原題は"20 Feet From Stardom"
「バックボーカルからリードボーカルはほんの数歩ほどの距離だ。」
というブルース・スプリングスティーンの語りから映画は始まっていく。
しかしそこに行きつくためには才能や歌の巧さだけでなく、運や時期、
本人がどうしてもそうなりたいという強い意志、精神性が必要だと繋がっていく。
この映画にミュージカル「コーラスライン」、
あるいはモータウンのバックバンドを務めたファンクブラザースの伝記映画、
"Standing In the Shadows of Motown"のようなドキュメンタリーを想像していた。
アメリカのオーディション番組「アメリカンアイドル」をずっと観てきて、
バックボーカルの経験がある人がオーディションに登場した時、
拍手喝采となり審査員からも称賛される。
しかし余りに存在を消すことに慣れ過ぎて、自己主張する、
自分を出していくことから離れた部分で仕事を重ねて来たゆえに、
その人たちがトップ12、10に残る確率はほとんどない。
またエリックべネイという一人のアーティストをずっと見守ってきて、
ツアーにバックボーカルとして彼が選ぶ相手は、
一度組むと長く続く米国内、海外遠征ツアー、
歌の巧さや観客を惹きつける魅力のあるタイプよりも
周りの人と上手くやっていける協調性のあるタイプなので、
そういうバックボーカリスト達についての映画かと思っていた。
この映画で焦点となるのはバックボーカリストでもトップに上り詰めた人達の物語だ。
名前は出なくてもその人の声でその曲が売れた、
そういう歴史を持ったアーティスト、
ソロとしてデビューしたこともありながら、それが成り立たなかった、
一度脚光を浴びながらその後、またバックに戻っている、
あるいは今は違う仕事をしているというアーティスト達。
映画ではバックボーカリスト達の歴史から紹介されていく。
最初は上品で綺麗な白人の女性が、無難にリードボーカルを盛り上げていた。
そこから黒人のダイナミックな女性が強烈なインパクトを残す歌や動き、
メインになるアーティストにとってなくてはならない存在へと
バックコーラスのあり方が変化していく。
エリックべネイがマライア・キャリーと共演した映画「グリッター」は、
外見的に華のある女性が口パクで歌い、
実際は歌の巧いバックコーラスの女性の声が、
映像でもレコードでも使われるというストーリーから始まっていくが、
自分が歌っているのに名前と顔は別の人、
こういうことが実際に多々あったというエピソードがこの作品中に紹介されている。
あるいは名前の売れてない女性の歌った曲を有名な歌手が取ってしまうという、
「ドリームガールズ」の中にもある逸話。
こういったことを生で経験してきたバックシンガーたち。
その悔しさ、曲が売れるほどに募るやりきれない想い、
もちろんファンクブラザーズのドキュメンタリーでも彼らは同じ状況を語っていた。
そしてイギリスのハードロック系のアーティスト達がアフリカ系アメリカ人の女性により、
ステージを彩ろうとした時代があった。
この時代は彼女たちの声の素晴らしさと共に個性的な魅力にスポットが当てられる。
しかし現在はバックコーラスの存在は再び廃れつつあり、
レコーディングでは自分の声を重ねたりする手法が多用され、
(デュエットとして名前のある人を指名することはあっても)
名もないバックコーラスを敢えてレコーディングには使わないのが、
主流となってしまったという業界の状況が紹介されていく。
マイケル・ジャクソンの最後のツアーでマイケルのデュエット相手に決まりながら、
マイケルの死によってそれが叶わずに終わったが、
逆に追悼式で歌ったことで脚光を浴びたジュディス・ヒル。
ミック・ジャガーとツアーしたメリー・クレイトン。
グラミーを取りながらもバックシンガーであることを選ぶリサ・フィッシャー。
バックボーカリストの中でもソロでコンサートが成り立つ存在であるダーレン・ラヴ。
ダーレン・ラヴがメインを取り、ジュディス、リサがバックを歌うシーン、
それぞれの想いや生き方が交差する形で映画は終盤へと向かっていく。
若手のジュディスばかりか、年を重ねても外見も声も美しいディーバ達。
彼女たちがアレサ・フランクリンやチャカ・カーンにはなれなかった理由、
を考えさせられる。
「永遠のモータウン」"Standing in the Shadows of Motown"
ファンクブラザーズのドキュメンタリーの中には、
目頭を押さえるシーンがいくつもあった。
「バックコーラスの歌姫たち」の中に、
泣けるシーンがなかった意味を私は計りかねている。
メインとしてトップに上り詰め、
その位置を維持し続けているアーティスト達の凄さというものがこの映画を通して、
逆に浮かび上がってくる。
それでも今まで誰が歌っているとも考えたことのなかった曲のバックボーカリストの声、
急に気になってきた。
「人々が口遊むのはメインの部分ではなく、サビを歌うバックコーラスの部分。」
という言葉が残る。
ルーサー・ヴァンドロスがバックコーラスの女性たちを指導する場面がいい。
バックコーラスたちが集まり自分の仕事で印象深い旋律を歌うシーン、
数々の名曲が彼女たちの存在により作られてきたことがわかるこの部分、
もっとずっと観ていたいという気持ちにさせられる。
公開は12/14よりBunkamura ル・シネマにて。
「バックボーカルからリードボーカルはほんの数歩ほどの距離だ。」
というブルース・スプリングスティーンの語りから映画は始まっていく。
しかしそこに行きつくためには才能や歌の巧さだけでなく、運や時期、
本人がどうしてもそうなりたいという強い意志、精神性が必要だと繋がっていく。
この映画にミュージカル「コーラスライン」、
あるいはモータウンのバックバンドを務めたファンクブラザースの伝記映画、
"Standing In the Shadows of Motown"のようなドキュメンタリーを想像していた。
アメリカのオーディション番組「アメリカンアイドル」をずっと観てきて、
バックボーカルの経験がある人がオーディションに登場した時、
拍手喝采となり審査員からも称賛される。
しかし余りに存在を消すことに慣れ過ぎて、自己主張する、
自分を出していくことから離れた部分で仕事を重ねて来たゆえに、
その人たちがトップ12、10に残る確率はほとんどない。
またエリックべネイという一人のアーティストをずっと見守ってきて、
ツアーにバックボーカルとして彼が選ぶ相手は、
一度組むと長く続く米国内、海外遠征ツアー、
歌の巧さや観客を惹きつける魅力のあるタイプよりも
周りの人と上手くやっていける協調性のあるタイプなので、
そういうバックボーカリスト達についての映画かと思っていた。
この映画で焦点となるのはバックボーカリストでもトップに上り詰めた人達の物語だ。
名前は出なくてもその人の声でその曲が売れた、
そういう歴史を持ったアーティスト、
ソロとしてデビューしたこともありながら、それが成り立たなかった、
一度脚光を浴びながらその後、またバックに戻っている、
あるいは今は違う仕事をしているというアーティスト達。
映画ではバックボーカリスト達の歴史から紹介されていく。
最初は上品で綺麗な白人の女性が、無難にリードボーカルを盛り上げていた。
そこから黒人のダイナミックな女性が強烈なインパクトを残す歌や動き、
メインになるアーティストにとってなくてはならない存在へと
バックコーラスのあり方が変化していく。
エリックべネイがマライア・キャリーと共演した映画「グリッター」は、
外見的に華のある女性が口パクで歌い、
実際は歌の巧いバックコーラスの女性の声が、
映像でもレコードでも使われるというストーリーから始まっていくが、
自分が歌っているのに名前と顔は別の人、
こういうことが実際に多々あったというエピソードがこの作品中に紹介されている。
あるいは名前の売れてない女性の歌った曲を有名な歌手が取ってしまうという、
「ドリームガールズ」の中にもある逸話。
こういったことを生で経験してきたバックシンガーたち。
その悔しさ、曲が売れるほどに募るやりきれない想い、
もちろんファンクブラザーズのドキュメンタリーでも彼らは同じ状況を語っていた。
そしてイギリスのハードロック系のアーティスト達がアフリカ系アメリカ人の女性により、
ステージを彩ろうとした時代があった。
この時代は彼女たちの声の素晴らしさと共に個性的な魅力にスポットが当てられる。
しかし現在はバックコーラスの存在は再び廃れつつあり、
レコーディングでは自分の声を重ねたりする手法が多用され、
(デュエットとして名前のある人を指名することはあっても)
名もないバックコーラスを敢えてレコーディングには使わないのが、
主流となってしまったという業界の状況が紹介されていく。
マイケル・ジャクソンの最後のツアーでマイケルのデュエット相手に決まりながら、
マイケルの死によってそれが叶わずに終わったが、
逆に追悼式で歌ったことで脚光を浴びたジュディス・ヒル。
ミック・ジャガーとツアーしたメリー・クレイトン。
グラミーを取りながらもバックシンガーであることを選ぶリサ・フィッシャー。
バックボーカリストの中でもソロでコンサートが成り立つ存在であるダーレン・ラヴ。
ダーレン・ラヴがメインを取り、ジュディス、リサがバックを歌うシーン、
それぞれの想いや生き方が交差する形で映画は終盤へと向かっていく。
若手のジュディスばかりか、年を重ねても外見も声も美しいディーバ達。
彼女たちがアレサ・フランクリンやチャカ・カーンにはなれなかった理由、
を考えさせられる。
「永遠のモータウン」"Standing in the Shadows of Motown"
ファンクブラザーズのドキュメンタリーの中には、
目頭を押さえるシーンがいくつもあった。
「バックコーラスの歌姫たち」の中に、
泣けるシーンがなかった意味を私は計りかねている。
メインとしてトップに上り詰め、
その位置を維持し続けているアーティスト達の凄さというものがこの映画を通して、
逆に浮かび上がってくる。
それでも今まで誰が歌っているとも考えたことのなかった曲のバックボーカリストの声、
急に気になってきた。
「人々が口遊むのはメインの部分ではなく、サビを歌うバックコーラスの部分。」
という言葉が残る。
ルーサー・ヴァンドロスがバックコーラスの女性たちを指導する場面がいい。
バックコーラスたちが集まり自分の仕事で印象深い旋律を歌うシーン、
数々の名曲が彼女たちの存在により作られてきたことがわかるこの部分、
もっとずっと観ていたいという気持ちにさせられる。
公開は12/14よりBunkamura ル・シネマにて。