなら、日本でのライブを前後に入れてしまおうということにしたのかと思う。

東京ジャズフェスティバル、参加したアーティスト同士が楽屋を訪ねたり、
交流を深めたりがあった。
ジャワジャズでもおそらくそのような状況になるのではないか。

一方、ニューオリンズのエッセンスミュージックフェスティバルでは、反対に、
パーキングから自分の楽屋、自分のステージだけ済ませると、またすぐに帰っていく、
次のツアー地へと移動していく、そんな感じだった。

エリック・べネイ、単体のショウは3/5 22:00~23:15。
しかし他のグループにボーカルとしてゲスト出演もあるようだ。

Eric Benet - Chocolate Legs - Live at the Zulu Ball 2010

金子三勇士 ホテルオークラ ロビーコンサート 2/25 2010

2010-02-26 00:32:01 | ピアニスト 金子三勇士
前回、ホテルオークラのロビーに来たのは、先月のジャパンアーツの新年会の時だった。
金子三勇士とマネージャーでおばさまのSさんと待ち合わせ。
ひっそりとして静まりかえったホテルのロビー、仄暗い中に佇む人は5人もいただろうか。
Sさんと待っていると、大学で午前中の授業を終えた金子三勇士、
ダッシュで虎ノ門駅からの坂道を駆け上って来た。

昨日は、ホテルオークラで勤務している友人を訪ねたので、早めにロビーに着く。
ロビーコンサート開始時間は6時、その1時間程前。
それなのにもうほとんどの椅子は埋まっていた。
開始15分ほど前になると、ロビーは立ち見の人々で一杯。
オークラのスタッフもその盛況ぶりに驚いている。

本館5階の玄関から入り、ステップを何段か下がった奥の中央にステージが作られ、
ピアノが置かれている。
右前方には、格調高いお雛様が飾られ、桃の花が生けられて、季節を感じる誂え。
昨日は暖かく春の訪れが感じられる日和だった。

左後方にドリンクサービスのテーブルが用意され、
シャンパンとオレンジジュースを手に、観客たちは談笑しながら演奏者の登場を待った。

ピアノはオークラのインテリアの色調に合ったダークブラウンで光沢がある。
銘柄を見ると、YAMAHAだった。
司会者の紹介と共に、金子三勇士の登場。

プログラムはオール、ショパン。

ポロネーズ 第6番 変イ長調 「英雄」

吹き抜けの二階から見下ろす人達も含めて400人近い観客。
天井高のあるロビーは音の響きが柔らかい。
勢いのあるポロネーズで観客を一気に惹きつけた。

夜想曲 第2番 変ホ長調 

陽が長くなり、ちょうど暗くなってくる頃。
ノクターン、夜を想う曲、この時間帯にとてもしっくりくる。

ここで金子三勇士から挨拶が入る。
ショパン、そしてシューマン生誕200周年の佳節、
ホテルオークラの計らいでこのような機会が設けられたことへの感謝の言葉。

ワルツ 第1番 変ホ長調 「華麗なる大円舞曲」

実は、前方中央付近にいる男性一人が、鞄から書類を出したり、携帯を見たり。
ロビーなので仕方ないかと思うが、演奏のさまたげにならないかと少少、気をもんだ。
三勇士はそのようなことには、全く頓着せず、自分の世界をピアノの周りへと繰り広げていった。
3曲目ともなると、初めての会場、そしてピアノとの相性も合ってきて絶好調。
その男性は、もぞもぞ動くのをやめると静止して正面を向き、三勇士の演奏に集中し始めた。

スケルツォ 第2番 変ロ短調

スケルツォとは「いたずら」を意味するそうだ。
金子三勇士の技、切れ味の冴えるこの曲、この日のコンサートを知らずにロビーを通りかかった人々を、
びっくりさせるという意味合いではぴったりの悪戯な曲だ。

Miyuji F.Chopin : Scherzo in B flat minor No.2 test


アンコールは、練習曲 第5番 「黒鍵」
右手がほとんど鍵盤の黒い部分のみの演奏で難易度の高い曲。
三勇士の手にかかると楽々と弾きこなす。
そしてこの曲は、チアーアップされるような躍動感がある。

同世代の男子から花束贈呈を受けて、三勇士は退場。
エレベーターホール手前からもう一度、観客達へと向け、深々と頭を下げて、
ロビーを離れた。

この日のコンサートが終了して感じたこと。
金子三勇士、もうどんな場所、どんな状況であろうとも、実力が発揮できる、
真のプロフェッショナルなクラシックピアニストへと成長したと確信した。


金子三勇士、明日はホテルオークラにてロビーコンサート

2010-02-24 07:45:53 | ピアニスト 金子三勇士
4月22日、午後7時から新宿オペラシティーホールにての東京フィルの演奏会で、
金子三勇士は、ショパン ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11 を演奏する。
その会員枠以外の売出日は本日2月24日から。
http://www.tpo.or.jp/japanese/concert/operacity2010.html#53

そして明日は、
金子三勇士 ホテルオークラ ロビーコンサート 2/25(木)18:00~18:30
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/event/lobby/index.html
東京都港区虎ノ門 ホテルオークラ本館5F メインロビーにて 無料コンサート(協賛サントリー)
スパークリングワインのサービス付き

予約は必要ありませんので、どうぞ当日、そのままお越しください。
6時から演奏開始ですので、少しお早めにいらして下さい。
プログラムはすべてショパン。
ホテルオークラの吹き抜けの空間。
普段はひっそりしているロビーに金子三勇士奏でるショパンのメロディー、
さあいったいどのように反響するか。
みなさまのご来場をお待ちしております。

金子三勇士@シャネルネクサスホール 2/20 2010

2010-02-22 00:00:08 | ピアニスト 金子三勇士
東京の空はずっと曇天が続き、先週は雨も多かった。
気温は下がり続け、雪が散らつくことも何回かあった。
連日、凍えるばかりの寒い日々だった。

北欧の人が使う慣用句に「あなたが太陽を持ってきてくれた。」という歓迎の言葉がある。
晴れる日が少ない時期にゲストが訪れた時、空に太陽があれば、お互いに嬉しい、
迎える人も来る人にとっても。

2月20日は久々の晴天だった。
それは、まさに金子三勇士が太陽を持ってきてくれたかのようだった。

早めに着いたので、いつも素通りするネクサスホール階下のシャネルの店舗を覗いてみる。
ショーウインドウに飾られたドレスや衣類は一桁違うかと思うほどの値段だが、
小物に関しては手が出ない金額ではない。
そのせいか、若い女性やカップルが商品を手に取り、説明を聞いている。
ふと耳を澄ますと全く店内に日本語が存在していない。
見た目は日本人に見える大勢の店内の人達。
旧正月の休暇の影響だろうか。
ほとんど中国系の観光客のようだった。

午後4時からのリサイタル。
会場は満席、ステージ左右、そして後方にも新たな席が用意されている。
今年初めての金子三勇士の演奏を聴くために多くのファン、
そして抽選に応募して初めてこの会場へと足を運んだ人たち、
会場の熱気にエアコンで冷房が入るほど。

ショパン ワルツ第4番へ長調 「華麗なるワルツ」 作品34-3

観客を迎えるのに相応しい軽やかなオープニングの曲。

ショパンは1829年にウィーンに20日ほど滞在し演奏会を行っている。
その後、音楽院を卒業したショパンは再びウィーンへと旅立つ。
ヨーロッパ旅行への足掛かりにする予定が、着いて一週間後にワルシャワ革命が起きる。
そして翌年の夏までウィーンに滞在することを余儀なくされた。
その頃、ウィーンで流行っていたのは、ヨハン・シュトラウスのワルツ。
その曲調や流行にショパンは馴染めなかったようだ。
その後、ショパンはワルツをダンス用の音楽から芸術性の高い楽曲へと変えた。
「仔犬のワルツ」に対して、この曲は「仔猫のワルツ」と称される。
しかしショパン自身は自分の作品に色やイメージを付けられるの避けて、
タイトル付けはしなかったと言われている。
ウィーンを離れてから、8年後、パリ在住時の作品。

私がこの曲を聴くのは、昨年8月末の金子三勇士、シャネルでのリサイタル以来。
そして金子三勇士も2ヶ月振りのシャネルネクサスホール登場。
情熱溢れる演奏で室内の温度を更に上げた。
このような少人数の規模のホールで彼の演奏を観られる機会は、
これから少なくなるのではないだろうか。

ショパン 「4つのマズルカ」作品33
第22番 嬰ト短調 作品33-1
第23番 ニ長調 作品33-2
第24番 ハ長調 作品33-3
第25番 ロ短調 作品33-4

子供の頃から病弱だったショパンは何年かに渡り、夏を田舎の地方で過ごした。
その時にポーランドに伝わる民族舞踊に親しむ機会を持つ。
そしてショパンにとってパリで過ごした中で最も安定していたという時期にこれらを取り入れて、
独自の作品を作った。

20年の人生の半分以上をハンガリーで過ごし、
また日本で生まれてからの6年間もハンガリーの音楽家である祖母、祖父、母と過ごしてきた金子三勇士。
DNAに民族の歴史が組み込まれている。
ポーランドとハンガリーの民族音楽の違いはあっても、その独特のセンスが三勇士には刻まれている。
先ほどのウィーン系のワルツとは対照的。
抑揚が効かされた民俗舞踊、作品に大きな膨らみを持たせて三勇士は演奏した。

ショパン ポロネーズ第6番 変イ長調 「英雄ポロネーズ」 作品53

この曲は勇壮でダイナミックな曲、ある意味とてもわかりやすい曲で、
初めて聞いた人もクラシックが苦手な人も、惹きつけるだけの魅力溢れる曲だ。
しかしながら、この曲に至るまでのショパンの想いは深い。

ウィーンへ着くなり、ポーランドの革命の知らせを受け、出国もままならない中、
国を憂い、家族を心配し、悶々とする中で翌年までウィーンで過ごした。
その後、ヨーロッパ諸国を旅行の後、フランスに居を移したショパン。
ポーランドを離れる際に友人が持たせてくれた故郷の土、ショパンが亡くなった時に、
フランスのショパンの墓の上にはこの土が掛けられた。
そしてショパン自身の希望により、遺体の心臓はポーランドへ送られている。
フランスにいながらこれほどの想いを母国へ向けていたショパン。
この曲が書かれたのは、1842年。
この年にショパンは画家のドラクロワと知り合い、親交を深めている。
ドラクロワからポジティブな発想、良いエネルギーをたくさん受けて、
このような曲へと気持ちを昇華させたのだろうか。

金子三勇士の「英雄ポロネーズ」を聴くのは、3回目だが、
更に情感豊か、切れ味が冴える、くっきりと個性を出してきている。
50年に渡りロシア占領下にあったハンガリー。
その国情を知り尽くし反骨のハンガリー魂を持つ祖父と生活を共にしてきた三勇士。
ポーランドを離れてフランスで晩年活動したショパン、
その複雑な心境に思いを重ねることができる数少ない若い演奏家と言える。
今回は演奏のスケールが更に大きくなり、1000人位の観客に向けられているようだ。
これを聴きながら、私は「行ける!」と思った。
今年の秋も深まる頃に、金子三勇士はその結果を出してくれることだろう。

シューマン ピアノソナタ第2番 ト短調 作品22

先月、音楽関係者の集まりで金子三勇士と会った時、
今年はショパンの生誕200周年は話題になっているが、
同じ200周年のシューマンに関して取り上げる人が少ないことを彼は指摘していた。
この日のコンサート、金子三勇士がシューマンをきっとぶつけてくると予想はしていた。
しかし休憩後、20分に及ぶこの曲を演奏するとは想像もしなかった。
シューマンは不安定な精神状態に悩まされ続けた生涯だったそうだ。
この幻想的な作品の中に、その今にも爆発しそうな状態、
落ち着かない気持ちが表現されていると説明がある。

金子三勇士の説明を聞きながら、演奏者としてどんな作曲家に接する時も、
その人の心に近づき理解しつつ、その上である程度距離も取り、
中庸を保つ解釈に行き着き、観客へとその曲を渡す、
その仲介する立場として自分を位置付けていることが感じられた。
シューマンのソナタ、感情が高まっていく激しさと
そして消え入るようなか細い旋律に心が揺さぶられる。
それでも最後は三勇士がきちんとした形でこの曲との折り合いをつけて、
渡してくれることがわかっているので安心して聴いていることができる。
観客をシューマンの苦しい心境に巻き込んでそのまま置き去りにするような演奏を彼は決してしない。

アンコールは、ショパン 夜想曲第2番、
シューマンのソナタからショパンのノクターン、ロマンティックな曲へと観客を導く。
映画のテーマソングにも使われた良く知られるこの曲。
しかしながら、安易に捉えるピアニストに演奏されると非常にベタな曲になる。
金子三勇士は高い品格を保ちつつ、この曲を演奏した。

ショパン 練習曲第5番「黒鍵」
何度か聴き、テレビの映像でも上から捉えたカメラで
右手がピアノの黒鍵部分がほとんどのこの演奏の難しさを知った。
弾き込まれた「黒鍵」は更に滑らかに爽快感を観客に残す。

シューマンのソナタの後、ノクターンで観客を夢心地にして、「黒鍵」で元気づけて、会場から送り出す。
金子三勇士、いつもながら、心憎い演出だ。

最後に、これはここで書いて良いのか迷ったが。
2月2日、金子三勇士を慈しみ育てたハンガリーの祖父、ベンツェ・ラスロー氏が亡くなられた。
本来ならすぐにでも駆け付けたかったことと思うが、
翌々日の福岡にての演奏会を終え、三勇士は葬儀のため、ハンガリーへと旅立った。
おじいさまの肉体はこの世から無くなっても、魂はいつも三勇士と共にあり、
彼の演奏の中にその存在はずっと生き続けていく。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

金子三勇士、クラシック専門のプロダクション、ジャパンアーツへの所属が決まった。
http://kanekomiyuji.seesaa.net/

Spiritual Wheel

2010-02-21 00:14:14 | エリックベネイの愛と人生
エリック・ベネイのジェケットのカバーにはたいてい同じマークが描かれている。
EricBenet"Love&Life"にもこのシンボルマークがプリントされている。
この事についてエリックは説明してくれた。

「このシンボルは、ネイティブアメリカンのmedicine wheel, spiritual wheelとも言う。
これは、自分自身にとってネイティブアメリカンの血筋へのオマージュの意味もある。
そしてそれは、自分の精神世界を見出すための地球の4つの方向へ旅立つ事も意味する。
このマークを地面に描いて瞑想したり、祈る人もいる。
メディソンフィールは、アメリカンインディアンの精神性も表している。
自分の道を見出すためにしなければならない一人一人の旅も表している。
図柄の中には、4つの方角と4つの聖なる色が表されている。
輪は人生、そして円の中心は永遠の灯火。
東の方角へ向かう鷲は、強さと忍耐、直感を表す。
東は新たな生活とチェロキーの再生を表している。」

エリックベネイの住むLAから東の方角は間違いなく日本でしょう。
Mr.Eric Benet どうぞ、お早めの来日、お待ちしております!

3月15日まで

2010-02-20 10:02:16 | 私の日々
「ゲンカンを優先して下さい。」と言われて、「?」
頭の中で、「ゲンカン?」と考えていた。

説明は次の段階に移っているが、まだ「ゲンカン」が気になっていて先に進めない。
「ゲンカンってどういう漢字を書くんですか?」
「登記簿上の数字ではなく、現場の環境、現環の数字をこちらは取る、ということです。」
私の担当に当たった職員の方も頭痛いだろうなぁ。

都税事務所を出たのは夕方、外は大雨だった。
今年の確定申告はややこしくなりそうだ。
ここに、何度か通うことになるだろう。
今年が複雑なら、来年も違う部分で難しくなる。
再来年はだいじょうぶかな、と考える。

一度、家族が急病になったりして、締め切りに間に合わなかったことがあった。
どんなお咎めを受けるのかと思ったら、税務署はガラガラでお小言も罰金もなくて拍子抜けした。
それでも、やはり何とか3月15日には提出したい。

傘を広げ、iPodを付けると、始まった曲は、Eric Benet"You're The Only One"だった。
とたんに気分が良くなる。
三枝成彰氏は「音楽が癒しになるという考え方は違っている。」と講演でおっしゃったが、
好きな音楽、好きなアーティストに癒されない日々など私には考えられない。

確定申告の締め切りの翌日、
3/16のコットンクラブ、ロイ・エアーズとフィリップ・ウ―、予約しておこうかな?


トップの画像は2/17にウェストウッドで行われたHBO(「セックス アンド ザ シティー」
「ラリーズ ミッドライフ クライシス」などを生んだ過激な映像ありのTVプロダクション)
の式典に出席した際のエリックべネイ。
帽子は原宿で買ったものでしょうか。
ツアーを終えてLAに帰り、早速、イベントに参加。
心なしか疲れが出ているようにも見える。

エリックべネイ、メンフィスでロスバケ!?

2010-02-19 09:16:51 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
毎日、ほんとに寒いですね。
毎年、2月中旬ってこんなでしたっけ?
やはり昨年の今頃はエリックの来日があり、個人的にホットだったのでしょうか?
あんまり寒いので、とびっきりの熱いショットを載せました。
リーサが隠し持っていた画像です。

以下はソンヤのリキャップから:

メンフィスのホテルに行き、ケビンと連絡を取る。
ケビンは憔悴しきった表情で現れた。
話を聞くと、ヒューストンからのフライトが大幅に遅れて、そのために乗り換え便を逃してしまう、
やっと席を確保してメンフィスに到着した。
到着すると、ロストバゲージ、エリックべネイ一行の荷物がすべて紛失していた。

(個人で旅行してもロスバケにあったらたいへんですが、なにしろ、機材一式、
グレグはベースを沖縄から羽田へ飛ぶ時、機内持ち込みにして、その事で揉めたと以前聞きましたが、
こういうこともあるから、やはり楽器は手放さない方がいいんですね)

そのことで、航空会社と何度も電話で連絡を取っていたが、返事はこなかった。
それが、ちょっと前にホテルのフロントから「届いている荷物がそのままになっているけど?」
と連絡があったそうだ。
ミキサーのビジューによると、航空会社からは何の連絡がないまま、荷物が見つかったことも知らされずに、
ヤキモキしていたら、すでにずっと前に届いていたとベルデスクから知らされた。
そのせいで、サウンドチェックもまだ終わっていない。
(自分で昨年ニューオリンズへ行ってみて、エリックべネイが全米ツアーをなぜバスで廻ったか、
わかるような気がしました。
荷物をまとめ、ホテルをチェックアウト、飛行機の待ち時間、
早めに空港に行ったり、荷物を預けたり、持ち込んだり。
しかしながら、飛行機でツアー、毎日移動するのは、こんな心配があるとは想像もしませんでした。)

こういう状態だったので、ソンヤはエリックにとてもショウの前には会えないなとあきらめた。

(エリックのショウは昨年のクリスマスのブルーノート東京のように始まったようだ)
録音したエリックの声が聴こえてくる。
ジーンズ、グレイのボタンダウンシャツ、白のテニスシューズ。
ソングリストは、

Love Don’t Love Me
Spiritual Thang
Love, Patience and Time
Chocolate Legs
Spanish Fly
Don’t Let Go
David Foster Medley
The Last Time
I Wanna Be Loved
Femininity
Spend My Life With You
You’re the Only One
Georgie Porgy

最初にエリックのイヤホーンが繋がっていなかったりと、アクシデントはあったものの
とても良いコンサートだった。

コンサート終了後、ケビンを見つけ、ケビンは会場のスタッフに彼女たちを楽屋へと招く許可を貰った。
三人の女の子がこの話を聞いていた。
そしてソンヤ達に付いてきてしまった。
会場のスタッフは通路を間違えて、引き返す。その間、ソンヤ達の後に女の子たちもずっとついてくる。
「もう、どうなっちゃってるの?」ソンヤは困惑していたら、そこにケビンが現れる。
ケビンは楽屋口まで連れてきてくれた。
「全部で何人?」ケビンに聞かれたので、ソンヤは、「全部で5人かな?」
「その子たちは誰なの?」と言う表情のケビン、ソンヤは「わからない!」
(私もビルボード東京で同じようなこと、ありました。
私たちがバックステージパスを貰っていたら、
知らない怖そうなオバサマがアーティストのお世話係のローレンスに、
『ちょっとあの人たちのあれは何?私にも渡しなさいよ!』彼女は強引に付いてきたのですが、
楽屋でワーナーの担当者とエリックが契約の話し合いをしている間、待ち切れずに『早く会わせなさい!』
などと言い始めて、ついにはしびれを切らして帰ってしまいました。)

楽屋に一旦入ったケビンは戻ってくると言った。
「中に入れるけど、まずTEBFsから先にね。」ケビン、良く言ってくれた!とソンヤ。
ついにソンヤはエリックべネイに会えた。
エリックはいつも通り、陽気でにこやか、そしてセクシーだった。
何度もしっかりハグしてくれて、記念撮影、ほんとに優しかった。
それでも、エリックがとても疲れていることが、良く分かった。

ドラムスのウェス、ベースのグレッグ、キーボード奏者にも挨拶。
もっと長居したかったけど、その辺で失礼することに。
「ところで、エリック、お誕生日に私たちがプレゼントしたネックレスしてないみたいね?」
エリックは少し詰まりながら言った、「きょっ、今日はしていないんだ・・・でも必ず付けるよ!」
(このネックレス、昨年のお誕生日にみんなで贈った銃規制に反対するメッセージが込められた
弾丸の再生利用で作られた物。
ヴァレンタインデイに皆さんにエリックのどこが好きか伺いましたが、私はこの件で一つ思い出しました。
私がエリックの好きなところの一つは、こういうちょっと要領が悪いというか、
エンターテイメントビジネスの中にいながら、決して、したたかな人ではないところです、笑)

ソンヤ達はもう一度、エリックとハグして楽屋を後にした。

エリックべネイ、南部ツアー

2010-02-18 09:07:27 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
アメリカ南部、ニューオリンズ2/12、ヒューストン2/13、メンフィス2/14とエリックはライブをした。
エリックがツアーを組む時、忙しい中でもその土地の風物や食べ物など
楽しむ時間が持てるといいいなといつも思う。

ニューオリンズはマルディグラ、お祭りの時期。今年は2/16。
その10日前からパレードが始まる。
その前後、3日間はホテルは値段が上がり、一年前から予約する人もいるそうで、予約は難しい。
エリック達はバーボンストリートの近く、リッツに宿泊した。

もともとはキリストの復活を祝う前に断食をする期間(レント)の始まりの灰の水曜日、
レントが始まると、肉を絶ち、そしてコーヒーも飲酒も避ける習慣を今も大切にしている人達がいる。

この日が始まる前に楽しんでしまおう、
またフランス人探検家がミシシッピ河を下ってニューオリンズに着いたのがマルディグラの日だった。
これを記念してお祭り日としている。

通り一杯に人が歩き、飲み物を持ち、ビーズを掛けている。
ニューオリンズ、今年のマルディグラの時期は雨も降り、例年になく寒いフェスティバルだったようだ。

エリックはEn Vougeとズルラウンジでの共演。


翌日はヒューストンへ。
航空券も取るのがたいへんだったようで、エリックべネイ達クルーは4時起きで早朝便に乗ったそうだ。

アリーナシアターでケムとのステージ。
最初がEric Benetで次がKem。

シャロン、リーサ、レオラはエリックのショウへと向かった。
この日、誕生月の人が二人いたので、シャロンはケーキを家で焼き、会場へ持ってきたそうだ。
その後、連絡の取れないファンの人などがいて、車に戻ったり、また携帯を忘れたので、
車に取りに帰ったり、慌ただしかったらしい。
そして、エリックの付き人ケビンと会い、一緒に車にケーキを取りに行った時・・・
なんと、シャロンはそのケーキを路上に落としてだいなしにしてしまった。
呆然と見つめるシャロンとケビン。
その時、ケビンが言った慰めの言葉が、「シャロン、これはきっとfacebookのネタになるよ。」

そんなこともあったけど、それぞれエリックのショウを楽しみ、
そして最後にはエリックと会うこともできて記念撮影もできた。
エリックにケーキのエピソードを話すと、
「そうか・・・それなら次の時はぜひ、ジャーマンチョコレートケーキを焼いてきて。」とリクエストされたそうだ。

いろいろあっただけに、ショウの始まる前のシャロンの写真は少し緊張しているように見える。
それに対して、最後にエリックに会って撮ったこの写真はほっとしたのか、リラックスした表情が美しい。
着ている素敵なドレスも自分で作ったそうで、感心してしまった。
ニューオリンズで会った時もおしゃれで綺麗な人だと思ったけど、とっても家庭的な人なんだなぁと。

エリックべネイもグレーのジャケットにパープルのシャツ、同色で黄の縁取りのあるポケットチーフ、
サングラスも決まっている。

さて、翌日はメンフィスだ。

二つのWe Are the World

2010-02-17 09:25:41 | Weblog
25年前の"We Are The World"
その頃はまだミュージックビデオ自体も目新しい。
そしてR&B、カントリー、ポップスのメジャーなアーティストが集合して一つの目的のために歌うなど、
夢のような映像だった。
一人一人の顔と声を確かめながら夢中になって観た。
様々なタイプの声や歌い方、それぞれの持ち味や個性に魅力が一杯だった。

そして、最近になってもこの映像を懐かしく観ながら、みんな若かったとか、今の方がいいとか、
あるいは、ソロをその時、取っている人とバックで歌うのみの人、
当時の製作サイドとの力関係のことなどを思い返した。
いろいろな意味で25年経っても色褪せない映像だ。

We Are the World - Lionel Richie, Tina Turner, Michael Jackson


一方、こちらのハイチ地震へのチャリテーとして作られた新しいバージョン。
前コメをするジェイミー・フォックス、そしてワイクリフの存在がハイライトになる。
メンバーが若手中心に移ったかと思ったら、トニー・ベネットが加わっている。
アメリカンアイドルのランディー・ジャクソンもバックにいる。
マイケルジャクソンは過去の映像にジャネットが被る。
現地の様子も交え、より手の込んだ仕上がりになっている。
それに対して旧バージョンは手作りで慌てて作った感じが、すぐにでも寄付をという緊急感がある。
25年前の映像では歌詞カードを持っている人が多いのに対して、
こちらはほとんどが暗譜している。
もう名曲として定着していて、事前に歌詞を知っている人が多かったからか。
それとも準備する時間がたっぷりあったのだろうか。
これだけ多人種が参加しているのに、25年前も今も一人もオリエンタルがいない。
ソロは無理でも日本の歌手、バックで入り込めるくらいの実力と人脈がある人、
一人ぐらい居て欲しかった。

We Are The World 25 For Haiti - Official Video


大切なのは、もちろん、ハイチの犠牲者に対して、思いを向け、寄付を募るのがこの映像の趣旨だと思う。
しかし、25年経っても私たちが旧バージョンを観ながら、忘れ難い映像だと思うように、
新しい"We Are The World"
25年後にやはり懐かしい思いで、今の若者たちが観る日が来るだろうか。

BET Back To 2001

2010-02-16 10:48:06 | エリックベネイの日々&KyteVideo
the BET Awards は、毎年、音楽、演劇、スポーツで功績が認められたアフリカ系アメリカ人に贈られる賞。

2001年に、ブラック・エンターテインメント・テレビジョン(BET)によって設立される。
毎年、6月末頃、授賞式の模様をBETが生放送する。
その記念すべき第1回の授賞式では、パーソナリティーのモニークが司会、
最優秀女性歌手賞には、メアリー・J・ブライジ。
そしてプレゼンターはエリック・べネイとミュージック・ソウルチャイルド。

モニク、「ねぇ、Eric、あなたがプロモーションビデオでしているキスとか、
ああいったものは、あなたの実生活の様子なの?それとも仕事?」
エリック、「周りは撮影のクルーがいて、ライティングもされているし、仕事そのものだよ。」
モニク、「Musiq、あなたはどうかしら?」
Moniqueから迫られて困惑している雰囲気のミュージックが、「ノミネートされているアーティストは・・・・」

メアリー・J・ブライジ、ジル・スコット、ジャネット・ジャクソン、アーリア、エリカ・バドゥ
が紹介される。

そしてエリックべネイが封筒を開き、3人で確認。
「受賞者は、Mary J Blige!!!」
三人のにっこり笑った顔から客席のメアリーへ。
立ち上がり、ステージへ上ってきて、スピーチ。

9年前、みんな若いというか、でも今もそれぞれいい感じに年を重ねていると思いますよ。

ピッタリした皮のパンツに胸をはだけたカラフルなシャツ、サングラスにドレッドヘアのエリック・べネイ。
このヘアスタイルが懐かしいというファンも多いですが。
この頃のエリックは筋トレにはまっていました。
今は、それなりに、という感じです。

Mary J. Blige wins BEST FEMALE ARTIST (presented by Eric Benet, Monique & Musiq)



シャンテ ムーア 2/13 2010 @ コットンクラブ

2010-02-15 09:34:50 | その他のライブ
コットンクラブ、バレンタインスペシャルライブ、シャンテ・ムーアに行ってみたいと思い、
夫に聞くと、「俺はレディシ以外の女には興味がない。」
どうもLedisiと出会ってからぞっこん。脇目も振らずレディシ一筋。

1人で行こうと決めて、コットンクラブの説明を読むと、差額1,500円位~、ディナーコース、
前菜、メイン、デザート付きもある。
周囲のバレンタインのカップルを横目に、1人でディナーコースも悪くない、
席はカウンターにしようかなんて考えていた。

その後、それぞれの親が体調を崩したりして慌ただしくなり、
それでも未練たっぷりにコットンクラブの座席の埋まり具合だけはチェックしていた。
家に郵送されてきた分と、年末に主人と行った時に渡されたのと合計3枚の優待券あり。
三月までに行くと、一回めは2,000円引き、次は3,000円と割引率が上がる。

そろそろ落ち着いたので予約しようと思ったら、以心伝心、Nさんから「行こうかな?」メール。
「私がまとめて予約する。」と連絡すると「優待券、持ってます。」のお返事。

コットンクラブに電話し、二人分自由席で、優待券使用と告げる。
すると、「ご一緒される方は、○さまですか?」と夫の名前を言われた。
その瞬間、すくんでしまった。
家では私がブルーノートとコットンクラブ担当、夫がビルボード。
スイートベイジルからは両方宛てに封書が届くが、他の所はそれぞれ片方にのみ。
コットンクラブの予約は夫がした覚えがない。
よくよく考えてみれば、Mazeのアンケートに一緒に記入したような・・・
「いいえ、別の方です。」と伝えると、
「その方は優待券をお持ちですか?」家に3枚あるから、それで良いと思っていたが、
聞かれるままに「はい、持っていらっしゃるそうです。」
「それでは、その方のお名前をフルネームでお願いします。」
「どういう漢字を書かれますか?」
「○○にお住まいの方ですね?」

質問されるままに答えていたが、
何か夫以外の人とバレンタインライブに出掛けるのを叱られているような気がしてきた。
これって、奥さん以外の人と何気にライブなんて思った気の弱い男性だったら引いてしまうのでは。
余りにチェック厳しいので、ちょっと笑っちゃいました。
私はnkmrakikoさんとレディースナイトなんですけどね!

Chante Moore、映画「ため息つかせて」に出演していたと聞く。
映画の中ではホィットニー・ヒューストンや他の迫力あるオバチャンが印象に残っていて、
シャンテがどんな役で出ていたか思い出せない。
最後の方で、女性達が一緒の車に乗り、
ラジオから流れてくるロバータ・フラックの曲に合わせて歌い始める。
「これって誰だっけ?」「ロバータよ。」
そんな和やかなシーンを思い出した。

バンドのメンバーの数人、ライブ開始の30分位前から、ステージ上で音合わせ。
それが、調整と言うレベルではなくなってきて、
とうとうスティングの"Shape Of My Heart"のサビの部分の演奏までしている。
映画「レオン」のラストシーンが蘇ってしまった。
生き残った少女が施設の敷地に、レオンが大切にしていた観葉植物を鉢から出して植えるところ。

シャンテムーアは今まで、ライブで見た女性のシンガーの中で一番綺麗だった。
二コール・ヘイリーの時も思ったけれど、モデル出身の彼女はどの角度から見ても絵になる。
立ち居振る舞いという言う言葉を通り越して、あえて「所作が美しい」と書きたい。
CDで、低音の味のある声が消えてしまう歌手があると前から思っていたが、
シャンテのような透き通る高音もライブだと俄然、輝いてくる。

新しいアルバム、"Love The Woman"は、「愛」がテーマ。
そして、その日はヴァレンタインライブ、歌の合間にChante Mooreは愛について語った。
ところが、聞いていて「もしかして、ケニーとはうまくいってないの?」と思ってしまった。
「『ラブ』って難しい。感情だけなら、ふっと湧いて終わってしまうし。行動に移すとしても・・・」
「私も、ほんとうの愛って何なのか今も探求しているけど。」
ケニーが一緒ではない来日で、こんな話を聞いたので、私が単に深読みし過ぎただけ。
アルバムのテーマとして取り上げたから、愛し続けることの難しさを語っているのだ。
そして、最後の"It's all right"で、構えなくて、肩の力を抜いて人を愛していこうと完結したストーリー。
アンコールはアップテンポの曲。
「みんな、一曲ぐらいは椅子から立って踊りたいでしょう?」
えっと、この曲は"Straight Up"でしたっけ、nkmrakikoさん?

"It Ain't Supposed To Be This Way"
"Do you remember...."でCDでは始まる歌詞。
歌い始めたシャンテは、「これ、違うわね?」バックコーラスが"When was the last time"
と教えるとシャンテは歌い直した。
ライブのアレンジがこの二節目の出だしからになっていたのだろうか。
やり直すというより、歌の流れの中で自然にもう一度、歌い始める。

"Give Me Time"
最後の高音にうっとり聴き惚れる。
ライブから二日たった今も、この曲を歌うシャンテの声が耳に残っている。
たっぷり感情移入して歌うと、終わった後、切り替えるまでに時間が必要だ。
エリックが"Hurricane"を歌った後も、こんな感じになる。
「ミニー・リパートンにこういう歌い方ありましたね?」とnkmrakikoさん。
納得して聞いていたが、私よりもはるかに若い彼女がなぜ私より上の世代に人気の歌手を知ってるんだ?

シャンテはバッグコーラス、3人、それぞれに一曲ずつ歌わせた。
それぞれ一生懸命歌うのだけど、シャンテの前では霞んでしまう。
「アメリカンアイドル」でいつもバックシンガーが上位には進めないことをふと思い出した。
主役を立てて、存在を消して歌うことに慣れ過ぎてしまっているから。

しかし、バックコーラスが3人入るとライブの華やぎが違う。
エリックもせめてギターとバックに1人を連れてきてくれるといいんだけど。
できれば、ホーンも。

シャンテ・ムーアはまるで大輪のカサブランカのよう。
まさにディーヴァそのもの。
近寄り難いカリスマがあった。
エリックべネイのライブの時だと、「今日は、疲れてないかな?」
とか「こんなに最初から飛ばして大丈夫かな?」「顔色が悪くみえるけど。」
「お客さんのノリは、入りは?」「時差ぼけは?」
余計な事を考え過ぎるので、こうやって、ある程度、距離感がある人のライブもたまにはいい。

その日は朝から雪がパラパラ。
そしてそれが、雨になる。
今年で一番、寒いと思った日かもしれない。
真冬にライブに行くと、いつも終わった後には個人的にはポカポカの暖かさ。
寒い日にはライブに限る。

コットンクラブを出て、地下通路に入る。
電車に乗る。
地下道を抜けると、そこは池袋だった。

駅前の商店街を抜け、また地下に降りると、そこはZAPPだった。
nkmrakikoさん御用達のソウルバー、ザップ。
着いたのは9時頃。
その日はオールドスクールをガンガン掛けてくれていた。
余りの居心地の良さにあっという間に3時間。
池袋の地下に私はニューオリンズを見た。

家から最も山手線で遠くにある駅、池袋。
芸術劇場に行くぐらいで敬遠していたけど、これから度々行くことになりそうだ。
ヒューストンで乗り換えてニューオリンズに行くよりも近いから。

Happy Valentine's to EB fans!!!

2010-02-13 00:01:42 | 私の日々
昨日の夕方、facebookを見ていると、フランスのリンダからチャットが開く。
そして、いきなり張り込まれたのがこの映像。
14年来のエリックべネイファン達に「今まででベストのショウに入る。」言わせた
2009年の7/3、エッセンスミュージックフェスティバルのファーストショウのラストシーン。
"Georgy Porgy"から、"Billie Jean"へと入っていく。

Thank you Linda!

リンダに「ちょっと、あなた、この映像、今まで隠しておいたの?ヴァレンタイン用に?」と書き込むと、
「そんなつもりじゃなかったけど、Youtubeってアップがややこしいじゃない。」
「わかるわぁ。」

「AK、元気?アースウィンド&ファイアーのパリのライブ、行ってきたけど、良かったわよ。」
「私も日本で二度観た。やっぱりオールドスクールはいいわね。」
リンダはその後、この映像をfacebook、エリックべネイファンサイトへ投稿すると言っていた。
映像をみつめながら、リンダとしばしチャット。
YouTUbe映像に早速、5☆を送り、コメントも書き込む。

私はエリックが歌っているのも喋っているのも観るのが好きだが、
ステージでただ存在しているだけのエリックを見ているのが大好きだ。
アーティストの中には、他のメンバーに演奏させたり歌わせる間、ステージを離れたり、
座ったり、脇で休んだりする人もいるが、エリックには絶対そういうことはない。
ずっと、ステージの上で心から楽しそうに他の人のパーフォーマンスを見守っている。

さて、明日はヴァレンタインデイ、いつもは私が書くばかりですが、今日から明日に掛けては、
皆さんがエリックの好きなところ、どうしてエリックのファンになったのかをコメントして下さい。
今まで、コメントのなかった方もエリックのことなら何でもけっこうですから、どうぞ!
ライブで気がついたこと、エリックの曲で好きな曲でも。

この映像の最後でエリックは「みんなにお願いがある。」と言っている。
ライブで聞いたことがある方もいると思うが、

1.Love Yourself
2.Love Each Other
3.Love Children

2を言う前にエリックは、「1の『自分自身を愛す』これができない人は、次のことができないよ。」
と前置きしている。

3の後には、「自分自身の子供だけではなくて、すべての子供をね。」

それでは、みなさん、
ヴァレンタインの日に、まず自分を益々好きになって、周りの人も、
周りの子供達も全部、ひっくるめて愛して下さい。
愛せない人は愛する努力をしましょう。

そして、これからアメリカ南部をツアーするエリック・べネイにも愛のバイブを送って下さいね!

Eric Benet Essence Festival 2009 final



金子三勇士 リスト「愛の夢 第三番」

2010-02-12 09:22:07 | ピアニスト 金子三勇士
ヴァレンタインも近いので、昨年12月12日にBS12で放映された「クラシック クラシック」にて
金子三勇士が演奏したフランツ・リスト「愛の夢 第3番」をYouTubeにアップ。

「金子三勇士inクラシック・クラシック」について2009年12/14のブログ
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20091214

この曲はリストの作曲した3つの夜想曲、ノクターンの内の最後の曲。
てっきり「恋する心」がテーマなのかと思い込んでいた。
確か、このタイトルでリストがモデルの映画もあったように思う。
恋愛映画の映画音楽としても使われている。

今回、調べてみると、リストが当初は歌曲として作曲していた。
その3部作の最後のこの曲のテーマは「おお、愛しうる限り愛せ」という人間愛について書かれた
ドイツの詩人、ヘルマン・フエルディナント・フライリビラートの詩に基づく。

第1番 変イ長調「高貴な愛」S307 ルートヴィヒ・ウーラント詞 1849年
第2番 ホ長調「私は死んだ」S308 ルートヴィヒ・ウーラント詞 1849年
第3番 変イ長調「おお、愛しうる限り愛せ」S298 フェルディナント・フライリヒラート詞 1845年

それが後になってピアノ曲へとリスト本人が編曲した。

ヴァレンタイン デイ、アメリカでは男女問わず相手に愛情を示す日。
それが、日本では女性が恋心を持つ相手にチョコレートをプレゼントし愛を告白する日、
恋人に愛情を表わす日となった。
しかしながら、最近のヴァレンタインは義理チョコもあり、
まさに人間愛、女性はお世話になっている男性にチョコをプレゼントする日。
そして、飛びっきりのお相手と「愛の夢」を夢から、ドリーム カム トゥルーにする日。

Happy Valentine's!!!

金子三勇士 ホテルオークラ ロビーコンサート 2/25(木)18:00~18:30
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/event/lobby/index.html
東京都港区虎ノ門 ホテルオークラ本館5F メインロビーにて 無料コンサート(協賛サントリー)
スパークリングワインのサービス付き

ヴァレンタインに何のイベントもなかった方もそうでない方もどうぞご参加下さい。
私も行っています。

金子三勇士 リスト「愛の夢 第三番」

エリックべネイ、2010年度のツアー開始

2010-02-11 00:01:27 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
2009年にはアメリカ全土、ヨーロッパ、そして2回の来日を含むアジアツアーを行ったエリック・ベネイ。
2010年の初ツアーはアメリカ南部から始まる。

02/12/10 - New Orleans, LA
http://www.kreweofzulu.com/Zulu-Social-Aid-and-Pleasure-Club/News-Flash/Zulu-2010-Coronation-Ball.html
こちらはEric Benet& EN VOGUE。
ニューオリンズのお祭りマルディグラの前夜祭、ランディグラのイベントの一環。

10人がけのテーブル1つずつの単位$750から売りに出されている。
今のところ、ファンクラブのメンバーで行く人はいないようだ。

02/13/10 - Houston, TX
http://www.arenahouston.com/events/021310-kem-ericbenet
共演はKem、2人でどのようなステージを作り上げるのだろうか。
アリーナ席が高額になっているが、すでに売り切れているようだ。
後方の席にはまだ空きがある。
この会場、昨年、調べてみて、地元に知り合いでもいない限り、難しいと諦めました。

02/14/10 - Memphis, TN
http://www.soulclassics.com/goout.asp?u=http://www.tix.com/BestAvailable.asp?Event=231987
Eric Benet, Rachelle Ferrell, Alex Bugnon and Joe Johnson、4人の共演。
こちらもやはり良い席は売り切れている。
まだ後方の席なら取れるようだ。

2/13、2/14、共にファンクラブのメンバーがそれぞれ集合。
エリックは新曲をこのツアーで歌うのだろうか。
昨年のツアーとは違う曲、どんなライブになるのか。
行けないけれど、誰かが必ず映像をアップしてくれるかと楽しみにしている。

All About the Love Tour -- Houston