Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

Merry Christmas!!

2014-12-24 19:27:37 | エリックベネイの愛と人生
ハリウッド、ビヴァリーヒルズのレストランでの週末のイベント。
最後のアンコールの"Georgy Porgy"をEric Benetは歌っている。
舞台袖でスタッフに交じり、一人楽しそうに踊る若い女性の姿が見える。
エリックは「娘のインディアが来ているんだ。」と歌いながら手招きする。

最初は遠慮がちな様子で「えっ、ほんとうに出て行っていいの?」
といった風情だったIndia。
「インディアはね、USCを卒業したんだよ。」
とエリックに誇らしげに紹介されると、にこやかに声援に応え、
エリックと肩を組み、リズムに乗り始める。
二人のバイヴはぴったりと合っている。

この二人の絆はほんとうに深い。
新しい家庭を持ったエリックが離れて暮らす娘のインディアを想う気持ち、
父親に頼らずに一人で頑張っているインディア、
そして父の新しい生活を尊重し、義理の妹達にも優しいインディア。
インディアの姿にまさにクリスマス・スピリットを見た。

クリスマス・イブの夜に心が和む映像をアメリカのファンクラブメンバーが
携帯からシェアしてくれた。

エリックとマニュエラに第二子誕生

2014-08-01 09:57:06 | エリックベネイの愛と人生
エリックべネイとマニュエラに次女が誕生した。
以下は二つの記事をまとめて要約。

http://www.usmagazine.com/celebrity-moms/news/eric-benet-wife-manuela-testolini-welcome-baby-girl-amoura-luna-2014307?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter20140730

http://www.eonline.com/news/564848/eric-benet-welcomes-second-baby-girl-with-wife-manuela-testolini-find-out-her-beautiful-name

結婚3周年を迎えたエリック・べネイ(47歳)とマニュエラ・テストリーニ(37歳)
二人の間に次女、Amoura Lunaが誕生した。
Amouraはフランス語の"amour"(英語の"love")を英語化させた単語、
"luna"はフランス語の月の意。
アモーラ・ルナは6ポンド、13オンス(2986グラム)
髪の毛で既に頭が覆われた状態で誕生。
名前の由来は生まれたのがスーパームーンの日、7/13だったことによる。

エリックにはマニュエラとの間の娘、2歳半のルチア・べラ、
別の女性との間の娘、23歳のインディアがいる。

Eric Benetは「Amooura Lunaは二人の姉に囲まれ、
愛と慈しみに満ちた人生をスタートさせた。」と発表、
同時にIndiaの写真も"Love of My Life"とアップしている。

「マニュエラは最高の母親、愛情深く、慎重に育児に取り組んでいる。」
とエリックはインタビューに答えた。

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まだアモーラの写真の公開はないが、マニュエラと共に、
温かい家庭をしっかりと築いているエリックべネイ。
そしていつも一人で暮らすインディアが寂しい想いをしないようにという心遣い、
大切に思う気持ちをはっきりと表している。

新しい段階へ

2014-07-29 12:40:09 | エリックベネイの愛と人生
7/22付の記事。
エリックべネイの現在と過去、今後の予想などが簡潔にまとめられている。
http://thephoenixunleashed.com/2014/07/eric-benet-is-the-new-ceo-of-jordan-house-records/

エリック・べネイのイメージというと心地良い声で情感豊かに歌う歌手、
かつては裸足でステージに立っていたことも印象深い。
そして多くの女性のハートをとろけさせてきた存在でもある。

ゴスペルを歌う家庭で育ち、90年代から第一線で活躍してきたべネイ、
今、新たな段階へとステップを踏んでいる。
自身のレーベルであるジョーダン・ハウス・レコーズ、
マネージメントであるプライマリー・ウェーブ、
どちらにおいても共にエリックはCEOという立場になった。

べネイがスタートしたのは、1980年代の"Gerard"というグループからで、
その後、姉リサ、従弟のジョージ・ナッシュJr.と作った"Benet"というグループ、
グループ名と同じ名前のアルバムで、1992年に100.000枚以上を売り上げた。

ソロとして開花したのは1994年にワーナーと契約後、
1996年に"True To Myself"をリリース、
このアルバムの中には"Spiritual Thang""Femininity""Let's Stay Together"
が含まれ、映画"A Thin Line Between Love & Hate"中にも使われた。

現在は2人のアーティスト、Calvin RechardsonとGoapeleを、
自身のレーベルのCEOとして担当している。

グラミーへのノミネートを重ね、
タミアとのデュエット曲"Spend My Life With You",
"Sometimes I Cry""I Wanna Be Loved""Chocolate Legs"等のソロの名曲を持つ。
ハル・ベリーとの不幸な結婚と離婚でネガティヴなイメージで捉えられたエリックも、
今はキャリアを積み、音楽業界において大きな成功を収めている。

さて今後のEric Benetがファンのために歌い、自分の曲を作る、
そういうシーンから遠ざかって行かないことを願うばかりだ。

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エリックべネイのスタートをミルウォーキー時代のジェラルドとしているのは、
記事として珍しいが、最後の結びの言葉、
今後は裏方に専念するのではという予想も気になる。

下記の画像はエリックにとって最初の娘インディアとの最近のショット、
まもなく現在の妻・マニュエラとの間の第二子も誕生する予定だ。

Family

2014-07-15 11:21:29 | エリックベネイの愛と人生
今、東京はお盆の最中、迎え火、送り火を焚き、
お盆のお飾りを仏壇に誂え、家族で集まって食事、
菩提寺の住職が読経のために訪問、
未だにそんな行事が残っている家も希少になったが、
実家では両親が健在なこともあり細々と続けている。

この時期にアメリカは7月4日の独立記念日、
フランスは7月14日のパリ祭(革命記念日)、
同じ時期に家族や友人、親しい人達と休日を楽しんでいる。
フランスとアメリカでの人々が集う写真を見ながら、
図らずして日、仏、米でこういう行事の時期が重なっていることの
面白い偶然というか、不思議な縁があるものだと今年になって改めて思う。

トップの画像は独立記念日に実家のあるミルウォーキーに娘のインディア、
ルチアと共に帰ったエリックべネイ、
姉のリサ、オードリー、ジェニファー、
エリックの叔母もそこに入り、写真に収まってる。
身重で出産の近い妻のマニュエラはLAに残ったようだ。
お母さんが一緒に写真に入らないのは、やはり余り具合が良くないのかと、
少し心配になる。

この写真に家族として一緒に入っている女性、ミシェルについて、
今日は記しておきたい。
死期の近づいたエリックの父は家族に秘密を打ち明けた。
それは別の女性との間に娘がいるということだった。
近所に住み、エリックはハイスクールでもミシェルと顔見知りだったので、
彼女が自分と腹違いの兄弟だったと知り、とても驚いたそうだ。
母を始めエリックの家族は動揺したもののミシェルのことも家族として認めた。
このことをエリックは6年程前のインタビューで初めて明かした。

エリックべネイ、自分の家族がコンサートに來ると、
観客に「姉が来てるんだよ。」と何気なくリサやオードリーを紹介する。
昨年に「シスターのミシェルが今日は来てるよ。」とライヴ中に一言挟むのを聞き、
エリックが彼女のことを家族としてここまで受け入れていることに感動を覚えた。

ここのところ、ミシェルの姿がエリック・べネイの家族写真に度々登場する。
兄のスティーヴンがミシェルのガーデニングを手伝ってあげていたり、
器用なリサに教えてもらってミシェルが手芸をする様子とか。
こういう立場の女性、本来なら敵対してもおかしく無いはずなのに、
自然体で仲良くしているエリックのファミリー。
世界平和は身近なところからと言うが、まさしくそれを実践している。
信心深く温かいエリックのお母さんの人柄がこういう家族を作り上げたのかと思う。

いずれにせよ、親孝行、母想いで年間に最低でも6回は
ミルウォーキーに帰省するというエリックべネイ。
優しい気持ちが溢れている写真に心が和む。

独立記念日の祝日を従弟達と寛ぐエリックの娘インディア

Congrats Eric & Manuela!

2014-03-15 23:21:01 | エリックベネイの愛と人生
エリックべネイの妻、マニュエラが第二子を妊娠中と発表した。
出産予定は7月とのこと。
Eric Benet「ルチア(現在2歳のマニュエラとの間の娘)はビッグシスターに、
インディア(現在22歳)はビッグ・ビッグシスターになる。」とSNSに書き込んだ。

マニュエラはルチアに姉になる心構えを教えている写真をアップ。
弟か妹ができることを楽しみにしている様子が後姿から伝わってくる。


エリックは数年前のインタビューで「5年後はどうなっていると思います?」
と聞かれて「さあね、もしかしたら5人の子供に囲まれているなんてこともあるかもね。」
と答えたが、ほんとうにその通りになるのかもしれない。
夏に生まれる赤ちゃんの性別を既にアメリカのファン達は「今度は男の子がいい。」
などと騒いでいるが、もし双子の赤ちゃんに恵まれれば、
エリックが答えた時点から5年後の姿がほぼ実現したという結果になる。
いずれにせよ、ハッピーなニュース。

ダライ・ラマの前で歌うエリック・べネイ

2014-03-10 11:19:25 | エリックベネイの愛と人生
What the World Needs Now, Sung to Dalai Lama


昨夜、寝る前にYoutubeをEric Benetの名前で検索を掛けると、
思いがけず、この映像を見つけた。
ダライ・ラマの前で歌うエリックべネイ。
曲は"What a World Needs Now"と"The Prayer"
情報から自分の曲"My Prayer"を歌ったのかと思っていたら、
セリーヌ・ディオンの"The Prayer"だった。

まず驚いたのはエリックのダライラマに対する謙虚な態度。
合掌し、頭を下げ、彼の前を通る。
ステージ上で自分のコンサートとは違う場、アングロサクソン系のセレブ、
そしてダライ・ラマと彼を信奉する人々の前で歌うことに緊張しているようにみえる。
後でエリックが明かしているが、最初の曲"What A World Needs Now"は
突然振られたらしくて、歌詞がおぼろげだったらしい。
しかしそんなことも全く感じさせず、最後はデビッド・フォスターの指示で、
会場を指揮し観客たちにこの曲をコーラスさせている。
ダライ・ラマはそんなエリックの姿をにこやかに見つめている。

エリックとデビッドの息が合っていて、意志の疎通がスムーズだ。
曲のエンディングもデビッドのピアノを弾きながら瞬時に把握できるエリック。
長い付き合いだし、またこのような場に相応しいと
デビッドがエリックを選んでくれたのだろうか。

二曲目の"THe Prayer"は、ピアノを弾くDavid Fosterの脇で歌う。
こちらは伸びやかに気持ちを込めている。
この間、ステージ中央のラリー・キングの態度がちょっと気になってくる。
アメリカの大物ニュースキャスターと言えどもダライ・ラマに対してラフ過ぎる。
足を組み、曲の途中からラマ様の手を握ると離さない。

一方、ダライ・ラマはそんなラリーを一応受け止めつつ、
エリックの歌が佳境に入った時はその手を放しエリックへと向き合う。
最後にエリックはダライ・ラマに歩み寄り握手、ラマはその手を自分の頬へと寄せる。
エリックはその手にキス、顔をくしゃくしゃにしている。
合掌して一礼をしてダライ・ラマから離れるエリック。

ダライ・ラマは人間を超越した存在だと私は思っている。
もちろん神通力もあると。
そんなラマ様がエリックの自分を敬う気持ちや心の優しさを感じ取り、
態度に表した瞬間。
観ていて心が暖かくなる映像だった。

満場の観客達にどう見えるかでなくて、
ダライ・ラマに対して彼の作法に合わせようとしたエリックべネイ。

合掌とお辞儀でまた横切る時も一礼する様子に、
この人の心遣い、身に付いたものではあるけれども、
心がこもった謙虚な態度にますますエリックべネイが好きになった。

エリック・べネイがダライ・ラマに歌った曲は?

2014-03-05 13:38:15 | エリックベネイの愛と人生
それは"What the World Needs Now" と "My Prayer"だったと、
エリックの妻、マニュエラが教えてくれた。
ダライ・ラマの前で歌うのにピッタリな曲。
自分の曲と他の曲と組み合わせたのもこの場に相応しい。

アメリカを訪問しているダライ・ラマ、
オバマ大統領を筆頭に多くの著名人と対面している。
この写真ではエリック・べネイと共にジム・キャリーも写っている。

さて最近のエリックの日常、なぜかMohamed Hadidという人物と良く一緒にいる。
アラブ系、パレスティナ出身、画家からテレビ番組のパーソナリティーを経て、
リッツカールトンホテル等を所有する不動産王。
"Real House Wives of Beverly Hills"の出演者、Yoland Hadid Fosterは元妻。
二日に渡って行われたダライ・ラマのイベント、
初日に行く前に彼とランチしている写真をアップした。


そしてこちらは「花金」と題して彼と金曜の夜のお出掛けへと向かう前の写真。
白のジャケットとグレーのパンツがお洒落なエリック。
しかしこういうきちんとした服をたくさん持っているのに、
どうしてダライ・ラマの前ではジーンズだったのかと。
自分らしさ、素のまま、歌の心を追求した結果だろうか。
他の人もラフな服装なのでドレスコードにそう指定されていたのかもしれない。


Eric Ben�・t - My Prayer (with lyrics)


Dionne Warwick - What The World Needs Now Is Love - Live 1993(+ 再生リスト)

ダライ・ラマに歌ったEric Benet

2014-02-27 13:22:41 | エリックベネイの愛と人生
「ある朝、突然電話がかかり『ダライラマ様のために歌っていただきたいのですが。』
そんなことってあると思う?」とエリックべネイ、一昨日FBのページに投稿した。
その後、トップの画像がアップされ、ダライ・ラマと彼の信者たちのイベントのために
LAで二日に渡って歌うとある。

妻のマニュエラと娘のルチアも共に招かれ、ダライ・ラマと面会した。
その際、ルチアは"Hi Dalai Lama"と挨拶し、
自分の得意な歌を一緒に歌ってもらおうとしたそうだ。

キーボード奏者、今回はここのところ一緒に組んでいたジョナサンではなく、
2009年の来日に同行したShirota。
彼も感極まりステージに出る前にエリックと記念撮影をしている。


エリック・べネイ、妻のマニュエラ、同行したシロタ、
それぞれがたいへん名誉なことと書き込んでいるが、エリックの服装がちょっとラフ過ぎ?
それも自然体、歌の雰囲気に合わせて選んだものかと納得。


二日目の今日、エリックべネイは自分でパワーブレークファーストを作った。
ダライラマに会うのだからこれくらい食べなければという気合が伝わってくる。
本人のキャプションによると内容はオートミール、ライスミルク、ラズベリー、
ストロベリー、バナナ、ドライのクランベリーとレーズン。
ちなみにエリックはいちおうヴィーガン(菜食主義でも決まりがより厳しい)をやっている。


そしてたった今、エリックべネイは新しい写真をアップ。
「自分にとって感動的な瞬間だった。」と。
デビッド・フォスターと共にダライラマのために歌っている。
エリックがダライ・ラマのために選んだ曲は何だったのだろう?

Happy Birthday, Luchia!

2013-12-22 11:18:45 | エリックベネイの愛と人生
"Two years ago our family was blessed with this little Angel!
Happy Birthday Lucia Bella!!!"
と数時間前にEric Benetは自身のFBにトップの画像をアップ。
エリックとマニュエラとの間の娘、ルチアが2歳の誕生日を迎えた。
12/21が誕生日だが日本時間だとほぼ22日に差し掛かる。

一方妻のマニュエラは親子三人で海岸に向かって手を広げるこんな写真をアップ。
ルチアが両親の愛に育まれてすくすくと成長している様子が伝わってくる。



前を見据えて

2013-08-09 17:15:29 | エリックベネイの愛と人生
Eric Benet、自身のフェイスブックに"I am looking forward to forward"
とキャプションを付けてトップの画像を掲載した。

その前の画像は「裸足、革のパンツ、胸をはだけて」と17年前のこの写真


先月末にマニュエラとの結婚2周年を迎えたエリック、
これからの自分の生き方に新たな覚悟を定めたかに思える。

マニュエラとの結婚記念日のディナー


2年前の結婚式の時の様子もエリック、マニュエラ共にそれぞれ画像をアップロードしている。




モロッコやイタリア、エジプトの血を引くマニュエラ、
式の後は異国情緒溢れるパーティーが行われ、二人にとって思い出深いものになったようだ。


そして久々の愛娘ルチアの写真、
マニュエラがお風呂に入れてあげている様子をエリックはアップした。
ルチアが女の子らしくとても可愛らしい表情を見せる。
エリックの妻と娘への愛情がたっぷりと感じられる写真。



benet

2013-07-25 09:14:54 | エリックベネイの愛と人生
エリック・べネイ、姉リサと組んで1992年に出したアルバム"benet"
最近、ある方が中古CDショップで見つけて、
¥2,000という値段がついていたのにもかかわらず、
買って聴いてみたらとても良かったとメールをいただいた。

このアルバムを出した後、EMIからは契約を打ち切られ、
その後、不遇の時代が続くことからエリックにとって、
「不本意な路線で売り出されたあげく、契約解除された。」
とインタビューでも話していて、余り思い出したくない過去のようだった。

それがあるインタビューをきっかけに「この時があったからこそ、
その後の1996年"True To Myself"に繋がった。」と結論が出てきてしまう。
またこのCDを大切に持ってくれているファンに会ったり、
女性のインタビューアーで"Only Want To Be With You"が好きで、
エリックと一緒に歌いたいと言い出し、歌詞を忘れているエリックを、
彼女が助ける形で2人でのデュエットになったりする。
そんなことからエリックべネイ、このアルバムが懐かしくなったようで、
自分のページにアルバムジャケットをアップロードしたりした。

ソロでアルバムを出した1996年がデビューとされているが、
その後のインタビューでそう紹介されると「’92年が最初だ。」
と言葉を加えたほどだ。


(この画像はエリックべネイ本人がCDを持って自分の携帯で撮影したもの)

このCD、流通価格を調べると、中古は¥2,000位、新品だと¥5,000で売られている。
このアルバムの中の曲で印象が深いのが"I Remember When"
"Rainy Days And Mondays""Only Want To Be With You"
これらは自分のiPodにも入っているが、改めてアルバム全体を通して聴いてみる。

今のエリックとは違うかもしれないが、20代半ばのエリックべネイ、
若さと勢いが溢れている。
この頃の映像を見ると、リサと二人で飛んだり跳ねたり踊ったり。
そういうイメージでプロモーションされたことが納得できなかったのかもしれないが、
曲自体、アルバムとしては決して今聴いても遜色のあるものではない。

30代では余り思い出したくなかったかもしれない20代でのできごと、
40代半ばに差し掛かり、懐かしい気持ちで振り返る、
そんな気持ちもわかるような気がする。

Indiaの髪を整えるEric Benet

2013-07-22 17:22:35 | エリックベネイの愛と人生
フェイスブックで過去の写真、
誰かがコメントや「いいね」を付けたことで浮かび上がってくることがある。

エリック・べネイの娘インディアが数年前にフェイスブックにアップしたこの画像、
マイスペース時代では見ていた画像だが、
インディアがつけたこんなキャプション、私は見逃していた。
「いつもお父さんが家に帰ってくると先生がすぐに気付いたの。
私の髪型を見るとわかるって(笑)」

何とも微笑ましい写真だ。
無心にテレビゲームをするインディア。
その髪を愛おしげに整えてあげているエリック。
1998年前後?人気も出てツアーも増えてきた頃。
家にいる時はインディアのために何かしてあげたかった、
そんな気持ちが伝わってくる。

アフリカ系女性の髪を整えるのにはコツがいる。
ニューオリンズでルームメートになったエリックべネイファン繋がりのL、
彼女と幼馴染みのCがLの髪を時間を掛けながら丁寧に梳かし、
纏め上げる手際の良さに私は横で見とれていた。

エリックはなぜ女の子の髪の扱いを心得ているのだろう?
姉三人に囲まれて育ったから?
それはマメな性格、そして何よりも娘想いの良き父親だから。

12歳のエリック・べネイ

2013-07-13 11:04:47 | エリックベネイの愛と人生
昔懐かしシリーズとして、エリック・べネイ、
12歳の頃、母と一緒にパーティーへと向かう写真をアップロードした。

この時のエリックのお母さん、推定年齢45歳くらい、女盛り、
末息子のエリックに手を取られて輝くばかりの笑顔が美しい。

タキシードを着た少年エリック、
この写真のエリックべネイ、顔立ちが今のエリックとほとんど変わらない。

お母さんに手を引かれてではなく、
男性としてお母さんをエスコートしている様子が見て取れて微笑ましい。

男性にとって母親の存在は永遠であると同時に、
母親にとっても末っ子の男の子っていくつになっても、
可愛くてたまらない存在のはずと思わせる一枚。

愛しのインディア

2013-06-03 11:50:31 | エリックベネイの愛と人生
エリック・べネイのファンなら、多くの人がその存在と名前を知る娘のインディア、
India Benet Jordan。
生まれた時からエリックとは離れて母親のタミーと暮らしていた。
インディアが2歳にも達しない時期に、タミーは交通事故で亡くなった。
タミーが自分の家族とは絶縁状態であったこともあり、
このままだとインディアは施設送りになってしまうという現実が
いきなりエリックべネイに突き付けられた。

数少ないインディアとタミーの写真の一枚


その時、エリックはレーベルを解雇され最愛の父も癌で失い、、
UPS、宅配便の会社で配達員ではなく、荷物の種分けをしながら、
夜はスタジオエンジニアの仕事をしていて、自分が生活していくのがやっとだった。
幸い近くに住む母や姉(中でもリサ)もいて、
家族で協力し合ってインディアを育てよう、という結論に達した。

今も親しく行き来するインディアとエリックの母、姉リサとジェニファー


それまでクリスマスや特別な時に父親としてインディアに会うことはあっても、
一緒に住んだことはなかったエリック。

タミーとエリック、インディア、唯一のクリスマスの家族写真。


初めてインディアと暮らすようになって、最初はエリックもどう接したらよいか戸惑ったようだ。
もちろん一緒に遊んだり、本を読んであげたりもしたが、
自分の一日のできごとなどもインディアに率直に話して聞かせた。


ハル・ベリーとエリックが結婚した時、インディアは母親ができたと喜んだ。
ハリーも教育熱心でインディアをLAの有名私立校に転校させる。
その後、エリックとハリーがうまく行かなくなった時、
インディアはそれが認識できずにハリーと連絡を取ったりしていた。
ハリーはそのことを逆手にとって「エリックの娘でさえ私の方を信頼している。」
と自分を正当化するネタにした。

エリックとインディアはこの問題で深く話し合ったそうだ。
インディアは最初は怒りや涙もあったが、最終的には父の気持ちを理解して受け入れた。

高校生の頃のインディアは何度か自作の曲を自分で演奏した映像を投稿したり、
ソングライターになる夢、アメリカンアイドルにも出てみたいなんて言っていた。
その都度エリックは「まず学業が優先。」と諭す。
「この業界は厳しい。成功するのは難しい。だからまずはしっかり勉強すること。」と。
今は南カリフォルニア大学で学びながら、ブティックでアルバイトもし、
モデルの仕事もいくつかこなしているようだ。

ヘアマガジンの表紙を飾るインディア


今回のアルバム"The One"の中の"Muzik"ではエリックとデュエットもしたインディア。
毎回、「日本に来ないの?」と尋ねると本人は行きたい気持ちが充分だけど、
学校を休ませることはエリックが認めず、中々叶わない。
というよりも娘と一緒のツアーだとエリックはやり難いのかなと思っている。

最近になって母親の昔の写真をみつけたり、母の友人に会って話を聞いたりしているインディア。
子供の頃のおぼろげな記憶から実際の母親の姿をもっと知りたくて、
そしてそれはインディアにとっての大切なアイデンティティー、
自分探しをしているのかもしれない。

初夏の庭をバックに微笑む最近のインディア、まぶしいばかりの笑顔が輝いている。

エリックべネイ「初めてナイジェリアを訪れて」

2013-04-14 19:18:43 | エリックベネイの愛と人生
画像はナイジェリアのシンガーAsaとEric Benet

「たとえ招待を受けなくても必ずまたナイジェリアに戻って来るよ。」
とエリック・べネイはナイジェリアのWeekly Trustのインタビューに答えた。

Published on Saturday, 13 April 2013 Written by Aliyu
http://weeklytrust.com.ng/index.php/magazine-cover/12210-i-m-coming-back-to-nigeria-even-without-invitation-eric-benet?fb_action_ids=553081068070300&fb_action_types=og.likes&fb_source=timeline_og&action_object_map=%7B%22553081068070300%22%3A502760816428459%7D&action_type_map=%7B%22553081068070300%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=%5B%5D

以下はWeekly Trustにおけるインタビューの翻訳:

4回のグラミーノミネートシンガーのエリック・べネイ・ジョーダンはアメリカで高名なR&B、
ネオソウルのシンガーソングライターだ。
3月末にナイジェリアの首都ラゴスで行われたCalabar Jazz Festivalに出演した彼は、
Weekend magazineのインタビューに応じてくれた。

初めてナイジェリアからの招待を受けたことをどのように思われましたか?
「カラバー・フェスティバルに出演できるのを光栄だと思った。
他のアーティストも素晴らしいし、その中の一人に選ばれたことを嬉しく思ったよ。

子供の頃、誰しも夢を描くと思う。
自分は子供だった時に将来は音楽関係のアーティストになること、
世界中の行ったことのない場所を訪ねてみたいと思っていた。
そこで違う文化やライフスタイルの人々と出会うことを空想していた。
この仕事を通して旅をし、各地で音楽を通して人々と交流できる。
新しい場所に行き、自分の曲を知ってくれているファン達や、
全く自分のことを知らなかった人々にも暖かく受け入れてもらえる。
それはまさしく子供の時に思い描いていた夢を実現したことになる。

すべてのアフリカ系アメリカ人にとって、アフリカの地は、
自分の魂の故郷であると感じられるはずだ。
だからこそ、また戻って来たいと思っている。
今までに他のアフリカ圏の国に行った時も同じように感じた。」

今回、ナイジェリアは初めてですが、あなたが自分の曲を歌った時、
ファン達のリアクションはいかがでしたか?
「初めて来た場所で自分の曲を知ってくれている人達がいるということほど、
嬉しいものはないよ。感動した。」

ナイジェリアのアーティスト達はいかがでしたか?
「素晴らしいね。AsaやDaneyが特に。バンドも皆良かった。
今日着いたばかりなので昨日の出演者たちの演奏は、
残念ながら聴き逃してしまったけれど。」

長い間、音楽業界にいますが、成功と発展し続けていくコツは?
「もう何10年とこの仕事をしているが、
その間、決して流行には飛びつかなかった。
僕は自分が子供だった頃の70年代の音楽が好きだ。
ずっとやってこれたのは自分の好きなものを大切にし、
その時々の流行りに振り回されなかったことだと思う。
これから続く人達にアドバイスするとしたら、自分らしさを大切にし、
自分の好きなもの、情熱を注げるものを深めていく、
それが大事だと思う。」

このフェスに招待される以前にナイジェリアのアーティスト達を知っていましたか?
「恥ずかしながら実は知らなかったんだ。
アメリカに住んでいると時として自分の国の中のことだけで、
世界に目を向けることがおろそかになりがちだ。
しかし今回、ここに来たことでこれからはもっとナイジェリアを知り、
ナイジェリアのアーティストの曲を聴いてみたいと思ったよ。」

ナイジェリアのアーティストとのコラボレーションもあるのでしょうか?
「ぜひやってみたいと思っている。そういう機会があるのを楽しみにしている。」

あなたのアルバム、"A Day in the Life"は高い評価を受け、
商業的にも成功していますが、このことはあなたの音楽に対してのスタンスとは、
少し違っているのでは?
「確かに"A Day in the Life"というアルバムを作るにあたって、
セールスの面でも成功することを考えて実現したが、
決して本来の自分の在り方から逸脱したアルバムではない。
そして一度、売り上げの高いアルバムを作ることで、
次からはビジネスマンではなくアーティストとしての観点から、
アルバム作りができると思った。

目標を達成し、そのことで世間からも評価されたが、
自分にとって大切なのはレコードの売れ行きではない。
音楽を作ることが、自分にとってのエネルギー、
試練の時も乗り越えることができるパワーになっている。

もし流行に乗って商業的なものを作り、巧くいったとしても、
それは一時的な満足に過ぎず、後々まで自分を支えるものにはならない。」

アメリカとナイジェリアのアーティストが何人かコラボレートしていますが、
あなたは誰としたいですか?
「今晩、Asaとコンサートで共演するけれど、彼女とレコーディングもしてみたいね。」

アレックス・クレアの"Too Close"を最近レコーディングしましたね?
全く違う分野のアーティストの曲をカヴァーした経緯を教えて下さい。
「僕は自分の世界を広げたい、殻を破りたいといつも思っている。
最新アルバムの"The One"、その中の曲"News for You"、
この曲のリミックスを最近になって2Chainzとレコーディングした。
皆、びっくりしたみたいだけどね。

Alex Clareの"Too Close"も聴いていて好きになり、家で歌っていて、
それならこれを自分のヴァージョンでレコーディングしてみたいと思ったんだ。」

また招待されたらナイジェリアに来たいですか?
「まず言っておきたいのは招待されてもされなくてもまた必ず戻ってくる。
2日間しかいられなかったけれど、気候も景色も人々も何もかも素晴らしかった。
これからも何度もそして家族も連れて訪れてみたいと思っている。」

音楽をやっていなかったら、何をしていますか?
「何か書くことに関する仕事、作家、脚本家、ライター。
映画を製作するとか、物語の語り手でありたい。
愛、情熱、人間的に成長することを音楽を通して表現したいと思っているから、
音楽をやってなかったとしても他の手段でそれを人々に伝えているはずだよ。」