Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

山下朝史、9/14「未来シアター」に出演

2012-09-16 00:00:00 | その他の旅
夜11時半からの番組。
最初はグランブルーの主人公を地で行くフリーダイビングに挑戦する日本人男性。
そして後半が山下朝史さん。

山下さんがパリに留学当時からの沢山の笑顔の写真がテレビに映し出される。
そしてムッシュー・ヤマシタの農園、夏野菜がたわわに実っている。
私が伺ったのは厳寒の年末だったゆえ、ほとんど野菜がなかった。
次回はぜひ野菜が旬の時期に訪れて、もぎたてのトマトなどをご馳走になりたい。
山下さんは東京やパリを闊歩している時ももちろんだが、
自分の畑にいる姿は抜群にカッコイイ。

山下農園と契約する有名シェフ達。
皆、口を揃えて山下さんの作り出す野菜の素晴らしさを語る。
日本の野菜が最初は条件の厳しかったパリ郊外の村で根付き、
人々に感動を与えている。

レストラン・イティネール restaurant itinerairesのシルヴァンが、
若きシェフとして登場する。
Sylvanの買い物のガイドをして築地市場を案内したのは昨年2月。
魚や野菜、包丁、昆布は利尻、日高、羅臼を迷って、
私の勧めた利尻の最上級の物を買っていた。
日本茶は緑茶だけでなく、ほうじ茶も。
あの時の来日の経験がどのように彼の作る料理に反映されたのだろうか。
画面から味や香りまではわからない。
実際に彼の店に行き、確かめてみたい。
シルヴァン夫人のサンドラからは震災の時に丁寧なお見舞いと、
「何か食べ物や必要な物を送りましょうか?」とメールを頂いた。
二人が店で働く姿も見てみたい。

山下さんの新作としてチャイニーズブロッコリーが紹介されていた。
25年位前だろうか。
私はサンフランシスコのチャイナタウンで初めてこれを食べた。
日本やアメリカのよりも茎を食べる感じで空芯菜に近いイメージだった。

番組が終了したのは12時。
夜も更けてちょうどお腹の空いた頃。
山下さんの作る野菜、シルヴァンの料理が食べたくなってしまった。

5月の香港

2012-05-07 15:29:05 | その他の旅
東京駅の地下から中央線のホームへと向かうエスカレーターに乗っていると、
香港の匂いがする微かな風が鼻先をかすめる。
一瞬のことだったが、どこからそれは漂ってきたのだろう?
地下の中華料理店の厨房から階上へと換気口を通して上って来る内に、
私に香港の裏通りを思い出させるような
ほこりと湿気を含んだ風に変化したのかもしれない。

返還前の香港は圧倒的に九龍側が好きだったが、
ここのところは香港島、中でも中環、セントラルを中心に動くことが多く、
食事をしたりするのはソーホーかランカイフォンがほとんどになってきた。
香港のタクシー料金は日本と較べると破格の値段だし、地下鉄も整っているが、
それでもどうせなら徒歩圏内のホテルの方が動きやすい。
前々回はソーホー、前回と今回はランカイフォンの中心にあるホテルを選んでいる。
この辺り一帯は坂の街なので歩き回ることでかなり良い運動にもなる。

4時半に羽田を発つと4時間後、一時間の時差を経て8時前には、香港に到着する。
以前は空港からホテルまで運んでくれるエアポートバスを利用していたが、
ソーホー、ランカイフォン周辺は曲がりくねった狭い道ゆえか、
バスの運行はなく、空港から中環まではエアポート・エクスプレス、
駅からはタクシーでホテルへと向かう。
この電車、バスよりも早いのと便利さで気に入っている。
本数も多く、帰りは中環の駅で航空機のチェックインをして荷物を託すことも可能だ。

ホテルの表玄関から入り、フロントで手続きを済ませる。
荷物を部屋に置き、今度は裏玄関から階下へと降りると、
そこにはランカイフォンの街の喧騒が広がる。
気温は30度、もう歩く人は夏服を着ている。
この街は9時頃では宵の口だ。
11時過ぎには狭い通りに人が溢れてくる。
ビールが中心のサッカーバーで料理もそこそこに美味しいパブへと繰り出す。
外のテラス席に座るとたっぷりの殻付ピーナッツが運ばれてくる。
殻は皆、床へと投げ捨てる。
地元のドラゴンビールを飲んだ後はイギリスのロンドンプライド。
香港に来るといつもこの店へと来てしまうのは、
ここで通りを行きかう人を眺めるのが楽しみの一つだからだ。
以前、この店はホテルの隣にあったが、今は一つ奥の通りの前へと移動している。

ホテルの中にも2階と6階、最上階の2フロアにレストランがあり、
週末はそこに行くためのエレベーターを待つ長い行列ができる。
滞在客は並ぶことなく、客室階へとエレベーターを利用することができる。
それを仕切る寡黙な黒服達が渋い。
ホテル内のレストランやバーにも行ってみたが、
やはり街中の方が格段に香港にいるという実感が湧く。

香港に来るとだいたい同じようなことをして過ごす。
朝は飲茶、昼は上海灘で買い物をしたりして、周辺の店でマッサージを受ける。
夜はヨンキーで好物の皮蛋とローストグースを食べ、
夜店を冷やかして、ランカイフォンの路地裏のバーで飲む。
観光や名所旧跡、一通りの場所、評判の高い店等にはもう行ってしまったので、
その後は毎回、こんな感じだ。
それでも毎年のように来てしまうのは、この街は私にとってのパワースポットだから。

ランカイフォン、裏通りにもいくつも多国籍な店が並ぶ。
エジプト、タイ、ベトナム料理、水煙草を吸わせる店、
入場料を払い、ビリヤードをするクラブもある。
人気の店は夜遅くなると店の前の通りで飲む人で一杯になる。
夜遊びに来ている女性たちの服装はもうタンクトップ、
ベアトップなドレスが多く、白黒が基本だが
今年はオレンジやターコイズブルーも目に付いた。

5日の日の晩、夕食後にそんなバーの一つで飲んでいたら、
小振りだった雨がいきなり大粒になり、雷も鳴り始め、稲光が走り土砂降りとなった。
わずかな距離だがとても帰る気にはなれない。
テラスの路上寄りから店側の席へ、それでも雨が降りこんで来るので、
そこから更に店内に移動して、レッドサングリア、クラシックモヒートを飲む。
向かいの店では雨の中、店の軒下の大きなテーブルを囲んで食事をしているグループがいる。
香港の冷房はきついのでやはりオープンエアの方が格段に心地良い。
夕方までが暑かっただけにつかの間のスコールが恵みの雨に思える。
ここには晴れよりも薄曇りや雨が似合う。
最後にメニューにアイリッシュコーヒーがあるのをみつけてオーダー。
雷雨が収まるのを待ってホテルへと戻った。

香港周辺の島では長州島が印象深い。
ローカル色があり、市場で見繕った食べ物をその場で調理もしてくれて、
地元の人の生活感も覗うことができ、自然も残っていた。

今回、初めてマカオに行ってきた。
高速フェリーで約一時間余りだが入出国の手間がかかるのと、
香港の雑多で混沌とした佇まいが好きな私にとって、マカオは余りしっくりこなかった。
昔は異国情緒のある街並みが残っていたのかもしれないが、
今は巨大ホテルとカジノが建ち並び、高層のタワーではバンジージャンプをする人、
ロープを付けて60階の塔の周辺を歩く人達もいた。

マカオから夕方には香港に戻り、初めて和食の店、寿司屋の暖簾をくぐった。
外から見ていて何とも心惹かれる風情があったからだ。
お通しや煮物、一つ一つが薄味で京風の懐石料理、
寿司も握りが小振りで上品な味わい。

料理長に話を聞くと「なだ万」に勤めた後、独立して10年近いとのこと。
食材、調理、サービスすべてに深いこだわりを感じ、
香港でこれだけ本格的な日本料理が食べられることに感嘆するばかりだった。

最終日、なかなか取れない夕方の便が今回は取れた。
いつもは朝便なので早起きをしなければという緊張感があるが、
ゆっくりと起きて、また飲茶を食べ、地元の香港ブランドの店、
ドラッグストアなども見た後、早めに空港へと向かう。
空港内のショップやレストランは充実しているので飽きることない。
しかし朝や夜遅くとは違い、日中の空港内はかなり混雑している。

帰りも約4時間。
羽田から家まではタクシーで15分余り。
東京に付くとこちらは初夏。
風が爽やかだ。
花粉もまだヒノキが残っているようで早速くしゃみが出た。

25年前に行ったきりのヴィクトリアピーク、
今はずいぶん様子も変わったと聞くので、次回は久々で行ってみようかと思っている。

台北36時間

2011-05-05 14:38:31 | その他の旅
台湾に行ったのは10年ほど前だろうか。
実家の母と二人で旅行することになり、母の年齢と持病があることもあり、
添乗員付きのゆったりとした日程のツアー、自由行動日の予定も、
「中華料理店でショウロンポウ作りを学びその後昼食、午後は台湾式シャンプーと全身マッサージ」
などというオプショナルツアーを選んだ。

結局、母は体調を崩して行けずに私は一人でツアーに参加することになった。
添乗員や他の参加者の方にも、とても良くしていただいて楽しい旅行だったが、
その時の観光名所をもう一度訪れようとは思えない。
行ったレストランは団体客を受け入れられる規模の店、何軒かの地元の土産物店、
デューティーフリーショップにも案内された。

小籠包(しょうろんぽう)作りとはどこに行くのかと思えば「鼎泰豊」(ディンンタイホン)
厨房の中で作り方を教わり、その後まかないのような料理を食べさせてもらった。
翌日また観光に組み込まれたランチで「鼎泰豊」には行ったが、
その時に食べた日本人観光客仕様のコースメニューよりも、
料理教室後のランチの方がずっと美味しかったのを覚えている。

ゴールデンウィークにどこかに旅行したことは、思い返しても一度もない。
値段も高いし混雑するという印象があったからだ。
今回4月も後半となってから「羽田から台北3日間31,000円」というツアーをみつけた。
家から羽田空港までは車で約10分。
以前から国際線チャーター便はあったが、出発が夜中、到着が早朝、
また本数も少なく行ける国も限られていた。
当時の国際線のターミナルはJR駅に隣接した高速バスの発着所のようだった。

昨年から羽田に新国際線ターミナルができたことで、
我が家にとってはたいへん便利な状況になった。
しかし同時期の香港ツアーが10万近くしているのに、
なぜ台湾はこんなに安いのだろう。

羽田から到着する台北の空港は松山空港。
そこから市内のホテルまでは10分もかからない。
行きは中華航空14:40発。
帰りは翌々日の朝、9時のフライト。
朝9時というといったい何時起きになるのだろうかと思ったら、
ホテルのピックアップが7時半とある。
空港も近いし小さいし、こんなもので充分らしい。

ホテルはリクエスト可の場所は既に満室。
迷っている内に次々とその他のホテルも埋まって行き、
旅行社からの返事は「飛行機の席は何とか確保できますが、
空いているホテルがみつかり次第連絡します。」

私達のホテルは「リンクワールド」となった。
ネットで検索すると「ここは現地のラブホです。ホテルではありません。」とか、
町の中心部から離れているとか、清潔感がないとか、いろいろな書き込みがあった。

飛行機は2列、4列、2列。
チャイナエアライン、アテンダントの制服もエプロンもデザインが素敵だ。
搭乗すると4時過ぎにもかかわらず機内食のサービスが始まる。
空港ラウンジでかつ丼を食べてしまったのに機内食もかつ丼かビーフライス。
かつ丼のリクエストは少なくビーフライス、品切れ寸前でどうやらゲットできたが、
さすがに余り手を付けられなかった。

飛行機は最初から最後まで揺れっぱなしで室温もかなり低かった。
機体の揺れと轟音が続き、飲み物を飲もうにも思うようにいかないほど。
一時的な揺れならともかく、継続的にこれほどの揺れを経験したのは初めてかもしれない。
3時間余りのフライトだが到着する頃にはぐったりしてしまった。

機内は寒く、薄着の若者まで時間が立つ内にはブランケットにくるまっていた。
機内の室温は航空会社により違い、日系は温度設定が高め、
欧米系、またアジア系の一部は低めかと思っていたが、
それだけでなく気流が悪くて風が強い時も室温は下がっていくものなのだろうか。
もっとも台湾という国自体も湿気が強いせいか、かなりエアコンがきつめだ。

両替所で台湾の通貨、元に替え、空港出口に向かうとガイドさんが待機していた。
私たち以外にも10名近くの日本からの観光客。
それぞれが立派なホテル、街中の便利そうなホテルで降りて行き、
最後の私たちのリンクワールドとなった。
近くには中学があり、そのせいか学習塾も多い。
公園もあり、地下鉄の駅もある。
市街地からは離れているがけっして物騒な地域ではない。

荷物を持ってホテルへ入っていこうとすると目の前を痩せた猫が横切っていった。

チャックインをして部屋に入ると右にエキストラベッドとソファー、
デスクが置かれている。
室内には何かこもっている匂いがある。
大きなキーを部屋に入ってすぐ脇にあるポケットに差しこむと、
強いエアコンの風と室内に音楽が流れ始めた。
音楽とエアコンを消す。
小さな窓があり遮光カーテン、レースのカーテン、普通のカーテンと三枚に遮られている。
開けてみると隣のビルの厨房がすぐ脇にあった。

左手にはダブルベッドと奥にはバストイレ。ここが無意味に横長だ。
台湾の習慣ではトイレに紙を流してはいけないこと、
脇にあるごみ箱にトイレットぺ―バーを捨てる決まりを思い出した。
今回の旅行でだいぶ変わったと思ったが、
以前来た時はトイレは日本とは違い、蓋も便座もすべて上げた状態で出る。
つい習慣で蓋をしめて出たりすると次の人にぎょっとされた。
よっぽど訳ありと思われるらしい。

荷物を置き、台北の名物、夜市へと繰り出すことにする。
最も大きな士林夜市へは地下鉄で2度も乗り換えることになるので、
タクシーで向かうことにする。
部屋にはセーフティーボックスがなく、またフロントに預ける気にもとてもなれない。
最近近場に出かける時はいつも機内持ち込みの小振りのバッグで出掛けるので、
鍵を掛けて貴重品を入れることのできるようなスーツケースも持っていない。
迷った末、全財産とパスポート持参で人混みに出掛けて行くことにする。

夜市は、例えれば原宿の竹下通りが通りではなく町全体になっているような雰囲気だ。
屋台で名物の胡椒餅や串刺の食べ物を摘まみ、夜店で一つ150円程の髪飾りをいくつか買う。
ペットショップやペットのアクセサリーショップもあるせいか、
犬を抱いて歩いている人を見かける。
お店以外にも露天商や道の真ん中に布を引き、品物を並べ始める人達もいる。
夜がふけるにしたがって、どんどん賑わってくる。
とりあえずホテルに引き返し、徒歩圏で夕食をしようということになった。

ホテルの周りには意外と食事のできる店がない。
それなのに7-11やコンビニは日本以上にたくさんある。
もうよっぽどコンビニ弁当ですませようかと思った時に「火鍋屋」の看板を見つけた。
これは今、台北にたくさんの店が出ているが、どちらかと言えば韓国料理。
メインになる材料と出汁を選び、後はビュッフェスタイルで中に入れる食材を選ぶ。
日本にはない独特の青物野菜、またゴーヤ、ヘチマ、トマト、セロリも鍋に入れる。
生卵は割って黄身だけを笊に上げて使えるようになっている。
タレや薬味も変わっていて面白かった。
お店の人達も片言の日本語でいろいろと食べ方を教えてくれた。
疲れた体に湯気の出る鍋は気持ちが休まるものがある。

部屋に戻ると早速マッサージ屋さんに電話。
送迎をしてくれる有名な店。
以前行った時にとても上手で印象が良かった。
蒸しタオルをたくさん使い、足踏みマッサージも入る。
しかし予約が取れたのは11時。
店に行くとたいへんな混雑だ。
貴重品も相変わらず持ち歩いているので落ちつかない。

私の担当になった人は決して上手ではなかった。
この日の私の体調がマッサージ向きではなかったのかもしれない。
マッサージ、合わない人にあたってしまうとリラクゼーションではなく拷問になる。
以前に来た時はマッサージ中にもうたたね、部屋に帰った後もすぐに眠ってしまったが、
今回は返って目が冴えてしまうことになった。

翌朝の朝食は屋上に設置された飲食コーナーだった。
室内ではなく外に出てコーヒーを飲む。
テラスは沖縄風の植物に囲まれ台北中心部と違い、この辺りは見降ろすと緑も多い。
ニューオリンズにあったアメリカ南部特有のスパニッシュモス風の草が
樹木から垂れ下がっている。


食後、問屋街に行くために降りた駅で台湾式シャンプーの看板を見つけた。
まだ開店したばかり、空いていたので早速入ってみる。
受け付けの若い女性は日本語が流暢だ。語学学校で勉強したと話していた。

日本と違い、椅子に座った状態でシャンプーをつけ、頭のマッサージをたっぷり。
その後、洗い流してブロー。
以前は立てロールにされてしまい唖然としたが、今回は雑誌から髪型の見本を見せて、
確認してくれる。
値段も日本の半額以下、時間も短時間で済む。
日本にもこんな店があるといいんだけど。

そこから昼食を予約した北京ダックの専門店へと向かう。

地元の北京ダックの店、1羽を下ろしてくれて残りのガラでスープを作ってくれる。

野菜をさらっと炒めた料理もお腹に優しい。
サービスで出てくる漬物数種もさっぱりとしている。
地元の人達で賑わっていて値段も廉価だ。

先ほどの美容室に買った物を忘れてきたことに気づき、
電話で問い合わせをした後に戻る。
そこで「足マッサージお薦めの場所ある?」と聞くとお店の若者達が相談しながら、
最近の人気店を教えてくれ、夕方の予約も取ってくれた。

美容室の向かいには三越がある。
中の様子をちらっと見て両替所により、
そこから地下鉄で以前から行ってみたかった「猫喫茶」へと向かう。

駅からすぐの場所にある猫喫茶。
いろいろな種類や体系の猫達、おとなしいレトリバーもいて猫達と仲良くしている。
若くてヤンチャな猫、年を取っていてゆったり寝ている猫。
各テーブルに猫用の椅子も用意されていて猫達も好みのお客を選んで、
テーブルへとやってくる。

頼んだ菊花茶のポットやカップ、蜂蜜ポットも猫柄。
店の中も猫グッツや猫タワーがあちこちに。
2008年、翌2009年の4月に飼っていた猫をそれぞれ19才で見送った。
猫を飼っている間、特に猫達が10歳を過ぎてからは置いていくのが、
後ろ髪を引かれる思いで旅行する気になれなかった。
それがいなくなった今、旅をしているが、
それでもこうして猫喫茶へと足を運んでしまう。


猫喫茶でしばらくマッタリした後、フットマッサージの店へと向かう。
前に台北に来た時は足洗い場で自分で足を洗ってマッサージ台に座った。
今回はアジアンモダン風の店で足は漢方が入った浴槽に漬け込みながら、
肩首のマッサージを受ける。
その後、場所を移動しフットマッサージが始まる。
久々にかなり痛い足マッサージを受けた。
靴を履くと足のむくみが取れて、ゆるくなっているのがわかる。

ホテルへ戻って荷物を置くと前日に夕食を予約していたフカヒレの専門店へ。
フロントの人に「今度はどこに行くの?」と聞かれるので、
行き場所を告げると「高いよ。」と脅かされるので、
心配になり電話でカードが使えるか確認する。

タクシーで店の前に着くとドアマンがいて車のドアを開けてくれる。
車道前ばかりか店前にもベルマンがいる。
お店はフランス料理のようなインテリア。
周りのテーブルの人達もみな日本人。
日本の年配の男性と現地の若くはないが一般女性ではない組み合わせが多い。
不思議なカップル達だ。

フカヒレは一番小さいサイズのものを、そして炒め物、チャーハンなどを頼む。
それぞれ素材の旨みが凝縮されたしっかりとした味つけだが決してしつこくはない。
サービスする人達も行き届いていて絶えず目を配ってくれている。
しかし値段もまた素晴らしかった。


スピーディーに夕食が終ってしまったのでホテルへ戻って、
フロントの親しくなった女性に「どこか音楽を聴けるようなバーはないの?」と聞くと、
「ディスコがいい?私も若い頃は飽きずに通ったものだったわ。それこそ毎日のようにね。」
というので「もう少し大人向けの店がいい。」と伝えると、
「行ったことないけど、ここがお洒落でいいらしいよ。」と現地のガイドブックを見せてくれた。

その店の名前は"Brown Sugar"
普段行き付けにしている恵比寿のソウルバーと同じ名前だ。
迷わずそこに行くことにする。
地域は東京ならお台場のようなところ。
台北で有名な高層タワーがそびえたっているのが見える。
庶民的な地域から一転して落ち着いた雰囲気の店がひっそりと離れて建っている。
ここにも三越をみつけた。

"Brown Sugar"は現地のファッショナブルな人で賑わうライブハウスだった。
ライムとミントをたっぷり入れて潰すモヒートが爽やかだ。
店名のカクテル「ブラウンシュガー」もバーボンベースにライムジュース、
ブラウンシュガーも入り、グラスの周りにはブラウンシュガーをまぶしてある。
これも美味しかった。
9時半からということだったが、10時頃から現地のアーティストのライブが始まった。
表情豊かで声の質も良かったが、翌日の出発も早いので11時頃には店を後にする。


翌朝の起床は6時。
フロントにモーニングコールを頼むと、朝早くて朝食を出せないので、
サンドイッチとジュースをその時間に部屋に届けてくれると言う。
今回、かかわった台湾の人達はみんな、ほんとうに親切だった。

帰りの飛行機、通路側が取れずに中心列の内側2席しか空いていない。
いったんはそれで承諾し持ち込み荷物の検査へと向かう。
お土産に買った歯磨きが液体100ccを越えているために引っ掛かり、
それを預け荷物にするためにチェックインカウンターへと戻る。

チャイナエアラインと提携しているデルタ航空のマイレッジ、
行きはお願いしたが、帰りの便は忘れていたことも思い出しこれも加算して貰う。
そしてダメもとで「通路側の席、先ほどは空いてなかったけど、
キャンセルとかでてない?」と尋ねる。
「乗務員の向かい側、非常口の脇なら空いていますが、
緊急時の脱出の際は乗務員の手伝いができますか?」と聞かれた。
以前一人の時はこの申し出を断ったが、今回は夫も一緒なので
二人で協力すればできると思い「やります。」と答える。
「緊急時脱出の際の手引」という書類を読むようにと渡されて
新しい席のボーディングパスを受け取る。

席に着くと中華系のフライトアテンダントから
「あなたたちは緊急時に私たちを手伝ってくれるんですよね?」と念を押される。
「大丈夫です。」と答えるとまた「緊急時脱出方法」のボードが二人に1枚ずつ配られ、
「良く読んでおいて下さい。」離陸までの間に熟読した。

短時間のフライトなのに食事を出し、それを下げるという手間のために慌ただしくなる。
プレートを下げに来るまでの間、見動きが取れずに圧迫感がある。
この位の飛行時間、ましてや行きは食事をする時間帯ではないのだから、
手渡しのスナックと飲み物程度で簡略化した方が
サービスする側も乗ってる方も楽なのではと思った。

2時間半余りで羽田に着く。
機内では病人が出たとのことで最初はその方の搬送を待っての後、
全員が飛行機から降りることになったが、先に乗客が降りるということに変更された。
出口で待機していたのは担架と救急隊員ではなく車椅子と空港職員だったので少し安心した。

台北、海外に行ったというよりも言語は違っても日本の地方都市に行ったような印象がある。
九州なら博多ではなく宮崎市内、あるいは山陰地方とか。
台湾は日本から近いし、のんびりしていることが良さでもある。

前回は団体旅行なので現地の人との触れ合いが余りなかったが、
今回再び、訪れたことで日本語のできる人達と出会い、親日派が多いとも感じた。
東日本大地震に多額の寄付を寄せてくれた国、台湾。
人々も優しく、食べ物も美味しく、温暖な気候に恵まれている。

沖縄ソウルサミット

2010-10-03 07:17:08 | その他の旅
ボストンから戻ったのが15日、翌々日、17日にはコットンクラブのカメオのライブへ行った。
初日の1stショウ、とても盛り上がり楽しいライブだった。
しかしその次の日、朝起きると時差ボケと疲れとお酒が混ざって、かなり体調が悪かった。
昨日はほどほどにしておくべきだったと反省。
ドラッグストアでユンケルを奮発する。何かおじさんみたい(おばさんはロイヤルゼリーとかを飲む)

自宅から羽田までは比較的近いがさすがに電車に乗る気にはなれずタクシーを使う。
マサチューセッツから戻って三日後に沖縄へ向かうとは、しかも仕事でもないのに、
ノー天気なヤツだと思われるかもしれないが、こっちの方がずっと先に決まっていた。
マサチューセッツ行きが後から予定の中に入り込んだのです。

飛行機は満席で夫の隣に一人の男性が乗り込んできた。
たくさんの荷物を抱えている。
どういうわけか会話が始まり、家の近くのお花屋さんのオーナーで、
しかも共通の知り合いもいることがわかった。
その男性は法事のために沖縄の実家へ帰ると言う。
機内販売が回ってきた時、化粧品のポーチを「あるだけ全部下さい。」
久々の帰省なので持っている荷物も全部お土産、それでも一族全員分に満たないので、
機内で買占め。

沖縄本島から道路で繋がった島を所有する一族でどうもユタ(沖縄特有の祈祷、霊媒師)
の家系らしい。
翌日は本人は本島での法事に参加するため留守にしているそうだが、
レンタカーでその島を見に行くことに。

東京も暑いと思ったが、那覇に着くと更に湿気が強い。
ホテルから中心街まで出て行くのもしんどいなぁと思っていたら、
ホテルの隣にステーキハウスがあった。
沖縄料理も前菜で出てくる。
アメリカの鉄板焼き風とも言える。
それなりに楽しめた。

帰り道、ホテルの脇で猫が前を横切り、ビルの裏へと入って行く。

翌日はホテルでの朝食の後、レンタカーの問い合わせをする。
ホテルの近くの店はもう予約で一杯。
少し離れた店に電話するとまだ空きがあるとのことで、そちらまで歩く。
10時少し前、たいへんな混雑だ。
4時までの予約をして島へと向かう。

途中、300年以上前に建てられたという「中村家」を見学する。
アメリカで「日本では珍しくもないでしょうけれど、この家は300年前に建てられたのよ。」
と前の週にいくつかの家を見学してきたが、沖縄でも観ることになるとは。

風の抜ける作りになっていて、りっぱなかまどと中庭、沖縄ならではの調度品が印象的だ。
靴を脱ごうとした途端に「ニャ~。」と声がして白にブチの雌猫が登場した。
しばらく遊ぶと猫は家の中へと堂々と入って行った。
この家の猫らしい。

島に渡る橋から見える海の色が綺麗だ。
途中で停めて海岸へ降りてみる。
しかし暑い。
そして岩場とサンゴのかけらがたくさんで海水浴には向かないようだ。
何を思ったのか、そこで私は木の切れ端を手に砂浜に書き始めた。
"Sometimes I Cry"、iPhoneで撮ると今一つ字のバランスが悪い。
"Lost In Time"、これは決まった。

早速facebookにアップすると、Eric Benet本人からも「超イケてるね!」とコメントをもらう。
(11月に発売になるエリック・べネイのアルバムが"Lost In Time"、
そこからシングルカットされてヒットしつつある曲が"Sometimes I Cry"です)

島を車で一周したが慣れない車とナビ、知らない道、いつのまにか車の通れないけもの道、
海へと向かう細い道に入り込んでしまい、途中でターンをして引き返したり、
バックで戻ったり。
美しい海と南の島らしい自然の植物に囲まれる中、人はほとんど見かけない。
ところが選挙期間中らしく突然、選挙カーが登場し演説が始まった。

島を後にしてアメリカ村へと向かう。
東京周辺にもあるような複合娯楽施設だったので、時間も押しているため、
見学は止めてアメリカと沖縄にしかないハンバーガーショップへと入る。
東京のバーガーショップとは違いフライドポテトにチリ風味のソースを掛けてローストしたものとか、
ルートビアもあって面白い。


那覇市の中心部は渋滞していてレンタカーショップへようやく時間ギリギリに辿りついた。
その後、シャワーを浴びて集合時間にロビーへと降りて行く。
全国のソウルバーの関係者とお客がぞくぞくと集まってくる。
かなり個性的なメンバー、アフロヘアの女性も数名。
私も来年はドレッドヘアかアフロで参加したい。

全員集合するとホテルから歩き始める。
公園を抜け裏通りを歩き続ける。
はぐれたらとても戻れそうにない。

ようやくお店の看板が見えてくる。
ここでもまた猫が前を通って店の裏へと消えていった。

着いた先は正統派の和食屋さんだった。
郷土料理と伝統的な日本料理が並んでいる。
「ソウルサミット」でフライドチキンやスペアリブではなく、
こんな美味しい和食が食べられると思ってもみなかった。


その後、国際通りにあるクラブへ。
一緒に参加していたセルジオ武藤とウディーファンクがステージへと上がる。

ウディーのトークボックス、二人の呼吸のあったシング&ダンス、
私たちの後ろに品のいい三人のブラザーズがいて盛んに掛け声、
一緒に歌っている。
夫がその様子をyouTubeへアップロード。
WOODYFUNK TALK BOX in Okinawa Soul Summit 2010 Sep.


「可愛い人よ」ヒットさせたご本人とこの日のメンバー、
赤坂のソウルバーのオーナーなども加わり、パーフォーマンス。

Maze、フランキー・ビバリーの時にもお見かけした博多のソウルバーのオーナーもいらしていた。
沖縄のソウルバーのスタッフ達が手厚くもてなしてくれる。
めちゃくちゃ楽しかったが2時過ぎには失礼する。
翌日は朝、10時過ぎまでぐっすり眠ってしまった。

歩いて国際通りから市場通りへ。
市場で朝食を兼ねた昼食、買い物など。

そしてデザートも。
沖縄のフルーツの入ったあんみつ。

帰りは日差しが強いのでタクシー。
初乗りが500円、空港からホテルまでも千円ちょっと。

この日は1時集合で2時からバーベキューとのこと、参加したかったが、
他の方達はもう一泊、私たちはこの日に帰るので残念だがパスした。

沖縄から帰った直後は気が張っていたのかしっかりしていたが、
2日後のお彼岸の中日、大雨の降った日から、
マサチューセッツと沖縄両方の疲れがどっと出てきてしまった。

20日前は11月の陽気のマサチューセッツ、10日前は真夏の気候の沖縄に行き、
今は東京も秋。
9月を振り返ってみると二つの旅行と準備、帰ってからの溜まった用事と片付けで
あっという間に夏が終わってしまった。
充実していたとも言えるが、私のペースにしては忙し過ぎた気もする。

ホーチミン2日間

2010-08-19 00:16:25 | その他の旅
成田19時発のベトナム航空でホーチミンへと向かう。
事前に座席指定のできない格安ツアー、チェックインの際に「もう空いてないだろうなぁ。」
と思いつつ「通路側の席を・・・できれば前方で・・・」
カウンターの女性はにっこりと言った「一応、お取りしますけれどガラガラですので、
離陸したらお好きなお席にどうぞ。」

左右に3席ずつの小振りの飛行機、乗客は定員の一割を割っていたのでは。
久々の空いてる飛行機、3席分を使ってゆったりと寝られて気分がいい。
ベトナム航空も初めてだがキャビンアテンダントは可愛らしくて感じが良い、そして働き者だ。

ミュージックチャンネルにアッシャーがある。
ベトナム航空の社長の知り合いの方がいらしたら、
ぜひエリック・べネイのチャンネルを作るようにお伝え下さい。

映画の画面が座席ではなく、9席に一つづつ天井からのスクリーン。
したがって映画も選べない。
最初はゲイリー・マーシャル監督のオールスターキャストで
バレンタインを巡る数組のカップルの様子を描いたコメディー、そこそこだった。
次はメル・ギブソン主演の"Edge of Darkness"そんなタイトル。
久しぶりに帰郷した娘をいきなり目の前で殺されてしまったマサチューセッツの刑事が、
犯人や黒幕を追い詰めていくサスペンス。ぐいぐいと惹き込まれて観ていたが、
最後の場面で着陸のためにヘッドホーンの回収が始まってしまい結末を見逃す。

初めての場所、着時間は11時と夜遅いので空港のピックアップ付きのツアーにした。
空港の出口は小さく、いとも簡単にベトナム人のガイドさんとご対面。
ドライバーを電話で呼んでくれてすぐにホテルへと向かう。
ベトナムの通貨ドン、どうしても日本円に換算するのがピンとこないと思っていたら、
「金額から0を二つ取って、2で割ると日本円の金額です。」これでとても分かりやすくなった。

空港から20分位だろうか。
パークハイアット・サイゴンに到着。
街の中心部にあるのと初めての国なのでホテルには拘った。

夫は喫煙者だがベトナムは未だに喫煙大国。
ところがハイアットに関してはアメリカナイズされていて、喫煙室は9階のみ。
そして空室がないと言う。
そこで特別に6階だけど灰皿を用意してもらうことになる。
最後の日は夜中の飛行機で帰る。
「お部屋は夜9時を過ぎると一泊分、8時までなら半額で押さえられますけれど?」
1日外出しているのなら部屋は必要ないかとも思うが、リーズナブルな値段なら部屋があった方が、
疲れた時に寛ぐことができるし、暑さの中、戻ってから出発前にバスルームも使える。
迷うところだ。「そのお返事は後でもいい?」と聞くと「もちろんです。」

ベルボーイに案内されて部屋に通されると灰皿がない。
先ほどのフロントとのやり取りを話すと「ちょっとお待ち下さい。」とどこかに電話をしている。
「フロントとこちらとの誤解がありまして、すみません。
喫煙可のお部屋を用意しますので、少しここでお待ち下さい。」

アジアンモダンと言うのだろうか、シンプルな白い部屋に木がたくさん使われていて、
置いてある小物やバスルームの作り、部屋の誂えがとても居心地が良い。

しばらくしてベルボーイは戻ってきた。「ずいぶん待たせてしまってごめんなさい。
お部屋を用意するのに少し時間が掛かってしまって。」
9階の部屋に案内してくれて「僕はベルのチームリーダーです。ご要望、そして何かありましたら、
おっしゃって下さい。」と名刺をくれた。
ここまでしてくれたらやはりチップを渡したい。
空港に着いた時に両替しておいて良かった。

荷物を置くとそのままホテルのバーへ。
ドアを開けた途端、お洒落なアジア系、アフリカ系、アングロサクソンと多民族の人達でぎっしり。
カウンター前で立っている人、踊っている人もいる。
黒、白でスタイリッシュにまとめた服装の人が多く、バーのスタッフと区別がつかない。
これはもしかしてプライベートなパーティーか何かなのかと思っていたら、
ようやくスタッフが声を掛けてくれる。
一階は席がないとのことで吹き抜けの横にある半二階のVIPコーナーのようなソファーへと案内される。

夫は地元のビール、私は散々迷ってモヒートにする。
フルーツカービングしたみたいなライムがたっぷり、そしてミントもザクザク。
南国のフルーツとハーブの香りに旅の疲れが癒される。
二杯目はマルガリータ、これは普通でした。
時間を見ると現地では午前1時を廻っている。日本時間では3時。
明日もあるので部屋へと戻る。

翌日は8時頃に目が覚めてプールで泳ぎたいなぁと思ったが、昨夜は遅かったし最初から飛ばすのも、
と思ってそのまま横になって二度寝する。
9時頃に起きてダイニングルームへ行った。
メニューを見せられたので「朝食付きのパックでお願いしているのだけど?」と尋ねると、
「それならビュッフェとメニューの中から何でも好きなだけ頼んで下さい。」
すべての具を入れたオムレツを頼みつつ、ビュッフェへと向かう。

フレッシュなジュースがオレンジ、ウォーターメロン、キャロット、ビーツ、セロリ、パイナップル等。
ココナッツも生のを切ってストローを入れて出してくれた。
その上、フォーもある。
自家製のマーマレードとストロベリージャムでクロアッサン、コーヒー、そしてオムレツを食べた後、
フォーも頼む。たっぷりのハーブや香辛料を入れて食べる。


朝食後は街を歩いてみることにする。
半日観光ツアーとかもあるが、地図で見るとすべて徒歩圏にある。
問題は暑さだ。歩ける距離でもタクシーを利用した方が良いかもしれない。
タクシーはホテル前が最も安心だとは思うが、流しもきちんとした会社のロゴ入りは問題ないらしい。

市民劇場、コンチネンタルホテル、レックスホテル、国営百貨店。

いくつかの繁華街を経て、バンタイン市場へ。
歩いていると次々と声を掛けられる。
断ると「なんでやねん?」いきなり関西弁が出たので笑ってしまった。
夫が値切りながらお土産のキーホルダーやランチョンマット、
水牛の角と言って売っていたがどうもプラスティックにみえるサーバーなどを買っている。
傍で見ていたら、何度か靴を売る女性から手を引かれる。椅子も出してきて、
「座って。ぜひ見てみて。」

国営百貨店の2階でもお土産を見ていたらお風呂で使うような椅子を出してきて、
「ゆっくり見てね。」みたいに言われた。

とにかく凄く暑くなってきたので、市場を出て向かい側のエアコンのあるフォー屋さんへと入る。
お腹は空いていないので、取敢えず飲み物と思ったが、スモールサイズのフォーを頼んでみる。
それとベトナムのビール、333。
食後にプリンとベトナムアイスコーヒー、蓮茶を頼む。
たっぷりの氷が入ったグラス、コーヒーはドリップを待って自分でグラスへと注ぐ。
生水は気をつけていても氷で食当たりという話を良く聞くので、ちょっと心配したが、
全く問題はなかった。

食事後に市場の近くの骨董街を見る。
ジッポーのライターがたくさん並べられていてネーム入りだったり、言葉が刻まれている。
「ここには希望がない」とか「パパは最高」とか。
これが本物ならこんなものを売買して良いのだろうか。
中を見るとビスが新しくなっていて偽物だとは思うけれど。


炎天の中を歩き詰めでさすがに疲れたのでタクシーでホテルへと帰った。
タクシーや市場はベトナムの通貨ドンが必要だが、一般のお店では案外米ドルが通用する。
ドルの方がお得な感じすらした。

ハイアットのスパは日本のクイックマッサージ並みの値段だ。
アジアンスパには何度か裏切られているので期待していなかったが、
「シロダ―ラ」がメニューにある。これは一度やってみたかったのでそそられた。
予約が取れたのは6時。
それまで同じフロアのプールで一時間程のんびりする。
アイスティーを頼むとこれにもライムがたっぷり入っていてフルーティーだ。

スパはジャグジーとスティームサウナとシャワールームがある。
髪を洗って乾かしているとスパルームへと案内された。
最初は30分のインディアンヘッドマッサージ。
椅子に座った状態なら好ましいがうつ伏せ。
その後仰向けになりシロダ―ラは始まった。
等間隔で温かいオイルが額の中央へと垂らされていく。
眠くなる、目が覚める、うつらうつらを繰り返す。
時々、オイルを頭皮や髪へと摺りこんでいく。
途中から「こんなに油だらけになった髪はどうするんだろう?」と気になり始めた。
終わると「頭は30分このままにして置いて、それから洗って下さい。」

このびん付け油のようなものがやたらしつこくて洗っても中々落ちない。
一気に疲れも出てきた。
部屋に戻ると眠くなってきたが、気を取り直して夕食へと外出する支度を始める。

ホーチミンのレストラン、行く前に散々調べたがお奨めの一押しというのが見つからない。
ベトナムは12年位前に一気にブームが到来し
そして今は日本からの観光ブームのピークは過ぎているようだ。
迷った挙句、マジェスティックホテルの隣『マキシムズナムアン』の予約をコンシェルジュに頼む。
時間は9時近くで電話が繋がらない。
それではとBプラン、「ハイアットの傍の『スーレストラン』はどう?」と聞くと、
「ホテルを出たら25mくらいで着きますよ。予約は必要ないけれど後で僕が電話しておきますから、
どうぞいらして下さい。」と外に出て方向を教えてくれた。

『スーレストラン』、「現地の人が集まる人気スポット。1階はバー、2階はレストラン。」
とのことだったが、入ると一階には一人もお客がいない。
二階に案内されると「Mr & Mrs.○○!ハイアットから先ほど電話をもらってお待ちしてました!」
と劇団ひとりにそっくりの青年が飛び出してきた。

二階も客は一組だけ。
「さっきまでは混んでいたんだけど、ちょっと前に皆帰っちゃって。だから空いてます。」
お客がいないことを気にしているようだ。
「煙草は吸っていいの?」と夫が尋ねると「1階と2階のバーはいいけど、テーブルはだめなんです。
ごめんなさい。でももう一組が帰っちゃったら必ず灰皿持ってきますから。」
飲み物は夫はビール、私はパッションフルーツのモヒートにした。
芳しい爽やかな香り。ベトナムのモヒートはほんとに美味しい。
料理は創作フレンチベトナミ―ズという感じ。
その後もワインを白、赤とグラスで頼む。
料理は好みとは違ったが劇団ひとり君の必死のサービスが楽しかったので良しとする。

お店を出て近くのホテル、カラベルの最上階のバーへと行ってみる。
歌と演奏が生で曲が趣味ではなかったので入らずに隣のコンビニを冷やかし、
ホテルへと戻った。

翌朝は目覚めてすぐに水着を着てプールへ。

早朝起きて誰もいないプールで泳ぐのは私の旅の楽しみの一つだ。
水深は残念ながら浅く足が着く。
しばらく泳いで部屋に戻りシャワーを浴びて朝食へと向かった。
この日はバナナ、ストロベリーリコッタパンケーキを注文する。
このホテルの朝食は美味し過ぎる。そのためにここでお腹一杯食べてしまい、
街の食事が食べられなくなってしまう。

ホテルを出てホーチミンの名所巡りへと歩き始める。
中央郵便局、19世紀の建物とされながらも今も普通に郵便局や両替所が運営されている。
サイゴン大聖堂、戦闘の間もここは人々の心の拠り所として存在し続けたのだろうか。

統一会堂、かつての南ベトナムの迎賓館であり、旧南ベトナムの大統領、副大統領の応接室、
乗用車、また台所なども公開している。ベトナム解放時を辿る写真や記念品も飾られている。
そして地下は軍の施設だった。
通信室や作戦会議室などがある。
これだけでも一つ一つの物事を深く捉えて見て行くと圧迫感がある。
エアコンがないのでかなり暑くなった。

今までアジアに夏行くと(アメリカでもそうだが)エアコンのきつさには悩まされた。
それが今回はエアラインも含めてエアコンが弱い。
人々は外で風に当たっている。お店もお客が来ると扇風機やエアコンを付けたりする。
倹約のためなのか、エアコンが嫌いなのか。そこまでは私にはわからない。

統一会堂の中は広いので歩き回った後にドンコイ通りに出て、
そこからホテルまで歩いて帰るとかなり疲れた。
結局夜8時まで部屋をキープすることにしたのが正解だった。

この日は3時からホテルのスパのホットストーンマッサージを予約していた。
これも一度、やってみたいと思っていたらメニューに前日見つけてしまったのだ。
温めた石で体をマッサージする。温かさと刺激が加わり温灸、テルミーに似ていると思った。
途中で少し寝てしまったようだ。

部屋に帰って荷造り。
そして7時過ぎにはチェックアウトをしてホテル内のレストラン、スクエアワンへ。
ここは設計も料理長も日本人と聞いていたのであえてベトナムで行く意味があるかとも思ったが、
帰りのピックアップが9時なのでホテル内のレストランがベストだと選択した。
事情を話して1時間くらいで簡単な食事をしたいと伝える。
テーブルは満席とのことで料理を作っているカウンターに案内されたが、この席がとても楽しかった。

サービスのスタッフに相談しながら限られた時間で食べられるメニュー、
シーフードピラフと空心采炒めを選ぶ。
飲み物は夫がグラスでカベソー、私はシャルドネ。
目の前で様々な種類の肉、部位が料理されていく。
日本では入荷のない活のブラックタイガー、スキャンピにも似たものを捌いている。

音楽はR&B、ダイアナ・ロス、EW&F、エモーションズ、クール&ギャングがかかっている。
料理が早く出揃ったので食後のデザートと飲み物の時間も充分にあった。
食事を終えて階下に降りると行きのガイドさんが入口からちょうど入ってきたところだった。

この日は他のサイゴンホテル、マジェスティックなども回り私達も入れて計8名をピックアップ。
航空会社はそれぞれANA、JAL、そしてベトナム航空。

帰りの飛行機は左右2列、真ん中3列。
ほぼ満席だった。
座席も小振りで前後の間隔も通路も狭くなる。
行きの余裕たっぷりにサービスしていたクルーたちも今回はさすがに顔付が厳しい。

映画は座席前のスクリーンで見ることができてリストから選べる。
最初は行きに最後の落ちを見損なった"Edge Of Darkness"、それからフランス映画のスパイ物、
次にラッセ・ハルストレム監督の作品で従軍する青年と民間人女性との恋愛物。
残念ながらこれもラストは着陸態勢に入り見逃した。

成田に着き、成田エクスプレスで家へと向かう。
夜中に出て朝着のフライトは苦手だ。
電車の中で眠気が襲ってくる。
家に帰るとベッドに倒れ込んだ。

ベトナムへ行ってみたいと思ったのは12年前だった。
その後、行く機会のないまま、インターネットで4つのショップからベトナム雑貨を買い、
料理も蒲田のミーレイ、大井町のメコンセンターなどで習った。
蒲田にはベトナムやアジアの料理の食材、空輸してきたハーブを買える店もあり通った。
映画も「ラマン」「インドシナ」「青いパパイヤの香り」「シクロ」などに旅情をかき立てられた。
その後、自分の中でベトナムのブームが納まってしまった。
世間のベトナム観光のピークも過ぎたようで今回、お盆休みの旅行を取ることができた。
ここは香港と同様、長い付き合いになりそうだ。
あのミントとライムがたっぷり入った一杯のモヒートを飲むために。

今回は二日間という時間の中でホーチミンの街中のみの滞在だったが、
次回は郊外なども訪れてみたいと思っている。

36時間 in Hong Kong

2010-03-23 22:08:50 | その他の旅
3月20日、16:20のキャセイ航空で成田を発つ。
5時間後、日本時間では21:20、現地では20:20に香港着。
機内放送、最初は聞き違いかと思ったが、現地の気温は25度。
東京よりも10度近く高い。
飛行機から降りると半袖、ショートパンツ、サンダルの人をたくさん見かける。
タートルネックのセーターは余りに暑過ぎる。
もっと温度差をチェックして着る物を考慮するべきだったと後悔。

空港からはエアポートエクスプレスー電車、あるいはエアポートリムジンーバス。
どちらにするか迷ったが、交通渋滞する時間帯でもなくホテルまで真っすぐ行けるのも楽なのでバスを選択。
空港を21:30頃に出るバスに乗る。
今回のホテルは、香港島、ハッピーバレイ、香港競馬場の近くのビジネスホテル。
引き続き、京都や博多に行くよりも安くあげる最低価格の香港の旅に挑戦している。
気温ばかりか湿度も高い。
ストレートな髪が巻きが入ってどんどんカーリーになってくる。

コスモホテル、着いたのは10時半頃だろうか。
一番近い駅がワンチャイかコーズウェイベイ。
コーズウェイベイまでは歩くと10分位、しかしその近くのタイムズスクエアまで
ホテルからバスが20分おきに出ているのでそれを利用することもできる。

チェックインして取敢えず部屋に行こうとエレベーターで降りたがドアに部屋番号がない。
フロントまで戻ろうとすると、夫が部屋の床の右端に小さな字で書かれた番号を見つけた。
1フロアに10室もないが、階数は20階以上ある。
入ると4畳半程。椅子もなくただベッドとバスルーム、
コンパクトでスタイリッシュにできているが、使い勝手は余り良いとは言えない。
でもホテルライフを楽しむわけではないので、これで充分。

荷物を置いてセントラルのランカイフォンへと向かう。
タクシーで10分ほど。タクシー代は日本円で500円位だろうか。
香港はなにしろタクシーが安い。
ランカイフォン、土曜日のせいか夜11時を廻っているのにたいへんな賑わい。
歩いている人はタンクトップ、ホルダーネック、半袖。
何となく服装が浮いているようで居心地が悪い。
翌日、半袖のTシャツを買おうと思う。

通りも大勢の人が溢れている。
店の外までロック、ポップス、ヘビメタが聴こえてくるが、
R&B系の曲が聴こえてくる店は無い。

ビアバーに入るとテラスは満席。
中もいっぱいだったが椅子を持ってきてカウンターに席を作ってくれた。
香港の地元の生ビールを一杯。
つまみはナチョスを頼むと、タコチップスにチーズを掛けてオーブンに入れて
オニオンやパブリカを散らした物にチリ、アボガド、サワークリームが添えられてきた。
香港でメキシカン。

二杯目は目の前にあったヒューガーデンの生。
もの凄く大きなグラスが置かれる。
ランカイフォン、周りは欧米の人ばかり、
働いている人やその人を訪ねてきた観光の人達だろうか。
隣の人が仲間達と写真撮影をしようとしていてビールが倒れそうになったので、
グラスを支える。
振り返った彼は私がビールを横取りしようとしていると勘違いしたようだ。
「良かったら飲んでね。」と微笑みつつもびっくりしたような表情で置いて帰って行った。

店を出て歩いているとまるでお祭りのようだ。
ある店の前を通るとR&Bが聴こえてきた。
今回は時間も遅いので次回の楽しみにとっておこうと諦める。

花粉症、香港では症状が出ないで、止まっていて嬉しい。
翌日は地下鉄でセントラルに出る。
セントラルで一日を過ごして、夕方にはホテルへ帰り、
夜は近くのコーズウェイベイの裏通りにある飯屋へ。
英語が通じないが、店の前に下がっている鶏肉や豚肉を指さし、
青島ビールを頼む。
お店の人が野菜やご飯はいらないのかと聞くので、頼むことにする。
チャイニーズブロッコリーをさっと湯掻いてオイスターソースを掛けてくれた。
店の壁に「本日のスープ」らしき張り紙があるので頼む。
店で使った肉類の余り物に日本にはないお芋が入っている。
日本で言うところの粗煮。
これが美味しかった。ホンコンダラーで7ドル。約80円位。

タイムズスクエア、漢字だと時空広場と書いてある。
ビルの上を見上げると山の頂のよう。
外を上るエレベーターの様子に映画「ブレードランナー」を思い出す。

ホテルへ帰ると朝はダイニングテーブルが並べられ朝食ビュッフェをやっていたスペースが
サッカーファン達の集うバーになっている。
大画面でマンチェスターとリバプールの試合中。
集まって来た人たちはユニフォームを着て試合の様子に一喜一憂、歓声を挙げている。
ホテル滞在客ではない地元の欧米の人達。
どっちを応援しているのかよくわからないが右隣の男性はマンチェスターファン。

22日は朝、10時の飛行機。
リムジンバスのホテルのピックアップタイムは6:40。
時計がない部屋、携帯二つの目覚ましとフロントに5時半のモーニングコールも頼む。
朝起きられるか心配で眠りが浅く朦朧としたまま空港へ。
空港で飲茶の朝食、幾皿か注文して、隣の人がお粥を食べているので「あれも。」と頼む。

帰りの飛行機は一回り大きなアメリカン航空機材使用のキャセイ共同運航便。
行きは観る映画が4本しかなくて、選んだ映画はニコラス・ケイジの出てくる
ニューオリンズが舞台のサスペンス物。
字幕は中国語。機材不良なのか気流の影響なのか、
何度も中断されて話が全然わからなかった。

帰りは映画が選び放題。
しかし飛行時間は約4時間。
サンドラ・ブロックがアカデミー賞を撮った "The Blind Side"「しあわせの隠れ場所」
を観ようと思ったら、なんとマイケル・ジャクソンの「ディス イズ イット」があった。
"This Is It"、知人でロシア語や北京語の字幕付きの海賊版を発売前に手に入れた人達がいたが、
このキャセイ版は広東語字幕だろうか。
先日のロイ・エアーズのライブでロイがユビキュティー、偏在という言葉を使っていたが、
マイケルも今は時空を越えた存在だ。
マイケル・ジャクソン、亡くなってから私の中でどんどん若返っている。
最近は30才前後のマイケルジャクソンが蘇っている。



久しぶりでこの映画を観て、また感無量になる。
「ディス イズ イット」の後、「しあわせの隠れ場所」を見始めるが時間切れ。
とても良さそうなので映画館で近日中に観るつもり。
映画に夢中になっているとあっという間に着陸態勢に入る。

短い滞在だったけど、その間、花粉症を忘れることができた。
香港は時差も1時間だけだし、物価も安い。
そしてマイケルにも飛行機の中で会えた。

成田に着いたのは、午後3時頃。
ほどなくクシャミが出始めて花粉の季節が戻って来た。
着ている服も心なしかきつい。

翌朝、新聞のチラシに入っていた筋トレ専門のジム、
「ゴールド」のパンフレットを思わずじっと眺めてしまった。
二の腕とウェスト周りを何とかしないと。
エリックのように上腕二頭筋を鍛えたい。

桜の蕾もほころんでいるし、もう春はすぐそこまで来ている。

1.5泊4日間、香港激安ツアー

2009-08-16 20:12:14 | その他の旅
夏休み、近場でも一泊位したいと、探し始めたのが、7月末。
どこも良さそうな所はいっぱいだし混み合いそう。
インターネットをいじっているうちに「羽田から香港激安4日間」
というのを見つけた。

羽田空港を8/13の夜8時半に発ち、現地時間の翌8/14の12時10分頃に香港着。
ホテルに着くのは日本時間の午前2時半頃。寝るのは3時半頃になるか。
8/15の午後10時にホテルを出発、翌16日の12時半の飛行機に乗り、
羽田着が日本時間の午前6時頃。 1・5泊4日間、激安香港ツアー、
ホテル代1.5泊と航空券込みでしかも、お盆の時期この値段は破格。
企画を請け負う旅行社に連絡すると、まだ空席はあるという。
いったい何が落とし穴なのかと思うと、それはホテルだった。

泊まるホテルはリーガルオリエンタル、旧名称は「エアポートホテル」
旧空港に面しているので、便利なホテルとして親しまれたという。
それが新空港ができてから、当然、お客も激減し、
近くに地下鉄の駅もなければ、九龍の繁華街からは外れ、香港島にも遠い。

香港は返還前の10年間に3度ほど行った。
最初の2回は九龍の中心部、チムサチェイに泊まったが、最後に行った14年前、
返還の前年は香港人気が過熱していてホテルの値段も上がり、中心部が取れず、
地下鉄で一つ先のジョーダン駅の近くに泊まった。
地元の人達で賑わう街の様子も活気があり楽しかった。

返還後、新空港になってからも行っていない香港。
かつて香港の夏は蒸し暑いと言われ敬遠されたが、今は日本と大差はないだろう。
家からそう遠くない羽田から発つというのも興味はあり、行くことにした。

品川で乗り換え京急線で羽田空港へ。
羽田の国際線ターミナルは国内線から更に奥。
まるでバスの発着所。国際線どころか国内線のターミナルにも見えない。
韓国、香港、上海また夏季のみグァム行きのチャーター便も出るらしい。
液体のチェックもなく、博多にでも行くノリで飛行機に乗り込む。
左右2列、真ん中3列の飛行機は小さい。
全日空のスチュワーデスさんたちは優しくて笑顔がある。
こういう飛行機に乗るのって久しぶり。
「綺麗なお姉さんばかりでいいわねぇ。」呟くと
隣の夫「その発想、おばさんじゃなくておじさん化している」
荷物を持ち込みにしたが、飛行機が小振りのせいか行き帰り共に、
預けた人も待ち時間なしですぐに受け取れていたようだ。

旧空港は夜着くとまるで銀座の晴海通りに着陸していくような高揚感を覚えた。
空港も胡散臭く、街中は優雅な部分と怪しげな世界が共存し、
香港のその雑多感が好きだった。
新空港は近未来的な建築物。市内までも40分程かかるようになった。
香港はサーズ後に、「町をクリーンに」をスローガンにしてきたそうだ。
そのせいか妙に整えられ、また以前より日本料理やエスニックの料理店も増え、
シンガポールに似てきた印象がある。
香港島も九龍もやたら人が溢れている。中国からの観光客が多い。
そしてあちこちで建設工事、道路工事が行われている。

唯一、泊まったホテルの近辺には旧香港の名残があった。
ごちゃごちゃした建物と、得体の知れない路地。
建物の外には各階にクーラーの室外機とプランターが置かれている。
以前はチムサチェイもこんな景観が見られた。
ホテルの部屋は空港跡地に面していて野原が広がっている。
滑走路の残骸もあり。
左右には山と高層ビル群が見える。
近くには九龍城を壊して作った公園がある。
魔の巣窟、香港のカスバと言われた九龍城跡と旧空港跡地に挟まれ、
市場の前に立つホテル。

周りの市場、野菜果物、肉魚が積まれている。
そして車の修理工場や専門道具店。
タイ料理、インド料理、いろいろな種類の中華料理屋、
定食屋やテイクアウトの店。
カスタードタルト、焼き立てを買う。一つが約30円。
露店でライチを一枝、約100円。物価は安い。

朝食を食べようと入った店、セットメニュー約300円。
出てきたものは、コーヒーとハムエッグ、トーストにチキンラーメン。
安価なのはありがたいが、2日しかいられない香港滞在がこれでは寂しい。
翌朝は鶏や豚を捌いて料理している露店で台所にある物を指差し、
お粥を頼む。言葉はわからないが、店主が「それだけじゃ、物足りないだろう?」
と店の中の物を目で示す。豚のローストを指す。
こちらは両方で200円ほど。
夫は鶏肉に葱ソースが添えられた掛けご飯とビール。
こちらは両方で400円位。サービスでゆで豚を3切れほど食べさせてくれた。
店の前には子豚の丸焼きが。テイクアウトで買物に来る人も多く、
美味しそうな物がたくさん並んでいる。


広東語は「ムコイ」(Please、Excuse me)「ト-チェ」(ありがとう)
「マイタン」(会計)「レイ ホーマ?」(How are you?)
[ホーセイ」(美味しい)「ホー、ホーセイ!」(すごく美味しい!)
しか知らない。
「ムコイ」は万能語だ。
空港で前の人達が並んで歩いていたら、
「ムコイ!」と叫ぶと、道が開ける。
香港映画『インファナルアフェア』では、「ムコイ」が連発されていた。

二日とも、お昼頃からバスで九龍のチムサチェイ、その後、地下鉄で香港島に移動。
初日は夕方からライブハウスやバーの集まる夜の街、ランカイフォンへ。
ライブハウス、R&Bの聴こえてくる店があれば当然入ったが、ヘビメタがガンガン唸っている。
ソウルバーがあれば、エリック・ベネイをリクエストするが、それもない。
外にテラスがあるビアバー、明るい内からハッピーアワーでピールを飲む。
そして14年前に食べたピータンやガチョウのロースト、
鮑の蒸しスープが忘れられない味のYung Keeへ。
以前は落ち着いた2階で食べたが、1階も混雑の中、きちんと統率が取られ、
きびきび働くスタッフの動きは見ていて気持ちが良い。
チャーハンやワンタンも食べたいし、マンゴプリンも追加したかったが、
バーで飲みすぎたせいでお腹が一杯に。残念!

二日目は昔に行った飲茶の店を探したが、
見つからずに暑さの余りマンダリンホテルへ入る。
ここは観光客でごった返すペニンシュラと違って落ち着きがあり、
地元の人に人気があった。
しかしサーズが香港で流行った年、香港スターが飛び降り自殺する事件があり、
その後、全室バルコニーを取り払い、リニューアルオープンした。

香港に行くといつも夫に「アフタヌーンティーだけは勘弁してくれ。
香港に行ったら絶対に中華で通す。」と言われていた。
待つこと20年、ようやく初めて香港でアフタヌーンティーをする機会に恵まれた。
私はアフタヌーンティーセット、夫は飲み物のみを注文する。

お寿司風の形に整えられたそれぞれ違う種類のパン、
サーモン、生ハム、きゅうり、等で巻いてある。
可愛い型の暖かなキッシュ、ミートパイ(4種のメニューからチョイス)
小振りの濃厚なチーズケーキ、フレッシュなマンゴがジューシーなタルト
(こちらも4種からチョイス)
熱々のスコーン二種にストロベリーの香り豊かなジャムと、クロティットクリーム。
どれも素晴らしくお洒落で美味しい。お菓子ではなく前菜にもなる。
私はアールグレイティーにしたが、夫は最初はビールで次はワイン。
赤ワイン、日本の2倍位の量がワイングラスに並々と。
3時からのアフタヌーンティー2時半頃に入ったが飲み物は先に出され、
3時過ぎた頃にはすぐに満席になっていた。
それでもペニンシュラで見かけるような観光客の行列はない。
外は暑くて室内はエアコンが効き過ぎの香港、
さすがマンダリンの冷房は、適温で心地良かった。

街を歩いていると「足マッサージ」「全身マッサージ」の立て札を持つ人がいる。
初日はチムサチェイで雑居ビル、手で開けるエレベーターで上階へ。
約1300円で50分のフットマッサージとのことだったが、
10分は足湯、30分の足マッサージと10分と言う筈が5分の肩と頭。
(私の方が上手にできるかと思う程の腕だった)
夫の足は二人掛り、しかし携帯で喋ったりしながら、片手だけ動かしている。

翌日はセントラルで45分の全身。
やはり路地裏の雑居ビルの上階、夫と二人、二人分のベッドが並んだ小部屋で
用意されたルームウェアに着替えて待つ。
うつぶせの状態。周りが見えないだけに手荷物が気になる。
これってこの年でも女一人だったらちょっと怖い状況。

その後、タクシーでホテルに戻る。
土曜日のせいか、道は渋滞している。
香港島からトンネルを抜け、九龍。
そして旧空港のあった九龍糖のホテルへ。
香港のタクシーは安く、24時間割増料金もない。
かなり乗っても、約1500円位。

ホテルから歩いて2~3分。
一時期、話題になっていた店、創發潮州飯店に行ってみる。
一昨年、食中毒を出してから、店の雰囲気が面白みがなくなったそうだが、
外に生簀があり、蝦蛄、海老、蟹、マテ貝、ほら貝、太刀魚、マナガツオ。
値段を聞かないで「時価」という魚を注文して、
お会計で唖然とした経験があるので、すべて値段を確認しつつ注文する。
海鮮料理が売りのようだが、それなら香港から船で1時間余り、
長州島の港の市場で選んだ魚介類をそのまま料理してもらった時の方が美味しかった。
全体的に塩味が濃く、作り方が荒い。
揚げた太刀魚を食べようとして夫は箸を折った。
割り箸ではない、プラスティックの中華箸。
この太刀魚、二人とも一口しか食べなかった。
生臭くて揚げすぎ。ちなみに夫はこの手の食材を扱うプロだ。
その他の物もお腹が一杯なのではなく、口に合わずに残した。
フカひれとチキンのスープだけは美味しかった。
この店に来ることは二度とないだろうと、店先で記念撮影。
夫を撮った時、横を通りカメラに収まった女性、
今度は私を撮る時も、横切り、両方の写真に収まった。

荷物を預けてあるホテルに戻る。
空港に向かうまでまだ2時間以上ある。
コーヒーショップにもバーにも入る気にはなれない。
かなり眠くなってきた。
ロビーで寛ぎながら、飽きると時々、ホテル周辺の夜の街を散策する。


空港に着いたのは10時半だった。
上海灘で買ったコロン、オンスで表示があるが100cc越えているか心配に。
チェックインカウンターの女性は持ち込みは無理と言う。
箱に小さな字で100ccと書かれたのを発見。
そのまま持ち込むことにする。
拒否されたら時間はたっぷりあるから、ここに戻って荷物を預ければいい。

チェックイン、引っかかったのは夫だった。
先に行ったはずなのに、前にいない。
振り返るとボディーチェックを受けている。
金属探知機のみで身体検査はない。
ジッポーのライター、小銭をポケットから出している。
ライターを取り上げられるかと思ったら、持込OKとなった。
アジア航路はあまり厳しくないようだ。

搭乗寸前までカートで荷物を運べる。
免税店がここ数年、利用した空港の中では最も充実していた。
一昨年、機内販売で買ってから使うようになったボビー・ブラウンのコーナーがある。
化粧品の値段、物によって日本との価格の比率に差があるのが意外だ。
カードで買物をする。
チェックが済んで「アリガトウゴザイマス、バ~イ。」と言われるが、
カードを返して貰った覚えがない。
催促すると「オー!」とキャッシャー下から出してきた。
「あれってわざとかな?」と夫に聞くと、「いや、単に忘れたんだろう。」

16日、12時半に香港を離れる。日本時間では1時半。
夫は爆睡しているが、私は行きに観ていて着陸態勢に入り、
途中で終了してしまった映画、『ソリスト』を観る。
ジュリアードでチェロを専攻していたジェイミー・フォックスのその後の人生と
新聞コラムニスト、ロバート・ダウニーJr、との物語。
引き続き、リーアム・ニーソンが、パリで行方不明になった娘を探しに行く
『96時間』も観てしまい、またしても一睡もせず。
『レオン』と似ているところがあると思ったら、脚本と製作がリュック・べッソンだった。

羽田に着くと、行きは海風と湿気で蒸し暑かったのが、
早朝は風もあり、爽やかだ。
機内でも夜が明けていく雲海の眺めが神々しかった。
大島に始まり、三浦半島、房総半島も地図通りの形に見ることができた。
入国も税関も空いている。カスタムを抜ければすぐに外。
帰りはタクシーに乗る。
20分もしないうちに我が家のドアの前に着いた。
成田ならまだリムジンにもエクスプレスにも乗れていない時間。
夫と共に海外旅行をするのは実に10年振りのこと。
パスポートの日付を見ると、香港入国は8/14、出国は8/15とスタンプされていた。