Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

Sick as a dog...

2014-12-31 14:48:46 | エリックベネイの日々&KyteVideo
サンフランシスコのライヴハウス、Yoshi'sの3日間続くライヴ。
29日を終えて、これから30日のショウが始まる前、
トップの写真と共にEric Benetは下記のキャプションをアップしている。
<Sick as a dog..
Congested, coughs, body aches...
got the sweats....
but as they say, "the show must...be epic no matter what!">

「体調が最悪。鼻炎、咳、体の痛み、嫌な汗もかいている。
でも『ショウ・マスト・ゴー・オン』
この仕事はどんな時でも休むことは許されない」

楽器奏者も持ち運びできる楽器でも、移動やその日の状態に左右される。
持ち運びできない楽器奏者、ピアニスト等では、
会場の楽器の状態や音の響きに合わせ、その都度が勝負になる。
シンガーは自分の体が楽器、コンディションが悪い時のライヴの厳しさは、
筆舌に尽くしがたいものがある。

飛行機を使った移動が喉に及ぼす影響はてき面だとエリックは話していた。
それでもどんなに話している時が風邪声でも歌うと違うという驚きは、
何度か経験している。
エリックは三日以上ライヴが続く場合に備えてボイストレーニングを受けた、
と以前、語っていたが、喉を傷めている場合にも対策があるはずだ。

何とか年越しまで体調を整え、今年最後のライヴをやり遂げてほしい。

ところで"Sick as a dog"という表現、私は知りませんでした。
お腹が空いている時の表現として「熊みたいにハングリーだ」とか、
「馬でも食べられる」なんて言うのを習いましたが、
この場合の"sick as a dog"、具合が悪い時の表現であって、
犬は関係ないそうです(笑)

今年もエリックの曲を聴きつつ、多くの新たな英語表現も学習してきました。
また来年もエリックべネイと共に音楽面でも語学面でも人間的にも、
精進していきたいと思います。
みなさまもどうぞ良いお年を。

年末のEric Benet

2014-12-30 15:13:42 | エリックベネイの日々&KyteVideo
12/20、ビヴァリーヒルズのライヴハウスでのショット、
キャプションにエリックは「マイクを持つ小指が立っている。
アールグレーティーの入ったカップを持つ時みたいに(笑)」と添えた。
照れてギャグにしているが、歌に入り込んでいる瞬間を捉えたショット、
お気に入りの画像のはずだ。

この日のライヴ、ミルウォーキーからエリックの姉のリサ、オードリー、
LAに住むエリックの妻・マニュエラ、そして娘のインディア、
エリックの甥や姪達も観客として参加、ジョーダン家が大集合となった。

年末はサンフランシスコのライヴハウス、Yoshi'sでの29・30・31日と三日間、
年越しを含む一日2回のショウ。
先ほどからエリックのバンドのクルー達が続々とサンフランシスコに到着。
某ホテルにチェックインしている(カリフォルニアは現在29日)
私はそれを見て、ちょっと驚いた。

今回のYoshi'sでのライヴ、サンフランシスコは東京から直行便もある。
ライヴハウスは日本人街のすぐ近くにあり、歩いて数分にそのホテルもある。
例によって旅のシュミレーションをしていく中に、
泊まるならそのホテルだなと思っていたからだ。
エリックの一行はユニオンスクエアなどの中心部に泊まり、
ブルーノートやビルボードの時のように
ミニバンでライヴハウス入りかと思っていただけに意外だった。

しかし同じホテルというのもファンとして礼節を欠いているようで、
気まずいものがある。
ファンのルールとして事前にわかっていれば違うホテルを選びたいもの。
そんなことを思いつつも、アップされてくる写真を見て、
暖かそうなサンフランシスコの様子、
そしてこれから始まる3日間のショウ、羨ましいばかりだ。

先ほど既にリハーサルの様子が上がってきている。
来年は海外でエリックべネイのライヴをまたぜひ、観てみたい。

Merry Christmas!!

2014-12-24 19:27:37 | エリックベネイの愛と人生
ハリウッド、ビヴァリーヒルズのレストランでの週末のイベント。
最後のアンコールの"Georgy Porgy"をEric Benetは歌っている。
舞台袖でスタッフに交じり、一人楽しそうに踊る若い女性の姿が見える。
エリックは「娘のインディアが来ているんだ。」と歌いながら手招きする。

最初は遠慮がちな様子で「えっ、ほんとうに出て行っていいの?」
といった風情だったIndia。
「インディアはね、USCを卒業したんだよ。」
とエリックに誇らしげに紹介されると、にこやかに声援に応え、
エリックと肩を組み、リズムに乗り始める。
二人のバイヴはぴったりと合っている。

この二人の絆はほんとうに深い。
新しい家庭を持ったエリックが離れて暮らす娘のインディアを想う気持ち、
父親に頼らずに一人で頑張っているインディア、
そして父の新しい生活を尊重し、義理の妹達にも優しいインディア。
インディアの姿にまさにクリスマス・スピリットを見た。

クリスマス・イブの夜に心が和む映像をアメリカのファンクラブメンバーが
携帯からシェアしてくれた。

エリックべネイの付き人、ビジュー・ジマーマン

2014-12-20 13:18:20 | エリック・ベネイ関連インタビュー
ミルウォーキーの音楽関連のサイトにエリック・べネイのステージ・マネージャー、
としてビジューのインタビュー記事が掲載された。

http://onmilwaukee.com/music/articles/bijubenet.html

ビジューがエリックの付き人として初来日したのは2007年。
それ以来、ずっとエリックのツアーには同行している。
英語ではステージ・マネージャーとなっているが、日本語のニュアンスでは、
付き人と訳して良いかと思う。

ビジューとはエリックの来日ごとに顔を合わせ、言葉も交わしてきたが、
読み進む内に彼の生い立ち、インドのマザーテレサの家から、
ミルウォーキーの養父母に引き取られたこと、
ビジューの妹がアジア系の顔立ちをしていることも気づいていたが、
彼女もまた養女であることも知った。
二人は仲が良く、姪のこともビジューはとても可愛がっている。
温厚な性格で徐々にエリック・べネイとの信頼関係を深めていったビジュー、
何年もツアーに同行している内に写真の腕も上げ、
今ではエリックも彼の撮った写真にクレジットを入れるほどだ。

数年に一度会うだけだが、最初は地味で黙々とステージ周りの準備をしていた彼が、
会う度にスケールが大きくなっている、そんな感じがしていた。
エリックを取り巻く人々は次々と変わっていくが、
自分を理解して、状況に配慮しながら、心遣いをしてくれるビジュー、
エリックにとって今、なくてはならない大切な存在であるはずだ。

ミルウォーキーの地元サイトの記事を訳してみた。
人の運命や出会いの不思議さ、
またそれを捉まえてステップアップできたのは、
彼の努力や才能があってこそ、
そして周囲に愛される人柄が備わっていたからに他ならない。

************************************

かつてビジューはミルウォーキーのある町のカフェで働いていた。
ドラマーの仕事もしていたビジュー、
カフェのオーナーはツアーの間、仕事を抜けることも理解してくれていた。
ビジューがエリック・べネイと会ったのは、
まだエリックがハル・ベリーと結婚していた頃だった。
エリックは現在は二度目の妻とLAに住んでいるが、
ミルウォーキーにアパートメントも所有し、
ミルウォーキーに住む母を訪ねて、年に数回帰郷している。

「エリックと初めて会った時、まさか彼のために働くようになる、
なんて思ってもみなかった。
でもこの人に仕えたい、と願ったけれどね。」
ステージ・マネージャーとして採用されたという電話が掛かってきた時、
危うくビジューはこの連絡を逃してしまうところだった。
携帯に掛かってきた馴染みのない番号からの電話に出ることを一瞬躊躇したからだ。

「それはエリックのツアーマネージャーからで、
『この仕事を受ける?』と聞かれて快諾すると、
『OK、それならすぐに日本へと出発だ』と告げられた。」

ビジューはミルウォーキーの音楽業界でドラムスとして仕事をしていたので、
地元の音楽関係者には知り合いが多く、その縁からこの話が来たのだった。

ビジュー・ジマーマンは2歳の時にインドから養子として、
ウィスコンシン州に住む養父母に迎えられ、
高校卒業後、ミルウォーキーへと移った。
「養母は僕をインドのマザーテレサの家まで迎えに来てくれて、
ウィスコンシンに連れてきてくれた。
未だにインド料理は好きだけれど、自分はウィスコンシンの人間だと思っている。」
彼の名前はマザーテレサの孤児院の名が『ビジュー』だったことに由来する。
養父母は彼に続き韓国系の女の子も養女に迎える。

小学校高学年からドラムスを始めたビジュー、
高校生になった彼は養父母が名付けた『ブライアン』ではなく、
その頃はミドルネームだった『ビジュー』と仲間内で呼ばれるようになる。
「最初にアメリカに来た時に自分のパスボートにはたった一つの名前、
ビジューしかなかった。
でもこれが大人になってから一番しっくりくると思ったし、
周りにも定着したんだ。」
ビジューはドラムスとしていくつかのバンドのツアーに参加した経験がある。

現在のエリックべネイのステージマネージャーという仕事を、
一言で話して欲しいと尋ねると、
「ステージは自分次第。そこで起きることはすべて僕の責任になる。」
ビジューは一年の半分をツアーで過ごす。
それは一か月のこともあれば三か月続くことも。
このインタビューの後もすぐに韓国へと旅立つ。
この仕事で彼は世界中を周ってきた。
彼の好きな場所は日本とアムステルダムだそうだ。

「東京は6回行っている。
人々は優しいし、理解もある。
多くの人がいる場所でも清潔さが保たれている。
街の中の掃除も行き届いていて、歩道はまるで歯ブラシみたいに綺麗だ。」
(注:褒め過ぎです・笑)

エリックべネイはアメリカにも熱狂的なファンがいて、
その一人としてミシェル・オバマも知られているが、
アジアやヨーロッパにおいても人気が高い。
「日本では一日2回のツアーが5日も続いたりする。
それがいつも満席で、全部のショウに來るファン達もいるほどだ。
(注:これは私やコアなファンのことですね)
韓国での人気は絶大で、大きなコンサートホールがファンで埋め尽くされる。
2年前にソウル・ジャズ・フェスティバルに出演した時は、
エリックのバンをファン達が取り囲み、身動きできない状態になった。
まるでビートルズのようだったよ。」

「エリックは常に自分がミルウォーキー出身であることを、
人にも話すし、誇りに思っている。」とビジューは続ける。
そしてエリックと仕事をし、旅をすることを楽しんでいると。
「エリックはすべての音楽を愛する。映画音楽やどんなジャンルであっても。
いつも前向きで僕の話も聞いてくれるし、愉快な人柄だし、
一緒にいて楽しく気が合うと思う。」

「ツアー中は行く場所に応じて飛行機やツアーバスを使うが、
エリックが好むのはツアーバスだ。
その方がリラックスできるし、眠ることもできる。
皆で一緒にプレイステーションで遊んだりすることもあった。
一度、バスが故障してしまい、ピザの出前を頼んだんだ。
配達員がバスの中がゲームで盛り上がっている様子にびっくりしていたよ。」

ツアー中はパーティーの連続かと言う質問に、
「もちろんそれも楽しいけれど、一つの部屋でバンドのメンバー達と、
寛いだりして過ごすのも好きだ。
常にツアー先では最高の環境が用意されているからね。」

今、彼は独身だが、この仕事は結婚してからも続けることは、
不可能ではないと話す。
「オフの時に電話で話すこともできるし、一緒にいる時間は少なくても、
お互いを思う気持ちがあれば問題はないはずだ。」

韓国から戻って数週間後にはサンフランシスコでの年越しを含む3日間のツアー。
「いつでも旅立てるように常にパッキングして準備はできているよ。」

来年には別のアーティストのツアーにも同行する。
またいつかドラムスの仕事もしてみたいと思っている。
「もし自分が元々はミュージシャンで現在その仕事をしていなければ、
誰しも必ず何かが欠けているという気持ちを持つはずだ。」

ここのところ、エリックべネイのツアーの様子をカメラに収めたり、
ドキュメンタリー映像としてまとめたりしているビジュー。
ミルウォーキー出身で音楽シーンで活躍する人物の一人になりつつある。

いざボルドーへ

2014-12-08 09:09:58 | ボルドーへの旅
早朝のサクラ・ラウンジは混雑していた。
2010年の年末、深夜の飛行機に乗るために使った際には、
羽田の国際線発着も始まって日が浅かったせいか、
ほとんど人もいず、また一般の空港内のレストランなども閉まっている時間帯ゆえ、
暖かい料理がここに用意されていることがありがたいばかりだった。

今回は席を見つけるのも容易ではない。
また朝食ゆえにそれほど食べたいと思える料理も特にない。
ほどなく飛行機に乗り込み、手荷物も棚に乗せ、席に落ち着く。

私の不意をついたのは突然の思ってもみない申し出だった。
前に立った初老の男性が「あの、席を替わって貰えませんか?」
余りのことに絶句する。
友人と離れた席なので私にそっちの席へ行ってくれとのこと。
その男性が指示した席は非常口のそば、緊急時に脱出の手助けをする、
そういう条件で座る席だった。

最前列、中央の通路側、この席に拘って数か月前からここを座席指定したこと、
また非常口の脇の席に座るだけの資格が私にはないはずと、
丁重に断るが、そのような申し出をしてくる相手が隣人となったことで、
12時間近いフライトはかなり重いものになった。

ボルドーに着いてからLにその話をすると、
万が一のことが起きた場合、誰がどこに座っていたかは、
確認のために重要な手掛かりになる、
そのような行動は非常識極まると呆れて、
航空会社、あるいはフライトアテンダントに報告するべきではなかったか、
と言われた。

飛行機が空いていれば皆、移動して好きな席に座ってしまうのだから、
その人も軽い気持ちで言ったのだとは思うが、
そもそも航空券もそれぞれ違う価格で買っていて、
席によって付加価値が違うはず。
やはり理不尽と言うか、身勝手には間違いない。

2010年の年末は深夜便だったので、ひたすら寝かせてくれて、
食事もそれほどサービスがなかった。
今回は幾度か味わいのない機内食が運ばれてくることになる。
また映画がJALは無難なものに抑えていてつまらない。
しかしサービスするアテンダントの女性達はとても感じが良かった。
そして外国系のエアラインと違い、室温が暖かいのが、
私にとっては何よりだ。

ボルドーに行くという話からどうやってワインを持って帰ってくる、
そんな話題になる。
年上の方のアテンダントはお客様の赤ワインが割れて出てきたのを、
見て以来、自分もワインを持ち帰るのは不安になり、やってないとのこと、
若い方の女性は、かつてスーツケースにたくさんのビール瓶を入れてしまい、
瓶同士がぶつかり割れて、衣類もビール浸し、散々な目に遭った経験があるそうだ。
二人にボトルは衣類できっちりと囲み、それぞれは離し、
動かないように詰め込むようにとアドバイスを受ける。

いよいよパリへと到着の時間が近づく。
エールフランスに乗った知人は乗り換えのターミナルについて、
きちっと教えてもらったとのことだが、
JALのアテンダントはボルドーへと向かうエールフランス便について
までの知識はなかった。
案内のパンフレットに記されているターミナルとは異なる場所へ着陸、
となったことでマニュアル通りにはいかなさそうだ。
しかし最悪と言われるロンドンのヒースロー空港、
しかもテロ未遂事件後の乗り換えを経験したお蔭で、
それ以降、どんな乗換も臆さないだけの度胸がついている。

その都度、空港の職員に確認しながら、
ボルドーへとのゲートに、さほど迷わずに向かうことができた。
ショップで簡単なスナックと飲み物を買い、フライトを待つ。
ボルドーまでは座席指定ができず、通路側ではなく窓側となった。
しかしながらずっと低空飛行、隣の席にも乗客はなく、
のんびりと窓からの景色を眺める。
サービスは飲み物と簡単なスナック。
塩味の物と甘い物から選べる。

ボルドーの空港に着いた。
小振りの空港で職員に聞きながら、タクシー乗り場を探す。
タクシーは見当たらず、戻ってまた尋ねることになる。
ようやくタクシーをみつけ、行き先を告げつつ、
言われた通り、幹線道路には入らず、下の道を行くようにと頼む。

緑も多く、葡萄の木が植わっていて、中心部に近づくと街の賑わいが見えてくる。
それでも大きなビルや無機質的な街並みではなく小振りで暖かみがある風景。
LとMの住む街へと車は進んでいく。
道路の入り口に杭が出ている。
住民はカード、タクシーはどこかに連絡してその杭を下げてもらい侵入していく。
一般車両は入れない状態になっている。
運転手は中々、彼女たちのアパートメントをみつけられない。
ようやくらしきものに近づいたと告げられたので、
降りて確認をしてほしいと一緒に下車する。
呼び鈴を鳴らして、彼女たちが現れるまで一緒にいてほしい、
何しろ私はボルドーに初めて来たのだからと半ば強引に頼む。

二人が中から出てきたので、トランクからスーツケースを出してもらい、
料金を払う。
外ドアを開け、少し進んで内ドアを開けると、
そこに4階までの螺旋階段が待っていた。
Mはスーツケースを持って階段を登ってくれる。
薄暗い階段を上り詰めた4階が彼女たちの住まい。
開けるとそこにまた階段、メゾネットになっている。
18世紀の建物を古い部分の良さは残し、
住みやすいようにと上手にリノベーションされている。


大きな吹き抜けの窓の外はまだ明るい。
海外に行って暗くなってからタクシーに乗るのは今まで避けていた。
ニューオリンズの帰り、早朝であったのにかかわらず、
まだ外は真っ暗で運転手には口説かれるし散々な目に遭った。
今回は夜8時過ぎてもまだ外は明るく何の問題もなかった。

私の部屋はメゾネットの二階、天窓とバスルームが付いている。
とても居心地が良さそうだ。
部屋を出てすぐにトイレもある。
リビング、ダイニングとキッチン、二人の寝室は階下にあり、
それぞれのプライバシーが保たれている。
階下にもトイレはあるので、
これは自由にバストイレを使えそうで気が楽になった。
若かりし頃、イギリスでホームステイをした折、
そこの家族と一部屋のバス・トイレ・洗面所を共有した。
いくら何でもこの年であれはできない。

「運転手さんと何かフランス語で話した?」と聞かれ、
「う~ん、あんまり感じが良くなかったなぁ。
でも私のフランス語の発音が悪くて通じなかったのかも。」と言うと、
Mは「私のフランス語の発音は問題ないと思うけれど、
それでもあの人は感じ悪かったわよ。」と笑わせてくれる。

「簡単な食事を用意してあるけれど、一緒に食べない?」と誘われる。
ほんとうはさっさとバスに浸かり、荷をほどき、ベッドに横になりたい、
そんな気分だったが、食卓が用意されている様子を見て、
「喜んで(avec plaisir!)」と答える。

季節の野菜、ズッキニを使ったキッシュ、グリーンレタスのサラダ、
トマトのマリネ、赤と白のワインとお水。
機内食で満腹でまったく食欲のないはずだったのに、
Mの作ったキッシュを食べた瞬間、五感が蘇ってくるというか、
水分や栄養分が五臓六腑に浸透し生気が漲ってくるのが、
ひしひしと感じられる。

何人かのフランス人の家庭に招かれたことがあるが、
食べ物が口に合った場合とまったく喉を通らずに、
残すのにどう言い訳したらよいのやら、
どうやって少しでも食べた様子にみせるのかと苦労した経験がある。
Mの季節の食材を使った優しい味の料理、
明日から何の心配もなく食べられることがわかり安堵した。

Lから明日からのスケジュール表を渡される。
翌日の天気予報は晴れ、2時間のLとの個人レッスンの後、
ヨーロッパでも珍しいとされる砂丘のある名所、
アルカションに行く予定となっていた。


翌朝も早いので早々に寝室に引き上げる。
彼女たちが整えてくれた部屋、
写真集や照明が綺麗にアレンジされた本棚、
机と可愛いクッションの添えられた椅子、
クローゼットがあり、鏡も用意されている。
ベッドもセミダブル、ゆったりとしている。
備え付けのバスロブ、タオル類は感触が良い。
洗面所のシャンプーやせっけんも香りの良いものが置かれている。
屋根裏部屋風に天井が傾斜しているのも返って落ち着く。
私はこの部屋がすっかり気に入ってしまったのだった。