Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

タミー・テレルの真実

2012-08-27 16:39:41 | 私の日々
アメリカに住むfacebook friendのMichikoさんから
"Unsung"というアフリカ系アメリカ人向けの音楽テレビ番組で放映された
ドキュメンタリー映像を教えていただいた。

Tammi Terrellについて私は今まで何を知っていたというのだろう。
Marvin Gayeとデュエットのヒットを重ね、24歳で夭折したこと、
最後のアルバムのレコーディングでは、タミーにはもう歌う力がなく
ソングライターであるValerie Simpsonが代わりに歌ったという逸話。
ロンドンのライヴで二人の曲を歌う時に既に故人となっていたタミーの紹介をすると、
大きな拍手が沸きマーヴィン・ゲイが喜んで、
「みんな、彼女のことが好きなんだね。」と言った映像。

1945年に生まれたタミー・テレル、
男の子を望んだ親がトミーと名付けたこと、
子供の頃から音楽教育を受けたことがまず紹介される。
普通の家庭で育ったものの、母は精神疾患があり、
タミー自身も幼少期から頭痛に悩まされていた。
11歳の時に近所の少年達に暴行を受け、この事件以来タミーと改名する。
この後、タミーの性格は奔放に変わっていく。

15歳に至る前にタレントショウをきっかけに歌手として人気が出て、
学校を優先しながらもレコードも出し、ツアーをするようになる。
20歳でモータウンと契約するが、この時にモンゴメリーという本名が、
覚えにくく長いことから、インパクトがあるテレルに変えられる。
その頃、タミーは数年つきあっていた恋人の暴力に苦しめられていた。
あくまで噂としているがバイクのヘルメットをタミーにかぶせて、
上からハンマーで叩いたという。
そのことがきっかけでタミーは彼と別れたとされる。

マーヴィン・ゲイと組むことになり、
アシュフォード&シンプソンが作った"Ain't No Mountain High Enough"
をレコーディングする。
ライヴの時もシャイでレコーディングではなおさら緊張するマーヴィン。
タミーには「私はマーヴィンに歌わせてみせるわ。」という自信とやる気で一杯だった。
映像を観ると二人の様子は恋人同士のようだ。
それぞれに恋人はいたはずだが、このレコーディング中に
お互いに慕い合う気持ちがあったということが伝わってくる。
マーヴィンは今までタミーが付き合ってきた積極的なボーイフレンド達とは、
全く違う控えめな性格だった。
その後のAshford & Sympsonによる"Precious Love"は、更なるヒットにつながる。

そこまでは二人は別々のマイクでレコーディングしていたが、
次の"Ain't Nothing Like A Real Thing"では一つのマイクを使って、
二人同時にレコーディングした。
それは輝きを放ち、臨場感溢れるレコードへと仕上がる。

"If This World Were Mine"のオリジナルマスターテープが倉庫から捜し出され、
Tammi Terrellの歌声をスタジオで聴くシーンがある。
鳥肌が立つ瞬間だ。
タミーの歌い方の特徴として語尾をはっきりと発音し上げる。

タミーの頭痛は酷くなっていく。
レコーディングから数週後のツアーでタミーは遂に発作を起こし意識を失ってしまう。
マーヴィンはタミーを抱きかかえて舞台の袖へと運んだ。
マーヴィンはツアーをキャンセルし、タミーは腫瘍を摘出する手術を受ける。
マーヴィン・ゲイはタミー・テレルがこんな状態になるまで気付かなかった自分を責めていた。
半年後に復帰したタミー、二人は"You All I Need To Get By"をレコーディングする。

アシュフォード&シンプソンがタミーの思い出を語る形で進んでいくが、
この時にタミー・テレルの力は弱っていたものの、美しい歌声を聴かせたという。

しかし取りきれなかった腫瘍はまたしても悪化し、
タミーは激しい頭痛が始まり、再手術となる。
それでもタミーは希望を捨てず、復帰することを願いながら闘病を続ける。

パーティーで若い医師と知り合い、二人は恋人同士になる。
彼や友人や身内の人たちがタミーを支えた。
毎回、その手術が最後と思いながらなんと7回の手術に臨んだ。
そして7回目の手術の際に昏睡状態になり亡くなった。
タミーの担当医からの話もその都度、挿入されている。

病状が落ち着いていた時の数々のエピソードが親しい人達から語られる。

最後のアルバム、"Easy"
車椅子でスタジオに来たタミー、ニコラス・アシュフォードは、
「昔のようなお茶目なところはなくなってしまった。
その頃のことが懐かしく思い出されたが、それでも彼女の精神力には感動した。」
ヴァレリー・シンプソンが代わりに歌ったのではという疑問に、
(マーヴィン・ゲイの伝記の中に書かれたために定説となってしまった)
ヴァレリーは「リハーサルでマーヴィンと合わせるところまでは私が代役をした。
でも本番ではほんとうにタミーが歌ったのよ。」

その数週間後のマーヴィン・ゲイのコンサート、タミーは客席にいた。
歩くことも話すこともままならなかったはずのタミー。
それが自分の曲になると立ち上がって歌い始めた。
マーヴィンは「タミー、来てるのか?」と喜び、彼女にマイクが廻ってきた。
二人は一緒に歌った。
それが最後の人前で歌を聴かせた場面だった。

看病をしていた恋人に「ちょっと聴いて。」
とアカペラで"You All I Need To Get By"を歌って聴かせた。
お見舞いに来た従弟に「今、モータウンでは誰が流行っている?」
と聞き「ジャクソン5」と答えたら「元気になったら彼らに会わせてあげるからね。」
当時の恋人、従弟、友人、担当医、皆タミーとの思い出を語りながら、
声を詰まらせる。

モータウンのベリー・ゴーディーがすべての医療費を負担していた。
マーヴィン・ゲイも毎週、電話を掛けて来てくれた。

葬儀では"You All I Need To Get By"がかかり、
出席したマーヴィンも嘆き悲しんでいたという。
マーヴィンはこの後、アルコールやドラッグの依存が進行していった。
タミーの周囲の人々はマーヴィンがわざわざ葬儀に来てくれたことを、
未だに感謝の気持ちを持って語る。

タミーの脳疾患は元恋人から受けた暴力が原因だったのではという説を、
担当医はやんわりと否定している。

タミーの死から数か月後"Ain't No Mountain High Enough"
はダイアナ・ロスが歌いNo.1ヒットに。
今や次々と新しい歌手が生まれてタミー・テレルを知る人も少なくなった、
長く生きればもっと偉大な業績を残せたのではないのかもしれないと結びつつ、
没後40年を経て人気歌手たちが彼らの楽曲をリメークしていること、
タミーのリリースされていない音源、映像が公開される予定であること、
タミーの姉妹が彼女の伝記を出版したことなどが紹介された。

タミーのマーヴィンの、そして今月一周忌を迎えたNickolas Ashford、
多くの人の魂がこもった楽曲だからこそ、
未だに聴く人々の心を打ち、これらの曲は歌い継がれていく。

この映像を観るまで「タミーの短い生涯は幸せだったのだろうか?」と思っていた。
しかし今ははっきりと言える。「タミー・テレルは幸福だった。」
それは苦しむことや落ち込むことがあっても、彼女の心の中には、
いつも大きなポジティヴィティーがあったから。

Ashford & Sympsonの2009年の来日、ブルーノートでのライヴの際、
彼らがマーヴィンとタミーのメドレーを始めた時に、客席からひときわ大きな歓声が上がった。
その時に「みんな、二人のことが好きなんだね?」と言ったニコラス・アシュフォード。
マーヴィンがタミーのための拍手に喜んだようにMarvin & Tammiが日本で愛されているのを、
嬉しそうにしたニック。
"Real Thing"ではマイクを向けてくれて、一緒に歌わせてもらった。
あの日のヴァレリー・シンプソンとニコラス・アシュフォードの姿も
私の目にはくっきりと焼き付いている。

「Unsung:アイザック・ヘイズの真実」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20130201

「Unsung:ボビー・ウーマック」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20130202

「Ashford & Sympson @Blue Note Tokyo 11/21 2nd 2009」
http://blog.goo.ne.jp/ak-tebf/d/20091122


Unsung (Documentary) - Tammi Terrell

金子三勇士 8/23 出光音楽賞・受賞者ガラコンサート

2012-08-25 09:26:11 | ピアニスト 金子三勇士
今年22回を迎える若手音楽家を顕彰する出光音楽賞、
オペラシティーコンサートホールで行われる授賞式、ガラコンサート、
及び受賞者を囲んでのレセプションのご案内状を頂いた。

今年度の受賞者は三名、マリンバの塚越慎子、ピアノは金子三勇士と萩原麻未。
塚越は会場に溶け込むようなピンクベージュのワンショルダーのドレス、
萩原は鮮やかなロイヤルブルーにシルバーの縁取りがあるドレス、
金子三勇士は燕尾服、髪型がかなり短くなりさっぱりと夏らしい。

その後、一人一人の紹介と演奏になる。
塚越慎子 E・セジョルネ:マリンバと弦楽のための協奏曲
マリンバをメインにした協奏曲の演奏を観るのは初めてだった。
分野も楽器も異なるが鍵盤打楽器の演奏を今までにライヴで観たのは、
コットンクラブでのファンクブラザースのビブラフォンやロイ・エアーズなど。

今回は大きなコンサートホールでのマリンバをメインにした演奏。
1700席余りの観客を惹きつけるだけの迫力に満ちていた。
インタビューの際に700本近いマレット(マリンバの演奏に使用するバチ)
を持ち、スーツケースに約100本を詰め持っているという話が出たが、
演奏中も楽章の変わり目でマレットを換えていて、
塚越ならではの拘りがあるのだと察した。

休憩を挟み、我らが金子三勇士の登場となる。
演奏前のインタビューでは、
「音楽をやっていると楽しいこともあるけれど、つらいこともある。
このような素晴らしい賞を頂くことは多いに励まされるし、
今まで応援してきたくれた方々にも喜んでいただけて恩返しができた想い。」
と感謝の気持ちを語った。

リストの手は大きかったのではとアナウンサーの女性が尋ね、
三勇士の手と大きさを較べる。
指の長さよりも掌の部分が大きいのでは、ここには筋肉があるので大切、
というような会話になった。

今回の受賞コンサートに「リスト:ピアノ協奏曲 第1番」を選んだのは、
リストの若い頃の作品であり、元気の良さ、若々しさがあり、
出光音楽賞に相応しいだけの華やかさがあるから、とのことだった。

私は金子三勇士のこの曲の演奏をちょうど一年前にもサントリーホールで聴いている。
その時は某交響楽団に某指揮者が就任してそのお披露目的な演奏会だった。
三勇士の演奏はもちろん非の打ちどころがなかったが、
指揮者、コンマス、交響楽団の人々に気を遣いながら、その中で自分を控えめに表現した、
というような印象を受けた。

今回は三勇士の授賞式であり、三勇士のための演奏会ともいえる。
自信に満ちて何の躊躇いもなく思ったままを曲にぶつけている、
そしてこの一年間で約80公演をこなしたと聞いたが、
それだけに演奏の細部まで行き届き、
もはやどんな状況にも臆しない職人芸というレベルに彼の演奏が達していることを、
容易に察することができた。
リスト音楽院で学んできた金子三勇士、リストのスピリットを受け継ぎつつ、
自分の世界を構築し、会場、観客とのコネクトも完璧な演奏だった。

続く萩原麻未 ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲
戦争で右手を失ったピアノ演奏者のために何人かの作曲家が曲を作った。
その中でも秀逸な作品とされると司会者から説明がある。
萩原はパリに在住しピアノの研鑚に励んでいるが、自転車にも乗り、
料理もしながら自然体で生活しているそうだ。
気取りのない性格が演奏にもストレートに反映されていた。

しかし途中まで司会進行があったこの演奏会、
萩原の演奏が終わった途端にライトが点き、観客は立ち上がり帰り始める。
司会者からの〆の挨拶があるのかと思っていたので意外だった。
最後に3人の共演、という形で終わっても良かったのではとも思った。
ピアノ二人とマリンバではどのような共演が可能かは想像もつかないが。

既に9時半を回っていたので、関係者パーティーには出席せず、
そのまま失礼することに。
入り口付近で金子三勇士がタキシードに着替えて来て
多くのファンの方々に囲まれている様子が見える。
写真撮影も請われて応じている。

子供の頃からピアノ一筋を貫いてきて、日本に戻った16歳からは、
日本語や人間関係や日本の習慣、更に多くのことを学びながら、
22歳となり日本音楽界で最も栄えある賞の受賞となった。
これからもこの受賞を励みに更なる飛躍を続けて行ってほしい。

この日の演奏の様子は9月16日(日)午前中にテレビ朝日系、
「題名のない音楽会」にて放映される。

指揮:村中 大祐
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
司会:池辺晋一郎・本間智恵

「反哲学入門」 木田 元

2012-08-21 21:22:12 | 私の日々
病を得た筆者が編集者を相手に語った内容が単行本として起こされた。
それはまさに名教授から生き生きと語られる講義を聴いているような一冊となる。

古代ギリシャから近代に至るまでの哲学の流れと共に垣間見る筆者の情熱、
学生時代に卒論で取り組んでから執筆当時まで哲学に対しての熱い想いをずっと絶やさず、
燃やし続けていることに感銘をまず受ける。

各々の哲学者についての考察は他者に委ねよう。
私が感じたことは筆者が古代ギリシャ語、ラテン語、独語、仏語、英語に精通し、
原書と翻訳書も熟読した上での全体像を説いていることだ。

自分自身もかつて古代ギリシャ語の原典の解釈に挑み、
論文に取り組んだ昔を懐かしみつつ、
翻訳書よりも原書の方が読み易いという意見には我が意を得たりだ。
翻訳書は文脈の意味を理解しないまま、翻訳者が各々の単語の訳を繋ぎ合わせたのみで、
全く日本語として意味不明の文と成り得る。
難解に思えた仏語、英語の原文が返ってわかりやすかったりすることを自分も経験した。
また明治以降日本に紹介されてきた哲学書の傾向として
あえて難しげに語られてきた風潮があったことは否めないとする。

哲学をカント以前と以後に分け、カントの時代までは一般的でもあり得た「哲学」
という考察する分野がカント以降は大学で学ぶ専門分野となっていったので、
より大衆離れした学問となってしまったと語られている。

ここ数年、仏語の学習を再開しているせいか、デカルトの著書に対しての説明は、
特に興味深かった。
デカルトの「方法序説」は哲学書の中で最も平明で分かりやすいもの、
とされているそうだ。
小林秀雄が「方法序説」は本来「方法の話」と訳すべきと考えていたことが紹介されている。

有名な「我、思うゆえに我あり」これは仏語では"Je pense, donc je suis"
意訳になるかもしれないが「考えている、それが私」位で良いのではないだろうか?
英語では"I think, therefore I am"とされているが、
これも"therefore"でなく"so"のニュアンスだと思う。
しかしながらここにおいて認識を新たにしたのは、このラテン語訳、
"Cogito, ergo sum"(コギト・エルゴ・スム)
この簡潔なラテン語の響きからこの説が有名になったとされる所以だ。
語感の良さというものは日本では余り尊重されないかもしれないが。

日本語に訳すと「理性」となってしまう「レゾン」という言葉についても、
「良識」(ボン・ソンス)あるいは「自然の光」(リュミエール・ナチュレル)
「神から人間に与えれれた認識能力」と説明されている。
翻訳という作業がその人物、言わんとすることを捉えた大きな視野で全体を見ないと、
本来の意味を伝え得ないということが察せられる。
仏語において"raison"(レゾン)と言う言葉は普通の会話の中で当り前に出てくる。
「理性」というような堅苦しい意味ではない。

その他、哲学と言う分野とキリスト教との関係の深さ、
また筆者がハイデガーを論理としては認めても人間的には、
どうも納得しえないという本音の部分も覗えて、これは面白かった。
内容に惹かれてどんどんと読み進んでしまったが、
この中に現代に至る哲学、日本においての哲学研究の分野についてのそれぞれの流れ、
すべてが収められている。
もう一度、時間を掛けて読み返してみたい。
愛読書と言える一冊になりそうだ。

エリックべネイ「ハリエット・ジョーンズ」PVが来週公開

2012-08-17 10:45:32 | エリックベネイの日々&KyteVideo
アメリカで人気のオーディション番組"So You Think You Can Dance"略してSYTYCD、
邦題は「アメリカンダンスアイドル」(こちらは略してアメダン)として放映されていた。
アメリカでは毎年新しいシーズンが制作されているが、ここのところ、日本では未公開。
そのシーズン3にダニーというダンサーがいた。
ほんとうにエリック・べネイに良く似ていて、毎回観るのが楽しみだった。

ダニーは複雑な環境で育ち、屈折した部分が克服できず、
審査員の一人から態度が気に入らないと指摘され、
オーディションで落とされそうになる。
その後、努力を認めてくれて、かばってくれる審査員も出て来た。
ダニーも殻を破り、視聴者の共感を呼び、人気も得て準優勝まで上り詰めた。

エリックべネイファン、日本でもアメリカでもダニーを見ながら、
そこにエリックを見ていた人も多かったようだ。
ダニーのその後の消息、何回か調べたりアメリカのファンにも尋ねたりしたが不明。
どこかのバレー団で踊っているという噂もあった。

Eric Benet"Harriett Jones"のプロモーションビデオが既に制作されて、
今、編集を終えて来週に公開を控えている。
USウィークリーにその様子が紹介された。
共演で振り付けはSYTYCDと共にアメリカの人気番組"Dancing with the Stars"
に出演しているダンサーで振付師のKarina Smirnoff。

こちらから、メーキング映像も観ることができる。
http://www.theinsider.com/music/54690_Karina_Smirnoff_Stars_in_Eric_Benet_Music_Video/index.html#.UCy4AMWiZBo.facebook

最初にこの画像を見た時に「あっ、ダニーだ!」と思ってしまったほどだ。
今度はダニーがエリックではなく、エリックがダニーに似ている。
パートナーの女性を見つめる様子、しっかりと指先まで神経が行き届いた所作。

エリックべネイのプロモ、歌に合わせて体を動かしている、
一人で踊っている映像はあっても、ペアでしっかり踊っているシーンの映像はない。
前回のPV"Real Love"が抽象的に『愛』を描いた美しい映像であるなら、
こちらは動きのあるダンスシーンでぐっと惹きつける映像になりそうだ。
Eric Benet、独立してから自分の意志で好きなようにプロモヴィデオを作っているはず。
二つの全く違ったPVを早速作り上げたエリックべネイに感服。
来週の公開が楽しみだ。

Eric Benet @ Apple Store in SoHo

2012-08-15 13:59:11 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
ニューヨークのセントラルパーク、サマーステージでの野外フェスに出演したエリック。
翌日はソーホーで7時からのトーク&ミニライヴ。
この時期に合わせてニューヨークに滞在して二日間のイベントに参加したファン達、
日帰りで来られる近隣、ニュージャージーやワシントンDCからやってきたファン達が、
たくさんの写真や動画をアップしてくれている。

自分も行ってみたいと思い、行く場合にはどうしたら良いかなどと
シュミレーションしていただけにアメリカのファン達の行動に共感しつつ、
facebookやツイッターの投稿を見ていた。

アップルストア、早めに到着したリーサは会場の係員から、
一時間前まで場所取りはできないと言われ、しばらく近くで時間をつぶしたようだ。
彼女はヒューストンに住んでいるので、セントラルパーク徒歩圏のホテルで
その期間に割引価格になっている場所をみつけて、ファン数人でそこに宿泊している。

リーサとは2009年ニューオリンズでのエッセンスミュージックフェスティヴァル、
ルイジアナスーパードーム近くのホテルで一緒の部屋に泊って過ごした。
今回も皆と一緒に合宿できたら楽しかったに違いないと思い懐かしい気持ちに。

さて7時からのイベント、最初はインタビューに答えるエリック。

このインタビューアーがとても素敵だったとファン達からの声が。

その後のミニライヴ。

エリックべネイの歌った曲は、
"When You Think Of Me""Sometimes I Cry""Harriett Jones"
かなりの至近距離からの写真や映像が投稿されている。

白いTシャツとパンツ、淡いパープルのチェックのジャケット、
前日はパープルのシャツを腕までたくし上げ、タイにベストだった。
いつもお洒落なエリック・べネイ。暑い中でも涼しげな姿。
この日はエリックの従弟、
作詞作曲でコラボしているジョージ・ナッシュの妹も来ていたそうだ。

この日を区切りにしばらくEric Benet、ライヴの予定が入っていない。
9月末にアメリカ国内でのライヴが一か所入っているのみ。
ゆっくりと家族との時間を大切にしてまた次のアルバムへと英気を養ってほしい。

Eric Benet @ Summer Fest. in Central Park

2012-08-13 11:01:37 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
画像はバックステージでのデンゼル・ワシントンとエリック・べネイ。

8/12、ニューヨーク、セントラルパーク内のサマーステージで行われた
野外フェスティバル。
出演はEric Benetの他にKenny Latimore、Salt N Pepa、
Chiristopher Williams、Q Parkerなど。
しかしDenzel Washingtonがステージ上でマイクを持っている写真がある。
デンゼルもゲストで登場したらしい。

昨夜、アメリカのファンクラブメンバーの一人からいち早く、
「セントラルパーク、サマーステージの入口へ一番乗りよ。」
と書き込みがある。
それはおそらく現地時間の10時半頃。
この時間帯に既に3人ほど到着したようだが、
入場できないゆえ、近くで時間をつぶしているのか、
最初、お互いに相手をみつけるのに苦労したようだ。

4時からのイベント、開場は2時半からとある。
その入場に際しての注意事項、アルコールは禁止、椅子も持ち込めない、
ブランケットは可能だが混雑してきた場合は立ち上がること、
などとある。

ニューヨークの地図を見ながら広大なセントラルパーク、
どの入口から入ればサマーステージに近いのだろうかなどと思っていたら、
ファンの一人が最も近いゲートのナンバーを掲載してくれていた。

開場となりファンクラブの皆はステージに向かい左手を陣取ったようだ。
その後、どんどんと人は増えていき、このような様子になった。

ファンクラブメンバーでも後から会場に到着した人達で、
この状態の中、皆のいるところまでたどり着けなかった人たちもいる。

夕方とはいえ、日差しはまだ強い。
無料コンサート、出演メンバーそれぞれのファン達もいるし、
おまけにデンゼル・ワシントンも出るというのでは大勢の人が詰めかけたことに間違いはない。

いやいや、これはちょっと私には難しかったかなと。
夏の野外コンサート、行ってみたいけれども、
それは余り気合を入れて観たいと思わないようなアーティストの時に、
後方からのんびり、あるいはピクニック気分でブランケットに座って寛ぎながら、
その程度の方が良いかもしれない。

たとえばボストンフィルが夏の時期に野外コンサートを行うタングルウッド、
ボストンとニューヨークの中間程の位置にある。
屋根のあるステージと客席の周辺には広大な芝生が広がっていて気候も涼しい。

13日の7時からエリックべネイはNY市内の店舗にてインストアイベントを行う。
ここでも3曲歌うそうだ。
そして14日の午前中にもイベントがあるようだ。
この日、ニューヨークに集まったファン達はエリックべネイ三昧の3日間、
あるいは近隣から1日だけの参加など様々。

自宅で寛ぐエリックべネイ

2012-08-09 17:36:39 | エリックベネイの日々&KyteVideo
画像はABC振興会のサイトより。
http://abcdane.net/site/celeb/2012/04/ebenet-LAhome-interview.html

一昨日、度々のツイート、私にもDMをくれたEric Benet。
その後、日本が夜になっても、
"Sleepless in Seattle. Wait where am I again ? oh yeah, home."
とツイートしていました。
「シアトルの不眠症、いや違う、僕はどこにいるんだろう?そうだ、家だった。」
"Sleepless in Seattle"、はい、これはかつての名作映画「巡り逢い」のリメーク、
トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の「巡り合えたら」の原題タイトル、
妻を亡くした父親のことを心配した幼い息子のジョナがラジオ局に電話した時のコード名。

今度は外さずにツイートできそうなので、またちょっかいを出しそうになりましたが、
物事には程があると思い、傍観しておりました。
その後、facebookを見るとやはりエリック・べネイと一緒にツアーを終えて
ミルウォーキーに帰ったドラムスのウェスも眠れないらしく、
ウィスキーグラスを前にした写真、ステージマネージャーのビジューもまた、
バーで友人たちと盛り上がっている写真を掲載していました。

やはり長期のツアーを終えて帰宅すると、
自宅に戻ってもすぐにしっくりこないというか、気が抜けたような状態になるのでしょうね。

ABC振興会のリンク先を見るとエリックの自宅の様子、写真とレポートが見られます。
これはカナダで育ったけれども、イタリアとエジプトの血を引き、
モロッコなどにも親戚がいるというマニェラのセンスでしょうか。
素敵なお宅です。

今頃はマニュエラやルチアと共に寛いで日常を取り戻しているのでは?
それにしても自宅でビールを飲みながらポテトチップスを食べ、
政治番組を見ながら「何だよ、これ。こんなのありか?」
みたいなツイートをしていたエリックべネイ。
普通のオジサンみたいで親近感がわきました。
こういう日常の一時がとっても楽しかったのでしょうね。
一仕事終えて家に帰ったという感じがして。
いつものエリックからは想像もつかない姿だけに私はツイートを勘違いしまくりでしたが。

全米ツアー終了!Otsukare sama, Eric Benet!

2012-08-08 00:00:23 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
全米ツアーを終えて自宅へと帰ったエリック・べネイ、
ちょうど現地の夕方頃にこんなツイートをした。
「マコーレ・カルキンみたいに『ホームアローン』になっちゃってるよ。」
早めに帰宅したらマニュエラもルチアもどこかに出かけていて留守らしい。

その後、上記の画像を添付。
"Nirvana"と書いてある。
エリックはビールを飲まない、ジャンクフードも食べないはずなのに、
ポテチとハイネケン、その上、ロックバンド、ニルヴァーナの映像を観ているわけ?
「あなたがビールを飲んでるの?そしてチップス、観ているのはニルヴァーナ?」
とツイート。

すると次にエリックは"Diry Harry Raid, go ahead Mitt, make my day!"
映画「ダーティーハリー」のセリフをもじったコメントに、
早とちりをした私は「クリント・イーストウッドに『僕の次の映画に出ないか?』
と聞かれたら、エリックどうする?」とツイートした。

すると「まずクリントにMitt Romneyを支持するのを考え直さないか、
と聞いてからにするよ。」と私のツイートに対しての返事のツイートをした。

ここで私はとんでもない勘違いをしたことに気付く。
エリックべネイの応援するバラク・オバマの対立候補、Mitt Romney。
彼の若気の至りのいじめとそれを弁解する声明を出したことが話題になっている。
そしてオバマ大統領にかつて差別発言をしたHarry Raid。
彼らに対して怒りのツイートをエリックがしたことに気付いた。

DMでエリックに「ごめんなさい。変なこと、ツイートしちゃって。
アメリカの状況が良く分かってなくて。もっと勉強するわね。」と送った。

早速返事が来て、「気にしないでいいんだよ。
ところで、ニルヴァーナもロックバンドじゃないんだ。
ニルヴァーナとはね、喜びと至福の時、って感じかな?」
ニルヴァーナ、ロックバンドの他に仏教用語で「涅槃」と言う意味を知っていたが、
アメリカ英語でこのような「至福の一時」という意味で使うことは知らなかった。

そうだったんだ、と冷や汗。
過去ツイートを遡るとエリックは韓国のファン達へ韓国語でのツイートをしている。
思わず自動翻訳を掛けると「水分補給を心掛けて暑さに気を付けてね。」
いいなぁ、日本語でもツイートして欲しいなと思い、
「日本のファンのためにも日本語でツイートしてくれないかな?」とツイート。

するとエリックからまたDMが来て「これを翻訳してくれる?」
「日本のファン達へ。
みんなのことをとても懐かしく思い出しています。
また、美しい国、日本へと早く戻りたいと思っているよ。」

ツアーから帰るなり、日本のファンのことを気遣ってくれる、
どこまでも優しいエリックべネイなのだと感激してツイート。

するとエリックから約30分後にまたDMが来ていたことに気付いた。
「翻訳してくれた文章まだ?」
5分後にもう一つ「もう自分で訳してツイートしちゃったんだね。
ツイートするから僕に送ってっていう意味だったんだ。」

「ごめんなさい。勘違いしてしまって。。。次回はちゃんと送るから。」
とまたしても冷や汗。
「大丈夫!問題ない。」とエリックからお返事が来ている。
やはりエリックべネイが相手だといつも舞い上がり、
わけの分からないことをやってしまう私なのでした。

念のため、原文を掲載しておきます。
"Hello to all of my Japanese fans!!
I miss you so much and I can't wait to return to your beautiful country!! "

猫と金魚

2012-08-07 00:41:15 | Weblog
私は犬も猫も好きだが、猫好きにとって絵に描いたような可愛い猫の写真は、
面白みがない。
表情や考えていることがわかるような写真に微笑みを誘われる。

キーボード奏者、フィリップ・ウーがアップした愛猫ウィギーの写真。
ウィギーはPhilipのサイトに度々登場するかなりハンサムな雄猫。
そのWiggyが顔をしかめてイライラしたような表情で金魚をみつめている。

キャプションに"Wiggy and the newest family member Luca Brasi"
猫がいるのに金魚を飼ったんだと思ったが、その名に何か聞き覚えがある。
Luca Brasi、「ゴッドファザー」に登場するビトー・コルレオーネの用心棒。
最初の結婚式のシーンでマーロン・ブランド扮するゴットファザーに挨拶をする練習をしている。
次に登場する時には組織を代表して出向いた取引であっけなく殺されてしまう。
その後、コルレオーネ家に新聞紙に包まれた魚が送られてきて、
それは「ルカは海の底にいる」という意味だった。

Philip Woo、引き続き金魚の写真もアップしてくれるが、
その姿はほんとに映画の中のルカに似ていて頬がふくらんだような様子に、
思わず笑ってしまった。

猫と赤い金魚と水色がとても涼しげな写真。
ウィギーが名前入りの光る首輪をしている。
猫にとって飼い主に金魚を飼い始められては受け入れるまでがたいへんだ。


真夏の夜の夢

2012-08-05 15:33:07 | 私の日々
いかにも東京の夏らしい猛暑が続いている。
夜になっても気温が下がらず、風もない熱帯夜は疲れていても寝付けなかったりする。

エリックべネイの今月のスケジュール、8/12は夜7時からニューヨーク、
セントラルーパークにての無料野外コンサート、
翌日は市内のショップでのインストアイベント、サイン会が行われることになっている。
コンサートとイベントが二日に渡ってある。

木曜日の深夜、というか金曜の未明、私はデルタエアーのサイトを開いた。
そこから予約画面、飛行機の座席の埋まり具合を調べ始めた。
まだ空席がちらほらと見える。

「11日に成田を発てば同日にはニューヨーク着、翌日にはエリックのコンサートに行ける。」
facebookでふとつぶやくと、早速S子さんから「GO!」とレスが付く。
妄想に走ったとお返事、旅のシュミレーションは楽しいなどとコメントし合い、
その日は休んだ。

朝起きると私が寝ている間にKちゃんから「いっちゃえ!」Sさんからも「ほら!」
と更にコメントが付いている。
思わず吹き出しながら返事を書いているとAさんからも「行っちゃえ~!」
とレスが付く。Aさんは3か月間のフランスでの研修を終え、
セネガルに赴任したばかりだ。
「NYの夏のセントラルパークのコンサート、気持ちいいですよ。」
Aさんはかつてニューヨークでビジネススクールに通っていた。

その後、ライヴ仲間のAちゃんやJさんからもイケイケのコメントが。
電車男と化した私は、金曜の夜遅くにエクスペディアでホテルを調べ始めた。
この時期のニューヨーク、意外にホテルがふさがって、また金額も高めだ。
4泊をアフォードできて、それほど悪趣味でなく安全そうでこじんまりしている、
そしてセントラルパークに歩いていける、そんなホテルも見つけた。

後はこの二日間に参加するメンバー達だ。
野外無料コンサートではたぶん2~3時間早めに行って場所取り、
交代で休憩、一緒に観戦になるだろう。
翌日のインストアイベント、"The One"が発売され、エリックがレーベルを起ち上げてから、
ファンクラブメンバーはCDの販売やサイン会を皆で手伝っている。

初めて参加する人たちもいて「皆でHarriett Jonesの時には一緒にラインダンスをしよう。
私の考えた振り付けを覚えて。」と映像を投稿している人、
「一緒にフォーンを鳴らして盛り上がろう。」何て言っている人もいる。

以前、ニューオリンズにエリックべネイのライヴを観に行った時には、
そこに至るまでに4年近くメールでやり取りをしてきた
ファンクラブのメンバー達と会うことも楽しみと目的の一つだった。
今回、この新しいファンクラブメンバー達と一緒に二日間を過ごすのは
凶と出るか吉と出るか、今一つ、判断が付かずに迷いが走った。

ニューヨークに行ったら後の二日は何をしよう。
ミュージカルで観たいのもいくつかある。
経験から未知のものは避け、劇団四季、あるいは映画で予習済みのものを選びたい。
「オペラ座の怪人」か「メリー・ポピンズ」はどうだろう。
行きたい書店やデパートもある。

だんだんその気になってきた私は土曜の夜にもう一度、デルタのサイトを開いた。
何と言うことか、席がかなり埋まってしまっている。
二晩でこんなに違ってしまうのか。
今度はJALのサイトを開いた。
航空会社からの正規割引航空券、値段はデルタとほぼ等しい。
まだ若干の空席はある。
ところが画面上に不思議なサインが出始めた。
日付が変わる後5分後に値段が変わってしまうというのだ。

JALのサイト、出発一週間前を切ると航空券の値段は約2倍に。
デルタのサイトでも同じことが起こった。
航空会社が売る正規割引航空券、一週間を切るとなくなってしまうわけ?
だからその寸前に急に予約する人が多かったんだ。
次に格安航空券もチェックしたがやはり同じ状況だった。
しかし今日になって航空券の値段、少しまた下がってきている。
他の航空会社も数社見てみるが直行便は空席待ち状態になっていた。

パッケージツアーではどうなのか、旅行社に問い合わせれば可能かもと考えたが、
今回は縁がなかった、やはり急な思い付きだったと思い、潔くあきらめることに。
今年は諸事情からとても夏休みどころではなかったはず。
つかの間の現実逃避に終わってしまったが、それでも旅の計画を練るのはいつも楽しい。

Eric Benet and fans in Richmond VA

2012-08-04 14:30:30 | エリック・ベネイライブ(日本以外)
一昨日のリッチモンドで行われたエリックべネイ&レディシのライヴ。
パトリナが「みんなで赤いドレスを着ましょう!」と呼びかけた。
赤がない人はレッド系のドレスでと。

画像を見るとほんとうに真っ赤なドレスで集合している。
アメリカのパーティー、クリスマスやヴァレンタインには赤いドレスの人を見かける。
エリック・べネイのイベントで「クリームパーティー」というのがあり、
その時は全員白、白のドレスがない人は白いブラウスやシャツを着ていた。

次回のエリックべネイの来日、
一度くらい、全員赤のドレス、あるいはトップスで集合、"Woman in Red"
なんてしてみたいですね。

でも考えてみたら私は赤いドレスなんて持ってなかった。
単色の赤を着るのはやはり勇気が要ります。
次回の来日に備えて、それは来年の春頃と仮定して、
これから数か月間かけて赤のドレスを探してみます。
みなさんもぜひ!
ドレスでなくてもジャケットやブラウス、Tシャツでも。